二話「勧誘」
いつもの教室からは少し離れた木造三階建ての旧校舎。
その三階の端の教室が今回の目的地だった。
当然のようにズカズカと前へ進む名前も知らない女学生。その後ろをとぼとぼ付いていく僕。最後尾の教頭先生は、場所を案内しながら話しかけてきた。
「藤井代表さんはね、退屈なことが大嫌いだそうで、普段は授業に出ていないそうなんです」
「それって……落ちこぼれじゃないですか……?」
「ははっ、そう思いますか清水さん。私はね、そんな学生さんがいたっていいじゃないかって思うんです」
「はぁ……」
教頭先生ってあんまり見たことなかったけど、こんなに鷹揚なんだな。同好会か何か知らないが、この人を適当にちょろまかせば部活動は何とかなりそうだ。
・・・
「……ここですか?」
「はい、そちらで間違いありませんよ」
『経済同好会部室』
掠れた白いペンキのドアに雑な字で書かれた看板が掲げられている。
「やあ、待ってたよ」
中から爽やかな青年が顔を出してきた。
「俺は藤井大樹。この経済同好会で代表をやっているんだ、君たちが例の清水さん……と黒木君だね」
「はい」
「……っす」
「ささ、入って入って」
ぱぁっとした笑顔、誰にでも好かれそうな明るいトーンの声。事前に聞いていた悪評をひっくり返すほどのまぶしさに、僕は受け身になってしまった。
正面には代表と教頭先生。僕の隣には例の女子学生、清水さん。思ったよりふかふかな部室のソファに腰かけて話が始まった。
「教頭先生から少し話は聞いてるかな。今日は二人を勧誘したいと思って」
「なぜ私……と、この人なんですか」
「この人呼びかよ」、と訴えるようにとなりに目をやると、「何か文句?」とばかりに鋭い目が返ってきた。
「うーん、なんで、なんでねえ」
「君たち、学校来て楽しい?」
「いえ……別に……勉強ができればなんでもいいですから」
「君は?」
「楽しい……とかは特に無いっすかね」
「うんうん。君たちとは違う理由だろうけど、俺も入学当初は楽しくなくってねえ」
「そんな時に同じようにこの部活に勧誘されたんだ」
「今から言うことは、その時に言われたことの受け売りなんだけど……」
「君たち、将来サラリーマンになれると思うかい?」
清水さんはビクッと体が強張った。
「ど、どういうことですか……?」
「そのまんまの意味さ。大学を卒業して、就職して、会社員としてどこかの企業で働く。そういう想像できるかい?」
「そんなの皆やってることで!できないわけないじゃないですか!」
「うーん、そうかな。俺たちにとってはその皆ができることって、簡単に思えないんじゃないかなあ」
「例えば僕は同じ席で、椅子に座って八時間なんてぜーーーったい無理!」
「で、君は?黒木君」
「……そうっすね。人に言われて残業とか、無理っすね」
「うんうん、そして君、清水さんは?どう思っているんだい」
「……なんでそんなこと初対面のあなたに」
「うーん、答えてくれないかあ。じゃあ当ててみてもいいかな」
「『集団の一員として働くのが不安』って感じかな」
「っ!!」
(この子、反応が素直で分かりやすいな)
「遠からずとも当たりって感じかな。大丈夫、この高校定期的に似たような人が入ってくるだけなんだ。ウチの先輩に似たような人が居たってだけ、ごめんね?」
「いえ……実際不安なのは間違いないですし……」
「そっかそっか、正直なのはいいところだね」
藤井部長は一拍おいて僕たちに切り込んでくる。
「で、本題。君たちみたいな人が得られる選択肢は大きく分けて二つ。仕事を転々とするか、自分自身で仕事を作るか、だ」
「俺たち経済同好会が提案するのは後者の一つ。自ら会社を為し、事業を形成する」
「すなわち起業家って手段、生き方を学ぶのがこの同好会の意義ってわけだ」
「起業家……」
ボソッと出した声は自分のものか、隣の女の子のものか区別がつかなかった。
「言いたいことは伝わったかな。何か質問は?」
二人とも後に続く質問は出てこなかった。起業家?高校生でこの人は何を言っているんだろうか。
「は、はいっ」
「はい、清水さん、なんでしょう」
「そのー……具体的に何を目指すんでしょうか……?まさかこの同好会で会社を建てるわけじゃないですよね」
「んー、そうだね。建てられたらいいなとは思ってるけど、その予定ではない」
「じゃあ何を……」
「まずは起業に必要なステップを学んでもらう」
「勉強……?それだけですか?」清水さんは不服そうに答える。
「もちろんそれだけじゃない、学園生活の中で実践的な経験も積んでもらう」
「学園生活の中……それってバイトとかそういう話ですか?」
「いや、そういう話ではないね。すぐに分かるさ」
「そうですか……」
「そして!年末のビジコンに出ることが、我々経済同好会の目標なんだ!」
「びじ……こん……?」
ビジネスコンテストか、聞いたことがある。
「ビジネスコンテストってやつだね、俺たちが出るのは全国の高校生が集まるやつ」
「ビジネスアイデアを発表して、それを起業家や投資家に評価してもらうんだ」
「本物の起業家に……ですか」
「優勝したら賞金ももらえるよ、その後の起業支援ももらえたりね」
「そのー……私でもなれますか?起業家に」
藤井部長は、その問いに真剣な眼差しを向けた。
「俺みたいな高校生じゃ説得力に欠けるだろうから、この同好会に語り継がれている言葉をもう一つ教えてあげるよ」
「『自らが抱える鬱憤を社会にぶつけろ。それが真実の鏡であれば、市場はそれに応え顧客を得る。そうすればあなたは立派な起業家の一人だ』」
「抱える……鬱憤……ですか」
「自分が抱えているような不満や課題は、世の中の人もそう思ってるってことだねえ」
「そして『世の中がこうあればいいのに!』って不満を持っている人の方が向いてるってわけだ」
「そこに気が付けば、あっという間に起業家の仲間入り。お金持ちだってすぐそばさ」
清水さんは俯き、絞り出すように言った。
「私……ずっと集団に馴染めなくて。将来に不安を持っていたんです。他の人は自分の鬱憤を抱え込めるのに、私だけどうにもならなくて……でも」
「そういうのも活かせる道があるんですね。家族を……支えられるんですね」
「私、やりたいです」
「よし!新入部員一人ゲットだ!」
藤井部長は、心底嬉しそうな顔で僕に視線を向けた。
「で、黒木君。君はどう思ってる?」
「僕……ですか」
ここで部活に入らない言い訳をでっち上げたっていいが、継続して理由を付け続けるのも一苦労だ。それならばここに席だけ置いておくのも悪くない、そう思い始めた。どうせ起業ごっこで終わる活動だ。
「じゃあ……とりあえず入部ってことで……」
「よしっ!そうこなくちゃ!」
「じゃあこれ入部届だから、来週までに書いてきてね~」
藤井部長は笑顔でパタパタと手を振りながら僕たちを見送ってくれた。
・・・
「あなたも入るのね、あの同好会」
少し離れた旧校舎からの帰り道。カバンを教室に置いていた僕と同級生の女の子、清水さんは、意図せず帰路を共にしていた。どちらかといえば僕の帰る方向を見て、清水さんがしぶしぶ後ろから付いてきてるだけなんだけど。
「まぁ、他に楽そうな部活もあんまないし」
「黒木君、あなた成績良かったわよね。定期考査の順位表で名前を見たことがあるわ」
「授業中ノート取ってただけだけど、寝るほど疲れてないし」
「そう……人に馴染めないなりに長所があるのね」
「そりゃどうも」
清水さんは立ち止まり、僕に背を向けたまま、毅然とした声で言った。
「これから同じ部活で頑張りましょ。それじゃあ来週ね」
「……ぅす」
やけに活気のいい先輩と、明確な目的を持った同級生。あの場で入ると決めなくてもよかったかなあと思いつつ、二人の活力に圧された僕は、なんとなく二人のことが気になり始めていた。