彼女の魔法
「実は私、魔法が使えるの」
夕焼けに染まる通学路。
赤から黒に変わりゆくグラデーションの空の下、目の前を歩く言実は、長い髪を秋の風に揺らしながら嘯いた。
「コトミ、お前は何を言っているんだ」
俺は、待ち兼ねているであろうツッコミを入れてやる。
「あ、もしかして…いつもの『なぞなぞ』じゃない?そうでしょ?」
そう言って、言実の隣を歩く愛華は楽しそうに笑った。笑うたびに垣間見える八重歯が特徴的だった。
「魔法か…。素敵な響きだね」
そんな感想を述べたのは、俺の隣を歩く守。この背の高いイケメンは、そんな歯の根が浮くような台詞を容易く言ってしまう恐ろしい男だ。
「魔法が使えるなら、僕は透明人間になりたいな」
―――こんな下ネタでさえ女子の面前で言えるほど恐ろしい男だ。
「わー…発想が下心丸出しじゃん…。きもーい!」
「いつものことだろ」
「いつものことだよね」
「ちょっ…みんな酷いなぁ…」
俺たちの非難を一斉に浴びたマモルは笑いながら、落ち込むふりをして見せる。
学校帰りの俺たちの、いつも通りの光景。泣けるほどいつも通りの、されどかけがえのない日常。特別な関係でもないのに、不思議と全員が集まってしまうのは今でも謎だ。
「それで、魔法が使えるんだってな、コトミ?」
俺はちょっとだけ挑発的に、彼女の細い背中に尋ねた。
「ええ、使えるわよ?使おうと思えば、ね」
首だけでこちらを振り向いた言実は、挑戦的な笑みと言葉を以てこの問いを迎え撃った。
「正体を当ててみろ、ってことでしょ?」
「へえ…望むところだね」
やたらと乗り気な愛華と守。二人して随分と楽しそうだ。
この『なぞなぞ』も、日常の一つだ。
帰り道で言実はいつも、思いついた『なぞなぞ』を出題してくるのだ。答えられたからといって賞品などは何もないのだが、暇つぶしとして皆で参加している。
そして、そこには今日も例外は無い。
「誰か、答えたい人いる?」
十字路の横断歩道で足を止めた時、言実が尋ねた。
「はいはいはい!」
「はい、は一回!」
「はい!先生!」
「はいどうぞ」
笑い合いながらそんなやり取りを繰り広げる言実と愛華を見ながら、俺は思わず小さな笑みを零す。
「えーっと…口から火とか吐けるんでしょ?ほら、手品とかであるじゃん!」
自信たっぷりに答える愛華だったが、おそらく当人以外の誰もが思ったことだろう。
それはない、と。
そもそも『手品』と言ってしまった時点で違うだろ。
「あー、アイカ残念!」
「いやー、やっぱ違ったかー!」
「それが出来たらサーカス団に入れそうだよね」
「「「確かに」」」
見事な三重唱におもわず皆で笑い出す。
ひとしきり笑った後、言実がもう一度切り出した。
「さて、答えられる人は?」
名乗り出るものが居ないまま、信号が青に変わる。長くなる電柱の影が差す中を歩き始めた頃に、今度は守が切り出した。
「情報が足りないね。ヒントをくれないかな?」
「あ、ヒント?うーん…」
それを予想していたのか、ほんの少し考えた後で言実は言った。
「…この魔法は、『世界を変えてしまうもの』、です」
「えー!分かんないよー!」
「意味が分からん」
「これは難問だね…」
スケールの大きすぎるヒントに、解答者一同が唸り声を上げた。
「世界を変えてしまう、か。…コトミちゃん、もしかして『核爆弾』みたいな、破壊の魔法だったりする?」
商店街のアーケード街路に差し掛かった頃、守が言った。
「『核爆弾』って…マモルンそれは無いでしょー!」
守を指差してケラケラと笑う愛華。きっと誰もが思ったはずだ。
お前が言うな、と。
まあ、それはさておき、その正否は…。
「…マモルン、残念!そんな物騒なものじゃないかな」
「あはは、だよねぇー…」
苦笑する守。それを見てさらに笑い出す愛華。
流石の守も少し腹が立ったのか、笑顔でその額にチョップをかました。
因果応報とは、まさにこのことだ。
「テルはどう?分からない?」
「おう、さっぱりだ」
お手上げだ、というように両手を上げて見せた。
すると、彼女はムッとした表情で問い詰めてきた。
「ほんとに考えてるのー?」
バレた。思いの外、かなり早かった。
俺は頭を使うのが苦手だ。したがって、クイズやなぞなぞも得意ではない。もっとも、嫌いではないが。
「考えてる考えてる!ただ、ほら…そう!腹が減っては云々、って言うだろ?」
たまたま目に入った精肉店の看板に助けられ、そう言葉をひねり出すことに成功した。
コロッケが一個五十円。うむ!悪くないじゃないか!
「…それじゃ、コロッケでも食べようか」
「おっ、いいねぇ!食べよ食べよ!」
「む、ひじきコロッケ…?美味しそうだね」
じぃっ、と俺を見つめていた言実の視線が離れ、ほっと胸を撫で下ろした。
商店街を抜けた俺たちの手には、それぞれ思い思いのコロッケが握られていた。
「マモル…お前のコロッケ、それ何?」
「ん?野菜たっぷりひじきコロッケ」
「…あ、そう」
「テルこそ、何食べてるの?」
「ああ、俺か?俺のは…明太コロッケ、だな」
そういって見下ろした手の先には、中身がピンクっぽい色に染まったコロッケが収まっている。
「…結構、変わってるね」
「…お前がそれを言うのか」
納得がいかない。
「ん、どしたどした?」
こちらを振り返った愛華が歩幅を緩め、守の左隣に並んだ。
「いやぁ、テルの食べ物の趣味って変わってるよね、っていう話だよ。テルは明太コロッケ食べてるんだ」
「へえ、テルは明太コロッケか。そんなのあったんだぁ」
事情を説明した守と俺の手の中を交互に覗き込み、愛華はもう一つ尋ねる。
「マモルンは何食べてんの?」
「え?野菜たっぷりひじきコロッケ、だけど…」
瞬間。
愛華が口の内容物を勢いよく噴き出した。
「ひ…ひじきコロッケぇ?あははははは!何それ⁈あんた爺さんじゃないんだから!」
ああ…。敢えて何も言わなかったのに…!
「ひじきコロッケ…。随分と、その、渋い趣味なんだね?」
いつの間にか俺の右隣に居た言実が、何のフォローにもなっていない発言をする。
「…そういうアイカはどうなんだよ。何食べてるのさ?」
ちょっと涙目にも見える守は、反撃に出た。
「え、あたし?あたしは…豚角煮まん」
「「「え」」」
もはやコロッケですらないチョイスに、一同が唖然とする。
「え?ちょ、どこで買ったの…?」
「お肉屋さんの向かいのお店だけど」
あ。だから明太コロッケの存在を知らなかったのか。
そんな納得をしてしまうほど、今の俺は呆気に取られていた。
…目の前の天然女に。
「なんか、負けた気分だよ…」
守はそう呟いた。
「なあ、二つ目のヒントをくれよ」
夕日がその半身を地平線に沈めた頃、俺は言った。
「えー、仕方ないなぁ…」
と言いつつ考える言実。そんな彼女の黒髪を秋の涼しい風がなびかせた。
「…ヒントその二!この魔法はとても『特別』なものです!」
「『世界を変えてしまう』、『特別』な魔法?」
「…世界が変わるのに、特別じゃないものがあるのか」
「謎だねぇ…」
ヒントがヒントになっていない気がする。一体、どんな魔法なんだ…。
「ほらほらぁー、考えて考えてー?」
出題者のほうは何とも楽しそうだ。
…言実は案外、性格が悪いのかもしれない。
「ほら、テル!まだ答えてないでしょ?先に答えて!」
「あー!俺かよ!」
さっき逃げた分のツケが回ってきたようだ。俺は観念して答えてやることにした。
「…特別な魔法で、世界が変わる…だろ?うーん…」
俺は唇に親指を当てるようにして考え込む。
―――『世界を変えてしまう』。これを劇的な変化、と捉えるなら…。それは「場所の移動」や「化粧」とも解釈できる。
では『特別』とは?…「手に入りにくいもの」或いは「実行しにくいもの」と解釈できるだろうか。
割と真面目に考えて、ついに答えを捻りだした。
「…旅行券?」
しん、と一瞬だけ四人の空間が静まり返った。
―――旅行券は手に入りにくい。商店街の福引か、テレビか何かの懸賞くらいだろうか。あたりの風景をガラッと変えてしまう、という意味でなら『世界を変えてしまう』というのも当てはまりそうだ。
「これは…もしかして正解来るんじゃない⁈」
「合ってる気がしてきたよ…。これはきっと正解だね」
「お前らその発言はやめろぉ!」
死亡フラグみたいなものを建築し始めた愛華と守を一喝し、俺は言実を見やった。
すると、その視線の先の少女は口角を上げてニヤニヤと笑っていた。
「え、正解なのか?」
俺はおそるおそる聞いてみた。
緊張の一瞬。
言実が口を開く。
「………っざんねぇーん!旅行券ではありませーん!」
しっかりと溜めに溜めてから放たれた言葉。俺を含む回答者三人は、がっくりと肩を落とした。
「なんだよ!勿体ぶりやがって!」
「そうだよー!なんかムカつくー」
「一本取られたね…」
口々に不満を吐き出す俺たちに、笑いながら言実は言う。
「でもでも、いい線いってたと思うよ、ほんとに!」
慰めなのか何なのか。落ち込む俺の耳には皮肉のようにも聞こえてしまう。
要するに悔しいだけなのだが。
「さっきのが惜しいなら…もしかしてライブのチケット?」
「うーん、残念!」
「分かった!遊園地のチケットだね?」
「違いまーす!」
「フェリー(のチケット)!」
「新幹線!」
「まずチケットから離れろよ!」
頭上を高くを飛ぶ数羽のカラスが笑うように鳴いた。
「あ、僕らはもうお別れだね」
「うわ、ほんと」
差し掛かったY字路の分かれ目で愛華と守が言った。
あいつらは、いつもここでお別れだ。
二人は「早かった」と口々に言うが、夕日はもう頭だけを残すのみだった。
「あー、答えが気になるぅー!」
「明日までお預けだね」
「あはは、まあ一晩じっくり考えてみてよ」
「俺は一足先に聞いとくからなー」
後ろ髪を引かれる想いで分かれ道を進みだす二人に、俺と言実は笑顔で手を振った。
「さて、行こうか」
「おう」
二人並んで歩き出す。ときおり、立ち並ぶ住居の隙間から差す夕焼けの残滓は俺たちの横顔を赤く染め上げる。
「…小さい頃はさ、こうやって、いつも二人で帰ってたよね」
唐突に語りだした言実。
俺たちがまだ、小学生だったころのことだ。そういえば、俺と言実が出会ったのも小学校だったはずだ。
そんなことを考えながら、俺はただ「そうだな」と相槌を打つ。
「今みたいに『なぞなぞ』を出し合ったりしてね。あの頃は楽しかったなあ」
「おいおい、今は楽しくないのかよ」
「そういうことじゃないでしょー?」
無粋な横槍に、プリプリと怒って見せる言実。
「悪い悪い!…でも、突然どうした?そんな話するなんて、珍しいな」
「まあ、思うところがあるわけですよ」
言実は、あからさまに言葉を濁す。
「…ちょっと、公園に行かない?」
「…なんで」
「魔法の正体、見せてあげる」
そう言って返事も聞かず、言実は俺の手を引いて歩き出した。
夕焼けの残滓は溶けるように消え、辺りを仄暗い闇が覆いつくした。
その闇の中に街灯や家々の明かりは点々と星を描き出す。
それを見下ろすことのできる公園の一角、フェンスの張られた小高い崖の上に、俺たちはいた。
「日常、ってさ、簡単に崩れてしまうものなんだよね」
そう言った言実の表情は、暗がりのせいで読み取れない。
「それこそ、ほんの小さな『いざこざ』とか、誤解とかで」
言いながら、言実はフェンスに腰掛ける。俺は背中でフェンスにもたれ掛かった。
「もっと言えば…今、私がバランスを崩して崖から落ちてしまっても、ね」
「どうしたんだ、哲学でもする気か?」
俺はなんだか妙な違和感を覚え、思わず茶化すような言動をする。
しかし言実は、ただ笑うように「そうかも」と答えた。
「私が何を言いたいのか、っていうとね…日常っていうのは、思っていたよりも微妙なバランスで成り立っているみたいなの。それに私は最近気づいたんだ」
「なるほど」
何もわかっちゃいないが、曖昧に返事をする。
「…実はね、アイカとマモルンは両想いなんだよ」
「は?」
突然の爆弾発言。俺の脳の処理速度では、その情報をすぐには正しく理解できなかった。
「今の言葉で、多分テルの二人に対する印象が変わったと思う。だからきっと、明日からの日常は、今日までとは違うものになる。そのくらい簡単に変わってしまうものなんだよ」
ああなるほど、と思った。
「もしかして、魔法の正体っていうのはそのことか?」
『言葉』は魔性を持つ、とでも言いたいのだろう。
しかし、言実はそれには答えなかった。
「私の言う『魔法』はね、とても勇気がいるの。それを…今から見せてあげる」
刹那、強く吹いた風が草木を揺らしザワザワと音を立てる。雲が裂け、煌々と輝く満月が顔を出す。
風が止み、月明かりが薄く辺りを照らす。俯いてフェンスを降りる言実の姿もはっきりと照らし出される。
やがて顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。
「テル、大好きだよ」
―――俺は、何を言ったらいいのかわからず、ただ立ち尽くした。
再び風が強く吹き付け、満月を雲が覆い隠す。
お互いの顔も薄い闇に包まれ、判然としなくなる。
ああ、『魔法』の正体はこれか。
今度こそ確信した。
変えてしまう『世界』とはつまり、僕らの関係や現状の付き合いの形のこと。
『特別』…それは、もはや言うまでもない。
『魔法』の正体とは、つまるところ…―――
『愛の告白』のことだ。
「迷惑…だった?」
言実が身じろぎするような気配を感じた。無言で立ち尽くす俺の様子を、良くない方向に受け取ったのだろう。
俺は蘇った思考回路を必死に巡らせ、言う。
「実はな、俺も魔法が使えるんだ。でも、俺は口が下手だから…その、ごめんな」
ぴくん、と言実の肩が跳ねたのが分かった。
俺はおもむろに広げた両手で、目の前の人影を思い切り抱き締めた。
「俺も…好きだ」
背中に細い腕が回される感触。
「一瞬、泣きそうになっちゃった」
「…口下手だ、って言っただろ」
再び裂けた雲からは月明かりが差し込み、二つで一つの影を照らした。
彼女の魔法。その正体は想いを伝えること。
それは誰にだって使える魔法。
口に出さなくたっていい。どんな形でも、ただ想いを伝えるだけでいい。
その一歩はあなたに多大な犠牲をもたらすかもしれない。
しかしどうあれ、『世界』は変わってしまうのだ。
ならばいっそ、『特別』なあの人のために、『今』を惜しみなく放り出そうではないか。
「なあ、『魔法』の正体だけどさ、あいつらになんて説明するんだ?」
「どうしよう…、考えてなかった」
「マジかよ…」
「そうだ…二人のどっちかにだけ教えようか」
「え…あ、なるほどな。あいつらも同じように…」
「そういうこと」
「まあそれならマモルのほうが適任だな。アイカは…なぁ?」
「アイカは、ねぇ…。うふふ」
「…それじゃ、また明日な、言実」
「うん…またね、輝」
---新たな日常が動き出した。