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攫った姫の様子がおかしい  作者: 妖精のコート
序章『おまけ勇者が姫様を攫いましたぁ!』
1/7

第一話「シンシアのことが好きなので、攫おうかと」

「こんばんは、ラクト。研究は順調ですか?」

「こんばんは、シンシア。……一応、進展はした」


 赤崎楽人がシンシア=シオン=クオーティアを訪ねたとき、彼女は資料を読んでいた。ようやく彼女が楽人の方を向いたのは、進展を告げてからだ。その白い瞳は期待にきらきらと輝いている。


「シーシー、ダコダ、下がってください」

「レイラはお呼びしますか?」

「ん~……呼べませんよね?」

「あぁ」

「だそうです」


 メイド二人が退出すると、シンシアと楽人は二人きりだ。シンシアが窓を閉める。たなびいていた純白のカーテンは身を固めて、とっぷりと部屋を満たす茜色を遮った。代わりにシャンデリアが皓々と輝きだし、仄白い光が部屋を照らす。

 先程まで微笑を湛えていたシンシアの顔は、ふっと表情を気怠げに落とした。おおよそ人に好感を持たせる表情ではないが、それが親しさを表しているようで愛おしく思えるのは、流石大国のプリンセスと言ったところか。

 シンシアは一度伸びをすると、資料を持ったままぽすんとベッドへ倒れ込む。それから隣をぽすぽすと叩いた。

 楽人が示された場所に座ると、シンシアは口を開く。


「それで、今日はどうしました?」

「……禁術関連だ。見せた方が早いから、解いてくれないか?」


 あら、と瞠目。シンシアは意外そうに手を伸ばして、楽人のピアスに触れる。右耳だけに着けられたシンプルな金色のピアスは、ペアなのだろう、シンシアの左耳にも同じものが着けられている。

 シンシアの右眼が、白い光を放った。何かの比喩というわけではなく、彼女の眼球に張り付くように、真っ白な記号群が円形を描いている。

 魔術陣。一対のピアスが、それに呼応するように真っ白に輝く。数秒経てば、シンシアの眼の光も、ピアスの光も収まった。


「……」

「ありがとう……ふぅ」

「……いえ。やっぱり息が詰まりますか、それ」

「まぁ、気分的に」

「ほんっと馬鹿ですよね、貴方。わざわざこんな賤業つかなくても」

「……少しくらいは慎むことを覚えようか」


 今更、とシンシアは鼻で笑う。外面はいいのに、彼女は仲間内でいると奔放だ。


「それで、進展というのは? こっちは永らく行き詰まってますよ」

「ああ」


 相槌を打つと、楽人は左目に魔術陣を作る。

じわじわと構成している陣は、隙間は少しばかりあるが、ほぼほぼ真っ黒で複雑怪奇な紋様が、嫌というほどに詰まっている。


「――――は?」


 シンシアは唖然と顔を顰め、長く、長く息を吐く。その息は噛み潰した苦虫が混ざっているかのように重く、彼女の心情を如実に表していた。


「見て分かったと思うが……奴隷紋の核から、別の魔術を構成できた」

「……核を間違えていたわけではなく?」

「あぁ、恐らく」


 ――――魔術。それは理外の理に従う道具だ。

 人々は魔力と呼ばれるエネルギーを動かし、数多の超常現象を作り出す。例えば、暗い夜に消えない灯を掲げたり、乾いた大地に水を捧げたり、傷や病を癒やしたり、或いは生命を潰したり。

 シンシアの予想を肯定しつつ、楽人は鞄から資料を取り出す。受け取ったシンシアは起き上がって、ページを捲った。


「睡眠の術式だ」

「……良かったですね。下級しかないので、危険魔術ですらないですよ」

「なんだ、これ下級だったのか」

「貴方の目は節穴ですか?」

「俺の台詞だが?」


 魔術は魔術核と呼ばれる魔力の塊に、術式と呼ばれる様々な要素を纏わせ陣を形成することで行使できる。

 シンシアに渡した資料には、現存する同じ効果の術式が記されていた。対象に眠気を感じさせる魔術であり、大して危険な魔術ではない。

 だが、楽人が構成しているものは違った。別に効果が違うわけではない。しかし、術式の等級が問題だった。

 魔術核は魔力が揺らいでしまうことを防ぐためのものだ。魔力の形によって発現する現象を、魔力を押しとどめることによって選び、組み合わせることが魔術。どれだけ安定した魔術核を作れるかは、限界はあれど魔術師の腕に依るが、術式はそうでない。

 魔力がその形で安定していると、魔術核の負担は少なくなる。より多くの術式を込めることができる。

 術式の等級は重要だ。対処も容易い眠気を植え付けるだけの魔術も術式を多く組み合わせば、効果を強めて永眠させたり、変質させて茨姫を生み出したり、その上、暗号化により解除等の対処が難しくなったりする。

 睡眠障害持ちの味方も、そうなればただの危険物だ。“メティ同盟危険魔術及び禁魔術取扱法”では、そういった対処の難しい魔術や非人道的な魔術を取り締まっている。


「というかそれ、早く消した方が楽ですよ」

「いや……最後まで作らないと気が済まない」

「はぁ、そうですか。絶対面倒くさいでしょうに」


 楽人の左眼には、野呂間だが着々と陣が作られていた。

 その陣は眼を覆うのではなく、ゆっくりと蕾のように立体を形作っている。半ばで閉じ始めたところを見れば、完成形は恐らく卵の形だろう。

 抱卵魔術陣。発明した偉人の二つ名から名付けられたその魔術陣は、メジャーな平面魔術陣とは難易度も術式許容量も跳ね上がる、上位の魔術形式だ。


「じゃあ、魔術を消すまで愚痴でも聞きましょうか」


 肌寒いのか、シンシアは靴を脱ぎ、掛け布団の内に潜り込む。


「……今日は、これが用なんだが」

「はっ、そんな顔しておいてよく言えますね」

「……どんな顔だ?」

「硬いです。いつもよりはましですけどね」


 何となく顔を触る。それから溜め息を吐いて、吐露する心を探した。

 シンシアに愚痴を聞いてもらうのはいつしか、習慣になっていた。苦しいときはすぐにシンシアに頼ってしまう。

 面倒くさいといった表情で悪態をつきながら、シンシアは優しくそれを受け入れてくれる。返ってくるのは無感動の肯定ではなく、軽い嘲りとか共感とかそういう、思ったままのことだ。それが楽人には酷く心地よい。

 果たして、どう切り出すべきか。悩んで、口を衝いたのは違う言葉だった。


「京華との馴れ初めは話したっけ」

「いえ、まだです。教えてください」

「本当、好きだよな」

「そりゃ、そうですよ。私には望めないことですし」

「まだ分からないだろ」


 立場的に仕方ないとシンシアは言うが、彼女の美貌と性格に惹かれ、身分違いであろうと恋い焦がれる者は掃いて捨てるほどいる。立場というより、彼女の責任感の強さのせいだろう。


「まだ……五才にも満たない頃にさ、家族でお花見に行ったんだ。いつの間にか京華が隣に居て。結婚して、って急に言われた」

「第一声がそれですか」

「ああ。こんなに美しい人がいるんだって見惚れて。それから、家が近かったから、家族ぐるみで仲良くなって、傍に居るのが普通になってた」

「なんか良いですね、そういうの。私はずっと一人でしたよ」

「今は俺達がいるだろ」

「恋愛感情はないでしょうに」

「……俺は、さ。京華に恋愛感情を持っていない」

「……はぁ?」


 怪訝な声だ。その眼には呆れが一瞬映り、それから不審に染まる。これから告げる想いにか、これからの行為にか、或いは幼馴染へのものか。罪悪感が楽人の頭にあって、ふっとシンシアから目を逸らしてしまう。


「姉、みたいな。……幼少期からずっといると恋愛感情を覚えない、なんて心理効果があって。それだと思ってる」

「……確かに貴方達、恋人と言われたら否定してましたね。ただ恥ずかしがっているだけだと思ってましたけど」

「ああ。京華も分かってるからな。愛してはいるが……うん、恋愛的な意味ではないんだ」

「あの美貌で欲情しないんですか? 胸もおっきいですし」

「……いや、まぁ……ああ」


 取り繕わないシンシアは何というか、本当に明け透けで言葉に詰まる。


「はー、もったいないですね。キョウカの片想いですか」

「……ああ。でも、なんか恋人同士だと思われるんだよな。ほら、シンシアでも最初、ただの惚気と思っただろ?」

「……それは、ごめんなさい。でも、信じてますよ」

「ああ、分かってる。……ありがとう」


『――――信じてあげますよ。貴方が、酷い人だって』


 思い出すのはそんな、寄り添う手付きと声音。いつかシンシアは、泣きじゃくる楽人の頭を撫でた。撫でて、そう言った。どんな顔をしているんだろうと気になって、楽人はこの世界でようやく上を向けた。

 あの時のシンシアは仕方ないといった表情で、とても、とても美しい笑みを浮かべていた。星々よりももっと近く、柔和に溶ける優しい笑み。楽人の進む道を示すわけではない。けれども一緒に歩んでくれる、傍に居てくれる笑み。

 一年前。この世界に連れ去られてから、底冷えするような血液ばかりを巡らせてきた心臓が、ようやく微睡むように包む赤いものを巡らせた。ずっと身体を恐怖に震えさせていた寒さが、ようやく心を幸せに震えさせる温かさに変わった。


『だから、貴方も私のことを信じてください。私は貴方のこと、嫌いじゃないですよ』


 どくんと、焦りとは違った、心地の良い鼓動がはねた。

 たとえその言葉がただの慰めでも、それだけで楽人は充分に救われた。それなのにシンシアは言葉の通り、楽人の吐露した全てを信じてくれている。

 未だ慣れない愛おしい鼓動が、苦しい鼓動を少しだけ、追いやった。


「でも、ラクトも悪いですよ。ただの幼馴染みにしては距離が近過ぎます」

「幼馴染みだからなぁ……」


 そんなに近いだろうか。正直、分からない。昔から楽人と京華はあの距離感だったし、二人ともそれが普通だと思っている。

 恋人ならもっと、抱きしめ合ったり、唇にキスをしたりするだろう。


「抱き付いたり、手を繋いだり、頬にキスしたりはもう恋人の距離感なんですよ?」

「幼馴染みの距離感だけどなぁ……」

「あぁ、もういいです。それで?」


 京華との馴れ初めや、彼女に恋愛感情がないという話をしたが、そもそもは愚痴を聞いてもらうために話し始めた。シンシアは面倒になったのだろう、その愚痴を急かす。

 少し、躊躇う。やはりどう伝えるべきか、分からない。ふっと出てきた言葉は、楽人自身性急だと感じた。


「……要は、俺が好きなのは,京華じゃないんだ」


 そうだ。最初に、それをはっきりと伝えておきたかった。シンシアだって、楽人が京華を好きだと思っていたから。


「成る程。それなのにキョウカと恋仲として見られるのが嫌、と?」

「まぁ、あぁ、そうだな」

「どうしようもなくないですかそれ。貴方達正直お似合いですし。いやそれが嫌なんでしょうけど」

「……その」


 声が震える。抑えきれない。

 魔術が、ついに完成した。真っ黒な卵。小さく無数に空いた隙間が、奇妙に思わせる。

 シンシアが怪訝な眼で楽人を見上げる。あのときとは逆だ。今シンシアが見ている表情は、どんなものなのだろう。


「好きな人がいる」

「……………………へぇ。私の知っている人、ですか?」

「……あぁ」

「誰?」


 どうしてか、誰何するシンシアの声は裏返りそうになっていた。


「幼馴染みがあれだ。好きになるような女性、限られてるだろ」

「……そんな人、私は知りません」

「俺は知ってる」


 痛い。静寂が鼓膜を苛む。視界が暗く重なる。何より、心臓が血液を締め付ける。

 喉を、震わす。


「好きだ、シンシア」


 シンシアは、じっと楽人の眼を見詰めていたが、その言葉を聞いて数秒後。躊躇うように身体を背けた。それが示すのは拒絶だろうか。


「……私、そんなに素敵ですか?」

「誰よりも」

「……嬉しい。好意を寄せられるのって、こんな感じなんですね」


 冷たい声だ。大凡、嬉しいとは思っていない声。

 楽人は、それでも言葉を続ける。


「……前に、約束をしてくれただろ」

「……えぇ」

「俺は、それで救われたんだ。ずっと色んなものが怖くて、分からなくて」

「……貴方、抱え込みますからね」

「シンシアが居てくれなかったら、俺は今頃、自殺でもしていただろうな」

「あぁ、容易に想像がつきます」


 自分で言っておいてなんだが、肯定されると変な気分だ。楽人はシンシアと約束をした時を思い出す。

 きっとシンシアに恋をしたのは、あの時だった。


「……あの時、シンシアの顔を見たとき、本当に、可愛いと思ったんだ」

「……」

「容姿だけでも可憐な人で、けどそう思ったのは、きっと心根がそれよりもずっと、綺麗だったからだと思う」

「…………そう、でしょうか」


 あぁ、と。楽人は即答した。

 だって。


「俺の幼馴染みは京華だぞ?」

「…………ああ」


 楽人の幼馴染みは、誰もが眼を奪われる程美しい人だ。シンシアさえも彼女のことは掛け値なしに美しいと評価している。

 そんな幼馴染みが傍にいるのに、シンシアを誰よりも可愛いと思ったのは――救われたでも、優しいでもなく、可愛いと思ったのは。きっとそういうことだろう。


「俺は、きっと――――」

「でも私はッ…………貴方に、恋愛感情なんて抱いていません」

「――――そうか」


 シンシアは言葉を切るように、答えた。楽人の想いに応えることはないと、そう告げた。


「……貴方のこと、嫌いではないので。そこは勘違いしないでくださいね」

「あぁ」

「これからも。良い友達でいましょう」


『嘘は吐かないことにしませんか。私も、貴方も』

『……何故?』

『だってそうじゃないと、信じられないでしょう?』


 シンシアは、重たく息を吐いた。

 楽人とシンシアは、互いにだけは嘘を吐かないと約束していた。だからそれが嘘ではないのだと、楽人には分かっている。たとえどれだけ声が冷たくとも、彼女は楽人からの好意を嬉しいと思ってくれているのだろう。

 だから楽人は振られたが、シンシアと関係が崩れないことは疑いようがない。


「……何故、泣きそうになっているんだ?」

「……うるさい」


 しかし、彼女の声が震えている理由は分からなかった。

 違和感。何か、違う。

 楽人はじっとシンシアを見る。背姿でさえ彼女はどこか苦しげに思える。

 好意を嫌悪しているわけでないのは、彼女が先程言ったことだ。それは疑いようがないが、それ以外の何かが、シンシアにはきっとあった。


「……はぁ。女性が泣いているときは、そっとしておくのが良い男性ですよ?」

「俺が良い男性だと?」

「……違ったようですね」


 楽人はできあがった魔術卵を切り離し、左手に抱えてぼぅっと眺める。

 暗号化を天辺まで詰め込んだ、解除なんて楽人でもなければできそうにない睡魔。

 そんな劇物を楽人は抱えているのに、シンシアは無防備にも背を向けている。油断などではないだろう。シンシアは闇魔術の凶悪さをよく理解している。彼女自身も禁魔術に触れる身だ。

 だから、背を向けさせているのは信頼だ。楽人はただただ作りたかっただけで、すぐにその魔術を解く、なんて妄想。


「――――ごめんな」


 ふっと音もなく、卵が割れる。生まれたのは黒い靄だ。靄は震えていたシンシアに入り込み、その震えを掻き消した。楽人の身勝手な謝罪も、シンシアは幸せな夢で耳を塞いで聞いていない。

 楽人は指輪を取り出すとそれに魔力を込め、話しかける。


〈遅ぇよ〉

「終わった」

〈じゃ、俺等は宝卵狙うから。ネスィア送るわ〉

「了解」


 通話を切り、指輪を隠す。

 迎えが来るまでは少し時間がかかる。普段ならそう長くはない時間だが、誘拐なんてことをしでかしている今は、秒針の歩も重たい。

 手持無沙汰に、シンシアの髪を持ち上げた。黄金をそのままに延ばしたような滑らかな髪はさらさらと、艶やかに手の平を撫でる。本当に美しい人だ。これが自分の物になると考えると、恐怖や歓喜の混ざった感情が湧き上がる。


『誰も、私のことを愛してくれないんです』


 ふっと思い出したのは、そんな言葉。心根さえも美しい彼女が、何故誰にも愛されないのだろう。薄ぼんやりと、そんな疑問が首をもたげた。

ノックの音が聞こえ、扉が開く。


「姫様、アカサキ様……どうしたんですか?」

「……反逆だったり?」


 緊急事態故に遠慮無く入室してきたのは、二人の老いた、しかし活力を感じさせるメイドだ。シンシアの作る結界が綻びた部屋の中で彼女等が見たのは、急に熟睡している主人と、その隣に座っている闇魔術師。

 一見謀反でしかないその光景を見ながらも、二人は何故だか眉を顰めるばかり。一応は警戒の籠もった眼で問いかけられたので、楽人はぬけぬけと言葉を返す。


「上級の睡眠魔術を見付けたので報告したところ、自分でどれだけ安眠にできるか試せと」

「だよなぁ」

「……ちょっとそれは私も試したいですね」

「しますか?」

「仕事中ですので」

「後で頼むわ」


 簡単に信じた。すごい。

 

「……というか、アカサキ様? 何淑女の髪を触っているのですか?」

「はっは。お堅ぇこと言うなよダコダ。いーじゃん、どうせ姫だし」

「えぇ姫なんですけど。シーシーもアカサキ様も分かってます? お姫様ですよ?」


 ダコダというメイドは楽人を咎め、もう一人のシーシーはへらへらと笑う。

 そんな二人の様子を見ながら、楽人は撫でていた髪を手放し、ふっと立ち上がる。そろそろだろう。

 眼を光らせ、黒い靄を作りだす。

 

「――は?」


 信じがたいものを見たのだろう、眼を見開いたメイド二人に黒い靄が入り込んだ。

 その二人がぱたりと倒れると同時、轟音が響く。シンシアが眠ったとはいえ、高い防音性を保つ部屋をも揺らす程の大きさだ。きっとトリーが来ているのだろう。

 楽人はメイドを抱えてベッドへと運ぶ。寝かせ終えると端に腰掛けて、くぁと欠伸を一つ溢す。懐から手紙を一通取り出すと、シーシーの顔の上に置いた。


「姫様ッ……って、ラクト。なんでみんな寝てるの?」


 少しすると、赤毛のメイドが息を切らして飛び込んできた。彼女はベッドで眠る三人を見て、先程のメイドと同じように訝しげな眼をしている。彼女の胸元には青色のネックスが揺れていた。


「……レイラ、どうしてここに?」

「避難だよ、避難。ここが一番安全でしょ? あとユウキ達が呼んでた」


 成る程、このメイド――レイラ・フェルムはこの場所が一番安全だと思っているらしい。

 平素であれば案外的を射ているが、少なくとも今は息を落ち着かせるような場所ではない。


「……新しい睡眠魔術を見付けたと報告したら、自分らで試せと」

「……ダコダさんまで?」

「ああ」

「嘘でしょ。……えーっと、裏切ってたり?」

「ああ」


 流石に駄目だった。

 レイラは楽人が裏切りを肯定した後も、慌てる素振りはなかった。うぇえーっと声を出して顔を顰めたが、それだけ。随分と落ち着いている。

 楽人は悠々と睡眠魔術を作りながら、そういえばレイラは豪胆な女性だったなと、改めて思う。この状況で自分にできることはないと、はっきり分かっているのだろう。


「なんで?」

「実は俺、シンシアのことが好きで。攫ってしまおうかと」

「おっも。流石にきついわー」


 レイラはそんなふうに言いながら、楽人の隣に座る。大きなベッドとはいえ、三人が寝転ぶのは手前側。そこに座るとなると窮屈そうだ。


「まぁ、ぶっちゃけ裏切るのも分かるけどね。あいつらほんっっとにうざいし。何がおまけ勇者じゃボケ。お前等の方が断然役に立ってないでしょうが!」

「それに関してはどうでもいいな。……ああ、だが、自由に研究ができるようになるのも理由の一つか」

「あー、成る程」


 楽人の持つのは闇の属性。人の精神を支配し、人格を壊すことだって容易だ。魔族や魔物のように、肉体が魔力を含まない人間は、魔術防壁がなければ抵抗する術がない。その人間だけを狙ったような性質や非人道的な内容から――何より邪神と同じ属性であることから、闇の魔術は忌避されている。

 その上、異世界から勇者が召喚された理由は邪神討伐であり、楽人だけがそれに役に立たない。他の四人は優秀であることも相まって、楽人はおまけ勇者と呼ばれて蔑まれていた。

 まぁ、楽人としてはそれはどうでもいいのだが、魔術の研究が邪魔されることに関しては面倒臭い

 レイラは楽人が侮られることを不快に思っていた。今もそうなのだろう、思い出しては嫌そうな顔をしている。

 それから彼女は、推し量るように楽人の眼を見た。妙に澄んだ、緋色の美しい瞳だ。その中には楽人の眼と、そこで形成されている魔術陣が映っている。


「……姫様を攫う理由も、詳しく教えてくんない?」

「好きだから以外にないが」

「嘘じゃない?」

「あぁ」

「じゃあよしっ」


 レイラはからりと笑って、ベッドの奥の方へと向かい、寝転ぶ。

 魔術陣ができあがったことを悟ったのだろう。魔術陣の黒色が示すのは闇の属性。それを見ているのに、レイラは何の躊躇いもなく受け入れようとしている。特に彼女にとっては、トラウマを掠めるものの筈だ。シンシアのように裏切りに気付いていないわけでもないのに、どうしてだろうか。


「……怖くないのか?」

「怖くないよ」


 思わず尋ねると、レイラは軽く言葉を吐いた。思ってもいないことだからではなく、迷いや不審などの引き留めるものがないためのような、そんな軽さ。


「眠らせるだけでしょ?」

「……シンシアが悲しむからな」

「えー? ラクトと私が親友だからじゃなくて?」

「それもあるが」

「ほらー!」


 レイラは楽しそうに笑った。眼を閉じて、ぽつりと呟く。


「おやすみ。姫様をよろしくね」

「あぁ、おやすみ。良い夢を」


 そう言って、楽人はレイラを眠らせる。穏やかな寝顔だ。

 ふぅと息を吐くと、開かれたままだった扉をノックする音が聞こえた。そちらを見遣ると、金の髪をウルフカットにした女性が、じっと楽人を見ている。


「こんばんは、ネスィアさん」

「こんばんは。貴方って、そんな顔もするんですね? 意外」

「どんな顔ですか?」

「優しい顔」


 ネスィアは部屋へと入り、楽人の目の前で立ち止まった。腰から提げていた真っ白な杖を手にして、空中に魔術陣を書き始める。彼女の背丈よりも大きな円だ。


「その……レイラさん? と仲が良いんですね」

「えぇ。こちらの世界に来てからずっと一緒でしたから」


 彼女は沈黙が苦手なのだろう、書き始めてから数秒ほどで楽人に話しかける。

 楽人は異世界の人間だった。日本という平和な島国で過ごしていた最中、勇者と共にこの世界に召喚された。

 勇者を召喚したのはクオーティア王国の王族であり、必然周囲は貴族ばかり。楽人達が一般庶民で礼儀作法に疎いことは許されても、砕けた態度で接されることは少なかった。

 レイラはそんな中でも気軽に接してくれた一人だ。城を抜け出して街を案内してくれたり、他のメイドや執事に悪戯を仕掛けたり。

 兵士としての役目を忘れて笑えたのは、彼女の存在が大きい。


「……意外です」

「何がですか?」

「貴方が、そうやって人のことを……大切に思っているの」

「そうですか?」


 ネスィアはそういうが、楽人は首を傾げた。大切に思う人はすぐに思い浮かぶ。さして意外ではないと思うが。


「えーっと……基本、人に対して冷たいじゃないですか、貴方。他人とかどうでも良いのかと」

「俺は誰にでも優しい聖人君子だと思いますが」

「はっきり言いますね、貴方は拉致監禁するような屑です。他人を慮る気持ちなんてないと思ってました」


 共犯者に指摘されてしまった。

 そうこうしているうちに、魔術陣が完成したようだ。白い光が部屋の中を満たし、空間に穴が開く。向こう側には大粒の雨がしたり落ちる消炭色の荒野と、そこに佇む城が見えている。


「ありがとうございます、ネスィアさん」

「……むぅ、ちょっとずれた」

「この距離を繋げられる時点ですごいですよ」

「まぁそうなんですけど……魔王に比べると下手なんですよねー。屈辱」


 シンシアを抱き上げて、荒野へと足を向ける。そう言えば、お姫様抱っこだなと、くだらないことを考えた。

 空間の隔たりを渡ると、途端にむわりと暑苦しい空気に包まれる。ぼたりと雨粒に降られる。

 魔術陣を形成する。闇を具現化する魔術を使い、楽人とネスィアを覆う傘を作ろうとしたが、できたものはすぐにぐにゃりと崩れて、辺りへ飲まれていった。


「……ネスィアさん、傘を持っていたりしませんか?」

「持ってないです」

「……」


 帰ったらトリルビィにでも着替えを頼もうかと、そんなことを考えながら歩き出す。流石に楽人自身が着替えさせるのは気が引けた。

 通ってきた穴は、すぐにゆわりと歪んで消える。






 同時刻、レイラが眼を覚ました。ふぁと欠伸をして、辺りを見回す。

 それから彼女は急いでいるふうを装う為に走りだし、ある部屋に飛び込む。そこには一人の老婆がいて、モノクル越しの青い瞳でレイラを見た。息を切らして入ってきたメイドに何かを感じ取ったのだろう、その目は剣呑だ。


「……レイラ?」


レイラは息を整え、叫ぶ。


「――――おまけ勇者が姫様を攫いましたぁ!」

おまけ勇者という設定はタイトルがマジで思いつかなかった頃の名残です。もう出てきません。

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