陰謀
『嘘だろ…』
シモン兵たちは、配置された自身の戦の持ち場についた途端、愕然としていた。
目の前のシバ率いる騎馬兵たちのさらにその前には、今まで見たことがないような大群のエナン兵が従軍していた。
シモン兵の持ち場はアシア平原の西に構える山の上であった。
同じく山の上の前にはシバが後ろに大勢の兵を従え、眉を寄せながらエナン兵を見下ろし、睨んでいた。
シモン兵の任はシバ軍の後ろからの援護であった。
向かってきた敵に対し、シバ軍の後ろから大量の弓を浴びせる。
分が悪ければすぐ逃げられる位置ではあったものの、シモン兵たちは鳥肌がおさまらなかった。
その中、一人だけ武者震いをする男がいた。
(壮観だな。十万って数はよ)
ヤンは右翼軍の一番前で、手を目の前にかざしていた。
この地はアシア平原の北に位置し、東は海、西は山に囲われた狭い平原であった。
ハグムは東の左翼にサイ軍を、西の右翼にシバ軍を配置した。
東の平坦な地が広がる左翼に、敵の総戦力がなだれ込むと予測したハグムは、大将軍サイ率いる強力な兵たちを敷いたのだ。
しかし、ハグムはこの決戦の勝利への切り札となるのは西の山に布陣する右翼のシバ軍にあると読んだ。
エナン側からすると東の右翼に総戦力を割くのであれば、西の足場の悪い山に位置する左翼には軽装兵を敷くであろう。
そこを一気に叩き、敵の左翼を崩せば勝機が見える。
ハグムは軍略に地形を利用はしたものの、ここではもはや将軍たちの力を信じるしかなかった。
(頼む、皆、持ち堪えてくれ)
ハグムはヨナ軍の北方角の少し離れた野営地で、目の前の兵たちの無事を祈っていた。
ハクタカは汗だくの中、はじかれたようにがばっと上半身を持ち上げ、起きた。
荒い息を吐きながら、呼吸していると
「う……っ」
すぐに痛みが全身に走った。
ハクタカはぎゅ、と目を瞑り、しばらく息を堪えているといくらか痛みがとれた気がした。
ハクタカは自分が野営地の天幕の中にいることに気づいた。
身体には清潔な包帯が巻き直されている。
ハクタカはひどく焦った。
誰がこれを…と思った焦り以上のものを、思い出したからだ。
(先生……!)
自分があの時、途中で倒れてしまったようだということ、ハグムの所から離れてしまったことを。
(私、どれくらい寝ていた!?)
ハクタカは床から立ち上がると、壮年の落ち着いた様子の男が入って来た。
『おや、目覚めましたか』
男は水を張った桶を持ち、ハクタカの隣に座った。
男はシモン国の服装をし、シモン語で話しかけて来た。
『だめですよ。寝ていないと。あなたは立てる身体ではありません』
シモン語がさっぱり分からなかったハクタカは、男のおっとりとした声色にいくらか安堵はしたが、すぐに聞き直した。
「俺の、俺の剣はどこですか!?」
『?』
壮年の男はハクタカの剣を持つ素振りを見て、ああそこに、と言って指を差した。
壁に立てかけられた自分の剣を見つけ、それを拾うと、ハクタカは天幕から出た。
途端、大きな胸に顔がぶつかった。
「おお、おまえ。……もう動けるのか?」
覇気のない疲れた顔をしたヤンがハクタカを見下ろしていた。
「ヤン……」
ハクタカは恐る恐るヤンの顔を見ていた。
ヤンは向かいにいる壮年の男とシモン語でいくつか話すと、ハクタカの手を掴んだ。
「まあ、いいから座れよ」
「……っ。行くとこがあるんだ」
ハクタカが焦ったようにヤンの手を引っ張った。
「軍師総帥なら無事だ」
ヤンはすぐそう答えると、ハクタカは手を引っ張る力を緩めた。
ヤンはため息をつきやっぱりそうか、と独り言をつぶやいた。
「あいつは今野営地の中心に将軍達と一緒にいる。とりあえず、落ち着いてここに座れ」
ハクタカはそれを聞いた途端、傷がうずき始めたので、無言で床に座った。
ヤンも同時に床に座ったかと思うと、そのまま仰向けになり、シモン語で叫んだ。
『ああ。疲れた!ありゃ、だめだ。さすがにきついわ』
ヤンは右腕を持ち上げようとしたが、全く力が出なかった。
床に落としたままの右腕は小刻みに震えていた。
今日の一戦、ヤンはシバ軍とともに押し寄せる敵兵に立ち向かった。
矢をめいいっぱい弦につがえる余裕もなく、次から次へと敵兵が押し寄せて来たのだ。
なんとか今日は平行線で終わり、シモン兵の被害はなかったが、戦が始まる直前、嬉々としていた自分に、無謀だと言ってやりたいほどであった。
この戦いが毎日続くのかと思うとさすがのヤンもげんなりしていた。
(そろそろ潮時か)
動かない右手を眺めながら、ヤンはふと無言になった。
この戦にシモン国がこのまま参加を続けるかどうか。
一国の軍を率いる総大将として、しっかりとその期を見極めねばならない。
ヤンはしばらく険しい顔を浮かべていた。
ハクタカはヤンの見慣れない様子をみて、逆に冷静になれた。
「……ありがとう、ヤン。俺を、手当してくれたんでしょう?」
ハクタカはヤンに礼を言った。
「……ああ、いいってことよ」
ヤンのかすかな笑顔をみて、安心したハクタカはぐらり、と視界が周り、前のめりになった。
そばにいた壮年の男が、ハクタカに横になるよう伝えてきた。
ヤンは両足を振り上げ、よっと言って上半身を持ち上げた。
『こいつの具合は?』
『止血はできていますが、時間が経って血が出過ぎている。熱もひいておらず、まだ予断を許しません』
ヤンはそれを聞くと、ハクタカを膝から持ち上げた。
「や、ヤン!?」
「まだ寝てないとダメだとよ、俺たちの軍医がそう言っている」
「ま、待ってくれ。俺」
ハクタカがヤンから離れようとすると、ヤンはすかさず言った。
「あの軍師の監視に俺の部下をつける。俺たちシモンには優秀な鷹の伝令役がいてよ。軍師になにかあったら部下がそいつを使ってすぐ俺のところに伝えてくるようにする。だからおまえは怪我の具合が落ち着くまで身体を休めろ」
「……」
ヤンはハクタカがしようとしていたことを見通して、提案してくれたようだった。
ヤンはそのままハクタカを布団のある床の上に横たえた。
軍医がハクタカの処置を始めると、ヤンは一旦天幕を出たが、軍医が外に出るとヤンは再び戻ってきた。
汗だくの顔を、ヤンは水の桶で布を絞って、何度もハクタカの額に当ててくれた。
虚な目で、その姿を追いながら、ハクタカはつぶやいた。
「……何も聞かないのか?」
その言葉にヤンは声を出さずに笑った。
「お前は女でも武人だろ?武人ってのは、己が信念で動いてるもんだ。その信念に、他人がどうこう言うものでもない。聞きたいのは山々だけどな。おまえが元気になってからでいいさ」
「……たかがヨナ国の農民に、俺に、どうしてそこまでしてくれるんだ」
ハクタカはヤンの目を見ずに吐き捨てるように言った。
ぼうっとする頭で、ハクタカは汚い自分と葛藤していた。
自分はこんなにもシモン国を疑っているというのに。
疑っていることが真であったら…その首謀者が万が一ヤンだとしたら…自分は剣を向けることを選択するだろう。
優しくするな。
辛いだけだ。
いっそ自分を殺しにかかってきてくれたほうがマシだ。
そんなことを、薄れる意識の中で、ハクタカは思っていた。
「おまえに、ありがとうと言われちまったからな」
ヤンがぽつりと言った。
「……え?」
「礼を先に言われちゃあ、助けない方が無粋だろ。してやられたぜ。お前が何と戦っているかは、知らねえがな」
にっとヤンは笑った。
ハクタカは言葉が出なかった。
握り飯を見て何気なく口にしたあの言葉を、ヤンは覚えていたというのか。
ハクタカの目に、涙が浮かんだ。
「うわ、なんだ。俺、なんか言ったか?」
慌ててハクタカの顔を覗き込んだヤンの袖を、ハクタカは掴んだ。
「ヤン、俺が今から言うことを、聞いてほしい」
ハクタカは今までの経緯をヤンに話した。
自分はハグムの家で男の使用人として過ごし、女とばれて家を追い出されたが軍師に任命されたハグムが心配でこの戦場まで来たこと。
ハグムが戦中、二回何者かに命を狙われたこと。
その彼らがシモン国の矢を使用していたこと。
彼らが誰なのかはまだ分からないが、ヨナ語を話していたこと。
彼らに立ち向かい、大怪我を負ったこと。
彼らの一人を傷を負わせることもできず逃してしまい、またハグムを狙ってくる可能性があること。
彼らは自分のことをシモン兵だと思っていること。
起こったことの一部始終を、ハクタカはたどたどしくも丁寧に言葉を紡いでいった。
ハクタカはハグムの暗殺の刺客たちの首謀者がヤンではないことに賭けた。
いや、そんな人間ではないと、直感で感じ取った、と言う方が正しいか。
ヤンは最後まで黙って聞いてくれた。
「シモン国の矢を使っていたから、つい、シモン国のひとを疑って…ヤンには言えなかったんだ。ごめん」
「……いや、いい」
話をする中、ヤンに驚きの表情もみて取れたが、矢の件を話すとその表情は一貫して曇っていた。
いつもの溌剌な声は消え失せていた。
(……陰謀だ)
ヤンはハクタカの話を聞いた瞬間、そう思った。
(シモンの人間のわけがねえ。国の進退を決める大戦を率いるヨナ軍軍師総帥の首を狙う輩が、シモンの矢を使用している。その軍師が矢で射抜かれて死ねば、ヨナ軍は真っ先に俺たちを疑うだろう)
戦からの即刻撤退。
ヤンの頭にそれが浮かんだ時、自分は今すぐにサイナムのところに行くべきだと判断した。
『殿下、今すぐ戦から撤退すべきです。陰謀を図る敵が分からない以上、このまま留まっていては危険です。国をも揺るがす事件になりかねない』
サイナムなら、こう言うだろうと、ヤンはその台詞を頭に思い浮かべた。
(エナン国の刺客か?しかしハクタカによれば男達はヨナ語を話していたという。だが、もし仮にヨナ人であれば、なぜ同じ国の人間が、国を救おうとしている軍師を殺す?)
ヤンはごくり、と唾を飲んだ。
そして、悪戯の笑みを浮かべた。
ハクタカが話疲れて、すうっと眠ったのを確認すると、ヤンは立ち上がった。
『殿下!それ以上首を突っ込んでは危険です。いけません!』
サイナムに何度も言われ続けてきたこの台詞を思い出しながら、ヤンは自身の天幕を乱暴に開け放った。
向かう先は、決まっていた。
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