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十六話「有名店の説得、娘の覚悟」

黒木と藤井からバトンを受け取ったその足で、清水と小寺は商店街の中ほどに位置する中華料理店『龍華りゅうか』を訪れていた。


「この中華料理屋さんは商店街の中でも一番おいしいって評判なんだよね。寡黙そうな店主さんだけど周辺の店舗からの信頼も厚いみたいだから、まずはこのお店から説得するのがいいと思うの」

小寺は事前のリサーチから最初の交渉相手を探り出していた。


「ええ、数回ほど来た覚えはありますがとても美味しかったです。ただ夜しかやっていないこともあってあまり面識はないのですが…」

清水は交渉を目の前にしてそわそわと緊張しているようだ。


「よし、じゃあ行くよ! すみませーん」


二人が暖簾をくぐった先には、使い込まれた油の匂いと、中華鍋が五徳とぶつかる激しい音が響いている。

カウンターの奥では店主が猛火を操り、夜営業の仕込みをしているようだった。

顔にはくっきりとしたしわが目立つが、その力強さを感じさせる目つきと口元に二人は身構えてしまう。


仕込みの合間に手が空いたのを見計らい、清水が切り出した。

「張本さん、突然すみません。商店街全体での新たな取り組みの提案がありまして、少しお時間を頂けないでしょうか」


店主の張本は、分厚いタオルで手を拭い、その鋭い視線を向けた。

「たまに店に来る清水さんのとこのお嬢さんだな。キレイじゃねえがそこのテーブルで話を聞こう」


清水は今回のランチデリバリーの取り組みの概要を説明した。


「…なるほど、話は分かった。だがウチの厨房は一人で回してるんだ、昼もやれって言われちゃ体力が追いつかねえ。そもそもウチの料理は作りたてじゃねえと味もうまく出せねえ、弁当には不向きだろう」

店主の張本はプロジェクトそのものには異論を唱えなかったが、協力には消極的だった。


「昼営業のためにバイトの方を雇えないでしょうか? 中華弁当は定番ですし、張本さんなら新しいメニュー開発もできると信じています」

清水は説得を諦めず、粘り強く交渉を続ける。


「そうは言われてもなあ…前にバイトを雇ってもウチの店の味は再現できなくてな、結局雇い続けるのも難しいんで諦めたんだ。すまねえな、この商店街をもっかい立て直すためにいろいろ考えてくれているし、話も筋がいいのは分かってんだが、ウチはもう店仕舞いにしようとも思ってんだ。だから申し訳ねえが、他を当たってくれ」


「そうなんですね…ありがとうございます」

解決の糸口が見えず、清水は言葉を詰まらせてしまう。


その様子を見て、小寺が間に入る。

「店主さん、お話真剣に聞いていただきありがとうございます。清水ちゃん、一旦今日は切り上げよう」


二人は深々とお礼をして、店を後にする。



「ちょっと…待ってもらえませんか!」

店の前でとぼとぼと帰ろうとしていた二人を、意外なトーンの声が呼び止める。

振り返ると同年代のように見える女の子が立っていた。


「あの、私そこの中華料理屋の娘の『照葉(てるは)』って言います!さっきの話ちょっとだけ盗み聞きしてしまって、良ければ駅前のカフェでお話しさせていただけませんか?」


二人は顔を見合わせながら、一瞬間をおいて頷いた。



駅前の少し古びた喫茶店。

中華料理店の娘、照葉は目の前に置かれたアイスコーヒーには手を付けず、滴る水滴を見て意を決したように話始めた。


「父は私に店を継いでほしくないから、わざと突き放して店を畳もうとしているんです」


「継いでほしくない…どうしてですか?」

清水が聞き返す。


「商店街の衰退で私の家庭はとても苦労して育ちました。娘の私にも苦労はさせたくないのでしょう」


「私は近くの調理学校に通っているのですが、ウチの店では厨房にも立たせてもらえないんです。ですが何とか頼み込んで接客だけはやらせてもらっていて、そこで父の技術を見て盗んできました」


「そのプロジェクトの商品開発、私に任せてもらえませんか?父の味を引き継ぎ、一人前の料理人としてやっていけることを証明したいんです」

照葉の瞳には、並々ならぬ覚悟が宿っていた。


清水と小寺は、その熱量に圧倒される。

「わかりました。一緒に、お父さんを説得しましょう」


・・・


一週間後。再び『龍華』の暖簾をくぐる。

今度は二人ではなく、三人で。

照葉の手には一つの弁当袋がぶら下げられていた、準備はこれで十分だ。


店に入ってきた三人を見て、張本は訝しげな顔をする。

「なぜいる、照葉」


「お父さん。私、この人たちと一緒に弁当の試作を作ったの。一回だけでいいから食べて欲しい。それでお父さんが認められなかったら…私、もうここを継ぐなんて言わないから」


張本は深いため息とともに包丁を置いた。

「…この弁当を食えばいいんだな」


照葉は学校の調理室を借りて作った弁当を手渡す。

配達時間も実際と同じになるように時間を置いた。

作ったのは店の定番であるエビチリの弁当。


張本は早速メインのエビチリを口に運ぶ。

「…食感を優先して、ソースの濃さまで配慮ができていないな」

率直な感想に、照葉のこぶしがギュっと握られる。


次に副菜が口に運ばれる。

「野菜の水分が出てきている。処理が甘い」


「ちょっと店主さん、そんな言い方は…」

「料理人として真剣に対峙しているんだ。黙って受け止めて欲しい」

いてもたってもいられず小寺がフォローに回るが、店主の張本は突き返す。


「俺なら一度油にさっと通す。エビチリを揚げるときについでに野菜を素揚げする」

メインと副菜の評価は辛辣なものだった。

照葉が目で盗んだ技術だけではまだまだ不足していることを思い知らされたのだ。


「そして米はこの中華料理には合わん。普段ウチの料理をどう考えて食っていたんだ」

照葉は悔しさのあまりフルフルと震え始めていた。

もう弁当の評価は絶望的だった。



「そしてこのザーサイ」

メインも副菜も、米さえも認められなかった。

中華料理店の説得は諦めざるを得ない。


「…うちの店のものと比べても何の遜色もない」

それだけでなく、一つの家庭環境まで影響を与えてしまった。

清水と小寺は、大きな悔いを抱えて中華料理店を後にする…はずだった。



「…」

張本は、弁当を見て俯いたまま震えている。

次第にぽたぽた、と小粒の涙を溢し始めた。


「お前…小さい時からこのザーサイ好きだったもんなあ…」


今まで震えていた照葉はその涙腺の動きをぴったりと止め、ポカンとした顔を隠せないでいた。


「ごめん…ごめんなぁ…。本当は俺が協力してやらなきゃいけねえのに、若いころの無理が祟って…もうこれ以上は働けねえ。必死こいて腕を磨いてきたが、ウチの家庭はちっとも良くならねえ。そんな店を照葉に継いでもらうのは、情けなくて、不甲斐なくて、できねえよ」


張本は濡れた目元を拭い、無理やり職人の顔を作り直す。

「だが、お前はいつまでもウチの味を追い続けるんだろ。諦めさせようと厨房に上げなかったが、そしたらお前は今みたいにずっと苦労し続けるだけだ。それは親として、料理人として見ていられない」


張本は深く息を吐き、カウンターに両手をついた。

「俺が料理を教えるから、今回の弁当作りを手伝ってくれ」


「お父さん…!」

照葉の瞳には、今度こそ堰を切ったように涙が溢れ出した。



「お嬢ちゃんたちも、ありがとな。……娘を後押ししてくれたのか、俺の目を覚ましてくれたのかは分からねえが、感謝するよ」


清水と小寺は、顔を見合わせて深く息を吐いた。

「……いえ、こちらこそ、ありがとうございます!」

清水の声が、夕暮れの厨房に明るく響いた。


「ただ…学生なのに平日昼間手伝うって…大丈夫なの?」

小寺は率直な疑問をぶつける。


「ウチの調理学校は飲食店で勤務すると実習として単位を貰える制度があるんです。その制度を使ってこの数カ月は問題なく手伝えますよ」


「そっかそっか!それなら安心だね!」


「はい、今回は本当にありがとうございました」

照葉は二人に深々とお礼をした。



・・・


清水と小寺が店を去ったあと、照葉と父は二人きりになった。


「照葉、さっき言った話……明日の朝、仕込みの時に見せてやる。しっかり見ておけ」

「……うん。ありがとう、お父さん」


張本はふと思い出したかのように、ぽつりぽつりと話し始めた。

「……龍華ってのはな、龍華樹(りゅうかじゅ)という仏教に出てくる木の名前から付けているんだ」


「ある菩薩様がその木の下で悟りを開き、その教えで多くの人を救ったそうだ」


「俺には説法なんてできないが、この店の料理でたくさんの人に生き甲斐を与えたいと思って続けてきたんだ」


「そして、その木の和名は『照葉木(テリハボク)』」


「長い年月をかけて、一度は失いかけた俺の思いも蘇えらせてくれた」


「例え今後俺がへばったとしても、照葉がいればこの龍華も終わらないのかもしれねえ、そう思えるようになった」



張本は五徳の汚れを丁寧に拭き取り始める。

それは、何年も止まっていたこの店の時間が、再び動き出した瞬間だった。

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