三話「顧客の課題(ペイン)とソリューション」
「やあ、待ってたよ」
今日は記念すべき入部してから最初の経済同好会への参加。最初くらいは顔を出しておくかと軽い気持ちで来てみたわけだが。
「藤井君、ほんとに新入生誘っちゃったんだ…それも二人も…」
学年は上だろうか、全体的に優しそうな雰囲気だが、たれ目気味ではっきりした目鼻立ちはなんとなく気の強そうな印象を感じられる。
「こいつは副部長の小寺有紀、別に誘ってないんだが勝手についてきてついには副部長の座にたどり着いたやつだ。よろしく」
「たどり着いたって、三年生二人しかいないでしょうが」
やけに仲がよさそうに見える、二人は元々知り合いだったのかもしれない。
「小寺先輩、よろしくお願いします」
「よろしく~。よかった~、この部活今年から男だけになっちゃったからどうしよ~って思ってたの」
「そ、そうですか…私も女性がいると安心します」
「ささ!簡単に顔合わせは済んだところで、まずは第一講義からスタートだ」
「講義…か」
起業に必要なステップを学ぶ…と言っていた話だろう。高校生同士でやる講義なんて意味があるのだろうか。
「よろしくお願いします」
そんなことを思っていたら隣の女子生徒はやる気らしい、ペンとノートを取り出し始めた。
・・・
第一講義:顧客の課題を見つける
「突然だけど、ビジネスってどんなところから生まれると思う?」
清水さんはすぐにペンを握り直したが、答えるのをためらった。僕はもちろん黙ったままだ。
「難しいかな?じゃあ、答えは『不満』だ」
藤井部長はホワイトボードに、丸と矢印を一本引いた。
「ビジネスっていうと、何かすごい発明や、画期的なサービスを想像するかもしれない。でも、その根っこはすごくシンプル。誰かが抱えている『鬱憤』、つまり課題を解決することなんだ」
「ふむ……」と清水さんはノートに書き写す。相変わらず真面目だ。
「黒木君、君でもいいよ。今、何か不満に思っていることはある?」
「……別に、特にないっす」
「お、そっか。残念。じゃあ清水さんは?」
清水さんは少し考えて、きっぱりと答えた。
「今の高校のカリキュラムです。一年生で理社系の選択科目を全て履修し、二年次までに受験を意識して選択科目を決定しなければならず、情報収集に時間がかかりすぎる。あれは非効率です」
「非効率! いいね、清水さんらしい」
部長は黒板に『課題:情報収集の非効率』と書き込んだ。
「これがビジネスの種だ。君が不満なら、同じ不満を持っている人は世の中にいっぱいいるはず。つまり、そいつらが『顧客』になる可能性がある」
「そして次に考えるのは、その顧客が今、その不満をどう解決しようとしているかだ」
部長はさらに解説を進める。
「解決手段がないなら、それは大きなビジネスチャンス。でも、たいていの場合、すでに代替手段がある。例えば清水さんの進路指導なら、先生に聞く、ネットで調べる、先輩に聞くとかね」
「そうですね。でも、それがボトルネックになっているんです。先生の言葉は抽象的、ネットは情報が曖昧。そこが問題です」
「その通り!ボトルネックこそ、俺たちが突っ込むべき市場の穴だ」
藤井部長は笑顔を深めた。
「俺たちがやることは、そのボトルネックを解消する『ソリューション』を提供すること。これが、ビジネスのシンプルな構造だ」
清水さんは興奮したようにノートを閉じ、「つまり、私たちはそのボトルネックを見つけ出す作業をするということですか」と前のめりになった。
「半分正解。じゃあ、まずはその構造を体感するために、お試しでブレインストーミングといこうか!」
部長の提案に、清水さんの瞳が輝く。
「ルールは簡単。『今、世の中にある不満』を、誰かを批判するのではなく、どう解決できるかという視点で、五分間、箇条書きにする」
「ええ、分かりました」
僕は何から手を付けようかと、適当なことを考える。
・・・
静まり返った部室に、僕と清水さんのペンの音だけが響く。
(不満、不満か……)
僕がパッと思いついたのは、集団行動の面倒さや、形式的な校則への違和感など、自己完結型の不満ばかりだった。
一方で、隣の清水さんは猛烈なスピードでペンを走らせている。チラリと横目で盗み見ると、彼女の不満リストには『勉強が忙しく、家事が回らない』『教材が高い』など、実生活に根差した内容が並んでいた。
(なるほど…将来の不安は家庭環境から来るものか)
五分後、藤井部長が声を上げた。
「ストップ!じゃあ、いくつか聞いてみようか」
部長が清水さんの方を向いた瞬間、清水さんは大きく息を吸い込んだ。
「個人的なものは抜きにして…私は主に時間のムダ、特に学習資源のアクセス性についてリストアップしました。高校の教科書はなぜ無償化されないのか、等々」
僕が出した不満と、根の深さが違う。彼女が抱えているのは、単なる文句ではなく、貧しいながらも時間を切り詰めて学ぶという、彼女の生き方そのものからくる課題だ。
部長は満足そうに頷き、そして僕を見た。
「黒木君は?どんな鬱憤を抱えている?」
「……そうっすね。特にないですけど、部活の参加が義務ってのがムダじゃないっすか」
「お、いいね!『義務化された無駄な時間』。じゃあそれを解決するソリューションは?」
「……入部せずとも、何らかの理由を適当につけられる仕組み、ですかね」
その瞬間、清水さんが冷たい視線を投げかけてきた。
「あなたは本当に、すべてをサボることしか考えていないのね」
「別に、サボってないっすよ。合理的じゃないって言ってるだけ」
「合理性?あなたの言う合理性は、努力からの逃避でしかないでしょう」
二人の間に、ピリッとした空気が流れた。
「はいはい、一旦ストップ!」
藤井部長が手を叩き、笑顔で空気を和ませる。
「君たちの個性がわかってきたよ。清水さんは効率と実利、黒木君はムダの排除と簡略化。どちらも起業家にとって最高の資質だ」
そして、部長は急に真剣な顔になった。
「さて、講義はここまで。ビジネスの根幹は、理論だけじゃない。商売だ」
「俺たち経済同好会では、一年生に文化祭での出店を任せるのが通例になっている」
「文化祭、ですか?」清水さんが訊き返す。
「そうだ。そして君たち一年生チームのノルマは、売り上げ……100万円だ」
僕の思考が一瞬停止した。100万? 高校の文化祭で、何をどうしたらその額が達成できる?
隣の清水さんも、流石にその数字には息を飲んだ。しかし、彼女がすぐに目を輝かせたのを見て、僕は一抹の不安を覚えた。
「……やります」
清水さんが即答した。彼女の瞳の奥には、家族を支えるという切実な目的が、炎のように燃えている。
「じゃあ黒木君、君はどうする?」藤井部長が問う。
「……」
このプレッシャーの中で一切動揺していない清水の横顔を見て、僕は不覚にも、彼女のことが少し心配になってしまった。
「……わかりました。やります」
「よしっ!これで文化祭チーム結成だ!来週までに、100万円達成のためのアイデアを具体的に詰めてきてくれ!」
藤井部長の笑顔は、僕には悪魔のようにも見えた。僕と清水さんの、最初にして最大の共同作業が、こうして幕を開けたのだ。




