蜘蛛の教会 - The Web Doctrine –プロログ~
「静かだな」と思った瞬間から、もうあなたは網の中にいます。
本作は、沈黙と秩序に侵されていく都市を舞台に、人間が自我を失っていく過程を描く超ホラー/サイコスリラーです。
本当の恐怖は、襲ってくるものではなく、自分の中にいつの間にか入っているものです。
祈ることは美徳か。
沈黙は安心か。
あなたが気づかないうちに、思考はすでに結線されているのかもしれません。
……読了後、「音がしない」空間に一瞬でも不安を覚えたなら――それは、蜘蛛の祈りの始まりです。
プロローグ:それは、音もなく始まった
最初に異変に気づいたのは、都内のゴミ収集員だった。
その朝、彼はいつも通りに都心のビル群の裏路地を回っていた。だが、その角を曲がったとき、足が止まった。言いようのない違和感があった。そこにあるはずの空気が、妙に重く、肌に張りつくようだったのだ。
路地の奥――そこには、まるで建物と建物の間を縫うようにして何かが張り巡らされていた。
それは、蜘蛛の巣だった。
だが、彼が知るどんな蜘蛛の巣とも違っていた。規則的すぎる。精密すぎる。光の加減で構造が浮かび上がると、それは幾何学模様のように見えた。まるで、誰かが設計図をもとに空中に線を引いたような――そんな、非現実的な美しさを持っていた。
「……こんなとこに、巣なんか張られるもんかよ……」
彼は、伸ばしかけた手を止めた。妙に心臓がドクドクと早く打っていた。引き返そうとしたそのときだった。
背後から、「カサ」と何かが落ちるような音がした。
振り返った彼の瞳に、誰かの顔が映った。いや、顔のようなものだった。
そのそれは、人間のように見えた。だが、瞳が空洞だった。唇は動かず、皮膚は乾いた紙のようにひび割れていた。そして、巣の中から這い出てくるように、音もなく近づいてきた。
「やばい……!」
彼は走った。足元のゴミ袋を蹴散らしながら、裏路地を抜け、朝の騒がしい通りへと飛び出した。
人々は誰も気づいていないようだった。笑いながらスマホを見て、イヤホンで音楽を聴き、コーヒーを飲んでいた。
あの巣は、まるで存在しなかったかのように――現実から滑り落ちていた。
だが、彼は見た。
高層ビルの窓の向こう、誰も使っていないはずの会議室の中に、巣があった。
電線の隙間に、巣があった。
歩道橋の柱の影にも、地下鉄の換気口にも、巣があった。
そしてそこには、どこにもいないはずの、あの空洞の瞳があった。
何かが、静かに始まっていた。
それは音もなく、だが確実に――人間の意識を包み込んでいく。
第1章 静寂の種
第1節 都市の裂け目
午前3時17分。
眠らない都市、東京。その地下深くで、地震計は誰も気づかないゆらぎを感知していた。
地震ではない。
だが、揺れていた。空間そのものが、微細に震えていたのだ。
振幅0.00004。周期0.006秒。あまりに微弱すぎて、通常の解析ではノイズとしか分類されない。
だが、その震えは、規則的だった。
しかも――網目状に拡がっていた。
気象庁のデータセンターで異常に気づいた若手職員・小谷翔太は、モニターを前に、額に汗を浮かべていた。
「……これは……パターンになってる」
誰にも見せたことのないアルゴリズム解析ソフトを使い、彼はそのゆらぎを解析し始めた。浮かび上がったのは、信じがたいビジュアル。
巨大な蜘蛛の巣のような構造が、地下に、正確に、広がっていた。
しかも、それは「増えている」。
「……え?」
その瞬間、彼の端末が一瞬だけブラックアウトした。再起動のプロンプトもなく、ただモニターが切れた。停電ではない。他の機器は正常に動作していた。
モニターが再び映ったとき、そこには奇妙な画面が表示されていた。
《接続要求:WebNode-00》
そんな名前のネットワークには、覚えがなかった。
小谷は固唾をのんで許可を押した。職員用端末とはいえ、何が起きているのか確かめたかった。
その瞬間、画面に静かに浮かび上がったひとつの言葉。
《秩序を、望みますか?》
思わず背筋が冷えた。ジョークだろうか?誰かのイタズラ?
だが、その問いにはいを選ぶ前に、小谷は何者かに背後から肩を叩かれた。
「……あの、小谷さん?」
振り返ると、後輩の事務職員だった。彼女は少し困ったような顔をして言った。
「5分前から、返事がなかったので……」
「……え?」
「ずっと同じ画面を見つめたまま、動かなかったんです。秩序を望みますかの画面のまま、ずっと」
小谷は唖然とした。彼の意識では、まだ10秒も経っていない。
その後、気象庁のサーバーは全面的な自主隔離モードに入り、原因不明のロックがかかる。
小谷は口を閉ざしたまま、その日の午後に自宅療養を命じられた。
彼は黙った。
何を聞かれても、「覚えていません」とだけ繰り返した。
そして――彼は今も、ひとり、自室で小さなノートに何かを書き続けている。
それはすべて、細かい文字で描かれた、蜘蛛の網のような線の集合だった。
彼の思考は、すでに結ばれてしまっていたのかもしれない。
第2節 最初の網
午前5時43分。
始発電車が動き出すころ、まだ太陽の昇らない新宿のビル街に、それは静かに現れた。
誰もが見過ごした。
夜明けの空気の中で、それはほとんど透明だったからだ。
それは、ビルとビルの間――高さ40メートルの空間に、美しい放射状の線を張っていた。
まるで蜘蛛の巣。だが、そのスケールと精度は異常だった。
直径約30メートル。網の節点は正確な黄金比を成し、均一な角度で交わっていた。構造の美しさに気づいたのは、たまたま早朝撮影に来ていた高校の写真部の男子生徒だった。
「なにこれ……」
三脚にセットしたカメラのファインダー越しに、彼はそれを見つけた。
最初は、レンズの曇りかと思った。だが、シャッターを切ると、確かに写っていた。黒く、細く、規則的に張られた線――その中心に、人影のようなものがあった。
その影は、まるでぶら下がっていた。
足はだらりと垂れ、腕は網に絡まっていた。
「やば……誰か倒れてる……?」
彼が近づこうとした瞬間、風もないのに網がふわりと揺れた。
そして、その瞬間だった。
頭の中に、言葉ではない音が流れ込んできた。
――静かに。
――騒がずに。
――整然と。
彼は思わずその場にうずくまった。耳をふさいでも止まらない。音じゃない、思考そのものが染みこんでくるような感覚だった。
「う……うるさい……やめてくれ……!」
叫んだ。だが、自分の声が、まるで空気に吸い込まれていくように、響かない。通りには人がいた。清掃員、通勤途中のサラリーマン、コンビニに向かう若者。だが、誰もこちらを見なかった。
彼らは、網を見てもいないようだった。
網の真下で叫び、うずくまる高校生の姿に――誰ひとり、反応しなかった。
「……見えてないのか?」
恐怖と混乱の中、彼は気づいた。
これは見える人間と見えない人間がいる――その事実に。
次の瞬間、網の中心の人影が、ふらりと動いた。
それはまるで糸に吊るされた操り人形のように、ゆっくりと首を動かし、彼の方を見た。
瞳が、なかった。
だが、確かにこちらを見ていると感じた。
「――っ!!」
彼は全力で逃げ出した。
後ろを振り返る勇気は、なかった。
スマホのシャッター音だけが、逃げる途中で何度か鳴った。だが、後で確認すると、保存されていたはずの画像は全て真っ白だった。
彼は言った。
「あの網は、目で見るんじゃない。頭に生えるんだ。思考の上に、音もなく張られるんだよ……」
それが、最初の目撃例だった。
それから48時間後、新宿副都心の複数の地点で、同じ網の構造物が報告されることになる。
そのとき、もう既に――網は都市を包みはじめていた。
第3節 静かなる感染者
午前8時。
新宿中央公園のベンチに、スーツ姿の男が一人、黙って座っていた。
顔は穏やかで、姿勢も正しい。ただ、まばたきをしていなかった。
彼の隣に座ったOL風の女性も、まるでコピーのように同じ姿勢だった。目線は遠く、動かず、口も開かない。ふたりとも、どこか人形のように見えた。
スマートフォンを操作する手は止まっておらず、画面には予定表が映っていた。だが、その内容は全て――空白。
誰かが声をかけても、返事はない。ただ、静かに、整然と、そこに存在しているだけ。
同時刻、都内の病院で、看護師が小さな異変に気づいていた。
「今日、急に無口になった患者さんが何人かいるんです。ずっと天井見てて、話しかけても、反応が薄くて……」
だが、バイタルサインは正常。血圧も脈拍も、むしろ理想的な数値だった。
「落ち着いている」と言えばそれまでだ。けれど、それは異常なほどの落ち着きだった。
ある患者は突然、自分の机の上を何も言わずに片付け始めた。
書類を、定規のように角を揃えて整え、ホコリひとつ残さず拭いた。
誰にも頼まれていない。
まるで、そこに誰かの命令が存在するかのように。
SNSでは奇妙なハッシュタグが流行し始めていた。
#静域化
#祈られた人
#ノイズを消せ
意味不明だったが、画像が添えられていた。
街頭で立ち尽くす人々。目を見開いたまま、手を合わせ、何かに祈っているようなポーズ。
どの写真にも共通して写っているのは――背景のどこかに、かすかに写る幾何学模様。
それを見た高校の写真部員・秋山廉は、直感的にわかった。
「これ……あの日見た網だ」
彼の中に、あのとき頭に響いた声が再び蘇った。
――整えろ。
――沈黙しろ。
――つながれ。
あの日以来、廉のクラスでも少しずつ変な奴が増えていた。無言で教室の机を並べ直す男子。黒板を黙って掃除する女子。しかも誰もそれをおかしいと言わない。
まるで、それが最初から決まっていた役割であるかのように。
そして、ある朝、ホームルームの開始前に、担任がこんなことを言った。
「最近、クラスがとても静かで素晴らしいね。整っている。美しいよ」
その言葉に、クラス全員が一斉に頷いた。
――廉を除いて。
彼は、自分が孤立していく感覚を初めて味わった。
だが、その孤立こそが、正常だったのかもしれない。
翌週、都内の地下鉄の車内で異常が発生した。
乗客50名のうち、37名が一斉に同じ方向を見つめ、全く同じ呼吸を始めたのだ。
防犯カメラには、彼らが同じタイミングで車内広告を指差す映像が残っていた。
その広告には何も写っていなかった。ただの白紙。
分析班がその映像を拡大解析した結果――
白紙の表面に、蜘蛛の網のような陰影が浮かび上がっていた。
第2章 網の神託
第1節 告解者たち
「昨日……また夢を見ました」
その女は、そう言って頭を垂れた。
「夢の中で、私は白い部屋にいました。四角く、何もない部屋。その中央に、一本の糸が垂れていて……私は、それを握っていたんです。ずっと。何時間も。ただ、握っていた。そうしたら、上から声が……」
上――そう口にした瞬間、女の顔が引きつった。
「声は……声じゃないんです。直接、頭の中に響いてくるというか……これでいいんだって、そう言われた気がして」
カウンセラーは一言も発さなかった。ただ、机の上に置いた録音機にメモをつけた。
新宿区在住女性(27)/静域化傾向軽度
認知の言語構造に崩れあり/無意識的な網の信仰表出を確認
このような夢を語る者が急増していた。
特に、新宿、池袋、品川――都市部の交差点に近い住民ほど、それは顕著だった。
そして、彼らに共通しているのは、ある一定の振る舞いを取るようになることだ。
例えば、語尾を濁さない。
例えば、言葉を使わずに目線で意思を伝える。
例えば、部屋の中の角度を常に直角に保とうとする。
まるで、誰かにそうすべきだと教えられたように。
東京都・東中野の雑居ビル地下に、奇妙な集会が開かれていた。
集まったのは十数人。老若男女の区別も、職業もバラバラだ。ただ、共通しているのは――全員が「夢の中で、糸を握った経験がある」という点。
「我々は、選ばれたのかもしれません」
そう語ったのは、元精神科医と名乗る男だった。
「他の人には見えない構造が、我々には見える。だからこそ我々には、役割がある」
机の上には、手製の円形図が広げられていた。中心から放射状に延びる線、その交点には節と呼ばれる印がある。
「これが、都市の網の構造です。我々は節を担う者。祈り、秩序を保ち、乱れを修復する――それが我々の告解です」
その場の誰もが、静かに頷いた。
彼らはもはや、互いに言葉で理解する必要すらなかった。構造の中にいるという確信が、既に彼らを支配していた。
一方、ネットではこの集団を蜘蛛派と揶揄する書き込みも散見された。
「また新興宗教かよ。蜘蛛教ってw」
「新宿で網に感謝してる連中、マジでヤバい」
「蜘蛛の巣信じるとか頭わいてるだろ」
だが、書き込みの主がその後、SNSから忽然と姿を消すケースが続いた。
行方不明ではない。
彼らはアカウントを削除し、連絡先もすべて整理され、職場でも極めて真面目な態度を見せるようになっていた。
変わり果てた彼らに共通していたのは、話さなくなったこと。
そして――よく見ると、右手の小指に糸状のタトゥーが刻まれていること。
告解者たちは、静かに増え続けていた。
都市のあちこちで、無言のまま瞑想のような姿勢をとる人々。
線路の枕木に沿って歩く若者たち。
スピーカーから流れるアナウンスを一言一句正確に復唱する乗客。
彼らの脳内には、共通した感覚があった。
「上から吊られている」
何かに守られている、という安心感。
逆らわなくていい、という安堵。
自分は、正しい構造の中にいる――という信仰。
そう、これはもう信仰だった。
神の代わりに構造を崇める時代が、静かに始まっていた。
第2節 ノイズの排除
最初の消失は、ただの偶然に見えた。
新宿西口で、週末ごとに路上ライブをしていた大学生グループが突然、姿を見せなくなったのだ。
警察の記録にも、事件の形跡はなかった。ただ、彼らが使用していたスピーカーと機材だけが、完璧に整理された状態で歩道脇に置かれていた。
「撤収が綺麗すぎるんだよな……あいつら、そんな几帳面じゃなかった」
友人の証言はそれだけだった。
1週間後、そのうちのひとりが目撃された。
場所は、都内の大型書店。
彼は音楽誌の前で立ち尽くし、表紙を一枚ずつ、整った角度で棚に並べ替えていた。
「声をかけても、無反応だった。まるで……誰かの手足になって動いてるみたいで……」
うるさい人間たちが、次々に姿を消していった。
怒鳴る店主。大声で笑う中学生グループ。夜中にパトカーを呼び出すクレーマー。
誰も、彼らのその後を語らない。
家族も、同僚も、まるで最初から存在しなかったかのように、記憶の中から彼らを滑らせる。
その代わり、都市は静かになっていった。
電車の中では誰もスマホで音を立てない。
コンビニではレジに並ぶ人々が一列に揃い、目を伏せて待っている。
廊下で話す声が消え、教室にはチョークの音だけが響く。
騒音が消えた。
それは、恐ろしいほど快適だった。
ある朝、秋山廉のクラスメイト、谷口がいなくなった。
うるさくて、騒がしくて、悪目立ちするタイプだった。
教師に怒鳴られ、体育の授業では笑い声をまき散らし、給食はいつもこぼす側。
そんな谷口が、突然来なくなった。
誰も心配しなかった。担任も出席簿を開いたまま、ふと迷ったように谷口の欄を指でなぞり、次に進んだ。
それを見ていた廉は、ぞっとした。
「……あれ? 今、谷口って、いたよな……?」
誰も答えなかった。
谷口の机は、朝には元の位置に戻され、ピカピカに磨かれていた。
椅子の裏には、細い白い糸がくるくると巻かれていた。
まるで、後処理されたかのように。
東京都の公安部も、この異変に気づいていた。
彼らは音声データ異常として分析を始めた。都市全体で、声のボリュームが平均6.3デシベル低下していたのだ。
「これは……沈黙の感染だ」
ある分析官がそう呟いた。
だが、その報告書は上層部に届く前にロックされ、データごと封鎖された。
翌日、その分析官は退職届を提出し、千葉県の山奥に引っ越した。
誰も彼を止めなかった。
むしろ、その判断は静かで、美しいとさえ言われた。
夜、廉は夢を見た。
谷口が、糸に吊られて空中でぶら下がっていた。
泣いているようにも、笑っているようにも見えた。
その顔の皮膚には、細かい模様が刻まれていた。
――まるで網のような、幾何学的な祝福。
目を覚ましたとき、廉は涙を流していた。
枕元には、小さな蜘蛛が一匹、じっと彼を見つめていた。
第3節 神託の声
それは音ではなかった。
声でもなかった。
だが、脳が確かにそれを意味として受け取っていた。
ある日を境に、特定の周波数の振動が都市の地下から放たれ始めた。
周波数0.21Hz――人間の耳には聞こえないが、脳幹に直接干渉することが最新の脳波解析で判明する。
その報告書は提出直後に、一括で削除された。
報告した研究員は、翌日から全く発言しなくなった。
誰に呼ばれても、目を合わせても、微笑みを浮かべるだけ。
だが、彼は毎日、研究所のホワイトボードに同じ言葉を書き残すようになった。
「秩序は、完成に向かっています」
秋山廉のスマートフォンにも、その日何かが届いた。
差出人不明の通知。
《「あなたの接続は、完了しました」》
タップしても、アプリは開かない。だが、それ以来、スマホの通知音が変わっていた。
どこかで聞いたことのある、耳鳴りのようなノイズ。
いや、それは――蜘蛛の糸が風に揺れる音だった。
彼はスマホを投げ捨てた。だが、それでも頭の中に何かが響いてくる。
――従え。
――美しさを守れ。
――ノイズを、絶やせ。
思わず耳をふさいだ。
しかしそれでも、言葉にならない意味が頭の奥へと沈んでくる。
あのとき見た網の中心にいたぶら下がった人影。
あれは――送信者だったのかもしれない。
東京都内では、急速に「音のない会話」が広がっていた。
駅員同士が、無言で手のひらを交差させ、目線を合わせるだけで意思疎通している。
学校では、教師が板書だけで授業を進め、生徒たちは誰も質問しない。
オフィスでは、チャットツールに言葉は書かれず、図形だけが飛び交っていた。
□ □ □ □
〇 〇 〇 〇
それはまるで――蜘蛛の巣の節点を模した図形。
人々はもう、言葉を必要としていなかった。
それは煩雑で、乱れていて、ノイズだった。
代わりに導入されたのは、構造的な意思だった。
午後11時、都庁のモニター室。
画面に映る都内の監視カメラ映像を見ていた担当者が、突然立ち上がった。
「……これ、全部……向いてないか?」
画面には、都内の様々な地点――駅、交差点、階段、コンビニの前――に立つ人々が映っていた。
その全員が、画面の中心を見ていた。
だが、彼らは互いに離れている。別々の場所で、別々の生活をしているはずの人々。
それなのに、視線の角度が完全に一致していた。
――中心に、何がある?
監視カメラのレンズは、何も写していない。
だが、その奥に、何かが存在していると、
人々の視線が告げていた。
そしてその夜。
全市民向けに、突如として奇妙なメッセージが配信された。
発信元は不明。行政も通信業者も送っていないと回答した。
しかし、市民のスマホやモニター、公共案内板には、一斉にこの一文が表示された。
「あなたは、構造の一部です。
今から、祈りの準備を始めてください。」
その文字の下には、繊細な模様が描かれていた。
それは、蜘蛛の巣に見えた。
だが、よく見ると――それは、都市の地図だった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
人間の「祈り」と「秩序」、そして「沈黙」に潜む危機。
本章までで都市には網が張られ、人々は自らの意志で構造の一部になろうとしています。
しかし、これはまだ“目に見える部分”にすぎません。
第3章以降では、都市構造そのものが変容し、「祈り」が建築と制度として完成していく様子を描いていきます。
ごく普通の都市、ごく普通の人々が、ごく自然に“祈りの器”となる。
それは、「いつかの未来」ではなく、
今、この瞬間の可能性かもしれません。
次章以降、祈りは静かに都市全体を飲み込んでいきます。