簪
役所の回廊を、役所の兵士が一人付きそうかたちで、一人の女とその使用人の男が足速に歩いていた。
兵士が治安警察部の扉を開くと、一人の女はまっすぐにシバの元に向かった。
「シバ様!!」
女は顔を紅潮させていた。
「ユノ。どうした」
机で昼食をとっていたシバが思わず立ち上がった。
「これを見てください」
ユノはすかさずシバに二つ折りになった一枚の紙を渡した。
シバはすぐその紙を開いて見た。
「今日、地方から街に来る商人たちの連名が綴られています。その商隊に加わる者たちの名も」
ユノがシバに言う。
シバが紙に書かれた名を追って行くと、途中で見覚えのある名が書かれてあった。
シバは驚いて視線を紙からユノに移した。
「ええ。『隻腕のハクタカ』。商隊に加わる用心棒の通り名です。これはきっと」
「間違いねえ。ハクタカだな」
シバに、明るい顔がみてとれた。
「さっき南に拠点を置く商人から聞きましたわ。最近名が知られてきた通り名らしいの。今日、街に来るって。その商隊はもうすでに到着したと聞いたので、家の使用人たちに今、街を調べさせています。ハグム様にもすぐにお知らせしないと、と思って」
ユノも顔を綻ばせて早口でシバに言う。
「こうしちゃいられねえな。ユノ、街の方の捜索を引き続き頼む。ハグムには俺から言って、俺たちもすぐ街へ向かう」
「ええ、もちろん」
シバとユノは互いに見遣った。
「熱いねえ」
「よっ!お二人さん、結婚式はいつですかぁ?」
「こっちは待ちくたびれちまいますよぅ」
ひゅう、と周りから口笛が鳴った。
治安警察部の男たちがにやにやと笑いながら、見つめ合う二人を野次った。
ユノは顔を赤くしてさっと顔を伏せたが、悪い気は全くしなかった。
「……おまえら、俺が帰ったら覚えとけよ」
シバは凄みを効かせた顔を向けたが、部下たちはそれを気にもとめず、にやにやとシバを眺めていた。
シバはいたたまれなくなり、ユノの背中を押してさっさと治安警察部の扉を閉めて、出ていった。
扉の向こうからは、まだ部下たちの賑やかな声が聞こえていた。
ヤンはサイナムと共に王宮のハグムの自室にいた。
ダグダカ門にシモン兵士団を在留させてきた旅の報告を、ハグムに伝えていた。
『と、まあこんな感じだな』
ヤンは一通り報告を終えると、旅の疲れが一気に出たのか気だるそうに客用の椅子に腰掛けた。
サイナムも同様に客用の机の前に、ヤンの隣の椅子に腰掛けた。
『ありがとうございました。今日はゆっくり休んでください。お二人の部屋は既に用意してありますので』
ハグムは自室の机の上の書類を片付けながら、報告を受けた。
コンコン、と部屋の扉を叩く音がしたのでハグムが扉を開けると、女官が冷たい茶を持ってきたところであった。
ハグムがヤンたちにと、事前に女官に頼んであったものであった。
「ありがとう」
ハグムはそう言うと、女官から盆に載った茶の入った二つの茶碗を受け取った。
ハグムは冷たい茶をヤンの前の机の上に差し出した。
『ああ、助かる。暑いよなあ、この国は』
ヤンがハグムに礼を言い、襟をパタパタと前後させていると、
『あ』
と急にその動きを止めた。
『どうかされましたか、殿下』
ハグムはサイナムにも茶を差し出そうと盆から茶碗を机の上に置くところであった。
サイナムがヤンに向き直ると、ヤンが懐からそれを取り出した。
『これ、あいつに返すの忘れてた』
ヤンがそれを手に持った瞬間。
ゴトン、という音が鳴った。
ヤンとサイナムが同時にその音の方を見やると、机の上に茶碗を落としたハグムが直立不動でそれを凝視している。
『ヤン殿。それを、見せていただいてもよろしいですか』
『?ああ、別にいいけど』
ハグムは手を震わせながら、ヤンからそれを受け取った。
ハグムはそれを食い入るように見ながら、ヤンに向き直って早口で言った。
『ヤン殿下。これをいつ、どこで』
『……どこって……』
口を震わせながら聞いてくるハグムを見て、しばらく黙ったヤンは意地悪くにやりと笑った。
『ああ、そうだ。俺の代わりに返しといてくれ。これの持ち主は、さっき、あんたの家に行くって言ってたぜ?早く行かねえと、もういなくなってるかもなぁ?』
『!!』
ハグムは盆を乱暴に机の上に置くと、自室の扉を開け放ち、飛び出していった。
あっという間の出来事だった。
『あははははは!見たか?サイナム。あいつもあんなに慌てる顔、するんだなあ』
ヤンは腹を抱えて笑った。
『どうするよ、これ』
ヤンは目の前の、溢れた茶でびしょ濡れになった机を指差しながら、肩を震わせている。
『殿下。いいのですか?ハクタカはハグム殿に会わないようにするためにこの時間帯に家に行ったのでしょう?』
サイナムは笑いの止まないヤンを制するように言った。
『いいんだよ、俺を振った罰だ。ああ、清々した』
笑い涙を浮かべながら、ヤンは天井を見上げた。
(もしかするとあの紅い簪は……)
そう思ったヤンは、それ以上考えるのを、やめた。
ヤンはさっきの目の前の男のあの顔を見れて、十分満足だった。
ちょうどその時、大男が部屋にやってきた。
「あれ、ハグムの野郎いねえじゃねえか」
ヤンはその男に見覚えがあった。
「おお、シバ将軍じゃねえか」
ヤンが椅子に座りながら、手を挙げた。
「お?あんたはシモン国皇子の……たしか」
「ヤンだよ。名前くらい覚えとけよ」
ヤンは片膝を上げて手で抱えて笑って言った。
「すまん。ところでハグムは知らねえか?急ぎなんだ」
シバは焦りながらヤンに問うた。
「あいつならたった今出ていったぜ」
「げ。困ったな。ハクタカがもうすぐ見つかりそうだってのに」
シバはぼそりと言った。
ヤンはその言葉を聞き逃さなかった。
シバに問う。
「なあ、今ハクタカって言ったか?」
「……?ああ、そう言ったが」
シバは怪訝そうにヤンを見る。
「詳しく話を聞かせろよ」
にやりと笑ったヤンに、シバは顔をしかめた。
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