探り合い
ヤンは向かい合ってハグムの目前にぴたりと張り付いて座していた。
天幕の中の蝋燭が、二人の横顔を照らしていた。
ハグムは内心驚いていた。
ヤンがいきなり一人で自分の野営天幕に来たかと思いきや、あんたに聞きたいことがある、と真剣な顔つきで部屋に入り込んできたからだ。
ヤンは両腕をハグムの護衛兵に捕らえられながらハグムの天幕に入ったが、ハグムはヤンの装備をちらりと見やると、大丈夫だといい、人払いをした。
ヤンは兵が離れ外に出たのを確認すると、すぐ口を開いた。
「あんた、命狙われているが、相手に心当たりはあるか」
それを聞いたハグムは一瞬目を見張り、天幕の外に視線をやった後、ヨナ語ではなくシモン語で答えた。
『……なんのことでしょう』
ハグムはヤンがこの場に来てすぐ、彼が投げかけてくる言葉をいくらか頭に思い浮かべていた。
しかしその問いかけは、それらとはかけ離れた異質のものであった。
ヤンはハグムがシモン語に切り替えたので、遠慮なくシモン語で続けた。
『この戦の間に、俺の仲間が助けなかったらあんた、二回死んでんだ』
『いつ、私は命を狙われたというのですか』
ハグムはすぐ聞き返した。
『キョルチ湖の西山にいた時と、昨日の未明だ』
ヤンの言葉から、ハグムは頭をめぐらせた。
(あのシモン兵に守られたのか)
キョルチ湖のことを思い出した。
目に見えない速さで去って行ったシモン兵が目に浮かんだ。
(昨日の未明……天幕の中にいた時か)
『しかしなぜ、貴方様のお仲間が、昨日の未明に私の天幕のそばにいたのです。私が命を狙われた、というのを知っているということは、近くにいらっしゃったのでしょう?』
鋭い瞳がヤンを射抜いた。
その質問は、ヤンを不快にさせた。
(この男は自分が命を狙われていると言われているのに、怯えるどころかそれをわざわざ教えた相手をも挑発していやがる)
嫌な奴だ、とヤンは思った。
すべての事情を説明すればシモンへの陰謀の話もこの軍師に漏れてしまう。
犯人が分からない以上、知りたい情報だけ得るために、話す言葉はなるべく端的に、嘘も交えながら、ヤンはハグムの問いに答えた。
『悪いが、俺たちもこの戦で大敗するわけにはいかないんでね。あんたの仕事ぶりは俺も買っている。この戦の勝敗を分ける要のあんたの行動は逐一俺の部下に探らせている』
『そうですか。私を殺そうとした手段と相手の人数はお分かりですか』
ヤンの言葉に見向きもしないようにあっさりそう言って再度質問を投げかけるハグムにヤンはいらついていた。
『どちらも矢だ。昨日は火矢を使おうとしていたらしい。天幕に向かってな。人数は…一度目は知らんが二度目は四人いた、と報告を受けている』
ヤンは早口で言い、ハグムに質問させまいとすかさず問い詰めた。
『で?聞いてるのはこっちなんだが。あんたの命を狙う人間に心当たりは?』
ハグムは手に顎をのせた。
『私に恨みを持っている、という点ではエナン国の人間でしょうね。エナン国の人間であれば絞り切ることはできません。この任に就いている以上、多数いるでしょうから』
ちっ、とヤンは舌打ちを打った。
『刺客はヨナ語を話していたと部下が言っていた。同国の人間の可能性がある』
ヤンは早口で言った。
『……ヨナ国の人間となると一人、思い浮かびます』
ハグムは静かに言った。
『誰だ』
『その前に』
ハグムはヤンの質問を遮った。
『私を殺そうとする人物を、貴方はなぜそれほど必死に探しているのですか』
『決まっているだろう、あんたに死なれちゃ戦の行方が分からなくなる。さっきも言ったように、こっちの命運もかかってるからだ』
『……。二回、私は殺されかけたようですが、』
ハグムは続けた。
『それではなぜ一回目の後、このように私をお尋ねにならなかったのですか』
『そ…れは』
ぐ、とヤンは言葉に詰まった。
ヤンのいらつきは徐々に怒りに変わった。
まるで尋問のようだ。
ハクタカの存在と、シモンの矢の存在。
これらのことは隠すべきだ。
こいつは痛いところばかりついてくる。
言い訳を頭の中で巡らせながら、ヤンはハグムから目を逸らした。
その様子を見て、目を細めていたハグムはヤンに深く一礼した。
『ヤン皇太子殿下、私の無礼をお許しください』
『……は?』
態度を一変し、深くお辞儀をしたハグムを前に、ヤンは戸惑った。
ハグムは顔を上げてきっぱり言った。
『貴方様はご自身に正直なお方だと私は思っております』
『?』
ヤンは顔をしかめた。
『ご自身では気付いていないでしょうが、貴方様は隠し事をする時、目を逸らされる』
『!!』
『あの時も』
『……あの時?』
『一度、農民たちの野営地でお会いした時を覚えてらっしゃいますか?』
『……ああ』
『あの時、隣の木の影にどなたかいらっしゃったでしょう』
どくん、とヤンの胸が音を立てた。
『誰だと思う』
ヤンはハグムを挑発した。
半分、ヤケだった。
『わかりません。私は、見ていませんから』
ハグムは真顔で答えた。
『……』
ヤンは心臓の激しい高鳴りがいくらかおさまったことに、自分の度胸のなさを自覚して、心底幻滅していた。
『その正直な貴方様が、全容を語らず言葉少ない問いしかなさらないので、私は貴方様の心を探っておりました。正確な情報と、貴方様の正直なお気持ちを伺わない限り、こちらとしてもこれ以上の情報を話すわけには参りません。嘘の情報をお渡しするのも、私としても忍びありませんから』
ヤンは目を丸くした。
『なんだ、あんた。俺を試した上に、嘘の情報を渡すつもりだったのか』
『申し訳ありません』
涼しい顔で謝るハグムに、隙は微塵も感じられなかった。
『……ははははは!』
ヤンは腹を抱えて笑った。
『ああ、やめだやめだ。どうも、あんたには敵わないらしい』
ヤンはあぐらをかいていた足を前に突き出した。
『だが、悪いな。こっちとしてもどうしても言えねえ情報はある。あんたらヨナ軍にとって害はないから、それだけは勘弁してくれないか』
ハグムは静かに頷いた。
ヤンはハクタカの名前だけは伏せた。
傷を負ったのはシモン兵ではない、ハグムに恩義を感じているヨナ人の農民で、仲良くなった自分の仲間だと伝えた。
そして、全容を話し、刺客が使用していたのがシモンの矢であることも潔く伝えた。
『あんたを救おうとして俺の大事な仲間が死にかけた。それに、俺たちシモン国をはめようとしている輩がいる。俺は、そいつを絶対に許せねえ』
ヤンの瞳に、怒りが宿っていた。
その様子を見て、ハグムは口を開いた。
『王の側近、左大臣オンギョル・グ・シロン。もし、私を殺そうと企むのであれば、ヨナ人であれば、この方でしょう』
ヤンはすばやく足を組み直した。
『は!?この戦で王の側近が軍師総帥のあんたを殺してなんの得になる』
『……』
ハグムは無言だった。
自分が幾度もあらゆる可能性を考え、答えを出せずにいた質問には、さすがに答えられない。
『あんたの首を欲しがってるのはむしろエナンの方だろうが。キョルチ湖とスンギ支城でこてんぱんにやられてよ』
ヤンが言い放った言葉に、ハグムは根本的なことを見逃していた自分に、気づいた。
『……そうか』
ハグムは呟いた。
『少なくともこの戦で、私の首が利用しえるということだ』
『は?どういうことだ。おまえの首がどう役立つっていうんだよ』
失笑して言ったヤンの言葉に、ハグムは今まで気づかなかった自分を蔑むように笑った。
『何だ、はっきり言いやがれ』
ヤンが急かした。
ハグムはヤンに、自分が内政部の高官になる以前は軍師をしていたこと、前に起きた黒づくめの男たちの襲撃事件、それはエナンによる軍師狩りの可能性があることを伝えた。
『エナンの意向を汲み取り、国は私の首を条件に、この戦を終戦とまでいかなくとも停戦くらいにはもちこんだのかもしれません』
ヤンは顔をしかめながらハグムの顔をまじまじと見つめた。
王の側近が、国が、自身を殺す計画している話を、こうも淡々と話す人間がいるであろうか。
ハグムの話は短く簡潔的であったが、ヤンはその背景にハグムは自国に命を狙われたことが以前にもあったのではないかと思い始めた。
(だとしたら)
ヤンは鳥肌が立った。
自分を殺そうとする国を他国から守るために、あんたは軍師としてここに立っているのか。
諦めなのか、それともーー
ヤンは意地悪く笑った。
『なあ。もし俺があんたの首をエナンに差し出せば、ヨナ国の左大臣は国も守れず、俺はそいつに泡を吹かせられて、さらに俺はエナンに感謝されそうだな』
ヤンの言葉を聞いてハグムはその冷静な顔に影を落とした。
そして、底光りした瞳でヤンを睨みつけた。
『……大人しく首を差し出す気はありません。私は、私のやり方で戦います。たとえ、貴方様が敵になったとしても』
ヤンはその言葉を聞いて高揚した。
初めて、目の前の男の、人間くさいところを見られた気がした。
こいつは、国など関係ない。
自分の信念で戦っている。
ヤンは直感的にそう感じた。
武人のように、強い、軍師だ。
(……あいつは、とんでもない奴を好いたもんだな)
ヤンは今床に伏せる人物を想いながら、苦笑した。
『悪かった。冗談だ』
両の掌をハグムに見せて、ヤンは真面目な顔で詫びた。
するとヤンは無言でその場からすくっと、立ち上がった。
『どこへ行かれるのです』
ハグムは咄嗟に聞いた。
『敵は分かったんだ。ここにいる意味はねぇ。俺たちなりに動かせてもらうぜ』
『何をする気ですか』
『決まってるだろう、仲間を半殺しにしてシモン国を陥れた野郎に、売られた喧嘩を買うだけさ』
ヤンが天幕の出口に向かおうと振り返った時、ハグムにはその無防備な背中から、身体全体に宿る怒りが、ありありと見えた。
キョルチ湖でのヤンを思い出していた。
この青年は、自分の信念に沿うことは、それをやり遂げるまで追い続ける。
たとえそれがどんなに残忍なことでも。
そんな人間だ、とハグムは思った。
自分の経験だった。
そして、この青年はまっすぐすぎるほど正直だ。
この二面性に、ハグムは危機感を感じた。
(無謀だ。あの男の前では、特に)
信念を持つ人間であるほど、正直な人間であるほど、あの左大臣の格好の餌食になるなど、誰が知っていよう。
左大臣から裏で迫害され続けてきたハグムにとって、彼との正面対決がいかに無駄なものであるかは、身に染みるほど分かっていた。
自分と繋がりをもち、正義感溢れる人材がどれほど痛めつけられ、辞めさせられたことか。
ハグムは束の間目を閉じ、そして目を開けた。
それは、ほんの瞬きをする程度の時間だった。
ハグムはヤンを呼び止めていた。
【チョヴィスキーからのお願い】
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