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十七話「代償のシステム」

商工会の会議室には、活発な議論と安っぽい芳香剤の匂いが充満していた。

ここ数日、経済同好会のメンバーは、プロジェクトの本格始動に向けて商工会との打ち合わせを繰り返していた。


「龍華が参加してくれるとは思わんかった。ずっと店舗を畳みたいと相談を受けていたんだがな」

商工会の会長は、少しの後悔を滲ませるようにボソッと呟いた。


「おかげで話がトントン拍子に進んだやないですか。他の店舗も、あの龍華さんがやるならって、こぞって話に乗ってくれましたわ」

副会長が軽快に笑い飛ばすと、視線を清水へと向けた。

「なあ、嬢ちゃん。どうやってあの頑固な親父さんを説得したんや?」


「いえ……私というよりは、店主の娘さんが非常に協力的だったんです」

いきなり話を振られた清水は、手を振りながら謙遜の意志を示す。


その手元では、着々と売上予測と収支計算表がアップデートされていた。

この会議室ではプロジェクトの議論も進められていたが、同時に商工会メンバーからの指南を受ける場でもあった。


隣のテーブルでは、雪村と黒木、そして事務局長が、システム構築についての最終議論を進めていた。


「事務局長に紹介していただいた企業とは話がまとまりました。休憩スペース等を使ってテストマーケティングすることも了承済みです」

顧客先の調査を担当していた雪村は淡々と現状を報告する。


「私が紹介した会社さんは従業員100名以上のところがほとんどです。目先の売り上げは期待できるでしょうな」


追って黒木も自身のタスク状況を報告する。

「各店舗には、10時半までにオーダーが確定すれば調理が間に合うと、すり合わせは済んでいます」


「ふむ……序盤のテストマーケティングでは注文書や電話でオーダーを受けるとしても、今の規模感だとすぐにパンクして対処できなくなる。…なあ黒木、予算策定時にも確認はしたが、本当に受注システムの構築にコストを割かなくていいんだな?」


「ええ。システム構築をIT企業に依頼すれば、今回の予算など簡単に吹き飛んでしまいます。知り合いに話を受けてくれそうな“あて”があるので、相談してみます」


黒木の返答に、雪村と事務局長は半信半疑ながらも深く頷いた。

「分かった。お前のその“あて”とやらに賭けてみる。…ただし、万が一、その“あて”が外れそうなら、手遅れになる前に相談しろよ」


「はい……もちろんです」


・・・


その晩。黒木は自室のPCの前で深く一息つくと、慣れた手つきでチャットを打ち始めた。

相手は、ネット上で匿名で活動し、あらゆる依頼を完璧にこなす便利屋――通称"スミ"。

そのスピード、質は一級品。

何より対応できる範囲が広いこともあり、一部の企業や個人事業主から引っ張りだこになっているらしい。

ただし、そのコストも相当な額を請求されるそうで、一介の高校生では到底依頼できる相手ではない。

…僕を除いて。


『スミさん、お疲れ様です。依頼したいことがあり連絡しました』

少しの間。既読を示すアイコンが表示されると、すぐに無機質な返信が届いた。


『……内容ハ?』


『デリバリーの受注システムの構築をお願いしたいです。資料、送ります』


『……ダイタイワカッタ。一週間アレバデキル』


『ありがとうございます』


『デ、支払ハ? 金ハアルノカ?』


『いえ……。ですので今回も“信用払い”でお願いします』


沈黙。画面の向こう側の気配が変わったのを、黒木は肌で感じた。

『フフ……ソウカ。マタ信用ガ減ッテシマッタナ』


『デハ依頼完了シタラ、マタ連絡スル』


『よろしくお願いします……』


ふぅ、と一息つく間もなく、今度は手元の携帯が震えた。

通知画面に表示された名前に、黒木の背筋に緊張が走る。

『いつもの喫茶店、今すぐ』


逆らえるはずもなかった。

黒木はだいぶ冷え込んできた夜を凌ぐために上着を着込み、足早に待ち合わせ場所へと急いだ。


・・・


「おっつかれー」


駅前の少し古びた喫茶店で待ち構えていたのは、墨谷瞳。

黒木の昔からの腐れ縁であり、幼馴染。

そして、先ほどまでチャットでやり取りをしていた“スミ”の正体であった。


「…一週間でやると言っていた割に、ずいぶんと余裕があるんだな」


「やるのは私だけじゃないからね~。今回みたいなIT系は、別にやってくれる人がいんの」


「相変わらず顔が広いんだな」


黒木は、墨谷の対面の椅子に深く腰を下ろした。

すると瞳は、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたまま、机越しに身を乗り出してきた。


「安心するにはまだ早いんじゃない? 今回の依頼、かなりの特急案件だし、古いシステムも引っ張り出して開発しなきゃいけない。それなりの“報酬”は覚悟してもらわないとねぇ……」


「今回、宗ちゃんはどうやって私に尽くしてくれるのかな?」


彼女は指先で黒木の学生服のネクタイを弄び、じりじりと手元に引き寄せた。


「……深夜とはいえ、ここ普通の喫茶店だぞ。それに他の依頼に比べれば無茶は言ってないはずだ」


「ふーん。ビジネスライクに済ませたいんだ? でも残念、これは宗ちゃんが望んだプライベートな“信用払い”だよ。……ほら、もっと私の方を見て。幸せそうに笑えないの?」


瞳はネクタイをさらにぐいと引き寄せ、顔を至近距離まで近づけた。

ココアの香りに混じって、彼女の甘い香りが鼻をつく。


「今夜は私のしたいことにとことん付き合ってもらうから。あ、スマホの電源は切っておいて。あの同好会のことも、仲良しの清水さんのことも、今は全部忘れてね」


黒木は断る術など持っていなかった。

今の彼女の前では、自分はただの“債務者”でしかない。

指示されるままに、スマホの電源を落とす。


「あともうちょっとでパフェが届くから、まずはそれ全部食べさせてね」


人によっては喜ぶかもしれない。

だが、黒木にとっては受け入れがたいほど歪な、幼馴染との力関係。

彼はこの屈辱的な“ご奉仕”を甘んじて受け入れるしかなかった。


・・・


一週間後、黒木の手元には完璧な受注システムが完成していた。

Webサイトから入ったオーダーを、指定した時間に特定の店舗のFAXへと自動送信するシステムだ。

更には現代には必須ともいえるキャッシュレス決済にも対応している。


これならば、ITツールに馴染みのない居酒屋のご主人たちでも、紙を見るだけで正確な受注数を把握できる。

現代的な利便性と、現場のアナログな安心感を繋ぐ、完璧なソリューションだった。


早速商工会の会議室に集まり、デモの場が開かれた。

「……10時30分。その瞬間にWebサイトは自動的に受付停止表示に切り替わります。そして1分後の10時31分、各店の厨房にあるFAXから、最終確定した受注リストが吐き出されます」


会長が、FAXから吐き出されたテスト用の紙を手に取り、感嘆の声を上げた。

「これならご年配の店主さんでも簡単に受注ができますね。これならバラバラの居酒屋が、一つの巨大な軍隊になれるでしょう」


清水が

「黒木くん、あなたこんなこともできたのね!」

と輝くような笑顔で駆け寄ってくる。

その光を、黒木は直視できない。


ポケットの中でスマホが震える。


『システムの保守運用は引き続き弊社にて引き受けます❤』


商店街を救うための"背骨"は通った。

だが、それは黒木の自由という代償の上に成り立つ、危うい勝利だった。

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