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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

あなたとの亡命

作者: shoko(仮)
掲載日:2025/09/08

この作品をクリックしてくれたその縁に大感謝!

面白いと感じても感じなくても、最後まで読んでくださると嬉しいです

同じ作品をカクヨム、pixiv、アルファポリスにても投稿しております

!注意!

身体の損傷をとても詳しく描写しているわけではありませんが、轢死ネタバレ、四肢切断ありますので苦手な方はご注意ください

 ≪ アイメ王国王女脱獄! ≫

 新聞紙デイリーパロメの朝刊の1面を飾った記事の見出しはこうだった。件の王国は現在、市民革命の真っ只中である。パロメ共和国では、重要な輸出相手国アイメの既存秩序と王制を支持するのか、はたまた、共和国として市民軍の味方をするのかという論争があちこちで起こっていた。そのため、この新聞紙はアイメ革命関連の記事に多くの紙面を割いているのである。

 そのデイリーパロメはメジャーな新聞であり、ここ、パロメ共和国港湾都市ポールトルの駅でも飛ぶほど売れていた。

 この駅のホームには、この国の自由な気風を求めて世界中の人が集まっている。人々は新しい商売、学問、人生までもを得る希望を持って海を渡ってきており、皆が 未来を見るかのように上を向いて、駅のホームを歩いていた。

 しかし、ある男女は俯いている。

 二人とも年齢は20手前といったところだろうか。女は背中まである銀色のストレートヘアを結ばずにそのまま垂らしており、ハイウエストでシルエットの細い、淡い水色のシンプルなドレスを身に着けていた。男の方はこげ茶色の髪、八の字に整えられた口ひげがちょこんとあり、渋い顔立ちとマッチしていて、また、黒いウエストコートの上に黒いコートを身に着けていた。

 その中産階級のような身なりをした男女は息をひそめ、活気にあふれる人込みを縫って、日陰のベンチに座った。そして、男は紙袋からパンを取り出し、女にも与えた。

「おいしいわね、あなた。」

 そう言った女の手にあるパンは、まだ一口も食べられていない。連れの男が問う。

「汽車が来る前に食べろ。気に入らないのか?」

「ええ、...大丈夫だわ。」

 女は男のほうを向かずに答えた。

 そこに、周りを見ず鬼ごっこをしている子ども達が、近づいてきた。そして、女の腕にぶつかっしまう。

 ガシャン!

 そのはずみでパンが地面に落ち、踏まれる。謝りもせず、子ども達は走り去っていった。

「大丈夫?ケガはないかしら」

 女は前を向いたまま心配して声をかけた。誰もいないというのに。そもそも、パンが手からなくなっていることにすら気づいていない。なぜかというと、それは、つい最近、女は両目と両腕を失ったからだ。肘まである黒革の手袋を着けているので、義手であることは傍から分かりにくい。

「いいから俺のを食べろ。ボーっとしてるからこうなるんだぞ。どうかしたのか?」

 そんな女と男のもとへ、絶好の商機だといわんばかりに物売りが近づいてきた。

「お嬢さん!パンのことご愁傷様ですね!代わりにこちらのパンはいかが?」

 男はまずいことになったと内心焦った。

「いらん。」

「そんなあ!今ならサービスで新聞もつけちゃいますよ!」

「他を当たれ。いいから。」

「新聞面白いのにい!」

「本当に大丈夫ですわ。パロメまでの船旅で疲れて、気分がすぐれないだけで...」

 女は今更、男の「どうかしたのか?」という問いに返答した。

 ガバッ

 男が突然立ち上がって、女に向かい合って跪く。

「大丈夫ですか!」

 そのあとの言葉はこれ以上に衝撃的だった。物売りだけでなく、ホームにいた客全員――特に今朝のデイリーパロメを買った者――が一斉に男と女の方を振り向いたほどである。


「王女様!」





    §





 パロメ共和国の海の向こう、アイメ王国では、平民や一部の下級貴族が、王国に対して"反乱"を起こした。先王の治世からの、戦争による大赤字と重税、上級貴族による官職の独占と乱用、狩猟・芸術に溺れる国王に耐えかねたゆえのことだった。

 王家側は"平民の大反乱"、平民側は"アイメ立憲革命"と呼んだ内戦は、初めはだらだらとした小競り合いが続いていた。ところが、現市民軍総司令官の彗星のごとき登場により、一気に市民側の優勢になる。彼がしたことは、内戦の講和会議に赴いた国王と第三王女を逮捕し、その後、他の国王一家をも逮捕して牢獄にぶち込むことだった。

 彼の本気さは市民を熱狂させ、一気に、国王一家処刑論の渦に国中は包み込まれた。

 そのような惨状のアイメ王国を周辺の王国が見逃すわけもなく、干渉戦争が勃発。

 諸国を刺激しないよう、否、国民の士気を上げるため、市民軍総司令官は、国王一家を記念すべき干渉戦争戦勝記念日に断頭台へ送ることを決定した。

 

 

「平民が朕を処刑できると思っているのか!?」

「立憲君主制で折り合いをつけようって尻込みするからこういうことになったんだよ!お前のせいだ!」

「「何とか言ったらどうだ?!ノビリア!」」

 そう喚いて何もしない国王と王子を無視して、第三王女は差し入れの本を読む。否、そのフリをしているだけで、本当はせっせと脱獄計画を考え暗号を作っている最中でであった。

「妹のくせに!」

 王子が第三王女から本を取り上げて、ぶつ。

 王子たちは、このような醜い争いが、見張りの娯楽になっているとつゆ知らず。鬱憤が溜まるとはみ出し者がはけ口になるのは常のようだった。

 仕方なく、王女は寝所で"本を読む"ことにする。実は、国王一家が幽閉されている場所は牢獄といっても城塞で、書斎と国王夫妻、王子、王女それぞれ用の寝所があった。それでも、今まで住んでいた王宮よりも粗末だと王子はお冠だが。

 王女は廊下を渡り、螺旋階段を上る。階段の見張りの兵士は一人だけいた。彼は真剣な表情で直立し一寸たりとも動かない。

(どんな教育を受けているのかしら。)

 螺旋階段を一周だけし終えた王女は、下を見下ろしながら思う。懐からそっと紙切れを取り出すと、筒状に丸め、兵士がかぶる帽子の大きく曲がったつばの上に目掛けて落とした。

 カラクリはこうだ。兵士はそれに気づかずに、見張りの番を終えて兵舎へ戻る。その道中で"協力者"が隙を見て暗号文の書かれた紙を回収する。もし、紙が見つかっても、恋文のような体裁で書いているので、「兵士が落としていった」と言い訳すれば咎められない。

 特に"協力者"は王女の特に信頼する臣下だから安心で、その"協力者"には、嫌疑対策として、市民軍から厚い信頼を得るよう、王女が命令してある。

 王女は暗号文が兵士の帽子にうまく収まったのを見届けると、階段を上がった。すると、踊り場で、母である王妃に鉢合わせた。王女は体をビクリとさせる。

 母君は、瞼をピクリと動かす動作だけで、キッと王女を睨み、重々しく口を開いた。

「何をいつもこそこそしているのか知りませぬが、抵抗は見苦しいもの。王家の女として、国と運命を共にする覚悟を持ちなさい。」

 母と娘ゆえだろうか。王女はどうしても母に勝てそうにないと思っていた。だから、口を開くのも精一杯であった。

「......私は国と運命を共にするのではありません。国と共に運命を導くのです。」



 第三王女はその後3か月の間に4回の脱獄を計画した。うち2回はもう少しで国境にたどり着くほどにまでいく。

 頻繁に救貧院や教会を訪れていて比較的民衆に人気のあり、かつ脱獄常習犯であった第三王女を市民軍上層部は恐れた。

 よって、市民軍は、彼女の腕を切り、目をつぶすという罰を与えた。ほかの国には殺してはいないという詭弁を用いた。

 それにも関わらず、第三王女は脱獄に成功する。彼女の特に信頼する優秀な"協力者"――内戦時は平民側に与した貴族の一人で立憲君主制派閥の筆頭であった――の手引きで。

 しかし、その日は干渉戦争戦勝記念日だった。





    §





 現在 パロメ共和国港湾都市ポールトルの駅のホーム

(おい!子爵!)

 女――王国"だった"アイメの第三王女ノビリア・(中略)・デ・セラ=ヌ・アイメ は心の中で睨みつける。

「(王女様!)......なーんてな((申し訳ありませんんんんんん、王女様ああああああ))。狙っているだろう、所謂、お姫様扱いってやつを((そうしたいのは私のほうです、王女様、何なりと私にお申し付けをおおおおおお!))。」

 連れの男――王女の"協力者"、忠臣にして盟友、フィビル子爵は何事もなかったかのように席に着いた。

(王女様って言ったな。今絶対、心の中で。二回くらい。)

 ノビリアは子爵にもっと徹底して偉そうな演技をしてほしかった。さもなくば、自分たちの素性がばれてしまうではないかと内心いらだっていた。彼女はパロメに上陸する前、子爵に、変装のため常に命令口調で話しかけろと命令した。そうしたら、子爵は、

「むいえうぅ、むいえうぅ(無理です)......」

 と、ピーピー弱音を吐きながらパロメ行き船の中でずっとごねた。ノビリアが、

「そうすれば誰も妻に優しくしない夫を、忠臣とは疑わないだろうから!ね!」

 と強気に説得。子爵は港に着く直前にしぶしぶ納得した。納得したのだからやり通してもらわなければ困るというのがノビリアの理屈だった。

 ノビリアと子爵は、そのまま、偉そうな夫とおびえた妻に見えるよう細心の注意を払って、会話を始めた。

「これからの予定だが、ジョンさんに会いに、首都まで向かう((ジョン・リー大統領と面会です))。」

「は、はい((亡命政権樹立を認めてもらえるまでは気が抜けないわね))。」

「おい、パンくずを零すな((王女様、まだ義手に慣れていないのですから、無理せずとも私が御口までお運びいたします))。」

「ご、ごめんなさい。みっともないところを、見せてしまって((そんなことしたら、王女とその手下だと怪しまれるだろ。却下))。」

「次からは気をつけろ((王女様に謝らせるなんて不届きもんのがああ。おれえええええええ))。」

「......はい。」

 ノビリアは子爵の顔をもう見ることはできないが、彼の心の荒ぶり様はそれでも察せた。一瞬だけ笑いそうになった。

 子爵の演技が功を奏し、偉そうな男と怯えた妻を王女と子爵に結びつける者などおらず、物売りは別の客を探しに行き、ホームにいる他の人々は彼らの会話に戻っていた。

 1人を除いては。

 その人物は目深に赤茶色のハンチング帽を被り、ハリボテの夫婦を鋭く見つめていた。

 ガタン......ゴトン......

 汽車が駅に停まる音がする。

「ニューライフ号~ニューライフ号~首都セントラルパロメまで行かれる方はご乗車ください~」

「あれが乗る寝台列車だ。行くぞ。」

「はい。」

 秋風に吹かれながら、王女はぼんやりと返事をした。

(ニューライフ?ばからしい名前。)

 王女はそう思った。今の王女の状態は、言うならば、ロストライフ。皮肉がきいている、と王女は心の中で自分に冷笑した。それと同時に海を隔てたアイメを気がかりに思った。

(食料は不足していないかしら、倒壊した家屋は?復興策はもう立てたのかしら?それに......)

 突然何かに腕を引っ張られたのを義手を通じて感じ、ノビリアは、パロメにいて、いくら思えどアイメに干渉できないという現実に引き戻される。

(っえ?あ、子爵か。)

 引っ張られるのは不安定で、しかも、進行方向が遅れて伝わってくるので分かりづらい。しかし、王女はそれを子爵に教えるのを控えた。これ以上話して子爵に心配をかけるとボロが出かねないからだ。



 汽車に乗り込もうとするとすぐ、老翁が気さくに話しかけてきた。

「もし、そこの"旦那"さん、"奥さん"。」

 それを聞いた途端、ノビリアはなぜか感情が高ぶってモジモジした。顔は熱くなっている。

 もちろん子爵も。そして二人とも自分を強く戒めた。

(何を考えているんだ、私ったら/俺! 王族と子爵なんて許されないわ/ないぞ!)

「お二人さん、訛りがアイメだね。アイメから来たのかい?」

 ノビリア王女はアイメという単語を聞き、冷水をぶっかけられたかのように正気を取り戻した。

「隣のローズから来たもので。」

「へえ、今ローズのお隣さん、大変でねえの、革命で。どうだい?逃げてきたんか?」

「ローズに影響はまだありませんわ。けど、飢饉で少し貧乏になったので、知り合いを頼りに来たのです。」

 平静に、でも必死に王女が応対する。ここまでグイグイ来られるのは王女にとって初めての経験である。

 一方、子爵はさっき夫婦に間違われたことを脳で処理しきれずまだフリーズしていた。

(ポンコツすぎじゃないかしら。)

 ノビリアはあきれる。

 けれども、同じ志を持ち、没落しかけていたアイメ王国を再建しようと、共に東奔西走した日々を思い出すと、子爵の有能さを疑うことはノビリアにはできない。

「得るものは自由!失うものは何もない」

 急に老人が役者になったかのように声高らかにいうので、ノビリアは驚き、やっと子爵は現実に引き戻された。

「いやあ、洒落たスローガンを思いつくわな、向こうの市民軍の総裁は。うち(パロメ)も同じような国同士、仲良くすればいいものを......」

 ノビリア王女は笑顔を作ったが、心の中では悪態をついていた。

(まあ、私と子爵は失ったものしかないがな。)






「せっま!」

 ノビリアは三等車の客室に入り、部屋の構造を探るべく、壁を伝うと、すぐ一周していしまったので。思わず声を出してしまった。ようやく、プライベートなスペースができたと思って、安心したのだ。

 ニューライフ号は進行方向から順に、三等車5両、二等車2両、一等車3両、食堂車から成っている。この三等車は、左側に4人用個室が5つ、右側に個室を繋ぐ廊下がある。

 個室には、両側に上段と下段のベッドと、中くらいの大きさの窓が一つ。全体的に粗末で、ベッドの木製サイドフレームは蹴ったら折れてしまいそうだ。

「申し訳ありません、これからの資金を考えると、これが限界でございまして。」

 子爵はベットに腰かける。ノビリアは反対側のにドカッともたれこんだ。

「そうだよなあ、私ったら兄のように......。」

「王女様。ここは共用なので、ベッドは私の座っているところだけです。」

 ノビリアはムッとし、壁を伝い、こてッと向かいのベッドに座った。

「声も抑えていただかないと...まだ、ほかの客は来ていないので大丈夫ですが、完全な密室はないので......。」

 そう、ノビリアは気づいていなかったが、厳密には個室に扉はなく、仕切り板があるだけだった。ノビリアは恥ずかしくなって項垂れる。アイメでも鉄道を開通させようと、資料には目を通していたが、それと実際体験するとでは大違いだった。まあ、今更知ったとてアイメ鉄道事業に携われないのだが。

 子爵がすかさず言った。

「お匿いするところは広い屋敷ですよ。人里離れた場所で、緑と空気がとてもきれいなのです。......世話係は私と母しかおりませんが......」

 王女は諦めの表情を浮かべた。

「私という泥船には十二分だわ。」

 フィビル子爵の顔についているありとあらゆるものが垂れ下がった。

「子爵には、失策や浪費の尻ぬぐい、奸臣の追放、そして亡命までやってもらってしまって......市民軍に最後まで残っていれば、革命の英雄になれただろうに。」

「いいえ!」

 フィビル子爵はノビリア王女の義手を強く握った。

「いつも率先して政務に取り掛かったのは王女様です。私は追随したにすぎません。それに、市民軍の取り柄は結局残忍さだけでした。」

「無理して言わなくていい。」

「本心です。私の望みは王女様についていくことだけです。」

 しかし、ノビリア王女の顔は申し訳なさに覆われていくだけだ。

「亡国の王女にお世辞を言ったって見返りは何もないぞ。」

「私は"ノビリア"様に言っているのです」

 子爵はここまで言って、はっとし、王女から手を放して、己を恥じた。今の言葉で、私情を向けられていると知った王女様はいったいどう思うだろうか。しかも、子爵という身分の者が馴れ馴れしくも王女様に触ってしまうなんて……

「軽々しく接してしまい申し訳ありません。"王女殿下"。」

(革命で散々、惨めな扱いを受けてこられた。これ以上、そんな扱いは受けさせない。)

 子爵は、心の中で、強く誓った。

 一方の王女は、殿下と呼ばれて寂しくなった。子爵との、身分という距離を感じたからである。

 とうとう2人は黙りこくってしまった。革命前夜の重い雰囲気より、どうしようもなく重かった。少し経ってから、王女は沈黙を気遣って言う。

「もう早めに寝ましょう。」

 ノビリア王女はベッドに横になった。そして、自分たちが利用できるベッドは一つしかないことを思い出した。

「......あなたが外側で寝なさいよ。何かあったとき守ってもらわないとだから。」

 ノビリアは何故か少し喜んでしまったことへの気恥ずかしさをかき消すように言った。





    §





 王女も子爵もベッドに入って2時間立つというのに、まだ眠れていなかった。そりゃあ、これまで部下と上司だった男女が一緒にベッドで寝ているのだもの。意識するなというほうが無理である。

 ブランケットが備え付けてあったので、秋の寒さを凌ぐため、それを二人の上にかけることもできた。けれども、同じブランケットを使って寝るというのは破廉恥な気がして使わなかった。

(ん?何かしら?)

 ノビリアのおでこあたりにひと肌のようなものの感触があった。それを確かめようと、頭をおでこに触れている何かのほうへ摺り寄せた。

 すると、頬にごつごつした感触が伝わってきた。そしてごつごつは棒状で、4つ並んであって......

 これは指だ。つまり、何かとは子爵の手だ。ノビリアは合点がいった。

 さらに、身を手のほうへ乗り出すと柔らかさと弾力を頬で感じる。親指の付け根の丸い肉の部分だろう。顔をそこに軽く押し付けてやると、弾力が返ってきて、心地よい。そのまま顔を手に預けると、ノビリアの顔はすっぽり子爵の手に収まった。

(ごつごつしてて大きい手......)

 子爵の手でぬくぬくしていると、頭がぽわぽわしてきて、ノビリアは睡眠へといざなわれた。

 そうしてあっさり寝てしまったノビリアをよそに、子爵は粗相はないだろうか......と余計なまでに緊張していた。そりゃ、一応、自分の手には全く届かないであろう高貴な女性が、今は自分の手の中でスヤスヤと寝息を立てているのである。ここで平静を保てるのは余程無礼か性豪なやつくらいだろう。

(犯罪か?)

 子爵は自分の良心に問うた。

 これにノビリアの寝返りが追い打ちをかけた。王女が自分の胸もとにぴったりとくっつく態勢になってしまったのだ。

 子爵は今にでも壊れそうな繊細なガラス細工を扱うように、手の最小限接着面積で王女をもとの位置に押し戻した。

 その際、王女の顔にかかってしまった絹のように明るい銀色のストレートヘアを彼女の耳にかける。そうすると現れた安らかな寝顔に心が和む。

 しかし、亡命の疲れは吹き飛ばなかった。むしろ増大された。なぜなら、次の瞬間には、人生で2度しかない、王女様の髪に触れた経験――2回目は今――のうちもう一つをフラッシュバックしてしまったからである。



(『この薄汚い女狐!』)

 髪をひっつかんで王女の顔を持ち上げ、確かに子爵は彼女に向かってそう言った。

 疑り深い市民軍総司令官を騙している最中だった。このジョークにならない茶番も王女の提案だったのだが、彼の良心は大いに傷ついていた。

「放しなさい!」

 王女が抵抗する。こういう時ふつうはやり返さなければならない。

 バチン!

 子爵は王女の頬を持っていたマスケット銃でぶったたいた。衝撃で王女は吹っ飛ばされ、地面に散らばっていたガラスの破片で口の中を傷つけてしまった。

「っっ」

 王女もそれを見ていた子爵も声にならない叫びをあげた。しかし、子爵は追い打ちをかけねばならない。

「分かったか!?メス豚!皆がお前の敵だ!観念しろ!」

「ほほう、それだけか、裏切り者のビビり子爵」

 王女が言い返したのならばそれに報いなければならないらしい。

「阿婆擦れ!もういい。正午を待たずに、処刑してやる。国中引き回してからな!」

 王女を歩かせるたびに、王女は何かにつまずいたり、飛んできたものが頭に当たったりした。子爵は気が気でなかったが、その時は、助けることはできなかった。

 結局、港町へ来たところで、隙をついて逃げ出したのだが。その隙ができたのも、子爵が、王女の仰せのまま、徹底的に市民軍に与するふりをしてきたからだ。それを子爵本人は自覚していない。



 ベッドの上で子爵は罪悪感に押しつぶされていた。

「申し訳ありません王女様......申し訳ありません、王女様......、申し訳ありません申し訳ありません...」

 謝罪は子爵の体が生理的睡眠欲に逆らえなくなるまで終わることはなかった。





    §





 王女は過去の夢を見る。

 それは、4回目の脱獄の時であった。裕福な商人一家に化けてローズとの国境を渡ろうとしたところ、国王の演技が"国王らしさ"に満ちていたせいで、国境付近の村人たちに正体がバレてしまったのだ。

(日頃の身の振舞い方は、そうそう変えられえるものではなかったわ。次は荷物に隠れる方法がいいかもしれないわね。)

 ノビリア王女はカオシス牢獄――国王一家が幽閉されている城塞――へ連行される馬車の中で、すでに第5次脱獄計画を練っていた。

「外へ出ろ。」

 このやり取りも慣れたものだった。厳かな城門を馬車が潜り抜け、扉が、ガシャンと重々しい音を立ててしまった後、国王一家は銃士隊に囲まれて、馬車を降りる。

 ここで抵抗しても意味はない。国王たちはスタスタと元居た中央の建物へ向かう。

「お前はこっちだ。」

  脱臼しそうになるほど引っ張られる王女の腕。この時はまだあった。

 兵士の指さす先は、カオシス牢獄の北端にある、小さな塔だった。その建物は、苔が生え放題で、ところどころ石が欠けていた。ちょうど昼頃で、その建物に近づくと日陰に覆われてしまう。

 王女が朧げに覚えていた、その塔の名は「地獄の入り口」。

 王女は、いつもと違って、国王、王妃、王子と引き離され、見る見るうちに彼らの人影が小さくなっていく。

 王女を連れて行っているのは普段、看守の役目を負っている秩序隊ではなく、市民軍共和国親衛隊――その名の通り"共和国"そのものを親衛する部隊、いわゆる国内の治安維持部隊で、市民軍の中では特別国家防衛隊に次いで花形である――の制服を着た数名の者たちだ。

 塔の中に初めて入ると、そこには大きな螺旋状の石階段しかなかった。気を抜いたら壁をつくりあげている大石という大石が崩れてきそうなほどの圧迫感がある。薄暗く、ジメジメとしていて、このような真昼なのに結露した水がポタ......ポタ......と滴る音が響く。

 一番上に着くと檻があった。王女はそこに入れられる。

「座れ。」

 兵士が王女に向かって指図した。王女は檻の中の中央にただ一つだけ置かれている古びた椅子に座る。そうすると、兵士が近づいてきて、王女の腕をひじ掛けに、足を椅子の脚に、縄でぐるぐる巻きにして縛りつけた。王女は心の中で独り言を言った。

(さすがに脱獄しすぎたわ。私が脱獄計画を立てたって分かっているから、この"特別待遇"にしたのかしら。)

 王女はあたりを見回す。部屋は馬房3個分の大きさもないほどで、見上げると、天井には手のひらより小さい窓が一つだけついている。独房は、三方が石造りの壁だが、王女の向いている方向だけ、壁でなく鉄格子である。一方、階段につながっている檻の向こう側にも檻の中と同じくらいのスペースがあった。しかし、そちら側には、南向きの窓がついている。嫌らしいことに、檻の中には日の光が届かないように設計してあるのだ。

(ここで処刑の日までずっと独りぼっちで過ごすのかな。)

 そのような考えが王女の頭に浮かんでくる。監視はいっそう厳しくなるだろうし、軟禁状態だったのが監禁状態になってしまった。さらに、自分一人ならまだしも、複数人で脱出すればするほど、統率が取れなくなって、計画が失敗しやすくなる。

(もうだめかもしれない。............いや、そんなことないわ。)

 王女を覆っていた不安は一目散に退散した。

(私には、フィビル子爵がいるもの。)

 フィビル子爵は王女の"協力者"である。元は王女がスカウトした有能な貴族の一人だったが、民への人気が強く、あれよあれよと市民軍の中枢メンバーに担ぎ上げられてしまった。最初は王女も子爵も、国の改革を行う上で妨げになる宮廷貴族や国王の力を削ぐことができるなら市民軍の存在もよしとしていた。ところが、なかなか進まない改革に業を煮やした急進派が徐々に勢力を伸ばし、革命の目的が、「汚職にまみれた絶対君主制を立憲君主制にする」から「王族を抹殺する」に変わってしまった。そこで、王女は子爵が自分のもとに戻ってくるのではなく、市民軍に残したほうが得だと考えたのである。

(計画は移送中に大体考えたし、あとは暗号を使って子爵にそれを伝えて各方面と連絡を取ってもらわなきゃ。)

 王女は部屋をぐるっと一周見渡す。

(起きている時間、食事の残し方、瞬きの回数、なんだって暗号になるわ。それにいくら私を隔離したって無駄よ。縄は毎日少しずつ動かせば千切れるし、ここより高い所から降りるなんて何回もやってきたわ。)

 ノビリアは子爵のことを思い出すと、胸の中に残る怯えや臆病さがとれ、ジンジンと温かくなる。そして、このように、ポジティブな考えを取り戻せる。

 彼こそが、ノビリアの支えであった。

(王家が返り咲くのも時間の問題よ。)

 もし、そうなったとしたら、市民軍を徹底的に弾圧しなければならない。立憲派であっても例外ではない。なぜなら、市民軍は王の命を脅かしたからだ。生半可な処罰では、示しがつかない。すなわち、表向き市民軍に味方した子爵も処罰の対象に入るわけだが、彼は国の外へ逃がしてやろうと王女は考えていた。

(例えば、パロメなんてどうかしら。あそこなら、身分に関係なく、活躍できるわ。たしか子爵の姻族も住んでいるらしいし。)

 そして、革命鎮圧後の国政について思案し始めた。

(現国王は平民の反乱を許したわけだし、宮廷貴族の受けも悪くなるはずね。病気だなんだ理由をつけて、王子に王位を譲ってもらいましょう。そして......)

(『民も厚かましいものだ。』)

 王女の頭によみがえる王位継承者、王子の言動。

 (『今日くらい息抜きさせてくれよ、別に教育から逃げたって王様にはなれるんだし。』)

 (『税が高すぎるって、生産する努力をしてないだけだろ?王子は公務公務公務で忙しいんだ。気楽な農民が羨ましいよ。』)

 (『いざとなればコニ侯爵家(国庫横領の常習犯)のやつらに任しとけば大丈夫さ。』)

 王女は頭が痛くなった。

 (本当に、国はこれでいいのかしら......。)

 しかし、そこから先の思考をかき消すように、

 タッタッタッタタタッタッタッ

 と、複数人の階段を上る足音が重なって聞こえてきた。檻の向こう側に姿を現したのは、市民軍総司令官。それに共和国親衛隊隊長、秩序隊隊長。なんと、干渉戦争で忙しい特別国家防衛隊の制服を身にまとった者まで来ていた。(きっと戦況報告に総司令官のもとへ来たのだろう。)他にも、市民軍のあらゆる派閥の名だたる革命家たちがずらずらと入ってくる。

 一方、檻の中でも変化があった。3名の兵卒が何やら大きな木箱を持って入ってきたのだ。3人はそれぞれ、共和国親衛隊、秩序隊、特別国家防衛隊の者たちである。おまけに医者も部屋の隅で待機している。

 檻の外では皆が、まるで動物園の獣を見るかのように、王女のほうを向いている。とはいうものの、殆どのものが、なぜここに呼ばれたのか分かっていない様子で、ざわめいていた。まだまだ、人が入ってくる。

 王女の目線の先は檻の中へ戻った。剣を携えた兵卒が王女の前に立ったからである。

 それが、王女の最後に視界にとらえたものとなるとは知らずに。

 (何をす)

 刹那、温かい涙がこぼれるのを感じた。

 ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!

 王女は急激な痛みに耐えるように反り返り、喉が切れんばかりに叫び声を漏らした。頭は真っ白、視界は真っ黒。痛い、痛い、痛い、それしか考えられなくなってしまう。

 カチャカチャ

 金属と木が当たる音がする。木箱は道具を入れるためのものらしい。

「あのおてんば娘、どうも脱走をせずにはいられないようだ。処刑にふさわしい日まで待っていられないようでね。」

市民軍総司令官が観客に説明する。そして、次の言葉で、王女は自身に対して何をされるのか分かってしまった。


「......けどそれができたのも、目と手が運よくあったからというまでさ。」


 ゥ゛アアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛゛ッ 

 ハアッ ハアッ ヴぅ

 左腕の付け根のあたりに衝撃が加わる。この上ないほどに痛覚がはたらく。そして、これまであった左腕の感覚が消え失せた。

 王女はもはや気絶寸前だった。意識が朦朧とする中で、何とか苦痛に耐えようと子爵のことを思い浮かべる。

(助けて!子爵!)

 無駄な祈りだと分かっていながらも、王女は心を失わないために思い続けた。

 急に、王女の鼻を刺激臭が貫いた。檻の中に意識が引き止められる。王女は気付け薬をかがされたのだ。気づけば、医者が王女の左腕を止血していた。一応、王族は生かしておかないと、ほかの王国、帝国の凄まじい報復が待っているからであろう。

 そして、先ほどの叙述を訂正しなくてはならない。王女にはこの上ないほど痛覚がはたらいたが、それ以上があったようだ。

 ゥ゛グア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛゛ア゛゛ア゛゛ア゛゛ア゛゛ア゛゛ア゛゛ア゛゛ア゛゛ッッッッ! ゥ゛、ハァーッ ハァーッ ハァーッ ハァーッ

 王女にとっては、いっそ殺してくれたほうが楽だった。

(だめ、そう思うことはやめよう。ここで耐えなければ子爵に申し訳が立たない。子爵が、子爵が私にはいるから...。)

「フィビル子爵殿。いかがであったかな?」

 見物客の中に、いつの間にか子爵が混じっていたようだ。

(子爵への見せしめだ!)

 一気に王女には総司令官の意図が分かった。子爵は革命成功に必要不可欠だが疑わしい。これは総司令官からの脅しなのだ。お前は本当に王女を見捨てたのかという。

(脅しなど無視しなければ! 私!)

 王女の理性では何とでも思えた。しかし、体は正直だった。

「し、子爵、そ、そこ、に、いるの?」

(ああ、だめだ。これじゃまるで助けを求めているみたいじゃないか。)

 息絶え絶えの声が王女から漏れ出る。

 それに対して、子爵は声を振り絞って答えた。

「((っ...))いいざまだ。」

 王女はこれでいいと納得した。なのに、ノビリアの心に絶望が残るのはどうしてだろう。





「ヴヴ、ヴ。」

 そのうめき声はニューライフ号のベッドで寝ていた子爵の目を覚ました。うめき声の主、ノビリア王女を見る。

 ノビリア王女は目と腕を失った"あのとき"のように顔を歪ませている。

 フィビル子爵はノビリアのほうに手を伸ばす。

 王女に触れる手前で止めると、そのまま、空中で撫でる仕草をした。

(王女様がこれから先、ずっと安心して眠れるようにお守りしなくては。)

 その思いが伝わったのか、ノビリアの寝顔はだんだん穏やかになる。

 それを見て子爵は安堵したが、再び眠ることはできなかった。





    §





 朝、起きると、子爵は寝不足からかガクガクと動いていた。きっとひどいクマができているのだろうなと、ノビリアは申し訳なく思う。

 二人が早めに床に就いたあと、他の客が来たようで、個室の4つのベッドは、満員になっていた。

 汽車が駅に停車している間に、二人は朝食にパンと新聞紙を購入。客車に戻ってパンを食べ終えると、フィビル子爵はノビリア王女に新聞を読み聞かせ始めた。

 8割がたパロメ国のことだったが、十面にはまるまるアイメ国のことが載っていた。二人は現地で体験したので大雑把な内容は知っていたが。改めて情報を整理する。

 アイメ王国――改めアイメ共和国は、諸国の干渉戦争に勝ち、そして、その記念すべき日に元国王一家を処刑した。今は、疲弊した国民救済のための措置――その財源は王宮から奪取した金銀財宝、芸術品、はたまた宮殿そのものの一部だろうが――を行っていて、ひとまずは安定したらしい。選挙も半年後にやるそうで、このままだと、市民軍総司令官が初代大統領に選ばれる予測だそうだ。ちなみに滑稽なことにノビリア王女は嵐で亡命用の船から投げ出されサメに食われて死んだことになっていた。

 ノビリアの顔が暗くなったのを見て、子爵はノビリアの手を引っ張ってどこかへ連れて行こうとする。その前に王女は演技をしながら言った。

「あの、あなた、手ではなく、腕を...((ずっと言おうと思ってたんだけど、手じゃなくて腕でお願い。))」

 子爵は困ってしまった。腕を引っ張るなんて王女様を囚人みたいに扱うことはもうしたくない。どこを引っ張っていけば...とマゴマゴしていると、王女は少し右腕をあげた。

「お願いします。((腕組んでちょうだいってことよ。))引っ張られると怖くて。」

「! そういうことは早く言え。((本当に鈍感で申し訳できません...お困りのことは遠慮なく仰ってください。))」

「ええ。」

 恋人のように、王女と子爵は腕を絡ませた。お互いドギマギしながら、しかし、安心感も覚えながら客室を後にした。



「ここです。」

 フィビル子爵は立ち止まって言った。そこは三等車と二等車のつなぎ目だった。汽車の揺れとガタンゴトンという音だけが存在する。

「?ここがどうしたの?」

「二等車の扉に耳を当ててみてください。」

 ノビリアは耳を貫通扉に当てた。すると、だんだん汽車の音が意識されなくなっていく。

 ♪~~~~~♪~~♪~~~~~♪~~~~♪~~~♪~~~~♪~♪

 麗しいバイオリンの音が漏れ出ていた。

「これって・・・」

「二等車ではバイオリンの演奏が聴けるそうです、といっても駆け出しのバイオリニストばかりですが・・・」

「でもとってもきれいね」

 久しぶりの慰みにノビリアの胸はジーンとした。

 それに加えて、フィビル子爵と一緒に聴いているということが特段に心を満たしている。

 (この時間が永遠に続けばいいのに。...あれ?)

 ニューライフ号が首都に着かないでほしい、亡命しているからこそ子爵と一緒にいられるのだから。ノビリアは自分の心の中にそのような思いが横たわっていることに気づいた。

 ♪~~~~~♪~~♪~~~~~♪~~~~♪~~~♪~~~~♪~♪

「ちょっとお二方。」

 女性の低い声とも、少年の声とも捉えられるような声に王女と子爵は話しかけられた。

「ああ!す、すみません、ずるみたいに...もう行きますから」

 ノビリアは乗務員に注意されていると思って三等車に戻ろうとした。

 間髪入れずにアイメ語が轟いた。

「得たものは自由!失うものは何もない」

「まずい!」

 ノビリアは急に子爵のほうへ引き寄せられ抱きしめられた。いや、正確には、かばわれたのだ。

 カキン!

 壁に金属が鋭く突き刺さったような音がする。

「暗殺者です!逃げます!」

 子爵はノビリアの肩をしっかりホールドして共に走り出した。二等車の扉を開け、なりふり構わず駆け抜けていく。

 きゃー!

 バタン!

 警備員を呼べ!

 カチャン!

 近くで悲鳴や何かが倒れる音がひっきりなしにしたが、それらを気にする余裕もなく、王女と子爵は無我夢中で走る。

「ここまで追ってくるとは...」

「乗客がもうすぐレットマー駅だと言うのを聞いたわ。殺した後、すぐに降りるつもりののでしょう。」

 しかし、何台か車両を跨いても、暗殺者は巻けなかった。そもそも、直線の寝台列車の中を逃げたところで、先頭の車両まで行ったら追い詰められてしまうのは自明ではないか?もう食堂車まで来てしまった。

 破滅に向かって走る王女と子爵の耳に乗務員の呼びかけが聞こえてくる。

「まもなくトンネルです、間もなくトンネルです」

(しめた!)

 ノビリアはすかさず指示を出す。

「子爵!窓を開けなさい」

「了解です!」

 ポッポー

 二人には汽笛の音がいつもより大きく聞こえた。ついで、刺客の声も耳に入る。

「くそっ!真っ黒・・・!」

 煤、煤、煤。どうやら汽車はトンネルに入り、窓から大量に入ったようだ。刺客への目くらましになっている。

 もちろん、ノビリアとフィビル子爵も煤を受けるわけだ。しかし、ノビリアにとっては影響がなかった。すぐさま、二人は机の下に潜り込む。

 目くらましをしたのはUターンするためだと刺客は気づく。だが、目の前は真っ暗。むやみやたらにナイフを振り回せば、衆人環視の中でパロメ人を誤って傷つけ、国際問題になりかねない。

 その間、ノビリアは

「11時の方向よ」

 と、刺客の立てるかすかな音で位置を掴み、フィビル子爵に小声で伝えていた。

「10時...9時.........8時、7時。」

 そして、机からそっと這い出ると、今度は王女が子爵を先導し、あっという間に三等車の端まで戻りおおせた。

「王女様、空いている二等車の個室に隠れて、次の駅で降りましょう。」

 二等車の個室には扉がついているのだ。子爵の提案に王女は従う。しかし、探しても探しても、どこも利用中。このままでは、戻ってきた刺客と鉢合わせてしまうので、子爵は焦り始めた。

「あっ、あった!」

 端っこの個室が空いているのをやっと見つけた子爵はそこへ飛び込んだ。

 ノビリアは叫んだ。

「やめろ!子爵!」

 刺客もきっと私たちが次の停車駅まで隠れて過ごそうなんてすぐ推測できるはず。仮にも、革命を起こそうとする勢力だ、抜け目のある人などいない。そして、この列車の込み具合なら、隠れられそうなところも見当がつく。腕を組んで走る二人より、一人の刺客の動きが速いのは言うまでもない。そのような考えがノビリアの頭に一瞬にして駆け回ったから、王女は子爵を制止しようとした。

 しかし、もう遅く、王女と子爵は窓側の壁にもたれかける。

 かたっと物音がして、子爵が扉のほうを見ると、部屋に隠れていたのであろう刺客が扉に鍵をかけていた。

 ノビリアは覚悟を決め、右の義手を子爵に差し出す。子爵は義手を取る。この義手は案外重いのだ。

 刺客はノビリアめがけて突進。

「のうのうと生きやがって!売国奴!」

 それに子爵が応戦し、義手で刺客のナイフを受け止めてはねのけた。

 2人のにらみ合いが始まる。張り詰めた空気の中、衝突音が何度も響いた。

 カキン!

 ハァ!

 ウオォッ!

 ノビリアにはただベッドの隅で固まっていることしかできなかった。今下手に動けば、子爵の動きを妨害する可能性もあるし、固まっていたほうが、子爵も守るべきところを一か所に集中できてやりやすいのだ。

 しかし、一対一、相手は革命を強く望む剛健な若者。勝ち目はあるかはわからない。必死にノビリアは熟考する。

(壁を叩いて隣の乗客に異変を知らせる...いやここは端の部屋だった。しかも、誰かにばれれば、刺客だけでなく私たちも捕まる可能性がある。マッチで火事を起こして列車を緊急停止...は他の乗客を大勢殺してしまう、死刑だ。他には...)

 ノビリアはある案を思いついた。彼女はこっそり上段のベッドによじ登って、ブランケットの下に隠れた。

 その時、窓枠がガシャンと音を立てた。

「とどめだッッ」

「うあッ」

 刺客が子爵を窓まで追い詰め、押された子爵は窓から身を乗り出す形になってしまったのだ。子爵も負けじと、足を思いっきり踏ん張り、睨みつけながら、刺客のナイフを義手で受け止める。

 上段のベッドで待機していたノビリアはここぞとばかりに、誰もいない扉のほうへ腕を伸ばし、静かに、ほんの少しだけ扉を開ける。そうしてから、扉を強く押し、すぐに身をひっこめた。扉は勢いで全開になり、バン!と音がした。

 刺客がその音に気付いて後ろを振り返ると、空いた扉だけが残されている。

(逃げられた!)

 刺客が後ろを向いた隙に、子爵はナイフを奪って窓の外に投げ捨てる。

 刺客は王女暗殺に必死になっているせいか視野が狭くなっている。しかも、視力を失った王女にできることはせいぜい部屋の隅で震えていることだけだと考えていた。だから、ナイフが手からなくなったことも、上段ベッドにも目をくれない。急いで部屋から出ようと、扉へ向かう。

 何とか汽車の外に放り出されずに済んだ子爵は、刺客の後をすぐさま追う。

 一方、ノビリアは刺客が隣の車両に行ったのを見計らって反対の車両へ移動し始めた。

 

 

 子爵は走りながら、刺客を止めようと何度も背中に飛びつこうとしていた。しかし、足の速さが互角であるため、なかなか捕らえられない。

 突然、刺客がつんのめりになった。

(しめた!)

 子爵は床を強くけり、刺客目掛けてダイブ。

 しかし、目の前に刺客の姿はなく、地面に顔をぶつけただけだった。

 急いで、後ろからの襲撃に備え、振り返って身構えると、刺客は今まで走ってきた方向とは逆の方向にいた。その姿はもう小さくなってしまっている。刺客は壁を蹴って、子爵の頭上を軽々と超え、進路転換したのだ。

 刺客はノビリアの罠に気づいた。



 ノビリア王女は連結部分にいて、次の車両へ渡ろうとしている最中であった。

 ダダッ

 聞き覚えのある足音に反応して、次の車両へ駈け込み、急いで扉を閉めようとするが、刺客に髪をつかまれ、後ろに引きずり戻される。そのまま、刺客の左腕で絞められる首。

「うぐっ」

「そうだ、俺たちの分、散々苦しんでから死ね!浪費しか能のないあばずれが!」

 ドガッ

 空いている右手で殴られる王女の顔。

「男たちを侍らせ、乱交三昧か!」

 ドガッ

 殴られる腹。

「悪い貴族をフィビル子爵が追放するのを妨害しやがって!」

 ドガッ

 もう一度殴られる腹。

「読み書きもできねーくせに俺たちに指図すんじゃねえ!」

 ドガッ

 また殴られる顔。

「デ...ま...」

 酸欠ながら、王女は弁明しようとした。これらはすべて流言だ。そもそも、公務やらなんやらで手紙を書く必要のある王女が読み書きできないなど明らかに嘘ではないか。祖母の遺品ばかり身に着けていたら、時代遅れだの何だの、王女の威厳もないと新聞は面白く書き付けたではないか。他の噂も、将来を思い描けず不満のたまった市民の作り話半分、市民軍急進派のデマ半分だ。

 王女は足を後ろに曲げ、刺客の股間を蹴る。反撃されないと思っていたのか、刺客はすぐ体勢を崩し、腹をかばう様に屈む。腕も緩まり、王女はそこから脱出した。しかし、刺客も負けじと、王女にタックル。王女を乗車口の扉へ押し付けると、その扉を開けた。

 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

 列車が風を切る。

 刺客は足を広げ、扉の縁に足を引っかける。右手は上に挙げ、扉のふちを掴み、左手は王女の体を押す。しかし、完全に腕を伸ばしきることはできない。

 首には王女の義手が懸かっているからだ。王女も足を扉のふちに引っ掛けていたが、腕は刺客の首に回していた。落としてくれたら貴様も道連れだと言わんばかりに。刺客ですら半分列車の外から出ており、王女と刺客はギリギリのバランスで列車と外界の境目で踏ん張っていた。

 ガタガタガタ!

 開きっぱなしの扉が風に打ち付けられ、音を立てる。その凄まじさがこの列車の速さをつくづく感じさせる。

 足元では刺客が扉から王女の足を外そうともがき、王女も応戦する。もみ合いさなか、刺客は左足を扉から外し、王女の右脛を思いっきり蹴る。

 痛みに怯んだ王女の足はあっけなく列車の外へ押し出された。

「ぅあっ」

「グッ」

 重心が扉側に集中し、体勢が揺れる。瞬く間に新な重心を見つけ出し、取り戻す危うい安定さ。王女は扉の縁に右足を何とかつけた。

(このままでは両方放り出されてしまうわ。)

 子爵がここへきて2人を引っ張り上げない限りは。その時まで持つかすら怪しいのだが。

 そして最悪なことに、そこへ向かいの線路から、汽車が迫っているのを刺客は目の端で捉えた。

「得るものは自由!失うものは何もない!」

 唐突に刺客が大声で王女を威嚇する。それだけでなかった。

「」

 そう言った瞬間、刺客は自分の手を扉から放した。まるでスローモーションかのように、刺客と王女は重力に従っていく。

 ...ガタンゴトンガタンゴトンカ゛タンコ゛トンカ゛タ゛ンゴ゛ト゛ンガ゛タ゛ン!

 ところが、王女は重力より先に素早く身を屈め、列車の中に飛び込んだ。刺客は足を扉の縁に引っかけるため大股になっていたので、ノビリアはそれをくぐる形になった。こうして、他の列車が迫る外に出ることとなったのは刺客だけとなった。

 

 グチャ。

 

 ゴオオオオオオオオオオ!

九死に一生を得た王女は、刺客の最後の言葉に愕然としていた。共和国万歳でも王女の恨み節でもないそれは、


「母さん、アイメから見ててくれよ」


 子爵が連結部分に来た時に見たのは、倒れこむノビリア、開けっ放しの乗車口、そして、膝から下しかない片脚と、血と肉片が混ざったような液体になった刺客が扉付近に散乱している姿だった。

 ゆっくりとノビリア王女は立ち上がろうとする。しかし、片腕しかないのでうまく立ち上がれない。子爵が駆け寄り、借りていた腕を王女に着け、肩を貸す。ノビリアは再度立ち上がろうとするが、

 ズルッ

 血と肉の液体に足を滑らせた。咄嗟にフィビル子爵はノビリア王女の腰を支える。

「ハハハハハ...」

 不意にノビリアは笑い出した。ガクブルと身震いし、喉から声をかすかに絞り出す。

「こここここここ国民を殺して、何が王女よ!アハハハハハ!」

 王女は自分自身を嘲笑した。人が死んだショックで、もはや、半ば正気でない。

「深呼吸してください、王女様。やらなければ、やられていたのは王女様です。」

 笑い声で過呼吸になっている王女の背中をさする。

 次に聞こえた声は王女でも、子爵でも、ましてや刺客でもなかった。

「あっ」

 子爵が振り返ると、乗客が刺客の脚や液体に目を見開いている。そして、人食い熊に遭遇したかのように後ずさりし、やがて後ろを向いて一目散に逃げだした。おおかた、乗務員でも呼びに行ったのだろう。

 ガタンゴトンガタンゴットンガタンゴットンガッタンゴットンガッタンゴットンガッタン...

 王女は正気を少し取り戻して言った。

「もうここにはいられないわ。減速している今、降りましょう」





    §





 ヒュゴォォォォオオオオオオ...

 まだ秋というのに吹き付けてくる風は冬を物語っている。2時間は歩いただろうか。あたりは、すっかり真っ暗になってしまい、今日が満月だったのが不幸中の幸いである。レットマー駅は最近できたばかりの駅で、周りに家が少なく、ただただ平原が広がっていた。広大無辺で参ってしまいそうなほどだ。

「宿に滞在すべきだったわね。判断を誤ってしまった、ごめんなさい。」

「そんな、警察はきっと駅周辺を捜索するので、見つかって強制送還もあり得たかもしれません。それに、3時間ほど歩けば、首都までつけます。そもそも、私が人の目の多い汽車を利用しようと言ったのが間違いでした...申し訳あ」

「人の気のないところを行くほうがかえって悪目立ちして危ないわ。最初、汽車?そんな速いもの、乗っているだけで気分が悪くなるから皆乗らないでしょって思っていたけど...、パロメの技術はすごいわね。アイメにも欲しかったわ。子爵は目の付け所が違う。最先端技術をなめていた私の完全敗北よ。」

「そんな、ご謙遜なさらず...。王女様の改革は政治史の中では画期的で...」

 突然、二人は黙りこくってしまった。いくら優しい言葉を飾り、慰めても、相手は自分を責め続けるに違いなかったし、季節外れの北風がじわじわと二人の体力を奪っていた。

 王女は頬に冷たい粒を感じた。すぐに子爵も気づく。

「雪!?」

 完全に秋の装いの二人に雪は容赦をしないだろう。

 ノビリアは絶望した。

 腕を切られ、失明しても脱獄し、海を渡り、前途ある若者を殺してまで、逃げ続け、王政復古も諦めないでいたが、そもそも、既に王国は共和国。王族は自分以外は残らず処刑。そして自分の終わりは、道半ばでの凍死なのだ。いや、そのほうがいっそいいと思った。革命をやりたかったものたちはやりたかったことをやり、好きでもないのに王家に生まれたものは、役目から解放されるのだ。死をもって。

 しかし、子爵が不憫でならない。連れてくるべきじゃなかった、とノビリアは後悔した。子爵こそ、未来は明るくまさに春の日和のようだったのに。立憲君主制に頑なになっていなければ。財政改革の嘆願書を発表した時の人気は、現在の市民軍総司令官と同等であった。それが今や、枯れと飢えと寒さしかない厳冬をさまよう風前の灯火だ。

(私が子爵を殺したのも同然だ。)

 ノビリアは涙があふれそうになった。だが、いつもの癖でこらえた。王族は人前で隙を作ってはいけないのだ。王国が滅び、王家が断絶した今、ノビリアはもはや王女ではないというのに。

 雪は北風と交わって吹雪となり、無慈悲にノビリアとフィビル子爵に打ち付ける。

 お互いに小刻みの震えを感じていた。もっと身を寄せれば温かいものを、互いに寒い自分の体温で、相手を凍えさせたくない、傷つけたくないと遠慮している。

 鼻がキンキンと痛い。耳が裂けるように凍える。手足の感覚が鈍くなっていく。

 ノビリアは突然、膝から崩れ落ちた。彼女と腕を組んでいた子爵もそれに合わせて身をかがめる。

「王...ま!」

 猛吹雪に声が遮られる。

 目が見えず、腕も義手で触覚がないのに、音まで届かなくなってしまうと、ノビリアはいよいよ、一人ぼっちになってしまった感覚に陥った。そして死期を悟った。

 それは子爵もであった。王女様を救うため、王女様を女狐と罵り、王女様を叩き蹴り突き飛ばし、命令口調を使い、徹底的に敵を演じてきた。それは、市民軍の暴力を鎮圧した暁には、王女様がひどい扱いを受けなくて済むという未来によって支えられてきた。しかし、そんな希望も潰えてしまった。王女様はもう、尊厳を回復されることはない。目的という炎が消え、風前の灯火だった彼はただの灰になった。

「王女なのに...情けなくてごめんなさい...」

「...ノビリア王女殿下...一生の別れの前に、伝えたい...ことが...」





    §





 目の前は真っ暗だ。全く何もない。地面でさえも。

 何故かそこにノビリアは立っていた。

 義手はなく、腰縄をされて。髪はいつのまにか耳あたりまで短く切られている。

 もう見えないはずの目の視線の先には、断頭台がある。台に上ると、処刑を見物している人たちを見下ろす。皆が私を罵っている。

「偽善者!」

「恥をさらしてまで生きたいのか!」

「余計なことを!」

 遠い向こうには市民軍の幹部たちが数人集まって何か話している。

 奥にいるのが市民軍総司令官、隣に主要な革命家たちが佇んでいる。

 そして、一番手前には、司令官たちのほうに顔を向けた、つまり、ノビリアには背を向けて、ある男が立っている。フィビル子爵だ。

 ギロチンが目の前に来ても、彼から目が離せない。

 彼らは今後の共和国運営について話し合っており、ノビリアは不思議とそれに参加したかった。まだ、自分を王女だと思い込んでいるからだろうか。はたまた、子爵がいるからだろうか。いや、両方だろう。

 ノビリア王女はもう俯せになり、首を固定されたというのに、どうにかして子爵と話したい。

「子爵!子爵!」

 何度ノビリアが呼びかけようとも子爵は返事をしない。ガッと刃が下りる音がする。

 突然、市民軍総司令官と目が合った。意地悪くにやけてノビリアに言い放つ。

「我らが共和国に、貴族などいない。」

(そうだわ。彼はもう子爵じゃない。)

 ノビリアは称号でなく本名で呼びかけようと思った。

 呼びかけられなかった。

 情けないことに、フィビル子爵の本名を知らなかった。諦めきれず、歯が完全に降りるまで、ノビリアは叫び続けた。

「あなたの名前は何?名前は何なの?教えて頂戴、あなたの本当の名を...!」

 

 ガチン!
























「カーリシモ・アモハントです...ッ。」

 頬に、汽車のベッドで感じたごつごつして柔らかい感触が触れている。とても暖かい。

 ノビリアはうなされていたようで、気が付くと、ベッドで寝ていた。三等車の粗末なものでなく、いい匂いのする羽毛布団つきのものであった。暖炉のパチパチという音がする。

 子爵こと、カーリシモ・アモハントはベッドの左側に膝をつき、ノビリアの手を両手で握っていた。彼はノビリアが自分を認識できるように、握った手ごと、自分の手をノビリアの頬に添わせている。子爵は王女を安心させようと、さらに声をかけた。

「家族からは、"カーリス"と呼ばれております。」

「カーリス...カーリス!」

 ノビリアは右の手でカーリスを探し始めた。カーリスはノビリアの右の手も自分のほうへ引き寄せる。

 ノビリアはカーリスの胸の中へなだれ込んだ。カーリスはそれにこたえてノビリアをぎゅっと抱きしめる。

(もう離さない......。)

二人の思いは重なって、溶けていく。





    §





 数時間前

「ノビリア王女殿下...一生の別れの前に、伝えたい...ことが...」

 子爵のカーリスは唇を寒さで青くし、震えながら声を発する。

 もとは男爵家の出であり、13の頃から領地運営に携わってきた。

 転機が訪れたのは16歳の時だ。フィビル男爵領に鷹狩りをしに来ていた王子の付き添いだった王女様にスカウトされた。実は、王女様は他にも有能な貴族に目をつけていて、遊びまわっていた兄である王子に、行き先をそれとなく提案し、付き添いという名目でスカウト行脚をしていたのである。

 以降、カーリスは王都に住み、国政にかかわるまでになる。アモハント家は男爵家から子爵家となることができた。

 カーリスの脳裏に浮かぶのは、王女様との思い出。下級貴族の領地を回り、寒さや伝染病に強い作物を広めたり、領地運営の見直しを手伝ったりしまわったこと。宮廷貴族が国庫の金を懐に入れている証拠をかき集め、さらに財政改革の案を徹夜でねったあの夜。王女様を自分の妹に変装してもらい、新しい考えを取り入れに通った知識人のサロン。まあ、カーリスは個人的にもこの自由に議論できる場にのめり込みすぎて、立憲民主制をめざすグループのリーダーに担ぎ上げられていくことになるのだが。

 兎に角、子爵のカーリスは男爵家の出がこれほどまで活躍できた、その恩をノビリア王女に感じていた。

 いや、それには共に過ごす中で育まれていった恩以上の感情も混じっていた。

だから、カーリスにとって、言うべきことは一つだった。もう終わるこの短い人生に後悔しないためにも。

「......」

(何勝手に人生を終わらせているんだ、俺!)

 カーリスは気を取り直し、力を振り絞って立ち上がって、ノビリアを負ぶった。

 雪はすでに踝の上ほどまでに積もり始めている。

 ザッザッザッ

 一歩がとても重い。

(もう死ぬ?生きることを諦めて甘えるな、俺!この気持ちを伝えるために、王女様を死なせないように尽くすのが筋だろう!王女様を勝手に殺すな!)

 寒さを忘れ無我夢中で歩く、歩き続ける。

 気づくと真上にあった月は西側に傾き始めており、それ以外の明かりが見えてきた。首都だ。

 やっとのことで大統領宅の前へ着いたところで、ドッと疲れがあふれ出し、膝を地面につく。門番が不思議がってカーリスに話しかけた。

「どうした?何だ?施しなら、向こうの教会だぞ。」

 息を切らしながらカーリスは門番に訴えた。

「メルカート、の、義兄が、"懐かしのスープを一緒に飲みに来た"、と大統領、に伝えてください、言えば、わかる、はずです!」

 メルカートとはカーリスの妹の夫で大商人である。彼の伝手でパロメに亡命できたのだ。

 門番はボロボロになったカーリスがメルカートのような金持ちと姻族であるのか怪しみながらも、それを伝えに大統領の寝室へ行った。

「失礼します。門に怪しい男が来ております。本人はメルカート殿の義兄を名乗って、スープを飲みに来たとか何とか言っていましたが。」

 妻と一緒にぐっすり寝ていた大統領はガバッと立ち上がった。

「"懐かしのスープを飲みに来た"と言ってなかったか?」

 それは合言葉であった。

「ええ、たしか...」

「今すぐお二人を通せ。暖かいスープをお出ししろ!」

 こうして、凍えた二人は暖かく向かい入れられ、意識混濁のノビリアは暖炉のある部屋の上質なベッドに寝かされたというわけだ。





    §





 現在

 カーリスとノビリアはしばらくの間、お互いの体温を感じあいながら、生きているという幸福を噛みしめていた。

 ノビリアが先に口を開く。

「私に言おうとしていたことって何だったの?」

 その問いかけに、カーリスは決心したように答えた。


「...っ

愛しています。ノビリア様。」


 ノビリアの顔に涙が一筋こぼれた。

「私も。カーリス。」

 ノビリアは手でカーリスの顔を探し始めた。顔を捉えると、唇を探し始めた。

 カーリスはノビリアの欲していることを察して言った。

「唇、失礼してもよろしいでしょうか。」

 ノビリアはうなずいた。

 次の瞬間、カーリスはノビリアの顔を引き寄せ、二人の唇は触れた。

 唇を角度も変えずに押し当てるだけ...子供だましみたいなキスで、二人は愛を確かめ合った。甘い時間が悠久のように続いていた。

「...」

「...」

 コンコンコンコンッ

 入室確認のノックを聞いて、二人は唇を離し、元の位置へ戻った。おまけに、今までのやり取りを思い出して小っ恥ずかしくなる。

(舞い上がりすぎ!私/俺!)

 そして、大統領とその妻が部屋へ入ってきた。大統領が言った。

「遠路はるばるよくお越しくださいました。さぞお疲れでしょう。ゆっくり休んでください。」

「ありがとうございますわ。」

 次に大統領夫人が訊いた。

「急ではございますが、今後どうするかお尋ねしてよろしいでしょうか。」

 すると、ノビリアはカーリスを引き寄せていった。

「はい。平民となり、この方と結婚したいと思いますわ。」

 カーリスは面食らって、でも、嬉しくて、耳を赤くした。

 ノビリアは言葉を続ける。

「ご心配なさらずとも、もう政治的活動は一切せず、王族の身分はもともとなかったものとして生きていくと誓います。」

 得るものは自由、失うものは何もない――今のノビリアならば、敵ながらいいことを言ったと思うことができた。

 王女という身分は失ったが、その失ったものはもうないのだ。失ったのだから。逆に、パロメ共和国には、王族の重荷を捨てて自由を得るチャンスがある。それを失ったものにかまけて見過ごすわけにはいかない。

 大統領夫妻はノビリアの宣言に驚いた。てっきり王政復古を狙っいて、亡命政府でも作るのかと思っていたからである。しかし、そうしないほうがパロメの負担は少なくなるので、都合はよかった。アイメの公式発表では王女は死んだことになっているし、パロメも自国に王女は来ていない、死んだのだろうという立場をとり、以後、アイメ革命への対応は高みの見物ということで決定した。

「分かりましたわ。王女様、いえ、ノビリアさん。市民権をお与えし、戸籍も作りましょう。どこに住むかはもう決まっていらして?」

「それは義弟のメルカートが用意してくれた私の別宅に住むつもりです。」

 カーリスが答える。心臓がまだバクバクしていて、口を開くと心臓が飛び出してしまいそうだった。

 今度は大統領が言った。

「それはよかった。困ったときはいつでも頼ってください。」

「では、お言葉に甘えて、一つ頼みごとをしてもよろしいでしょうか。」

ノビリアは尋ねた。

「ええ、もちろんです。」

「私たちの乗ってきたニューライフ号に、レットマー駅手前あたりで轢かれてしまった者がいたのです。」

 刺客のことだとカーリスはすぐに分かった。

「その者はアイメから"派遣"されていて...表立って遺体を祖国へ帰せば国際問題になるかもしれないのは分かっております。ですが、このままずっとその者が祖国へ帰れないのも可哀そうな気がしてならないのです。ですから、その者の遺体を"王女の遺体"としてアイメ共和国に返還してもらえないでしょうか。」

 本当は刺客の母親に返せればよいのだが、それだと刺客の存在と王女の生存を認めてしまうことになるので、できないだろう。

 カーリスはノビリアに耳打ちした。

「きっと本当の家族のもとへ帰れますよ。国の外に関することなので、その者は特別国家防衛隊所属のはず。そこの隊長は気が利く男なので、こっそり家族の墓の近くに埋めてくれるでしょう。」

 それを聞いてノビリアはホッとした。

 そして、大統領もノビリアのお願いを承知した。

「ありがとうございますわ。」

 ノビリアはそう言うと、お辞儀をするためベッドから起き上がろうとした。しかし、ふらついてしまう。それに対してカーリスは

「王女様、体調がすぐれないのですから、ご無理なさらないでください...。」

 と心配する。ノビリアは不満なことがあったので言った。

「もう、王女様じゃなくて、ノビリアって呼んで。それに、敬語はやめにして。私もあなたも平等な市民でしょ。」

 ノビリアは甘い声でカーリスにねだった。

「うっ善処します...するよ......の、ノビリア、アsんっ」

 カーリスは様付けを必死に訂正しようとする。

(王女様の幸せのためにも頑張れ!俺!)

「今心の中で王女様って呼んだでしょ。」

「ウっ」

 カーリスは言葉に詰まってしまった。そりゃ、これまで何年も敬語を使ってきた相手に急にタメ語というのも、脳の処理が追い付かないものである。

「キスしておきながら情けないわねえ、でも、心から"ノビリア"って言ってくれないと意味ないし、できるまでは王女様呼びでもいいからね。」

 そして、ノビリアはおどけて「カーリス」と付け加えた。王族という重荷から解放されてはっちゃけ始めているのである。カーリスはノビリアのキャラ崩壊に悶絶した。

「でもかわいい......分かりました......うっ王女様......」

 カーリスが涙を流し始めた。ノビリアはカーリスをよしよしする。4人の間に和やかな雰囲気が流れた。





    §





 次の日。

「本当にありがとうございました。」

 二人は大統領夫妻にお礼を言って馬車に乗り込んだ。この馬車は大統領夫妻が用意してくれたもので、カーリスの別宅まで御者が運んでくれる。

「お幸せに。」

 大統領夫妻がお祝いの言葉をかけると馬車は出発した。

 パカッパカッパカッ

 馬車に揺られて、カーリスとノビリアはお互いに寄り添いあいながら座っている。

 カーリスがノビリアの髪を愛おしく撫でる。そして、何度か額にキスを落とす。

 ノビリアはくすぐったくなって身をよじらせた。その体ごと、カーリスは抱きしめる。

 そのうち安心して、二人は寝落ちした。抱き合いながら、スヤスヤと寝息を立てる二人の顔は安心と未来への希望に満ちていた。



The beginning



「そういえば、思ったのだけれども、これからどうやって生活していくの?」

「自然の中でゆったり暮らしましょう。貯金もありますし......。」

 その言葉を聞いて、王女は急に立ち上がった。

 バッ

 ゴンッ

 馬車の中なので頭を打ち付ける。それを気にせずにノビリアは言った。

「あなたは一体王宮で何を学んできたの、カーリス! 貯金なんてすぐ尽きる頼りないものだわ!」

 そして「ブツブツ......メルカートに雇ってもらう......いっそ自分たちで商売を始めるのは......ブツブツ......この国の言葉を喋れない人は意外といる......語学の塾ビジネス......新聞や鉄道も興味深いし......ブツブツ」と呟き始める。

 ノビリアが本調子に戻ったのを見て子爵は微笑ましくなった。

最後までお読みくださりありがとうございます

5月くらいに書いていた処女作、そういえば何故か、小説家になろうで発表してなかったので投稿

カクヨムでPVが6、アルファポリスで♡が3、PIXIVで閲覧数60だったので、ユーザーが多いなろうではもっと多くの人に見てもらえたら、あわよくば評価・感想もらえたらな……

ネットの荒波をは厳しい(泣)

あ、そこのあなた! 今この画面を見ているあなたは拙作を最後まで読んでくれたようですね

感謝がエベレストを越えてます 次は大気圏突入しちゃうかも(?)

では、ありがとうございました! またいつかお会いしましょう!

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