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私と友人の暇つぶし

友人と私の気怠い日々

作者: 相草河月太

 先週末の真夏かのごときうだる暑さの後、ようやく訪れた梅雨前線が突然に力戦奮闘し長雨も4日目に入っていた。


 私は古傷が痛み外へ行く気も勉強をする気にもならず、通俗小説を読むのにも疲れ雨樋から滴る水滴を眺めるという世にも贅沢な時間の使い方をしていた。障子を開け放った窓からは下宿の小さな日本庭園が見え、こじんまりとした額紫陽花も咲いて苔むした灯篭が雨に黒く濡れる姿なぞはなかなか見ものだったが、流石に小一時間もすれば退屈で頭がどうかしそうになる。


 その上、友人がキセルをふかしながら趣味の大正琴を、彼の気分をあわらしたものか物憂言に延々と爪弾き続けるものだから堪らなくなった私は、友人の気を逸らしこの音を止めさせようと話かけた。


 「ねえ君。そら、いつもの奴をやってくれないか?まったくこんな鬱々とした日には、全く別のことを考えて気を紛らわすしかないね」

 「うん?ああ。いつもの謎かけかい?ふふ、君も好きだねえ」


 私の狙い通り琴をしまい始めた友人は、キセルをぷかぷか、しばらく考えていたが、やがて立ち上がって襖を開くと、ついこの間仕舞い込んだばかりの冬服の長行李をひっぱりだし、中から一枚のセーターを取り出した。

 それは時々友人が着ているのを見かける網目が複雑に編まれた手編みらしいもので、目の前に置かれた私は首を捻る。


 「今日はこれについて話そうか。なあ君、僕がどう話すか考えるあいだ、ちょっと茶でも入れてくれてもバチは当たらないぜ。何しろこれから君の退屈を紛らわせてやろうっていうんだから」


 悪戯っぽく笑う友人に、どうせやることもない私は立ち上がって台所で湯を沸かし、二杯の煎茶を入れて戻って来た。


 キセルをふかし、浴衣を来て窓の外をながめる友人の姿はなかなか絵になっている。私が差し出した茶を一口すすると、キセルの吸い殻をぽんと叩き出しておもむろに話し始める。

 


 「これは僕が高校のころ、友達に聞いた話だ。彼の祖父の話なんだがね。彼はちょっと英語ができて、そこから家族の話になったことがあったんだが、どうも祖父が日系アメリカ人だというんだ。彼自身にはアングロサクソンの血を感じることはなかったけれど、細い小鼻と長いまつげに、もしかしたら現れていたかもしれない。


 彼の祖父、仮にトムとしておこうか。トムは日系人だったが、当時大学生でペンシルベニア大学に通っていた。当時というのは1945年のことだ。そう、日本とアメリカがどんぱちやって、その年の8月には二発の原子爆弾によって悲劇の終戦を迎える、その年のことだ。


 その当時は日本人に対するアメリカでの風当たりは相当なもので、カリフォルニアやワシントンに収容所が作られていたのは君も知っているだろう。で、日系人であるトムや、日本人であるトムの父親にも差別的な圧力は相当に高まっていた。


 それは仕方がないことだと思う。トムの父親は仲間の在米日本人たちと、海外ルートで物資を送り日本を支援するための活動を行っていたし、トム自身もその空気の中で、日本のために何かしてやりたい、という愛国心のようなものに駆られていたと言うからね。


 それでここからが話の本題なんだがね。

 トムが通うペンシルベニア大学では、世界初のコンピュータの開発を行っていたんだ。君はしらないかな?1946年に発表されたENIACというマシンを。完成品は1万7千本もの真空管を使用した大掛かりなものだが、その設計自体は1943年には完成していたんだ。


 アメリカ陸軍が弾道計算のために設計したものなんだが、ロスアラモスにも参加していたコンピュータの父、ジョン・フォン・ノイマンの関与もあって、1945年にはまだ発表こそされはしていなかったが、原子爆弾設計のための計算の一部をおこなっていたのではないかとも言われている。


 トム自身はそんな国家機密に関われるような立場ではなかったが、彼は必死の努力でコンピュータの制作に関わる

大学の学生の一人を抱き込み、ENIACのプロトタイプとなる設計図、そして計算を行うために必要なリレー回路の設計図を手に入れることに成功したんだ。


 専門的な話は避けるが、このコンピュータは真空管の電流のスイッチ特製を利用している。面白いのは2進法でなく10進法を使用していることだ。基本単位は真空管を組み合わせたリングカウンターというもので、それを数字の0〜9に当てはめて、外部パルスによって状態が変化するようになっている。そして、このカウンタが9から0に変化するときにパルスを発し、次のカウンタに繰り上がるような仕組みになっているんだな。


 そしてこれを増やしていけば、並べ方を変えたり桁を変えたりすることで手動では不可能な規模の計算を行うことができるわけだ。この回路の組み方と、基本のリングカウンターの回路図を両方手に入れた。


 これがあれば原理的には、規模や安定性は及ばなくとも、戦争に役立つコンピュータを作れる可能性は十分にある。それほど重要な機密事項だった。


 コピーを入手したトムが次に考えたのは、もちろん日本への持ち出しだ。


 しかし、当然のことながら日本人や日系人、また繋がりがあると思われる人物への検査はきびしいものだった。とくにスパイの可能性のある人物や、情報に触れることの可能な日系人や日本人が海外渡航する場合、裸になってのチェックはもちろん、手荷物を全て開けての徹底的な調査、本や手紙の没収、カバンや服の裏地までチェックされる可能性を考慮しなければならなかったんだ。


 そしてもし見つかれば、厳しい尋問と、家族への弾圧が待っている。父と母だけでなく、おそらく一緒に住んでいる母方の祖父と祖母、親戚にまで迷惑がかかってしまう。


 トムは苦しみ、しばらくの間どうすべきか悩み続けた。アメリカが日本に対して何かとてつもない切り札を、原爆だね、用意しているという噂は学生であるトムの耳には入っていたし、日本にこれを持ち込むことができれば、もしかしたらそれを回避するような力になるかもしれないと本気で思っていた。


 だから彼は、それこそおかしくなりそうなほど考えて、しかし方法が見つからなかった。

 そんなある日、祖母の一言が彼に閃きをもたらしたんだ。


 そして彼は戦争終結間際の1945年の5月に、ヨーロッパから中国経由で日本にたどり着いたんだ。それこそ父の祖国を救うために命がけでね」



 そう言って友人は言葉を切った。

 茶を飲んでため息をつき、タバコ入れからキセルに葉を詰めてマッチで火をつけ一服する。


 「そこで君に問題だ。この冷めてしまった茶を入れるついでに、彼がどうやってその回路をアメリカから持ち出したかを考えてくれたまえ」

 そして煙を吐きながら片目を瞑るとこう言った。


 「暇つぶしにね」



 「一つ二つ質問してからでもいいかな、茶を入れ直すのは」

 私は緩くなった茶を飲み干して、彼の話を思い出す。


 「もちろんいいとも。それがフェアな質問なら大歓迎だ。話し足りない部分もあるだろうからね」

 「まず、彼はなんらかの形でその回路図を持ち出したと言ったが、そこになにか秘密があるということでいいんだね?頭の中に記憶していた、とかじゃなく」


 「ああ、それであってる。彼は専門じゃなかったから、記憶することはできなかった。なんらかの形にして、回路図をもちだしたんだ」

 「よし。次に、君が誇張していたように、彼が国外に出る時にはその徹底的な検査を受けた、という前提でいんだろう?もちろんその検査員が無能だったとかではなく、普通の検査員にはわからない方法だったということだ」


 友人がニヤリと笑う。

 「君のその厳格さ、嫌いじゃないよ。何回目かな、このゲームは。完全にルールを把握しているね。そう、トムは徹底的な検査を受けた。凄腕調査員のね。その上で日本に持ち込んだんだ」


 私は腕を組み首を捻る。

 外は相変わらずの雨。軒先から垂れる滴がどこかに当たるぽんぽんぽんという規則的な音が聞こえる。

 「ふむ。そして、彼にとってヒントになったのは祖母の言葉」

 

「その通り」

 私は友人が出したセーターを見る。これもヒントに違いない。しかしそれにはどうみても文字や記号が書いてあるようにはみえない。


 私は立ち上がり、友人の湯呑みも受け取ると言った。

 「茶を入れてくるよ。長くなるかもしれないけど」

 「ごゆっくり」



 ここまでお読みいただいた読者の方にはもう、なんとなく想像がついただろうか。情けないことに私はさっぱりわからなかった。ガスの火をとろ火にして、湯が沸くまでじっくりと考えたのだが、やかんがピーと音を立てても、閃きはおりて来なかった。



 「どうだい?」

 私から茶を受け取った友人が訪ねる。


 「暇つぶしにはなったよ」

 私はわからないのが悔しくて、そう答えた。


 「全然わからないのかい?これだけヒントがあっても」

 と、友人はセーターをキセルで指し示す。


 「うむ、なんとなくはわかる。セーターに回路の模様を書き込んだんじゃないのかい?まあ、このセーターは実物じゃないからそうは見えないが、きっと色違いの柄で模様にしたんだろう」


 「それは問題としてフェアじゃないな。回路の柄のセーターなら、当然捜査官が気づくだろう?」

 私は顔をしかめる。茶が渋かったせいもあるが、友人の言葉が私にもわかりきったことだったからだ。持ってきた

茶菓子をわざと大きな音をたててかじり言葉を返す。


 「そうだろうね。で、答えはなんなんだい?」

 「負けを認めるのかい?」

 「仕方ない」


 くっくと愉快そうに友人が笑う。

 「実に惜しい。君が編み物の一つでもしたことがあったら、答えにたどり着けていただろうがねえ」


 と言って友人はセーターを持ち上げる。それは白い毛糸で編まれたセーターで、捻ったがらや、四角い柄、格子や丸、三角などが複雑に編み込まれている。

 「編み物を編む時に、作り手がどんなものを使っているか知っているかな?」


 と言って、立ち上がると本棚から、今度は編み物の本を取り出してきた。

 「見たまえ、この記号と図案を。くさり編みやこま編み、長編み、引き抜き編み。段目の切り替えや模様の指示を見たまえよ、君」


 私は初めて見る編み物の本に驚いた。そこには複雑な図形がさまざまな記号で書き込まれ、幾何学的な模様を描いていた。


 「それに、編み方の違いで数字も表現できる、例えばこれは長編み5目一度、くさり3目、左上2目交差、編み方を長くすればいくらでも長い数字を表現できるし、切り替えればそこまでが一つの単位だとわかるだろう?」

 「じゃあ何かい?セーターの模様でなく、編み方で設計図を表現したっていうか?」


 「その通り。トムに閃きを与えた祖母の言葉っていうのは、みられちゃいけない設計図をたまたま目にした祖母が、「トム、お前も編み物を始めたのかい?」って言葉だったんだな。編み物趣味のおばあちゃんには、複雑な回路図、君もみたことがあるだろう、ラインが絡み合って、途中に斜め線が入っていたり、オーム記号が書いてあったり。それが編み物の記号図に見えたってわけさ。Ωは編み物の「裏目ねじり」によく似てるし、線の途中にコンデンサーを表現した二本線があるのは「長々編み」の記号にそっくりなんだな」


 友人はいかにもおかしいというように笑って続ける。

 「トムはもう5月だというのに、祖母の編んでくれた回路図編みのセーターを着込んで、汗をかきかきアメリカを出国したってわけだ」


 「なんだ、馬鹿馬鹿しい」

 私は茶菓子をお茶で流し込む。

 「じゃあほとんどあってたんじゃないか。セーターの柄で表現するのは変わらんだろう?」


 「負け惜しみはやめるんだね、これは暗号の問題なんだ。柄で表現したんじゃ紙に書いたのと変わらない。一度編み方に落とし込んで、それをまた編み上がったセーターから読み出すってところが肝なんだから、君はハズレだよ」


 くやしいが、編み物について知識のなかった私の負けだろう。

 「で、結局そのコンピュータはどうなったんだ?君の友人の祖父、トムが日本に持ち込んで、うまく作ることができたのかい?」


 友人は首を振る。

 「残念なことに、友人の祖父には編み物の知識がたりなかったんだ。君と同じでね。トムのお婆さんも連れてくればよかったんだろうがね、結局回路図を再設計できずに終戦を迎えたってわけさ」


 「へえ。なんだか悲しい話だね」

 「で、今君がみているそのセーターだがね、高校時代に話を聞いたその時、友人が着ていたもので、なんと祖父がアメリカから持ち込んだものそのものだったんだが、今僕が君にしたのと同じ問題を出されて、少々編み物を嗜んでいた僕が正解してね、景品にもらったのがそれだよ」


 「え?じゃあこれに、その国家機密の回路図が編み込まれてるってわけ?」

 「ああ。暇だったら挑戦したらいい。一人の男が命がけでアメリカから持ち出した、世界最初のコンピュータの回路図に」


 友人はゴロリと横になって本を読み始めた。

 私はセーターを手に、時代と数奇な運命に思いを馳せていた。


 戸外ではしとしとと雨が降り続る、水無月のある日の話だ。

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