ユノの反撃
ハグムはまた役所で寝泊まりする日々が続いていた。
ハグムがいくつか巻物を持ちながら役所内をせわしなく歩いていると、前から歩いてきた恰幅の良い男に呼び止められた。
「ハグム君。久しぃな」
「ルドア殿」
ハグムはユノの父、ルドアに近寄り、一礼した。
「君は、少し痩せたな、忙しそうだ」
「はは、いえ」
ハグムは微笑んだ。
「最近どうかね、エナンの方は」
背に手を組み、ルドアがハグムに尋ねた。
「…不穏です。国境の警備隊も増員を」
「そうか…また、戦にならねばよいが」
「……」
二人はしばらく黙って並んで役所の庭を歩いていると、ルドアが先に口を開いた。
「最近、君の自宅に娘が出入りしていると思うが」
「はい、私は最近帰っておりませんが、そのようです」
「それが、困るのだ」
「は、と言いますと?」
ルドアが苦い顔をしたので、ハグムは少し逡巡した。
「まあ、君の家だからそこまで強くは言わないが、その、なんだ。君ではなく、君の使用人を偉く気に入って会っているというじゃあ、ないか。嫁入り前の娘だ。あまり会うのを控えていただきたい」
「あぁ。…はい、そうですね。申し訳ありません。私から使用人のハクタカには伝えておきます」
「頼んだよ、娘にも私から言っておこう」
遠ざかるルドアを見て、ハグムはふう、とため息をついた。
「まいったな」
後ろの首を少し掻いてハグムは天を仰いだ。
ハグムが久しぶりに家に帰ると、ユノとハクタカが庭で一緒にチボと遊んでいた。
「先生、おかえりなさい」
「ハグム様、おかえりなさい」
「あ…ああ」
仲良く話している二人を見て、ハグムはしばらく黙っていた。
(同い年で女同士、気も合うだろう。無理やりその仲を裂くというのは…心苦しいな)
ハグムは庭にいる間、立ちつくし、思い悩んでいた。
三人は夕食を終え、座敷で団欒していた。
ハグムは迷っていたが、ルドアの立場も考慮し、それを口にすることを決めた。
「ユノ殿。ハクタカ。君たちに言っておくことがある」
「なんですか?」
ユノとハクタカが声をそろえて尋ねた。
「今日役所でユノ殿の父君にお会いしてね。言われたよ。あまりハクタカに会いに来てくれるな、と」
それを聞いたユノは察して、不服そうに言った。
「いいのです、ハグム様。お父様の言うことは無視してくださいませ」
「?先生、どうしてユノの父上様はそのように言われたのですか?」
状況が分かっていないハクタカは、ハグムに尋ねた。
「すまない、ハクタカ。君には言いにくいが、ユノ殿は嫁入り前の大事な娘さんだ。ここに頻回に来られては、良からぬ噂がたつやもしれぬであろう?」
(……そうか、ユノが使用人の男の私と)
ハクタカは理解した。
「ユノ、そんな噂が立てられたら、シバにも誤解を与えちゃうよ。しばらく、俺たち、会うのを控えよう」
「そ、そうね。それはわかるけど」
ハクタカは小声でユノに耳打ちし、ユノは頷いた。
ユノはハグムをちらりと見た。
ハグムは至極沈着冷静に、こちらを見ている。
ユノはしばらく考え込み、ますます不満の顔を募らせると、いきなり立ち上がった。
「ハグム様。言わせていただきますけど、私、友達は大事にする方ですの。それに、私は好きになった人とは、たとえそれが自分の使用人であったとしても、駆け落ちしてでも一生添い遂げてみせますわ。たとえお父様やお母様、周囲の皆から大反対されても」
ユノはそう言うと、ふん、と鼻をならした。
(!?…使用人?え、待って。ユノは武人のシバが好きなのに、なんでそんなこと)
ハクタカは慌てふためいてハグムの方を向いた。
ハグムは、口をきゅ、と横に引き締めて、冷静さを失い、面をくらったような顔でユノを眺めていた。
(……先生?)
ハグムが今まで見たことがないような顔つきだったので、ハクタカは少し困惑した。
ユノはハグムの顔を見やると、にこっと笑いかけ、おいとまさま、とだけ言って座敷から出ていった。
「先生?どうかしましたか?」
ハクタカはハグムに声をかけると、ハグムはユノが出ていった廊下を向いて、苦笑しながら俯いていた。
(ユノ殿はすっかりお見通しのようだ)
こちらを不思議そうな顔でじいっと眺めるハクタカの顔を見て、無性に意地悪がしたくなったハグムは、ハクタカの顔に手をぺしり、と当てて、
「なんでもない」
と短く答えた。
「ふん、ふ〜ん」
街に帰る道中、ユノは、鼻歌を歌っていた。
あの秘密を知りながら、あのような涼しい顔で、父の言いなりになり、自分とハクタカとの仲を引き裂くのはどういう了見だと、先ほどユノは、ハグムに敵対心を燃やした。
大好きなハクタカをとられた気分になったユノは、ハグムに少し痛い目を遭わせてやりたかった。
ユノは、くすりと笑った。
彼は想像以上の顔を見せてくれた。
してやったり、とユノは大満足だった。
ハグムはひとり書斎に入ると、自身の懐の中に忍ばせていたものを取り出した。
あの、簪だった。
ハグムはそれを、手の中に持った。
簪の紅色は、薄暗い部屋の中でも、一切輝きを失っていなかった。
空いている片方の手を、簪に滑らせた。
(これを渡したら、君はさぞ、困るだろうな)
この簪を渡したいと思う相手は、男として生きている。
駆け落ちどころか、簪すら渡せない相手だ。
ハグムは先ほどのユノの言葉を思い出し、また苦笑いを浮かべた。
だがその相手に、この紅く輝く簪を、ハグムはどうしても渡したい衝動に駆られていた。
そして、伝えたかった。
気づいてしまった、自分の正直な気持ちを。
簪を左右にゆっくり振ると、それは色を変えてきらきら光った。
ハグムは簪をくるくる回しながら、しばらくの間、その光を眺めていた。
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