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隻腕のハクタカ  作者: チョヴィスキー
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ハグムが家に帰ってきたのは日をまたぎ、東の空に白い光の筋が見えてきた頃だった。


「……待ちくたびれたぜ」


シバが、座敷で寝そべりながら、ハグムを見上げた。


「すまない」


ハグムは座敷に座って、外套を横に置いた。


「昼から行軍だってのに、これじゃ全然寝れやしねえじゃねえか」


シバはいくらか文句を言ったが、ハグムの隈のある目を見て、途中で止めた。


「……おめえに聞きたいことが山ほどあるが、俺は、ハクタカのことだけは、おめえの口から納得できる言葉を聞くまで、ここを動かねぇぜ」


それを聞いたハグムは、ふう、とひとつため息をついた。

ハグムは正座し、両手を服の袖に入り込ませた。


「シバ、十年前のナムグ支城の一戦を、覚えているか」


「?ああ。俺はスンギ支城にいたがな」


思いがけない昔話にシバは一瞬戸惑ったが、ハグムの問いに答えた。


「ハクタカがあの怪我を負う直前、この家の庭に、袋に入れられ、土に固められた鼠の遺骸が投げ込まれていた」


「鼠?なんだそりゃ」


シバは眉を顰めた。


「……ナムグ支城の再現だ。逃げ場のなかった兵を、鼠に見立てた」


ハグムが小さな声で言った。


「……!」


シバは、ごくり、と唾を飲んだ。


「……誰の仕業だ」


「首謀者は、左大臣オンギョル」


「……な!!」


まさか、と言わんばかりにシバは口を開いた。


「街のならず者たちにハクタカを襲わせたのも奴だ。彼らを追ったところで、足はつくまい」


「なぜ左大臣がいまさらあの戦の再現なんか。ハクタカも、関係ねえだろう?」


シバは思考が追いつかず、せきたてるようにハグムに問いかけると、ハグムは静かに言った。


「理が非でも、私をこたびの戦の軍師総帥にしたかったのだろう」


「……なぜ」


シバが問う。


「……分からない」


ハグムは目を伏せた。


「分からないって、おまえ。どういうこった」


シバの言葉に、ハグムはまたふう、と一息つくと、語り始めた。


「順に話そう。十年前のナムグ支城の一戦で、ヨナ国もエナン国も多くの兵を失ったが、エナン国は大国。兵はいくらでもこちらに攻めて来ることはできた。対してヨナ国は兵も少なく、補充にも時間がかかる。その危機的状況の時、ただ一つの条件さえのみさえすれば、エナン国は十年の間だけ、ヨナ国を攻めない、と、言ってきたのだ」


「一つの条件……?」


シバは顔をしかめた。


「ナムグ戦を指揮していた軍師総帥をエナン国に引き渡すこと」


「……!!」


シバは目を見開いた。


「エナン国は当然それを指揮しているのは師匠だと思っていた。師匠が病を患ってから一年、最終的な判断は師匠に託しつつ私も軍師を担っていたが、ナムグ戦だけは、その時の師匠の体調も悪く、私が総帥として全任され兵を指揮していた」


「おい、おい。……それって」


シバは青ざめた。


「左大臣は、エナン国の条件を聞いて、さぞ喜んだであろう。その時師匠は病にかかっていたといえど、命に関わるような大病ではなかった。……国は…、左大臣は、ナムグ戦で多くの兵を死なせた私を…戦争孤児の私を、エナン国に差し出すことを決めたのだ」




**十年前 対エナン国前線 野営地―


前線の野営地の小屋で、三人の人間が立ちすくんでいた。

そのなかの一人の青年の顔は、疲弊と焦りが見え隠れしていた。


「ナムグでの一戦は俺の判断で多くの兵を失いました。当然の罰です」


ハグムの苦い顔をみて、オムはため息をつき、ぼそっと言った。


「あれは、おまえのせいではない」


「わしも聞き捨てならんな。いくら国がおまえを引き渡すと言っても、わしらはエナンと戦う方を選ぶぞ」


サイは怒りを含んだ声を荒げた。


「やれやれ」


またため息をついたオムの顔は青白く、やせ細っていたが、その表情は穏やかだった。

三人の間にしばらく沈黙が続いた。

一番初めに口を開いたのはオムであった。


「……ハグムよ。この戦が終わったら、おまえは内政部に入れ。おまえは、政の素質がある」


「!?何、を言っているのです」


突然の思いがけないオムの言葉に、ハグムは口を震わせた。


「何のことですか。俺はエナンに行く」


ハグムは必死に、努めて冷静に言った。


「エナン国は若いおまえが来たとて、納得せんだろう」


オムの言葉に、ぐ、とハグムは言葉につまった。

オムは、ハグムをまっすぐ見つめていた。

その隙のない顔に、オムが考えがありありと見え、ハグムは今まで押さえつけていた不安と怒りが爆発した。


「!……ふざけるな!!」


ハグムは、オムの胸ぐらをつかんだ。


「師匠が俺の代わりにエナンに行くと言うのであれば、貴方の両の足を切ってでも、俺が行く!!」


「……私からの遺言は、受け取ってくれぬのか」


オムのその言葉を聞き、ハグムはオムの胸ぐらを掴んだ手を震わせ、泣きそうになりながら、叫んだ。


「……っ!師匠はまだ生きているではないか!死んだように言うな!!俺は貴方に拾われたからここにいる。貴方を失うくらいなら、俺は、死んだ方がましだ!!」


オムは一瞬目を見開いたが、優しく微笑んだ。


その瞳は、養父を想う優しい息子を慈しむ、温かな光が宿っていた。


「この話は、また明日しよう」


オムは、きっぱりそう言った。

**



ハグムは俯いた。


「私はその日、ひどく疲れていて、すぐ眠りについた。その夜明けだったよ。師匠の……首が、ヨナ軍の野営地に届いたのは」


シバは目を見開いた。


ハグムは、ぐっと拳を握った。


「私は己を憎んだ。なぜ、分からなかった、と。師匠は……もう、とっくにその身をエナンに渡すことを腹に決めていたんだ」


「嘘だろ……」


シバは力無く床に目を落とした。


「……ナムグ戦で、私は多くの兵の命を奪ってしまったが、代わりに私は師匠の命を奪われた。袋の鼠をちらつかせて、奴は再度それを実行しようとしたのだ。ハクタカを、師匠に見立てて」


「!!」


シバは声を失った。


「君も見ただろう、あの、ハクタカのひどい様を」


「……」


「はじめはハクタカを人質にして私に軍師総帥になれと言うつもりなのだと思ったが、違った。奴は、私にハクタカのあの様を見せつけて、王命を受けなければ次はないということを示したのだ。……私はハクタカを匿うために寺に送った。内密にな。少々手荒くしてしまったが」


ハグムは一通り話終えると、


「これで君は納得してくれただろうか」


と、シバに問うた。


シバは繰り返される驚愕の事実に、空いた口が塞がらず、ただただハグムを見つめた。


「ひとつ、気掛かりなのは」


ハグムが続けた。


「左大臣がこのようなことをしてでも私を引っ張り出し、今回の戦の軍師総帥にした理由が、分からない。エナンの兵の数を聞けばヨナ国の危機的状況はあの左大臣も知るところだろう。内政部で好き勝手やっている私をたかだか貶めるためにやったとは到底思えない。戦の準備に関しては奴の仕事は完璧だったし。なにか、きな臭い」


「ま、任せられるのはおまえしかいねえと思ったんだろう、奴もおまえの軍師の能力を買ってるってことじゃないのか?」


シバは遠くなっていた気を必死に取り戻し、ようやく現実を理解したようで、口をはさんだ。

ハグムは頭を振った。


「奴は狡猾でしたたかな男だ。勝敗の分からない勝負事に挑むとは、しかも奴にとって目障りな私にそれを託すとは、全くもって信じられない」


国という正義を掲げて影で汚い手を使う王宮の人間に、ハグムは心底嫌気がさしていた。

考え込むハグムを見て、シバはずっと疑問に思っていたことをぶつけた。


「……おまえ、なんでそんな大事なこと俺に黙ってた」


「え?」


「ハクタカのこともそうだが、オムのことだ。病死なんぞ、嘘をつきやがって」


ぎろり、と大きな目でシバはハグムを睨んだ。

それを見たハグムは目を伏せて小さく唸った。


「……君を巻き込みたくなかった」


「あ?」


「これを知っているのは王と側近達以外は、私と、サイ殿とその数人の部下たちだけだ。師匠が死に、戦が終わると、私たちは、国の監視下にあった。エナンの指示で祖国の民を差し出したなどと情けない話が広まるものなら、王の威信に関わるからね。三年経ってようやく、私たちにその気はないと知ると、監視はゆるまったが。外部に話を漏らすものなら、即刻切り捨てられただろう」


「……ふん、あらかた、俺にそんな重荷を負わせたくないとかなんとか思ったんだろうが」


そう言うと、シバは立ち上がって、ハグムの顔を思い切り殴った。

ハグムは激しく後ろにのけぞり、壁に背中をぶつけ、そのまま座敷の上で仰向けになった。


「……っ!」


ハグムの口が切れ、血が出た。


「俺は、おまえの何だ!」


怒りを拳に預けたシバは、ハグムの前で仁王立ちになった。


「……すまなかった」


そう言うと、ハグムは仰向けになったまま困った顔をして、は、と息を吐いた。

ハグムはのろのろと上半身を起こし、あぐらをかいて首を垂れた。


「……で?なんでいまさらそんな話を俺にしたんだ。そのまま秘密にしておけばいいだろうし、おまえなら適当に話を盛ることもできたはずだが?」


シバはどかっとハグムの隣に座り、横目でハグムを見た。


ハグムは顔を上げた。

外の庭が赤く色づき始め、夜明けが近づいてきている。

ハグムは、自身が今見ている太陽が、ハクタカを名付けたあの日の太陽と重なって見えた。


「……」


ハグムは思いを馳せた。


君は今、どうしているだろう。

ちゃんと食べているか。

道に迷わず、北へ向かえているか。

私を、血も涙もない雇い主だと、憎んでいるだろうか。

左大臣が何を企んでいようとも……、私を守ると言ってくれた君に、私ができることはーー。


ハグムはシバの方を向いて静かに言った。


「……私は、私の大切な者を守るためにこの場に立った。一緒に戦ってくれるか、……友よ」


シバは無言で笑みを浮かべながら、ハグムの差し出した拳の手の甲に、自分の拳の手の甲をこん、と押し当てた。



敵は、自国の兵の二倍以上の軍勢で攻めてくる。

これはすなわちヨナ国の絶対的不利を示していた。

死と隣り合わせの負け戦の予感。

その無謀な戦に、一緒に戦ってくれる友がいる。

ハグムはその存在を尊く、心強く思い、感謝していた。


夜明けの太陽は、並んで座る二人の顔をぎらぎらと赤く染めていた。


【チョヴィスキーからのお願い】

小説を読んでいただいて本当にありがとうございます

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