シバの苦悩
シバはハグムたちと離れた後、自身の天幕の前の焚き火の前に腰を下ろした。
全身が鉛のように重かった。
シバは焚き火をぼうっと眺めていた。
周りは静かだった。
部下の兵たちはすでに泥のように眠りこけていた。
(……明日は今日より厳しくなるかもな)
シバは今日前線で戦った感触から、明日の戦の激戦を予期していた。
ダグダカ門より常に兵を出動していたシバは、ハグムたちの前ではその素振りをみせなかったが、立ち上がるのさえも苦痛に感じほど身体がボロボロであった。
無数の敵に、長時間一寸の隙も与えないというのは、体力に加え精神も削られる。
戦で命の危機を感じたことは幾度もあったが、今回は色濃く感じられた。
そういう時、シバは何も考えずただひたすら勝つことを考える。
一兵でも多く殺して、自身の後ろに通さない誓いを、腹の底に据えるのだ。
しかしそれは諸刃の刃で、敵の中に突っ込むものだから、大怪我も日常茶飯事であった。
今も、全身に残る切り傷と打撲で身体が熱い。
いつもであればその傷の燃えるような痛みも、次の戦場で敵を葬らんとする気概に、一役買う。
だが、今回ばかりはその気概が湧き上がらないばかりか、傷はずきりずきり、と全身に重く響くのであった。
シバは懐から薄い紫の小さな袋を取り出し、その中身を取り出した。
その大きな手のひらには、サイシャと呼ばれる青い原石があった。
サイシャは東の島国で採れる珍しい石で、非常に硬く、そして鮮やかに輝く石であった。
(まいったな…)
シバはその石を見つめながら心の中で呟いた。
敵を殲滅せんとする気概は、シバにとってその裏にもうひとつ腹に据えたものがあるからこそ起こり得ているものだった。
死ぬ覚悟。
戦でどこに行こうとも、その地で散る覚悟が、あった。
シバは幼少期、病で両親を亡くした。
シバには一人の姉がいて、八歳年上であった。
厳しくも優しい姉だった。
シバが成人するまで、街で仕事を見つけてきては、かいがいしく働き、シバを育てた。
ちょうどシバが成人した頃、街の商人に見初められて南の港町に嫁いでいった。
時々顔を見に行っていたが、子供が一人、二人と増え、姉が母の顔になるにつれて、シバにはひとつなにか区切りがついたように感じた。
幸せそうな姉の顔を見てから、かれこれ十年以上会っていない。
家族は、もういなかった。
いつでも、後腐れなく死ねる状態なのだ。
なのに、この石を預けたきた人間のことを思い出すと、腹の中に据えた奥の冷えた闇の中に、溶け込まれずにいる自分がいた。
ハクタカがならず者たちにひどく傷付けられたあの日、シバはユノを背に負いユノの家まで彼女を送った。
彼女の家に着くやいなや、父のルドアはこっぴどく怒鳴りちらした。
それは、ユノやシバに向けてのものではなく、ハグムの使用人のハクタカに向けてのものだった。
それを聞いたシバはハクタカに代わり誠心誠意、ルドアに謝った。
怒りがおさまらないルドアは、ハクタカのいる医院の名前や住所をシバに聞き出そうとした。
シバはそれを一切口を割ることもなく、次の日も、その次の日も、ユノの家に来て仕事から帰るルドアを待ってはひたすら謝った。
父にひどく叱りつけられるシバを見て、痺れを切らしたユノは、父に向かってこれ以上シバを叱るならこの家を出て行くと言い放ち、シバの手を引いて家を出ていった。
シバはその道中、ユノを説得したが、その日、ユノは梃子として家に帰ろうとしなかった。
困り果てたシバは、考えるのも億劫になり、体が先に動いていた。
暴れるユノを抱き抱えてルドアの元に返しに行くと、ルドアはなぜかそれにひどく感銘したらしく、今度は酒の場にシバを呼ぶようになった。
そして、シバの人柄に惹かれたルドアは、なんとユノの婿にならないかという提案をももちかけた。
可愛らしく、よく話しかけてくる娘だったが、ハクタカを子供と見ていたシバは、その同い年のユノに今までそんな感情を抱いたことは全くなかったので、ルドアにはもちろん断りを入れた。
しかし戦に行く直前、ユノに気持ちを聞かされ、この石を渡され、泣いて抱きつかれた時には、柄にもなくぐっときてしまった。
はあ、とシバは豪快にため息をついた。
「なんだそれは」
急に声をかけられ、がばっとシバは背筋をのばした。
後ろに、にやにやと笑う女が立っていた。
「げ」
シバは顔を歪ませた。
「あんたには似合わない石を持っているじゃないか」
カナがシバの横に立った。
「……ほっとけ」
シバは石を袋に入れ直して懐に入れた。
「可愛い袋ですこと」
さらにむすっとしたシバの横顔を見て、カナはふ、と笑った。
「あんた、その石言葉の意味、知ってるかい?」
「……?知らん」
「<私のもとに帰ってきてほしい>。遠くに行っちまう家族や恋人に送る石さ」
「!!」
シバはその場で身を固めた。
「ふふ。愛されてるじゃないか」
「ふん。惚れた男をこの歳になるまで忘れられない女が、石言葉なんて覚えてんじゃねえよ」
「あら。私はもう忘れたよ」
「……は、嘘だろ」
シバは信じられないといった顔でカナの方を向いた。
「敵わない相手を見つけちまったのさ」
カナは明るく言い放った。
「ハグムの野郎が惚れるような相手がいるっていうのか」
「さてね」
カナは意地悪く笑った。
「……んだよ」
シバは乱暴に粗朶を火の中に投げた。
カナはちらりとシバの身体をみやった。
巨体がまるで猫みたいに背中を丸めている。
カナはふう、と息を吐き、シバの頭上で声をかけた。
「来な。治療してやる」
シバが横目でカナを見やった。
「やだね。おまえの小屋に行くくらいならここで死んだほうがま…いででででで」
カナは屈んでシバの脇腹に拳を押し当て、ねじ込んでいた。
「行く!行くからよ!」
脇腹を抱えながら立ち上がったシバは、まるで鎖に繋がれた囚人の様に、黙ってカナの後ろに付いていった。
「ひどい怪我じゃないか」
「……ふん、このくらい。…いでででででで!おい!もっと優しくできねえのか」
小屋にはすでに複数の負傷兵が横たわっていたが、彼らもまた熟睡中であった。
カナは椅子に座った満身創痍のシバの身体に、消毒薬を塗り込み、てきぱきと清潔な布と包帯で押し当てていった。
左の脇腹の傷が一番重傷で、槍が掠っただけだとシバは言ったが、激しく突き立てられたものであるのを、カナは傷口から察した。
「こりゃ、ダメだね。縫うしかない」
「ぜってぇ嫌だ」
子供のように駄々をこねるシバを押さえつけ、カナは手際よく皮膚を消毒し、針で縫っていった。
小屋に来てからずっと呻きっぱなしだったシバだったが、諦めた様にだんだん静かになっていった。
「懐かしいね」
「……なにが」
カナの言葉にシバが答えた。
「昔は毎日の様にこうやってあんたの身体に薬を塗り込んだり傷を縫ったりしてたな、とね」
「そんな昔のこと、覚えてねえ」
「よく言う。街のならず者の頂点に君臨してたあんたを、誰が調教したと思ってるんだい」
「……サイのじじい」
「私だろ」
ぴったりと糸で並置された傷を、ばしっと叩かれ、シバは呻いた。
「この怪力にゃあ、誰も敵わねえからな」
シバが起き上がり肩をすくめると、ははは、とカナは白い歯を覗かせて笑った。
その巨体から、早くも街のならず者たちに目をつけられた青年のシバは、姉には内緒でよく街の裏で喧嘩をしていた。
こちらが向かうわけではないのに、目の前に飛びかかってくる男たちを相手にしているうちに、どこからかぎつけてくるのか分からないが名を調べられ、次から次へと知らない男たちが立ちはだかってくるからであった。
喧嘩に勝ち続けると、今度はシバを慕ってくる男たちも現れた。
盗みなどをする悪い奴らだったが、自分を慕ってくれる仲間ができて、シバは悪い気はしなかった。
喧嘩で負けたことはなかった。
何度か拳を交わすと、相手の力量も測ることができるようになり、手加減をしてやったこともあった。
ある日、また新たな男たちがシバのもとにやってきたが、男たちと共に背に手を縛られ、目を布で覆われた姉の婚約者が引きずられてやってきた時は、我を忘れて男たちを殴った。
姉の婚約者を前に、男たちを殴る中、ならず者たちを従え喧嘩に生きる自分は、まともに生きれたものじゃない、とシバは後悔するとともに、この道しか、自分は生きられない、と悟った。
主犯格の男の顔全体が血に染まり、その血で赤く染まったシバの振りかぶった拳を受け止めたのは、カナであった。
カナはシバの姉の婚約者を逃し、治安警察部がならず者の男たちを連れていったのを確認すると、無理矢理建物の影に隠したシバをそのまま自宅に呼んだ。
血まみれの巨体が、全て返り血だったのを知ると、カナは父のサイにシバを会わせたのだった。
サイから武術を教わったことのあるカナに、当時のシバ青年は手合わせで一度も勝てなかった。
それはシバの今まで培ってきた男としての自信が一気に崩れた瞬間であった。
サイから武術の指導を受けながら、その帰りには毎日半ば強引にカナに勝負を挑んだ。
ついにそれが五分五分の勝負になっていった時にはシバはならず者たちとも手を切り、カナとの勝負にますます熱意を燃やすのであった。
しかしカナが医術の道を志すことをシバに伝えると、その勝負も自然になくなっていった。
医術学校に通うカナに会えない日々が続き、寂しくはがゆい想いをしたことは、シバが胸の裡に秘める遠い過去だ。
シバは武官になることをサイに願い申し出たのは、その直後であった。
「めずらしいね。あんたがここまでへこむのも」
カナが囁いた。
「なんのことだ」
「あんたが無口になると気持ち悪くてしょうがない」
「………」
シバは黙った。
ぱち、ぱち、と小屋の中に灯った火が音を立てる。
「……俺ぁどんな敵を前にしても怖いと思ったことは一度もねぇ」
丸まった背中を見て、カナはそれに答えた。
「今は、怖いのか」
「……なんだろうな。いつ死んでもいいと思っていた頃が楽に思えてくる」
カナに聞こえるか聞こえないかくらいの声で、シバは囁いた。
「そら、立派な志だけどね。あんたは生きてる人間だ。あんな数を見て怖くなるのは当然さ」
「……」
「ここにいる兵は皆そうさ。戦が終わればそれぞれ帰る場所、帰りたい場所があるから余計そう思う」
「……」
「想えばいい。帰りたいと。その瞬間まで、命を惜しめばいい。人間らしくね」
シバはカナを見上げた。
カナはなにか懐かしむような、それでいて悲しむような顔を浮かばせていた。
「いい加減、そうやって一人で生きることを諦めな」
「……なんだよ、それ」
カナがこちらに向ける言葉は、いつの日か自分の胸に立てた誓いを真っ向から批判されている気がして、シバはカナを睨みつけた。
「一匹狼より、群れる羊の方が、お人好しのあんたにはお似合いだと私は思うがね」
「……羊?冗談よせや。羊が人間を殺せるか」
シバの返しに、カナは苦笑した。
同じく苦笑し、立ち上がったシバは自身の服を整えて、小屋の出口を跨いだ。
「……ありがとうよ」
シバは振り返らずに静かにそう呟き、暗闇に溶けていった。
(……生きて、帰ってこい)
カナは強く念じながら、シバが消えていった戸口の闇を、いつまでも眺めていた。
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