コロッケ問題
トロッコ問題という思考実験がある。自ら罪を引き受けることで、結果を変えることの良し悪しを問う倫理学のジレンマだ。今、僕はコロッケ蕎麦のために、コッペパンを犠牲にしようとしている。
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トロッコ問題という思考実験がある。
暴走する列車の先に、五人の作業員が縛り付けられている。手元のレバーを引けば列車の進路を変え、その五人を救うことができる。しかし、切り替えた先の線路には別の人間が一人縛り付けられており、レバーを引くことは、自らの手でその一人を確実に犠牲にすることを意味する。
全体の利益のために、自ら手を下す罪を引き受けることができるか。合理的な正解のない、古い倫理学の問いだ。
もっとも、自分が列車の運行を管理する立場にあるのか、ただの通りすがりなのか、あるいは暴走列車を仕掛けた当人なのか。前提となる自らの立場が設定されていない時点で、ナンセンスな問いだと思う。
「さっきから何をぶつくさ言ってるの」
買い物カートを押す僕に、横から妻が声をかけてきた。今日は二人とも仕事が休みで、こうして連れ立って近所の市場へ食事の買い出しに来ている。
僕たちは学生時代に出会い、同棲を経て、そのまま成り行きで結婚した。彼女の顔立ちには今でも当時の愛らしい面影が残っている。
この平穏な生活に不満を覚えたことは一度もない。
だからといって、常に意見が一致するわけではない。ささやかな見解の相違を主張し合えることは、僕たちが共に暮らしていく上での、暗黙の作法のようなものだった。
「やっぱり蕎麦にしないか」
「まだ言ってるの」妻は呆れたように言った。「今日中に食べないといけないコッペパンがあるから、コロッケを買うんでしょう」
全くその通りだった。僕だって、コロッケパンを楽しみにしていたのだ。だが、時には当初の前提にとらわれず、別の選択に踏み切る柔軟性を持ってもいいはずだ。なにより、コロッケ蕎麦という選択肢に気づいてしまった今、僕の口は、完全にコロッケ蕎麦の口になってしまっている。
予定通りコロッケパンにするか。あるいは、パンを失う代償を払ってでもコロッケ蕎麦にするか。
この、トロッコ問題を彷彿とさせる深刻なジレンマは、さしずめ、コロッケ問題とでも呼ぶべきだろうか。
「そんなに言うなら、このエクレア返してきてよ」
「いや、それは」
それだけは出来ない。ここのチルドスイーツコーナーで販売されているエクレアは、僕の食後のささやかな楽しみだ。これを食べないと食事を終えた気がしない。
前々から、妻はエクレアを過小評価している節がある。構造だけ考えればチョコシューと呼ばれていてもおかしくないのに、わざわざエクレアという固有名詞が与えられている。それだけでも、この菓子が完成された存在だと分かる。それに、このエクレアのカスタードに使われている卵は……。
「また声に出てる。エクレアを食べたいのは分かったけど、だったらやっぱりお蕎麦は買えないよ」
そうなのだ。行政から支給されるフードポイントは、個人の基礎代謝を元に計算されている。嗜好品として甘味やアルコールを買うことはできるが、ポイントには限りがある。
つまるところ、賞味期限が切れるからと言ってコッペパンを廃棄するという選択肢はありえない。
だが、それでも手が無いわけじゃない。要するに、僕たちは今日中にコッペパンを消費しなければならないという考えに囚われてしまっているのだ。だったら。
「コッペパンは明日食べるよ」僕はカートを引きながら提案した。「そうすれば、今日はコロッケ蕎麦にできるだろう。一日くらい賞味期限を過ぎたからって、急に腐るわけじゃないんだから」
「ダメに決まってるでしょ」
妻は真っすぐレジに向かいながら、ため息をついた。
「賞味期限切れの食品で体調を崩したら、保険が適用されないのよ。この前、お隣さんがそれで抗生物質も出してもらえなくて大変だったの、もう忘れたの」
「そんなの……」
反論しかけたが、言葉を飲み込んだ。絶対に大丈夫なんてことは、絶対にないのだ。
「だいたい何なの、コロッケ蕎麦って」
「知らないのか。割と伝統的な食べ方で、かけ蕎麦にコロッケを乗せて食べるんだ。出汁を吸った衣がほぐれて、つゆにコクが出て美味いんだよ」
「コロッケ蕎麦くらい知ってるよ」妻は小さく首を振った。「そうじゃなくて、これはいいお肉を使った、それだけで食べても美味しいコロッケなの。蕎麦に乗せるなら、もっとチープな代用肉の冷凍コロッケで十分じゃない」
仰る通りだ。目の前のカートに入ったこの大振りなコロッケは、コロッケ蕎麦に使うにはいささかオーバースペックだと言える。だが、だからと言って蕎麦に乗せてはいけないという道理もない。それに、今の発言ではっきりした。妻もコロッケ蕎麦自体は嫌いではないのだ。
「コロッケパンだって、冷凍コロッケで十分じゃないか。ほら、コロッケパンとコロッケ蕎麦、単純にどっちが食べたいかで考えてごらんよ」
「一つ、勘違いしているみたいね」
妻は立ち止まり、まっすぐに僕を見た。
「もし、今日の食事にコッペパンを使わないとしましょう。そうすると、代わりに何かをコロッケに合わせるわけだけど、どうしてそれが蕎麦に限定されるの」
僕は言葉に詰まった。この会話が、全て妻の掌の上だったのだと気がついた。
「あなたは、選択肢がコッペパンか蕎麦しか無いみたいに話してるけど。もしコッペパンを諦めるなら、私にだってコッペパン以外のものを主張する権利が生まれるの。それは蕎麦じゃなくてもいいのよ」
そう。コロッケ問題には、三本目のレールが存在していたのだ。
「このコロッケに一番合うのは何かな。黒毛和牛って書いてあるからお塩で食べても美味しいだろうし。やっぱり炊きたてのご飯かな」
思い返せば、妻の言葉には一切の隙がなく、正論しか言っていない。最初から最後まで、すべては僕のわがままに過ぎなかったのだろうか。完全に論破され、うなだれる僕を見て、妻はふっと笑みをこぼすと、優しく声をかけた。
「うそ。そんなに落ち込むことないでしょ。いいよ、今日はコロッケ蕎麦にしよう」
市場からの帰り道。僕たちは人気のない土手をゆっくりと並んで歩いていた。見上げる空は薄い膜が張ったようにくすんでいるが、それでも微かに届く太陽の光は、僕たちの足元を温かく照らしている。
限られたリソースで、窮屈な管理社会に生かされていることを忘れてしまうほど、穏やかで幸福な時間が流れていた。
恥ずかしげもなく、妻のお気に入りのエコバッグの取っ手を片方ずつ持つ。中には、コロッケと乾麺の蕎麦、少しばかりのネギ、そしてエクレアが入っている。
「本当によかったのか」
「もうポイントは使っちゃったでしょ。台所のことは私に任せなさい」
「コッペパンは、明日、僕が責任をもって食べるよ」
隣を歩く彼女の横顔を見ながら、この人と一緒になれて良かったと思った。
やがて食卓には、コロッケを乗せた蕎麦が二杯並んだ。蕎麦には似つかわしくないコロッケの存在感に苦笑を漏らす。我が家の蕎麦つゆは関東風だ。湯気とともに、かつお出汁と濃口醤油の香りが漂う。それだけで美味いことが分かる。
妻と向かい合い、「いただきます」と手を合わせて食べ始める。
僕はコロッケを熱いつゆにしっかりと浸し、箸で崩しながら、コロッケの溶け出したつゆを蕎麦に絡めて口に運んだ。
妻は蕎麦をすすり、まだサクサクとした食感が残るコロッケをひと齧りすると、丼を傾けてつゆを口にする。
「美味しいね」
「うん、美味しい」
帰宅してすぐの光景を思い出す。妻がコッペパンを手に取ったとき、そのままコンポストへ廃棄するのだと思い、咄嗟に止めに入った。そんな僕に、妻は呆れたように「違うよ」と笑うと、手にしたパンをそのまま冷凍庫へと収めたのだった。
かなわないな、と僕は思う。
コロッケ問題の真の正解は、コッペパンを冷凍し、賞味期限の進行そのものを止めることだったのだ。




