Fall in love
「恋に落ちる」という表現があります。
僕はこの表現が好きで、自分の創作にもたびたび登場します。
それはなによりも、「落ちる」という表現が余りにも的確だと思うからです。
僕は恋に落ちたとき、体温がすっと下がり、体に緊張が走り、軽く視点がぼやけます。
やはり「落ちる」という言葉がとてもしっくりきます。
一番近いのが、ぼんやりと階段を下りていて、踏み外して踏みとどまった時でしょうか。
はっとする瞬間です。
これは僕だけなのかな、と思っていましたが、ふいに友人に話すと「分る」と返ってきたので、少なくとも僕だけではないようです。
この感覚は、最低でも僕含めて2人は感じています。
この「恋に落ちる」という言葉が、いつ、どこで、誰が言い出したのかは分りませんが、的確かつセンスのある言葉を思いついたなぁ、というのが観想です。
語源として一番可能性が高いのが、英語の「Fall in love」の和訳、でしょうか。
と、すると「Fall in love」と言う言葉が生まれたときのことを考えるに至り、なんだか終わりがなさそうなので、これを調べるのはまたの機会に回します。
僕は若い頃、それこそ10代のときは一目ぼれをしやすく、すぐに恋に落っこちていました。
タイプの女性に会ったときは言うに及ばず、それまで女性として見ていなかった人のかわいらしい姿を見てしまったときなど、それこそ「どんだけだよ」とつっこみを入れられるレベルで一目ぼれしやすかったのです。
中学は公立でしたし、高校は公立の共学でしたので、クラスの半分は異性です。
僕は、あっちにかわいい子がいれば恋に落っこち、はたまた、そっちにピアノが上手な子がいれば恋に落っこち、そんなことばかりしていました。
落ちる感覚を何度も何度も味わうことになったのです。
ただ一目ぼれをするだけして、結局告白をすることもなく、遠くから眺めているだけでした。
自分に自信が無いこともあり、当時はその自分の気持ちの置き場所に困ったものです。
20代になるとさすがに一目ぼれは減りました。
というよりも、出会いの総数が減ったので、回数が減っただけのことです。
多分、一目ぼれする確立はほぼ変わっていなかったのではないか、と思います。
30代後半の2014年現在の僕は、さすがにもうおっさんなので、そうやすやすと恋に落ちることはなくなりました。
絶対数も減りましたが、なによりも精神的に多少は落ち着いているからです。
恋の病なにするものぞ、で、かわいければすぐに恋に落ちる、ということは減りました。
減りはしましたが、それでも無くなっているわけではなく、今でもたまに「あっ」と声が出そうなほど「落っこちる感覚」を覚えることがあります。
そう、あの感覚です。
こればっかりはいつまでも変わらず、僕はずっと恋に落っこち続けるのかも知れません。
それこそ灰になるまで。
では今回はこれまで。
またお会いしましょう。
それまでごきげんよう。