十八話「そこに立つ資格」
商工会の会議室は、数日後に迫った正式リリースに向けて慌ただしい熱気に包まれていた。
「雪村君、競合のベンチマークはどうなっている」
事務局長の問いに、雪村先輩は即答する。
「やはり味の面でこの商店街が遅れをとることはありません。そこを最大の強みに据える方針はブラさずに、マーケティング策を積み上げていきましょう」
先日のテストマーケティングの成功を目の当たりにしたビジネス街至近の居酒屋が、試験的に弁当販売を始めたらしい。
似たようなサービスが乱立すれば、独自性はすぐに埋もれてしまう。
今まさに対策が練られている最中だが、雪村先輩の判断には一分の迷いもなかった。
藤井代表から聞いた話では、雪村の両親は地域で有名な広告代理店を経営しているという。
先輩自身も既に少しずつ家業を手伝い始めているらしく、経営スキルは実戦の中で叩き込まれたものだ。
今回のような緻密な市場分析も、先輩にとっては当たり前の得意領域なのだろう。
(……僕のような落ちこぼれとは、最初から立っている土俵が違うんだ)
その隣では、清水と店主たちが膝を突き合わせていた。
「この盛り付け……ソースをもう少し固くした方がいいと思うんです。そうすれば、配送中の振動でも崩れにくくなりますから」
「ふむ……確かにな。清水ちゃんの意見は現場目線で助かるよ」
「お弁当は自分で作ることも多いんです。任せてください!」
持ち前の調理スキルと、不器用なだけで本当は多くの人々に愛される天性の人徳。
清水はバラバラだった店主たちの心を、一つのチームに繋ぎ止める無二の存在となっていた。
その熱狂の渦から少し離れた席で、僕は一人、ノートPCの画面を見つめる。
瞳が作ったシステムは、初回の導入以降問題なく稼働している。
プロジェクトの戦略的な骨組みも、既に自分の手からは離れていた。
(……僕の役割は、もう終わったのかもしれないな)
長く、長く続く線路の上を、雪村先輩や清水が鮮やかに走り抜けていく。
そんな彼らを、僕はただ駅のホームから眺めているだけのような、そんな気分だった。
(……少し、外に出よう)
会議室に漂う空気に居心地の悪さを感じ、僕は逃げるように商店街へと飛び出していった。
・・・
夕暮れ時、西日がアーケードの隙間から差し込み、石畳の上に長い影を作っていた。
ざりっ、ざりっと、自分の靴音だけを響かせて歩いていく。
(そもそも、こんなに本腰を入れてやるつもりもなかったんだ。そろそろ潮時かもしれないな)
ちょっと同級生の女の子がこの同好会に食いついたのが気になっただけだ。
それも、彼女は僕みたいな落ちこぼれではなく、単に勘違いされやすいだけの真っ直ぐな女の子だった。
(今回も瞳の手を借りてしまった……。関わらないと決めていたはずなのに……)
と言いつつも、辞めるための手段や言い分なんて思いつきもしない。
このまま姿を消して、ひっそりと学生生活を送っていこうか。
「あれ、黒木君?」
俯きながら自分の靴だけを眺めていたので、周りの人に気が付かなかった。
「副代表……」
商店街の小さなベンチに腰掛け、温かいお茶の缶を握りしめながら小寺先輩は座り込んでいた。
「まだまだみーんな忙しそうだよね~。代表もどっか行っちゃったしさ~」
「ええ…」
素っ気ない返事に、小寺先輩は少しだけ肩をすぼめた。
「……私、なーんにもすることないんだよね。みんなはすごいなあ」
「いえ……」
実は僕もなんです、なんて言葉は口からは出てこなかった。
そんな僕を見て、小寺先輩は自嘲気味に笑うと、ベンチの空いたスペースをポンポンと叩く。
(座れってことか……?)
僕は一瞬迷ってから、その場所に腰を下ろした。
「特に大したことができないのは、私自身が一番よくわかってる。雪村君はザ・有能って感じだよね。清水さんは最初は危ない子なのかなーって思ってたけど、コミュニケーションも取りやすいし、何より頭がいい! 私の居場所なんて、簡単になくなっちゃったよ」
小寺先輩はお茶の缶を見つめたまま、独白するように続けた。
「そして藤井君は……ずっと、ずっと先を走ってる」
「藤井君が何かに熱中するたびに『バカだなあ』って思いながら、いつしか私自身も、自分の力で何かに必死になってみたいって思うようになったんだ」
副代表という立ち位置で、自分たちのことを一番見てくれていると思っていた。
だがその内側では、先輩自身も自分の存在価値を証明できずに、焼かれるような焦燥感を抱えていたのだ。
「……私はね、ただの“幼馴染”じゃなくて、対等な“パートナー”なんだって、自分に言い聞かせたいの」
小寺先輩はカバンの中から一冊のパンフレットを取り出した。
『全国高校生ビジネスコンテスト』
表紙に躍る力強いフォントが、夕闇の迫る街並みの中で異彩を放っている。
「これ知ってる? ビジコンってやつ。ウチの同好会は毎年これに出ているの。だからきっと、次のプロジェクトはビジコンの参加になると思う」
「ねえ黒木君。私と一緒に、チーム組んでくれないかな」
「僕……ですか……?」
「うん。返事はすぐじゃなくていいから、考えておいて」
そういうと、小寺先輩は半ば強制的にパンフレットを押し付けた。
「いきなりごめんね! それじゃあ、今は商店街プロジェクトのクロージングに集中しよ! 私もなんか仕事見つけないとだ~」
小寺先輩は少しスッキリしたような面持ちでベンチから立ち上がると、手を振りながら去っていった。
手元に残された、厚みのある冊子。 その表紙をなぞりながら、僕は去っていく彼女の背中を見送る。
「次のプロジェクト……か」
ホームから見送ったはずの列車には、後続の便があったようだ。




