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隻腕のハクタカ  作者: チョヴィスキー
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軍鼓鳴る

夜明けの青に映える白い光がアシア平原を照らしていった。

平原に生える雑草は青々と光を吸い込んでいる。

顔にまとわりつくような湿気をたっぷり吸った甘ったるい空気と、平原特有の青臭い匂いが満ちていた。

ハグムは左から刺すような強い光を感じ、左手で手を翳し、日を遮った。

前には仲間の兵たちが整然と並び沈黙を保っている。

ヨナ国の国旗が、ゆるい風で旗めいていた。

ハグムは右手の山に点のように見える騎兵たちを見やった。


(シバ……行くぞ)


ハグムは強くそう念じた。

目を細め、その時を待っていた。




シバの目には強い緊張の色が浮かんでいた。

山の斜面下にはひしめくように長槍を構えた兵が、その前方に隙間なく並べられた盾に守られながら待機している。

その後方には点が集まり黒い塊のようになった兵の大軍が控えている。

シバは胸に迫り上がってくるものを押し殺していた。

視線を平原の方に向けた。

野営地にほど近い、まばらに見える点のうちのどれかは、あいつだろう。

自分を友、と呼んでくれた親友は、少ない兵でここまで自分達を導いてくれた。


(おまえは、いつも迷いがないよな)


大戦を前に、あの日を、シバは思い出していた。




**

戦場はエナン兵による残党狩りが始まっていた。

シバの初陣だった。

逃げ惑う兵たちが目の前から後ろに駆けていくのを呆然と見ながら、シバは倒れている兵を肩に担いだ。


(ちくしょう)


シバは歩兵として幾人かのエナン兵と剣を交えていたが、前から聞こえてきたのは軍を率いていた将軍と軍師の死の知らせだった。

自分が何も前進しないでいるうちに、いつの間にか軍が負けてしまったことに、シバは心底虚無感を感じていた。

軍が解散するようなことがあれば、右翼にいる軍と合流しろと上から指示は出ていた。

しかし、右翼にいた兵たちもこちらに流れて退却している。

退却!退却!と騒ぎ立て、右翼にいるはずのヨナ軍の騎馬隊がこちらに向かってきていた。

狭い路に騎馬が津波のように押し寄せ、何頭かの馬は躓き、騎馬兵が落馬したのだった。

大丈夫か、と兵に声をかけるとしっかり意識があったので、シバは傍ですでに立ち上がっていた馬の上に、担いでいた兵をのせ、馬の臀部を叩き、走らせたのを見送った。

シバは走り去る騎馬を注意深く避けながら、道の脇から脇へ移動し、顔をしかめた。

一頭の馬は自力で立ってその場でいなないていたが、後ろに倒れる兵は頭部の打ちどころが悪かったのか、絶命していた。


(くそ)


シバは暴れる馬の手綱をひき、落ち着かせた。

ひとり馬上にまたがり、兵たちが退却していく方向に手綱を操作したところだった。


「待ってくれ!」


後ろから声がした。

騎馬に踏みつけられないよう、道の脇をこちら側に必死に駆けてくる一人の少年がいた。


「北のリサナ村に行くんだろ?乗せていってくれ。お願いだ」


リサナ村は右翼の軍兵の一時退却の地であった。

少年は汗だくになりながら、馬上のシバを見上げていた。

脇腹を抱え、腕には新しい擦過傷があった。


(こいつはたしか…伝令役についていたガキだな。そばに伝令役がいないってことは…落馬してそのままこっちに逃げてきたか)


シバはにっ、と笑って、少年に叫んだ。


「乗れ!」


シバは少年に手を翳し、前に乗せた。

村に向かいながら、シバは幾度も少年に呼びかけたが、少年はただまっすぐ前を睨み付けるだけで口を一切開くことはなかった。

前屈みになりながら、少年の顔を横目で見たシバはその目が普通の少年のものではないことに気づいた。


(憎んでる目だ。何かを…、いや。何もかもを)




リサナ村に着く頃には日が暮れていた。

ヨナ軍の百五十人の兵士たち、そして南の方でエナン兵に村を襲われ逃げてきた村人たちは、もとの村人が北に逃げてすっかりいなくなっている農村に野宿をしていた。

男たちは村の中央部に集まり輪となって、今後の行先について話し合っていた。


「右翼の半分はこっちに流れた、どうする。敵もそこまで来ている」


「中央の軍に合流しよう」


「ここは沼地が多い。特に東はな。騎馬を残すためにもそのまま東に行くより北に迂回してから南下した方がいいだろう」


「そうだな、それがいい」


「夜明け前に出発しよう」


男たちは次々にその意見に賛同していった。

それらの声が落ち着こうとしていたその時、地面に座っている男たちの合間をぬって、一人の少年が現れた。

輪の中で男たちの話を俯いて無言で聞いていたシバも、ふと顔をあげた。

馬に乗せた、あの少年だった。


「中央軍は左翼に軍を割いている。俺たちの後を追ってきたエナン兵に後方をつかれては、中央軍の障害になりかねない」


声変わりもしていない幼い声が、男たちの声を止めた。


「なんだ、おまえは」


「子供は黙ってろ」


男たちが次々に少年に野次を飛ばした。


すると、男たちの中で、小柄で眉の整った壮年の一人の男が少年に声をかけた。

将軍の指揮下にいた騎馬兵のひとりであった。


「君は伝令役の子だな。君の意見を聞こう」


手のひらを少年に向け、男は続けて話すよう少年に促した。

その男は兵の中でも将軍の信頼も厚かった男で、男の言葉に周りの男たちの少年への野次は自然と止まった。

少年は黙ってうなずき、語ったものは、中央軍と合流するのではなく、エナン側の左翼に位置する軍勢を、この残ったヨナの右翼の兵だけで倒す、その方法であった。


「囮だと!?」


「そんな死にに行くようなまね、誰が行くって言うんだ」


少年が語り尽くすと、男たちにどよめきが走った。

少年が語ったのは、囮の兵たちを前に据え、敵が沼地を避け囮の兵たちを囲ったところで残りの兵と騎馬で突破する、というものだった。

囮は敵の引きつけ役で、この作戦では、十中八九、敵に殺される運命にあった。


「じゃあ、あんたたちはこのまま中央軍に背後からエナン兵を送りつけると言うのか」


少年は瞳に光をたたえながら、淡々と言い放った。


「……」


男たちは黙った。

騎馬兵の小柄な男はため息をついた。


「我らにはその手しかないようだ。君の作戦は、上手くいけば我が軍の勝利の一歩となるだろう。……しかし、それはあまりにも無謀で…残酷だ」


周りの男たちの顔を伺いながら、小柄な男は少年の顔を見上げた。

少年はぐ、っと唇を噛んだ。


「あんたたちはここに何をしに来たんだ!エナンに勝ちに来たんじゃないのか!?」


少年は初めて、声を荒げた。

すると、男たちの間からまた野次がとんだ。


「そういうなら、おまえが囮になれよ!」


「そうだ、誰がそんなものになるか!」


心無い言葉が、蔑みの目が、その場に溢れていた。

少年の握りしめる拳が、震えているのをシバは見た。

はっとしてシバが少年の顔をみやると、その目にあったのは涙などではなかった。

あったのは、怒りと、何者にも屈しない、揺らがない信念のようなものだった。


「ああ。じゃあ俺が囮の一員になろう。だが、ひとつ約束してほしい。あんたたちがこのエナンの小隊を破った暁には、その奥にいる俺の両親を殺したエナン兵を必ず倒してくれ」


少年は強くそう言い放った。

シバは全身の毛が逆立った気がした。

周りがしん、と静まり返った瞬間、シバは思わず大声で笑った。

その場にいる全員が、笑っている男に注目した。


「大人たちがガキに戦を諭されてどうする。馬鹿みてえだ」


男たちは黙っていた。

シバはまっすぐ少年を見た。


「俺が行く。おまえが囮になる必要はねえ。その賢い頭でこいつらを導いてやってくれや」


少年は目を見開いてシバの方を見やった。


「あ、あの。俺も行きます」


「俺も」


シバの言葉に続いて、男たちの中から、複数人手が挙がった。

兵ではなく、南の村から北上してきた村人たちだった。

その中のひとりの村人が言った。


「俺たちには村も、家族ももういねえ。エナンのやつらに一泡吹かせられるなら、ぜひ協力させてくれ」





村人たちの言葉で、作戦の決行が決まった。

男たちの輪の中から去ろうとする少年に、シバは声をかけた。


「俺はシバってんだ。おまえ、名は?」


シバの方に振り返り、細くした目で少年は短く答えた。


「……ハグム」


それを聞いたシバはにや、と笑って自身の右手の甲をハグムに向けた。


「?」


少年は怪訝そうにシバの右手に視線をやった。


「知らねえのか?大切な仲間との、約束だ。この戦に必ず勝つ、ってな」


シバは無理矢理ハグムの左手を奪い、その甲に自分の右手の甲をこつん、と触れさせた。


少年は驚き、すぐ手を引いたが、目の前に立ちはだかる大男を不思議そうに眺めていた。

**



シバはふっ、と笑った。


(あの後、ほぼ瀕死だった俺を、おまえは拾い上げてくれたよな。担ぐ力もねえ、ガキだったくせによ)


シバは視線を平原から目前に切り替えた。

この大軍は、あの時のエナン兵の何倍いるだろうか。


(次は、俺の番だな)


シバは目を瞑り、大きく深呼吸をした。


(ーーハグム。勝つぜ)


シバが目を開け放った瞬間、平原にいる兵たち全員の胸まで響く軍鼓がけたたましく鳴った。


両軍の兵は一斉に走り出した。


【チョヴィスキーからのお願い】

小説を読んでいただいて本当にありがとうございます

この小説を読み、少しでも応援していただけたら幸いです…!


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みなさんの応援のおかげで、なんとか作品を続けています

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