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隻腕のハクタカ  作者: チョヴィスキー
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怯者であれ

ヤンは燭台の上の蝋燭の火に照らされ、床の上に臥しているハクタカを見下ろしていた。


『おい、ハクタカ。さっさと起きろ。起きねえと、頬つっぱねるぞ』


ハクタカの頬を軽くつねり、なんの反応もない様子を見てヤンはふ、と苦笑した。


『……俺は知らなくていい、か』


ヤンはハクタカを眺めながら呟いた。

そしてハクタカから目線をはずし、俯いた。

今までも内戦で身体も心もくたくたに疲弊したことは幾度もあったが、一人の人間にただその言葉を言われただけで、なぜこうも心が沈んでいくのか。



**

ヤンはハクタカが倒れるのを待つしかなかった。

ハクタカの目を見て、梃子でもあの小屋の前から離れないだろうと踏んだヤンはハクタカを連れていくのを諦めた。

しかしあの状態ではすぐに倒れるのは分かりきっていた。

ヤンは去ったふりをして遠回りにハクタカの後ろに駆け込み、静かに背後から見守っていた。

案の定、ハクタカはまもなくして倒れた。

ヤンは倒れた人間に戸惑う兵達の合間から割って出て、ハクタカを抱き上げ、馬に乗せた。

ヤンはシモンの野営地に着くと自身の野営天幕にハクタカを運び、軍医を呼んだ。

軍医がハクタカの衣服を脱がした途端、胸一面きつく締め上げられたさらしが一面真っ赤に染まっていた。

ただ、ハクタカの大怪我を予測していたヤンがそれよりも驚いたのは、男にはない膨らみが、そこにあったことだった。

軍医がヤンの方を見ると、ヤンは察して後ろを向いた。

軍医がハクタカの服を全部脱がすと、右胸に深い矢傷、左肩の筋肉にめり込んだ刀傷があった。

あまりにも深い傷に、軍医も思わず呻いた。


『ひどい傷か?』


ヤンは後ろを向いたまま、軍医に尋ねた。


『ええ。激しい戦闘の後、といった感じです。止血が完全にできていない。すぐに処置にうつります』


『頼む』


ヤンは一旦外に出て、軍医が出てくるまで入口で待ち続けた。


軍医が処置を終えると、ヤンは軍医と一部始終をみていた護衛兵に、他の者にはハクタカの存在を秘密にするよう伝えた。


そして彼ら以外、決してヤンの野営天幕に人を入れないように伝えた。

**


(何があった。ヨナの農民たちはダグダカ門でもスンギ支城でもこれほどの手負いになることなどなかったし。そしてこいつは女で……あの軍師がこの傷に何か関係している、と)


ヤンはハクタカの前であぐらをかき、膝に右肘をつけ、手に顔を預けていた。

何が何だか分からず、片方の手で後ろ頭をがしがし、と掻いた。







ハグムの心は、弱っていた。


ハグムはこの地での決戦が、今回の戦を左右する要の一戦であることを予期していた。


(エナンは総戦力をこの地にぶつけてくるであろう)


夜、野営天幕の中で、一人になったハグムは簡易的に作られた机の上で両手を組んでいた。

その手は、震えていた。


(今までは前哨戦。ここで耐えられねばヨナ国は確実に、やられる)


開戦前より今日、左大臣への怒りや自国の兵や民を救う使命感に急き立てられ、なんとか己を保ってきた。

しかしここからは、今までの命のやりとり以上のことがこの地で起こるであろう。


吐き気がした。


今まで多くの血を見てきたが、ひしめく死体を避けて歩くたびに、むせかえるような嗚咽が自分の奥深くから出てきた。

自分は心底軍師に向いていない。

ハグムはそう、つくづく感じていた。

事を為す前から戦から逃げ出したいと願う軍師総帥がこの世のどこにいようか。

大きな一戦を目前にして、自分の強気な顔の仮面をひっぺがえし、ずっと胸の中にしまっていた張り詰めた緊張や弱気な自分を全部曝け出し、どうとでもしてくれと言いたくなるくらい、ハグムは恐怖と不安に押し潰されそうになっていた。


ハグムは苦笑した。


(師匠と共にいた頃は、戦に勝つことしか考えていなかったのに。私はいつの間にかこんなにも弱い人間になってしまった)


ハグムは落ち着かず、すくっと立ち上がり、天幕から出た。

護衛兵が声を掛けて来たが、近くにしか行かない旨を伝えると、護衛兵はその場に留まった。


ハグムは歩きながら頬をさすった。

シバに殴られた跡はすっかりひいていた。

あの頬の痛みなど、自分には足りないくらいの制裁だった。



情けない。

自分が。

何もかも。



十年前―、エナンとの停戦が決まり、ハグムは戦から戻ると、役所にはすでに内政部副官の座が用意してあった。

国がハグムにエナン行きを命ずると同時に、オムはハグムの内政部入りの懇願書を王宮に送りつけていたのだ。

オムは己が死ぬことを覚悟の上で、ハグムが生きる道をも残して逝ったのであった。



それを知った時には、笑うしかなかった。

涙が枯れ果てるまで、笑った記憶がある。



戦でどれだけ多くの敵の動向を知ることができても、自身の師の思惑を掠め取ることすらできなかった自分はーー。


(何が軍師総帥だ、聞いてあきれる)


ハグムは自嘲気味に笑った。




ハグムは天幕の後ろの山を見た。

この向こうは土砂で埋もれたナムグ支城がある地域であった。


(師匠……。私は貴方の言う立派な軍師には到底なれぬようだ)


弱りきった心に、影が宿っていた。




軍師は怯者であれ。

師匠の言う立派な軍師とは、怯者であるということ。

昔の自分はまるで反対を指し示すその言葉に、疑問を持った。

ただその怯者というのは本当に強者になれる人間が言える姿だ。

師匠のように、守るべき人間を、真に守れる人間が。

今の自分は、怯者になりえない、いや、言葉通り、怯者でしかない……。




ハグムはしばらく山を眺めると、ふと頭上へ視線をやった。

空には満天の星空が広がっていた。

思わず、鳥肌が立った。

星の一つ一つは見えないが、壮大な空の無数に放たれた光が、綺麗だ、と本能的にハグムの身体が感じたようだった。

周りは、静寂に包まれていた。

世界中に自分がたった一人になったような感覚に包まれ、心地よかった。



ハグムはいつの間にか眠っていた。

地面の岩に背中を預け、星を見つめている間、瞼を閉ざしてしまったようだった。

護衛の兵たちがハグムを起こしにやってきた頃には、すでに夜明けが近づいてきていた。

夜明けの太陽が、海の向こうに、ほんの一部顔を出している。

ハグムは立ち上がった。


(……君も、あの太陽を見ているだろうか)


ハグムは懐かしむように、ハクタカの顔を思い出していた。


(……君は…いつも私を、守ってくれていたな)


あのような血だらけの体になっても、君は。


自分の大切なひと達は、自分を守り、生かしてくれている。


ハグムははっとした。


ひどく傷つけられ、深く眠る彼女の顔を見て、決心したもの。

ただそれを想い、ここまで来たはずだ。


(私は、何をしている)


今の自分がどんなに情けなくても、どんなに愚かであったとしても、彼女を前に誓ったのではなかったか。

本物の、怯者になるということを。

その先にある、大切な人間を守るという使命を果たすために。


ハグムはもう一度太陽を見た。


(あの太陽をこの地上のどこかで君も見ていると思うと……私は強く思う。君に、ずっと生きていてほしいと)


細めた目で太陽を見つめた。

ぐっと両手の拳を握り、前を見据えたハグムはしっかりとした足取りで、天幕に戻っていった。


太陽は煌々と輝き、ハグムの後ろ姿を徐々に明るく照らしていった。


【チョヴィスキーからのお願い】

小説を読んでいただいて本当にありがとうございます

この小説を読み、少しでも応援していただけたら幸いです…!


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みなさんの応援のおかげで、なんとか作品を続けています

どうぞよろしくお願いします!

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