二十話「手のひらの、その先へ」
正式リリースから少し経った週末。
商店街は、ここ数年で最も騒がしい夜を更新し続けていた。
そんな夜の街に、一見場違いに見える高校生たち――僕たち経済同好会の面々も集まっていた。
場所は中華料理屋「龍華」の二階。
本来は店主・張本さんの自宅の居間として使われている場所だが、今日ばかりはお得意客だけが通される特等席へと姿を変えていた。
「さあ、食え食え! 今日は俺の奢りだ、遠慮はいらねえぞ」
張本さんが威勢よく運んできたのは、大皿に盛られた艶やかなエビチリ、湯気を立てる山盛りの餃子、そしてここ一番でしか出さないという秘蔵のふかひれスープだ。
円卓を囲むのは、僕たち経済同好会の面々と、商工会の幹部たち。
既に乾杯から時間も経っており、商工会の幹部たちはだいぶ酒が回っているようだった。
「商店街の夜の客足も、だいぶ変わってきたな……」
商工会の会長が、酒の入ったコップを掲げながら呟く。
「最初に藤井君から話を貰った時には、単なる地域交流程度で考えていたんだ。それが今となってはここまできた。世の中、わからないものだ」
会長は少しだけ目を細めて、窓の外のアーケードを見下ろした。
この店だけではなく、いくつもの店に明かりが灯り、人々の笑い声が街中に広がっている。
「本当に、感謝してもしきれない。ありがとう」
「我々こそ、最初は失礼な申しつけになってしまい、すみませんでした」
藤井代表がいつになく謙虚に答える。
「それに……話の進み方から見るに、既に商工会の方でも検討されていたのでは、と思いますが……いかがでしょう」
藤井の鋭い問いに、商工会の会長は少し驚いた仕草を見せたが、すぐに落ち着いて答え始めた。
「……いかにも。我々も三年前か。商店街の強みである飲食を活かした案の一つとして、同様のデリバリー事業が検討されたことはある」
「だが、二つの課題を乗り越えられなかった。一つはこの龍華が店仕舞いを宣言していたこと。もう一つは……成功を信じられなかったことだ」
「……それでは、なぜ私たちの案を否定されなかったのでしょうか」
藤井は不思議そうに問う。
「若い人の意見は重要だよ。だが何より可能性を感じたのは、プロジェクトそのものではなく、君たちの方だ」
会長はそう言うと、手の中のコップを見つめた。
「我々は最後に自分たちが信じられなかった。思うに、商売とはそのようなものではないだろうか」
大人の後悔と、僕たちへの信頼。
その重みが、湯気の立つ円卓を静かに包み込んだ。
・・・
宴もたけなわとなり、僕たちは龍華の階段を降りた。
生活感の漂う二階から一転して、一階の賑わう店舗スペースに移動する。
「――だから、急に課長が『このアイディアでいこう』なんて言うからじゃないですか! いきなり何があったんですか?」
「このままじゃダメだって思い直したんだよ。何より、ここの弁当を食べた時にハッとしてさぁ……」
店の隅でグラスを鳴らす会社員たちのグループ。
僕たちは彼らの正体なんて知らない。その逆もまた然りだ。
けれど、彼らの笑顔の真ん中には、確かに僕たちが送り出した一箱があったのだろう。
(ああ、確かに届いていたんだ)
文化祭の時は、目の前の、どこかで見知ったような生徒が喜ぶ顔が見えていた。
けれど、今回は違う。
手のひらの、もう少しその先。
僕の目には見えない、名前も知らない誰かの人生。
その一瞬の彩りが、自分の手の届かないところまで広がっていた。
「……黒木、どうしたの?」
隣で清水が覗き込んできた。
僕はゆっくりと息を吐き出し、夜風が入り込む入口の方を見つめる。
「いや…今回も楽しかったなって、それだけ」
顔も知らない誰かの人生に触れる手応えと、その責任。
今回は借り物の器だったから、その責任と喜びも宴が終わればこの手を離れていく。
「ええ、そうね」
もっと広い世界へ、もっと先へ手を伸ばしてみたい。
賑やかな龍華の暖簾をくぐり抜けると、夜の商店街はどこまでも明るく、僕たちの往く道を見送ってくれているようだった。




