2-6 好きな子しか守ってあげないって、みっともないよね
その翌日。
私の靴箱にはいつものようにゴミが入っていた。
……だが、
「まったく……ちょっと待っててね、朱美さん」
そういうと北斗さんは手袋を着けると、本人が持参したゴミ袋にそのゴミを全て捨てるとともにその一部に何かの薬品を振りかけた。
これは天才の私には分かる。小学生の実験でよく使われる『指紋採取キット』だ。
きっとこれを使って犯人を見つけるつもりなのだろう。……だが、私はそういう『犯人捜し』は好きじゃない。
『犯人を見つけて糾弾すること』は、とても心地いい。
悪い人間を不幸にすることほど、脳が快感を生じさせる行為はないことは、前世でもさんざん思い知っている。
だが心根が優し過ぎる上に慈悲深い私は『加害者の将来』も考えてしまう。
北斗さんの告発によって、将来を閉ざされるようなことがあってほしくない。……だが、これを黙認することで『誤った成功体験』を持ってほしくもない。
「その、北斗さん……」
「大丈夫だよ、朱美さんが嫌がることはやらないから。……君は、これをやった人に望むのは改心であって、報復じゃないんだよね?」
よかった、北斗さんは私の考えていることが分かっているんだ。
……私は優しすぎる性格だ。だから、こんな風に考えるのはおかしいのは自覚している。だが、そんな私の考えを受け入れてくれる人が私以外にもいるのかと思うと、少し嬉しくなった。
「それじゃ、一緒に行こうか」
そして、私は北斗さんと一緒に教室に入る。
「まったく、酷いことするよね……」
そういうと北斗さんは私の机の上に置いてあった花瓶を元の場所に戻し、彼は大声で叫ぶ。
「もう、やめようよ! ……朱美さんをサンドバッグにするのはさ!」
「……は?」
「確かに朱美さんの言い方が気に入らないこともあったと思うよ? ……けど、こういうのかっこ悪いしさ。辞めてほしいんだ」
当然、周りはあっけにとられたような顔をした。
そして『わはははは!』『バカじゃね、北斗!』とあざ笑う声が教室に響いた。
だが、北斗さんは動じずに教壇に立って私の下駄箱に入っていたゴミを見せつける。
「僕はさ。朝朱美さんの下駄箱に入っていたゴミから指紋を採ったんだ。……これを使えば、犯人が誰か分かるんだ」
「……え」
さらに、クラスの女子生徒の一人……そうだ、あの子は確か以前私の陰口を言っていらした子だ……のほうを見ながら尋ねる。
「もし、君たち全員から指紋を採れば犯人が分かるんだ。……そうして犯人を見つけたら、弁護士を通して内容証明郵便を送ることにするよ」
「え、弁護士……?」
「……それでもだめなら、正式な訴訟も考えている。……多分200万円は請求できると思う。当然親は君たちに失望するよね。それでいい?」
「…………」
なるほど、まずは『犯人捜し』をする前段階として、具体的に『どんなやり方で、今のいじめ問題を是正するか』をクラスの全員に伝えるというわけか。
具体的な被害の請求額や『弁護士』という言葉は、聴く者に凄まじいインパクトを与える。
実際クラスの女子生徒の一人が、その発言に顔を真っ青にしていたが、私はあえて見て見ぬふりをしてあげた。
「それと、机の上の落書き……もうこれ落ちないから、隣の教室から貰ってこよう。……ちょっと手伝って?」
そういって彼は隣にいたクラスメイト……確か、田中さんだったか……に声をかけると、彼は北斗さんをバカにするような表情で答える。
「……はあ、つーかお前さ。なんでそんな一生懸命なの? ひょっとして、朱美のこと好きなの?」
出た、必殺技『お前、あいつのこと好きなの?』だ。
なぜか、困っている人を助けようとするとそんなことをいう人間が現れる。
心優しい私は、このようなことをいう方を見るたびに、彼らに憐れみを感じてしまう。
なぜなら、このようなことをいうものは『私は、自分の保身以外には、好みの異性の肉体にしか興味がない、心が貧しい人間です』と言っているのに等しいからだ。
……はっきり言って、優しさは才能だ。
私のように、慈悲深く利他的な考えを持てない人間はいくらでもいる。
彼のように、自らの生存と生殖にしか意識を向けることの出来ない動物的な思考を持つものに対しては、心から同情する。
そんな風に思いながら口を開こうとするが、その前に北斗さんが彼に対して叫ぶ。
「ああ、当たり前だろ! 僕は、朱美さんが大好きだよ!」
……嗚呼、北斗さん! いくら私が美しいからって、そんな風に言ったらどうなるか!
そう思ったが、田中さんは一瞬あっけに採られたかと思うとすぐに嘲るような笑い声を出す。
それは、隣にいた女子生徒……確か、私の陰口を先日言っていた子だったか……も同様だった。彼は北斗さんを好きだったのだろう。
「へえ、まじかよ! こんなブスを好きになるとか、お前変わってるな……」
「だよね~! つーかさ、ひょっとしてブス専なの、北斗君って? 幻滅すんだけど」
そんな風に周囲が囃し立てる。……が、北斗さんは余裕の笑みを浮かべながら、クラスの男子……確か田中さんだったか……に対して尋ねる。
「ねえ、田中君さ。君が好きな子って……確か隣のクラスの吉田さんだよね?」
「え? ……お、お前……ばらすなよ!}
その子は私も知っている。
確か、このクラスではジュニアアイドルをやっている、可愛い子だった。
北斗さんは、図星を突かれてこんわくしたような表情を浮かべる田中さんに対して、少しバカにするような表情を見せる。
「もしも吉田さんがさ。……不細工で気持ち悪いおっさんと体が入れ替わったとしたらさ。それでも好きでいられるの?」
すると、田中さんは気持ち悪そうな表情をして答える。
「はあ? んなわけねえだろ? つーか、女じゃなかったら好きになんねーよ。当たり前だろ?」
なるほど。
『恋愛対象が女体を持つ』ということに対して非常に重きを置くのが、世の男性の本音なのだろうと私は思った。
実際『彼氏が突然呪いで女になった場合』であれば、女性側は恐らく別れを告げないだろう。一方で『彼女が突然呪いで男になった場合』であれば、多くの男性はその日のうちに別れを告げることが想定される。
そして北斗さんは、その田中さんの発言に対してニヤリと笑う。
「僕は、平気なんだ。……朱美さんが、醜い不細工で、頭がはげた中年太りしたおっさんになっても、僕は彼女と一緒に過ごしたいと思う。……大切な友人としてね」
「…………」
私は、それを聞いて少し胸が痛むのを感じた。
「……月潟はさ。なんでそんなに好きなんだよ、こいつのこと」
田中さんがそう尋ねると、北斗さんは少し遠い目をするようにしながら答える。
「……僕はさ、朱美さんと一緒にいると『嫌いだった自分』のことを好きになれるって思ったんだよ」
「自分を?」
「うん。……実際さ。今、こうやって言いたいことを言えてる僕は、僕のことを好きなんだ。……逆に聴くけど、田中君は……今こうやって、僕をからかっている自分のことは好きなの?」
「は?」
「……もし田中君がさ。今の自分を好きなら、続けて構わないけど……」
「……ちっ……」
この一言に、田中さんも思わず押し黙った。
北斗さんは、田中さんに対してまっすぐと見据えながら続ける。
「言いたいことはそれだけ? ……つーかさ、勘違いしてほしくないんだけどさ」
「なんだよ……」
「僕も朱美さんもさ。田中君達のことも好きなんだよ。このクラスの人たちのことだって同じ。……だから、みんなのこと、嫌いになりたくないんだ。……それでも嫌かな?」
嗚呼、北斗さんも私と同じように思ってくださったのね!
そう、思わず私は心の中で彼の発言に拍手をした。
「……ちっ。だせえよ、お前……。まあいいや、机は隣の教室にあるんだよな? ……取ってくる」
そういいながらも田中さんはどこか納得したように席を立った。
そして北斗さんはクラスの人たちに向き直る。
「みんなさ。もし、今の僕のやったことが『キモい』なら、いじめてくれてもいいよ。……朱美さんにしたかったこと、全部僕にして構わない。……僕はやり返したりしない。……だから、もう朱美さんには変なことをしないでくれるかな?」
そういうと、周囲が沈黙する中で席に座った。
だが、その言葉を聞いて私はこう思った。
(嗚呼、なんてこと……! 私はとんでもない失敗をしてしまったわ……!)
北斗さんは、私のことを大好きと言ってくれた。
……そんなことは分かっている。私のような美少女に、あれだけ借りを作ってしまったら、私を愛してしまうに決まっている。
それを公言するのはどうでもいい。
だが、私は『北斗さんが私を愛してくれること』を嬉しく思ってしまったのだ!
……これはダメだ。
私は『美しき殉教者』であり、人生1週目である彼ら弱者には『施す』側であるべきだ。北斗さんのような弱者から、何も与えられてはいけないのに!
私は、彼の言葉を嬉しく思う自分を恥じながら、そう思った。