ある日の無くした記憶
一応SFのつもりで書いていますが、サイエンスの部分がめちゃくちゃになってしまいましたが、とりあえず我慢して呼んでいただければ幸いです。
僕が高校の物理の教師になったのは、物理が好きだからとか先生に憧れていたとかそんな立派なものではない。ただ就職口がなかったのだ。親に言われて、理学部に進学したにも関わらず教職課程を取らされ、教育免許まで取得してしまった。それが就職活動に影響し、内定がもらえなかったのかもしれない。
学校は小学校からあったが、僕は高校を選んだ。その理由は、生徒間のトラブルや保護者からの突き上げが幾分マシだからで、それ以外の理由は無い。大学の友人に下心の有無で茶化されたが、確かに教育実習のときに目を引くような女子がいたのも事実だが、決してそんな不純な動機があったけではない。
とにかく、様々な事情と不運のおかげで今日という日を迎えてしまったのは確かだ。今日、すなわち高校教師デビューの日だ。
僕自身もそうだったが、高校はさっぱりしている。例え新任でも、周囲は自分が思っている以上に僕に興味を示さなかった。始業式と同時に着任式を終えると、おのおの部活に帰宅にと足早に教室を出て、職員室に顔を見せることは無かった。
生徒たちとは裏腹に先生たちはしつこかった。着任式のその日に歓迎会があり、その二日後に入学式があったのだが、その日は1年担任の懇談会とやらで、1年3組の副担任を任された僕にも誘いがあり、新人の僕がそれを断れなかったのは言うまでもない。
だがそれ以上に参ったのは天文学部の顧問にさせられてしまったことだ。囲碁部や将棋部のような名前だけの顧問が良かったのだが、この学校にはそのポストは空いてはいなかった。天文学部の何がめんどくさいかというと、その機材の高価さから必ず顔をださなければならないということだ。生徒が不真面目で、適当に活動してくれていれば良かったのだが、なぜか生真面目な連中ばかり集まっており、隣の席の園田先生に『あそこは風変わりというか、ユニークというか大変だよ』と哀れむような目で見られたのには参った。
僕の初めての授業は、着任して次の日のことだった。簡単に自己紹介を済ませ授業に移ろうとしたとき、最前列の女子が僕の出身大学を聞いてきたので『東京大学です』と答えると、クラス中にどよめきが立ち、明らかに数秒前とは僕を見る目が変わったのには嬉しさと切なさを感じた。
その日の放課後、僕は早速天文学部を見に行った。天文学部の部室は物理学室の隣にあり、いつも暗幕で中が見えないようになっていた。
ドアを開けると、既に部員が来ていた。一斉に目が向けられたときには、まるで捕らわれた宇宙人のような気分になった。
「はじめまして。今日からこの顧問になる佐原宗一です。えーと、この天文学部の部長さんは誰かな?」
僕が質問すると一人の女子が手を挙げた。
「君か。名前教えてくれる?」
「松谷ミドリです」
「3年生?」
「はい」
「部員ってこれで全部?」
「いえ、あと一人います」
「ところで、天文学部って去年までどんな活動をしてきたの?」
「天文学部といっても名前だけで、幅広く物理分野を学んでいます」
それを聞いて安心した。天文学は僕の専門外だったからだ。
それにしても、この松谷ミドリという生徒はコミュニケーションをとりづらかった。口調は淡々としており、僕の質問にだけ答え余計な言葉をいれないからだ。しかし、だからといって立ち去るわけにもいかなかったので、他の部員に自己紹介をするように言った。
部員は3年生5人、2年生6人の11人で構成されていた。以外だったのは、そのメンバーの内、男子は3年生1人、2年生2人しかおらず、あとは皆女子であることだった。大学時代もそうだったが、普通女子は文系に進むことが多い。ましてよく分からない天文学部になど普通は入部しない。それがほとんどが女子で構築されていたことに驚きを隠せなかった。
各部員の自己紹介が終わると、僕は松谷ミドリを呼んだ。具体的な話を聞くためだった。
「部員はこれで全部?」
「はい」
「明日、部活動紹介でしょ?準備できてる?」
「はい」
やはり、淡白な答えしか返ってこなかったが、それでも質問を続けた。
「さっき物理分野を学んでいるって言っていたけど、具体的にはどんなことをやっているの?」
「運動論関係です」
「僕の前にここの顧問をしていた先生はどんな先生だった?」
「何もしない先生でした」
「何もしないって?」
「私達に干渉しないということです」
僕はまるで機械と話しているような気がした。
「そう。ところで僕はどんなことをすればいいんだい?」
「先生の好きなようにしてください」
「好きなように?」
「はい」
なるほど、園田先生の言っていた意味が実感できた。確かにここの生徒は少し変わっている。この松谷ミドリもそうだが、他の生徒も僕と松谷が話しているのを気にも留めずにいた。外国にでも旅行に行った気分だった。
「じゃあ、僕は少し雑務があるからそこの準備室で仕事しているから。何か用事があったり、帰るときは声を掛けてください」
「はい」
返事をすると松谷ミドリは振り返り、自分の席へ戻っていった。僕は教室全体を見回すと、隣の物理学準備室へ移動した。
準備室にはパソコンがあり、僕は前任の引継ぎの資料の確認と3年生用に小テストを作ることにした。
暫くして、突然ドアをノックする音がした。仕事に熱中していたため時間を忘れてしまっていたので、慌てて時計を見ると7時半を指していたので驚いた。
「はい」
急いでドアを開けると、そこには松谷ミドリと、副部長の赤石玲子が立っていた。
「先生、終わったので先に帰らせていただきます」
「ああ、もう暗いから気をつけてな」
「はい。さようなら」
小さく頭を下げると、松谷と赤石は足早に帰路についた。
松谷たちが見えなくなってから、教室の確認のために物理学室に入った。机はきちんと元通りに直してあったが、途中で机を動かすような音が聞こえなかったので少し薄気味悪くなった。だが、僕の頭は幸いにもそれを気のせいだと認識するほど楽観的な構造になっており、施錠と電気の確認をして帰ることにした。
次の日も部活はあったが、入学式ということもあり午前中に授業が終わり、またその日は一年生の担任で懇親会があったので、五時半には部活を終えるように松谷に言伝した。
生徒が帰ったのを確認すると、いやいやながら懇親会の会場に向かった。酒はあまり好きではないので、飲まないようにわざわざ車に乗っていった。
先生方が全員揃うと早速、学年主任の飯野先生が乾杯の音頭を取った。
「いや〜、それにしても佐原先生は東大を卒業したそうで。優秀なんですなぁ〜」
「はぁ」
乾杯が済むと、隣に座った安西先生が話しかけてきた。
「やはり東大は違うんでしょうな〜」
安西は根に持ったように『東大、東大』と繰り返してきた。
「そんなことは無いですよ。僕も早く先生方を見習って、生徒と打ち解けられるようにしないといけませんし」
こんなつまらない飲み会はとっととお金を払って退散したかったが、新任である手前、そんなわけにもいかなかった。一人でも若い女性がいればよかったが、ここにいるのは自分の母親と同じか年上の先生で、華やかな雰囲気がまるで無かった。
「ところで、佐原先生はどうして教師になったのかな?東大を出ているのだし、いい就職口があったんじゃない?」
「いえ、小さい頃から教鞭に立つことに憧れていましたので」
本音を言いたかったが、仕方なく教員採用試験と同じ答えをした。
「そうですか、私はね」
それから安西先生の教師になった理由、志、今の生徒に対する不満が30分ほど続いた。安西のどうでもいい話を聞きながら、次の飲み会では絶対に安西と離れた席に座ることを固く決意した。
「部活といえば、佐原先生は天文学部の顧問になられたそうで」
安西が自分の受け持つ卓球部の話題に切り替えようとしたとき、前に座っていた園田先生が助け舟を出してくれた。話の腰を折られた安西は、少し不満そうに自分でコップにビールを注いだ。
「はぁ」
「どうですか?昨日、今日と見た感じは?」
「いまいち彼らが何をしているのかわからないですね」
「そうですよね。去年できたばかりの部活ですからね」
「去年できたばかり?」
「はい。知りませんでしたか?去年突然、松谷ミドリ達が天文学部設立の申請をしたんです。それも夏休みあとにですよ?」
「そうなんですか?でもこの学校も凄いですね。そんな新しい部に2台も天体望遠鏡を買ってあげるなんて」
「まぁ、彼らも少しづつお金を出しましたし、足りない分は、去年顧問だった先生が出したらしいですよ?」
「そうなんですか」
「それより不思議なことはまだあるんです。松谷はじめ、赤石など部員のほとんどが実は文系なんですよ。それなのに天文学部なんです」
「文系だったんですか?」
「はい。あそこで理系を選んだのは、2年の柏原と小木の二人だけだったと思いますよ」
「それは少し不思議ですね」
「前の先生も理由を聞いたらしいんですが、何も教えてくれなかったらしいですよ。松谷は割かし明るくて社交的なんですが、部活になると変に交流を持ちたがらないんです」
「そうだったんですか」
その時僕は、昨日の松谷の話し方を思い出していた。何を考えているかわからない機械的な話し方を。そして、これからのことを考えると不安になった。
次の日、物理学室に入るとやはり既に全員揃っていた。ただ、見学に来た1年生の姿は無かった。
「松谷さん、僕はまた隣にいるから帰る時には声を掛けてね」
「はい」
やはり淡白な反応しか見られなかった。生徒達の反応の薄さに、彼らの中での僕の存在意義の無さに悲しくなった。
それから一ヶ月がたった。相変わらず彼らの反応は薄く、その部外者を寄せ付けない雰囲気の中に飛び込んでくる勇気のある1年生はおらず、この春、天文学部のメンバーが増えることは無かった。
部員に変化が現れたのは、ゴールデンウィーク明けのことだった。いつものように仕事の書類を持って物理学室に入ると、松谷が話しかけてきたのだ。
「先生、ちょっとお話があるのですがよろしいですか?」
「ああ」
驚きと喜びと不安でいっぱいになったが、いたって冷静を装い松谷達部員の座るテーブルに着いた。
「先生、本題に入る前にお聞きしたいのですが」
「なんだい?」
部員全員がじっと僕を見つめていた。僕は、これからまるで凄腕の刑事に取調べをされる犯人のような気分になった。
「突然なんですが、先生はタイムスリップという言葉を知っていますよね」
「ああ、要するに時間移動だろ?」
「先生はそれをどう思いますか?」
「どうって?」
「具体的に可能かどうか、また可能ならどうすれば可能かです」
意外な質問に驚いた。いや、質問の内容を全く予想できていなかったのだから意外と言うのは正しくないだろう。質問の真意が理解できず軽い混乱状態に陥ったというべきだ。しかし、それもすぐに解消され、このような質問をする彼らが高校生らしく思え、安心した。
「可能かどうかね」
僕は彼らを見回した。彼らは僕の品定めをしているかのような目つきだった。その目を見て、彼らがどれほど真剣に質問してるかが解った。
「現実的に考えれば不可能だと思うよ。アインシュタインはかつて、物体が光の速さで運動できれば過去にいけると語ったが、物体が光速に近づくことはできない」
「なぜです?」
「この世界では、物体の速度を与えるにはエネルギーが必要だ。その物体が重ければ重いほど、速ければ速いほど大量のエネルギーが必要になる。そしてこの世には質量0のエネルギー源はない。つまり、物質にエネルギーを与えるには、そのエネルギー源が必要で、さらに加速するにはそのエネルギー源の質量を計算に入れた量のエネルギー源が必要になる。それがいたちごっこで続いてしまうから」
「では、タイムゲート、つまり時空の歪みを利用する方法は?」
「まず、時空の歪みの存在自体が不確定なものであるからな。例えあったとしても、それをコントロールして他の時代に行くことは考えづらい」
「じゃあ、時間移動は無理ってことですか?」
「うーん、そうとも言い切れないかもしれないな」
「どういうことですか?」
「うん、これは全く僕の考えで、はっきりと空想の世界のことなんだけどね。だから理論云々を語るレベルにすらなっていないんだけど」
「それでもいいです。聞かせてください」
そう言った松谷の目は、なぜか期待に満ち溢れていたように見えた。
「そうだな。僕の考えは、通常の物体が時空移動する事は無理だ、じゃあ通常じゃない状態ならばってことなんだ。つまり、人間の肉体と精神を分離して、精神だけを飛ばすことが出来れば時空移動は可能なんじゃないかなって」
自分で言っていても馬鹿らしいことであり、当然そこで笑いが生まれるものと思っていたが、生徒達の反応は笑うどころか、真剣さが増していた。
「つまり、先生は人間の零体ならばタイムトラベル可能であると?」
「え、ああ、そうだな。ただこれは、人間がその肉体のほかに零体構造というものを確立して、かつ、それが質量が0でなければならないがな。さらにタイムゲートというものが発見さえたりコントロールできればいいがそれは期待できないな。ただ、この方法では未来に行くのは難しいか。もし、どうしてもいきたいというなら、コールドスリープの技術が開発されると行けるかもしれないな」
「やはり」
「やはりってどういうこと?」
松谷は、少し躊躇うように目を瞑り、小さくため息をつくと周りの部員に目を配らせた。
「先生、今から言うことは全て真実です。それだけは了解してください」
重々しい空気が、物理学室に流れた。僕は、何かを決意した松谷の視線を外すことが出来なかった。
「何から話せばいいか分からないのですが・・・私達11人は、今の時代の人間ではないのです」
「え、なんだって?」
突然の告白に頭がついていかなかった。
「私達は未来からタイムスリップしてこの時代に来たのです」
松谷が嘘をついていないことは判った。しかし、それを信じることが出来るほど、僕の頭は適応能力や状況判断能力に優れてはいなかった。
「それは一体・・・」
「私達が住んでいたのは、今から83年後の未来です」
松谷は、僕の言葉を遮るように話を続けた。
「あなたはこの時代から30年後ほど先、さっき言っていた精神のタイムスリップ論を学会に発表されます。ただその頃は、精神の定義についてまだ十分に検討されていなかったため、あなたの考えは学会では否定されます。あなたの理論が学会で認められるようになったのは、あなたの死後12年して、別の研究家が精神と肉体の分離を成功させたことから、大々的に実験が始まり、本実験用の装置が完成したのがその11年後です。そして、その実験の初の人での実験に私たちが選ばれたのです。本当は、男女10人ずついたのですが、他のものがどうなったか判りません。気付いたら、私達だけこの時代に来ていました」
そこまで話すと、松谷達は、今ここにいない仲間を憂いてか、数秒の黙祷をした。
「もし、それが本当だとして、ではなぜ今、君たちは肉体を持っている?」
「確かに、精神を飛ばすことは出来たのですが、肉体は・・・だから一時的にここの高校の生徒の肉体を借りているのです。もちろん四六時中というわけにはいけません。この肉体の持ち主、松谷ミドリ達の脳に多大な負荷を与えてしまいますから。だから、こうして1日に数時間肉体を借りているのです」
確かに、筋が通っていないことも無かった。それならクラスでの松谷ミドリと、この部活での松谷ミドリの性格に違いが生じるのも納得できた。また、去年突然、この部活が出来たのも説明がつく。しかし、それでも松谷の言うタイムスリップが事実だとは思えなかった。
「本来なら、こんなことを先生に話すべきではありません。未来を教えることで、未来が変わってしまうことがあるからです。だから私達は、普段はこの時代の人物に干渉しないようにしています」
「何か証拠となるものはないのか?確かに君達が言わんとすることはわからんでもない。しかし、それをいきなり信じろと言われても無理というものだ」
「確かにそうですね。でも、残念ながら確固たる証拠は無いんです。未来の物理法則を教えれば信じてもらえるかもしれませんが、そんなことをしては一体どんなことになるか。例え、信じられなくても力を貸して欲しいんです。私達は未来へ帰らなくてはなりません」
「なんで?タイムマシンを壊すためです」
「どうして?」
「精神のみの時間移動は、このように他人の肉体を必要とします。そんなことが起きたら・・・」
確かに考えるのも恐ろしかった。それこそ肉体を求めて戦争が起こるかもしれないからだ。
「じゃあ、もし俺が学会に発表しなかったら、タイムマシンなんて出来ないんじゃないの?そうすればこの時代に君達がいるはずが無いことになるから」
「いいえ、時代の復元能力というものがありまして、例えその現象を防いでも、予期せぬ形で別の場所で同様の出来事が起こってしまいます」
「そうなのか」
「はい」
重苦しい空気は、更に澱みを増した。僕は、脳をフル回転させて冷静な判断を下そうとしたが、考えれば考えるほど混乱が増していった。しかし、それでも僕の精神は決断を下した。
「判った。信じることにするよ。ところで僕は何をすればいいんだい?」
「時空の歪を作って欲しいんです」
「なんだって?」
「先ほども言いましたが、私達は精神だけでこの時代に来ました。だから、この松谷ミドリの肉体と私の精神を切り離すことは簡単です。だから、光速をにたるエネルギーを得ることも可能なのです。しかし、それでは未来に行くことは出来ないんです」
「じゃあ、何もしないで83年後を待つというのはどうなんだい?精神のみならば年をとらないだろ?」
「はい。最初はそれも考えました。しかし、肉体の無い精神はそれ自体が極めて不安定で、崩壊するしかないのです。だからこうして他人の肉体を借りています。また、肉体を借りるにしても、波長が合う人物で無いと意味がありません。波長の合う人物は数千から数万人に一人だと言われています。我々11人が肉体を借りることが出来たのは奇跡に近いのです。ただ、このまま肉体を駆り続けると、一つの体に二人の精神が宿っているわけですから肉体への負荷が大きくなってしまいます。だから、我々は早く帰らなくてはなりません」
「もし、帰れなかったら?」
「そのときは、私か、この松谷ミドリ本人のどちらかの精神がけされることになるでしょう?」
「どちらかが消される?」
「はい。生物は進化できるように出来ていますから、普通は未来から来た私達の意識が優性です。しかし、脳が拒絶したりすれば一瞬で我々は追い出されてしまいます」
「なるほど。それで、どうすれば未来に帰れるか何か手立てはあるの?」
「理論的には、高電磁波が観測される地域で高エネルギーを密集させていけば或いは可能かもしれません。しかし、現実問題不可能です」
「じゃあ手立ては無いのか?」
「いえ、一つだけ考えられます」
「それは?」
「時間軸の完全同調現象を引き起こすのです」
「というと?」
「時間は、光や音のようにある波長、ある振幅を持って進んでいきます。我々がこの時代に来たのも、実験時の波長とこの時代の時間の波長がシンクロしたためと考えられています」
「じゃあ、可能なのか?」
「はい。ただ問題が二つほどあります」
「問題?」
「はい。一つは時間移動を起こすたのきっかけが無いのです。時間移動を起こすためには空間を無理矢理広げなくてはなりません。それには多大なエネルギーが必要です」
「もう一つは?」
「時空の逆流現象が起こる可能性があります」
「時空の逆流?」
「つまり、未来と現代が入れ替わるような現象です」
「なぜそんなことが起こりうるんだ?」
「我々の世界が光によって構成されているからです」
「どの程度の確立で起こるんだ?」
「解りません。ただ、それほど高い確率ではありません」
「じゃあ、とりあえず時空に歪を作るのが最優先なんだな?」
「そういうことになります」
その後、僕は松谷達から今日の会話を現代の人間に話すことの危険性を何度も話された。もちろん話すつもりは無い。こんなことを話しても誰も信じてはくれないだろうし、馬鹿にされる可能性のほうが高いからだ。
家に帰ると、僕は急いで大学時代に使っていた物理の教科書を開いた。やはりどの教科書を開いても、どこにも時間移動について書いていなかった。当然といえば当然のことだが。
その日から俺は、まるでゲームの世界に入り込んでしまったかのような生活を送ることになった。授業中もどこか違う世界にいるみたいで、部活動の時間になると、もう違う星にいる間隔だった。天文学部では松谷達は相変わらず難しい顔で議論しているが、変わったことといえばその議論の中に僕も加わるようになったことくらいで特に話題が進展することは無かった。
エネルギー確保の問題が解決されないまま6月を迎えることとなった。そしてもう一つ問題が増えてしまった。
「最近ですが、精神と肉体の分離が困難になってきています」
松谷が言うには、あと一ヶ月もすれば完全にくっついてしまうそうだ。
僕達には時間が無かった。日一日と経つことに、部員に焦りと不安が増していくのが解った。僕は微力ながらも様々な資料を集め、そのため中間テストが異様に難しいと生徒の間から不満の声が上がったのには参った。
テストが終わり、6月の中旬に入った日のことだった。
「先生、最近部活に熱心ですね」
昼休みに隣の園田先生が声を掛けてきた。
「まぁ、生徒達が熱心ですからね」
僕は、本当の事を言わないように愛想笑いを見せた。
「何をやっているんですか?UFOでも探しているとか」
「UFOは無いですよ」
「そういえば、一昨日のことですが、テレビでUFOなどの特集をやっていましてね」
「はぁ、そうだったんですか」
「はい。それで娘と見ていたのですが、突然娘にUFOってどうやって飛んでいるのか聞かれましてね。反重力っていう力で飛んでいるんだよって答えたのですが、そしたら娘が反重力って何?って質問してきましてね。佐原先生、あれってなんなんですかね?」
「ああ、反重力ですか。反重力って言うのはですね、普通地球上の物体は地球の中心、つまり核に向かって引っ張られるのです。これが所謂重力です。それとは逆に外側、つまり宇宙空間へ向かう力が反重力です。だから、UFOはというか地球上にあるもので、それが反重力で飛ぼうとしてもすぐに宇宙空間に飛んで言ってしまうのです」
「なるほど。そうだったんですか。じゃあ反重力というのは有り得ないんですね」
「そうですね。全ての物体は重力の影響を受けていますから」
そこまで言って僕の中で一つの疑問が生まれた。そしてそれは、新たな可能性へと変化していった。
「君達に一つ聞きたいことがあるのだが」
放課後になり、物理学室に入ると早速生徒達に質問をした。
「君達は零体の状態でここに辿り着いたんだよね?」
「はい」
「そして君達は質量が0だ」
「はい」
「では、なぜこの場所に留まれているんだい?」
「どういう意味ですか?」
松谷達は、まだ僕の質問の意味を理解し切れていないようだ。
「物質は重力の恩恵により、この場所に留まれている。もし重力が働かなければたちまち宇宙にすっ飛んでいってしまう。だが君達は質量が無いわけだから、君達に重力は働かない。では、なぜここに留まれているのか?」
「そういえば、そうですね?」
「多分それは地球の磁場によるものだ。そして君達がここに来たのは、ここいらが他に比べて磁場が大きいからだと思う」
「なるほど。しかし、それがどうしたのですか?」
「そうなると一つの可能性が生まれるんだ」
「可能性?」
「ここは磁場が強い。電気の力で時空を歪めることが出来ないか?というものだ」
「出来るんですか?そんなことが?」
「普通は無理だ。そんなことがあったら、雷が落ちるたびに時空の歪が出来てしまう。しかし、君達は文字通り無限のエネルギーを生み出せる。それさえ出来れば。まぁ、電気は一つのきっかけに過ぎない」
部員達の顔が明るくなるのを感じ、僕は、更なる真実を告げようか迷ったが、告げることにした。
「しかし、これには一つの問題がある」
「それは何ですか?」
部員の表情は、不安で曇っていった。
「君達の中で何人かが消滅する可能性があるんだ。実際君達は20人で実験に望んだそうだが、9人はここにはいない。別の時代に流された可能性も捨てきれないが、時空の壁にぶつかって消滅した可能性がある」
沈黙が、部屋を支配した。誰も俯いて、言葉を発せようとはしなかった。
どれくらいったったのだろうか、突然松谷ミドリが立ち上がった。
「それでも、それでもその可能性にかけるしかないです。もう時間は無いんです」
「そうね」
松屋の声に立ち上がったのは赤石だ。そして、次々と立ち上がり、ついに全員が立ち上がった。
「先生、ありがとうございます。もしこれで未来に帰れなかったとしても私達の誰も、先生を恨むことはありませんから」
「すまない。この時代の科学力では君達の望む結果は得られなくて」
「まだやっていません。それにこのまま待っていても消滅するだけですから」
それから、土曜日の夜に実験を決行することを誓って解散した。
土曜日はあっという間に来た。皆複雑な表情をしていた。空も、皆の心の不安を表わすかのような曇り空だった。僕達は他に先生や生徒がいなくないのを確認して、早速実験を起こすことにした。
実験はこうだった。校庭のど真ん中に鉄柱を立てる。そしてそれに車のバッテリーを繋ぎ帯電させる。そこに松谷達零体が十分に加速してぶつかるというものだった。ただ、最初にぶつかる人物の危険がもっとも高かった。
今日に至るまでにそれについての話し合いがなされたが、結局松谷が自分が最初に行くと言い張って、話は終わったが、やはり今日は言葉少なげであった。
「装置ができたぞ」
僕の声に、皆ゆっくりと僕の周りに集まってきた。皆、一言も喋らなかった。
「僕は信じているから。君達が無事に未来にたどり着くことを」
やはり誰も喋ろうとはしなかった。
「こんなときに言うのもなんだが、今日まで本当に楽しかったよ。最初に相談されたときには本当なのかどうなのか、いや、今でもこれが現実に起こっていることなのか判断で来ていないかもしれないが、本当に君達に会えて良かったよ」
空模様はどんどん悪くなっていったが、松谷達の顔は少しずつ和んでいった。
「私もです。この時代に来てしまい、その上帰る手段も不確かなもので、タイムスリップの実験に参加したこと自体間違いじゃないかって思いましたが、でも先生に会えて本当に良かったです」
「うん、ありがとう」
そう言うと、僕はお互いに祈るように、別れを惜しむように、自分の存在を相手の心に刻み込むように強く抱きしめあった。
「先生、それではもう行きますね」
「うん」
「先生、本当にお世話になりました」
突然松谷達の体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。いっしゅん驚いたが、松谷の体を借りていた人物の精神が抜けたのだとすぐに理解した。目には見えなかった。しかし、そこに彼らの存在を、そして今、彼らが何をしようとしているのかを感じた。
予定通り、車のバッテリーを入れようとしたその時だった。突然鉄柱に雷が落ちたのだ。と同時に、辺りは光に包まれた。
目を開けると信じられない光景が写った。見えないはずの霊体が見え、鉄柱の奥に、小さな隙間があり、光が吸い込まれていくのが見えた。
「松谷、あれは?」
「先生、私が見えるんですか?」
「ああ、それよりあれはなんだ?」
「多分、ゲートです。これで無事に帰れる可能性が増えました」
嬉しそうだった。その笑った顔はどこかで見たような気がした。
「では、これで本当にお別れだな」
僕達二人が話している間も、一人、また一人と穴の中に入っていった。穴の奥がどうなっているのか見えなかったのは残念なことだが、引き換えしてこないところを見ると無事に未来に戻れたような気がして、少し安心した。
「それでは私も行きます」
「ああ、また会いましょう。おじいちゃん」
「え、なんだ・・・」
呼び止めるまもなく、再び強い光に包まれた。
気がつくと、僕は生徒達と一緒に校庭に倒れていた。不思議なことに、なぜ倒れているのか、そもそもなぜ校庭にいるのかなど記憶がなくなっていた。僕は急いで松谷達を起こし、その無事を確認した。
「先生、あれ?なんで私、こんなところに?」
松谷をはじめ、皆一様に記憶を失っていた。それも、天文学部での活動の記憶のみを。
その後、天文学部はというと、3年生が受験のために引退して以降、自然消滅のような形となった。僕はというと、校庭のど真ん中に鉄柱を突き刺したり、生徒と気絶していたことについて校長に叱られ、それ以来、学校の中で浮いた存在になってしまった。
どうしても職場での雰囲気に馴染めず、十年後、僕は大学の講師となっていた。その三年後、霊体における時空移動の可能性についての論文を書いたが、予想通り誰にも相手にされず、結局、それ以降は、普通の論文だけを書いていった。
35年後、定年退職を向かえ、妻と二人で暮らしているときだった。娘夫婦が、孫娘を連れて家に遊びに来たときだった。
「また会えたね。おじいちゃん」
その言葉に、不思議な懐かしさを感じ、高校教師をしていたときの思い出が蘇えってきたが、肝心な事を思い出せないむずかゆい感覚になったが、年のせいということにしておこう。
それにしても、今日もいい天気だ。