聖女、悪魔を召喚する
「厭忌の念に心を蝕まれ、その口から醜悪な呪詛を吐き出し、地獄から我を召喚したものよ。汝の求めに応じてこのサタンが……ん……?」
どこからともなく現れた悪魔は、何故か目の前にいる女性をじっと見つめて、趣のある名乗り口上を中断しました。
「……お前……まさか聖女ではないよな?」
恐る恐る尋ねる悪魔サタン。
「いえ、私イザベラは正真正銘の聖女です」
「馬鹿なことを言うな! 一体どこに悪魔を召喚する聖女がいるというのだ!」
「別に召喚していませんよ?」
呼んでもいないのにそちらが勝手にやって来たと言わんばかりのイザベラの返答に、サタンは少し傷ついたような表情を見せます。
「……煮えたぎるような憎しみを込めて、この世の全てを呪う言葉を口にしなかったか?」
「ああ……確かに『皆死ねばいいのに』と呟きましたが……そんな簡単に悪魔って召喚されるものなんですね」
「簡単な訳があるか! 心の底からそう願っていなければ呪詛としてみなされぬのだぞ! そもそも、どうして民を慈しみ、民に尊ばれ、魔物から人々を守るはずの聖女が人間を呪うのだ!!」
悪魔の存在を軽々しく扱われた怒りと、よりによって天敵であるはずの聖女に召喚された驚きに思わず声を荒げるサタン。
「まぁ……いろいろあってこの王国から追放されることになりまして……おそらく実際は道中で暗殺されるのでしょうけれど……」
「この国の人間は馬鹿なのか!?」
「そうでしょうね。ところで、悪魔なら魂と引き換えに願いを三つ叶えて下さったりするのですか?」
「……ああ……そうだが? 死後も地獄の業火で永遠に焼かれ苦しみ続けることになるぞ」
本来なら自分から言葉巧みに誘惑し取引を持ち掛けるはずなのに、勝手に話を進められ、サタンは若干不機嫌になります。
「じゃあ、取りあえず一つ目の願いは、『私の死を願っている人間が今すぐ全員死ぬ』でお願いします」
「……何だ、その願いは?」
「少なくとも元婚約者である王子や、その両親の国王夫妻は私を殺そうとしていると思います。あと、王子の浮気相手も。他にも平民のくせに偶然聖女に選ばれただけで良い暮らしをしている私に嫉妬していた人もいるでしょうし……自業自得だと思うんですけど、駄目ですか?」
「悪魔は道徳心など持ち合わせていない。その願い叶えよう……」
サタンは両手を広げると何やらぶつぶつ呪文を唱え始めました。しばらくすると両手に半透明の靄のようなものが四方八方からふわふわと集まってきました。
「これが貴様の破滅を願っていたものの魂だ……全く……人間というのは実に愚かだな……」
「でも、想像していたより少なかったですよ。では、彼らを再び生き返らせてください」
「……貴様、俺をからかっているのか?」
凄みのある声で問いかけるサタン。
「いいえ。だって、せっかくスッキリしたのに彼らを殺したままだと流石に私も罪悪感が残りますし……悪魔なら不可能はないですよね?」
「……無論だ」
再びサタンがまじないを唱えると、白い靄は四散してどこかに消えていきました。
「てっきり奴等を殺してそのまま逃げるつもりかと思っていたが、全くお前が何を考えているのか理解できん……そもそも願いは必ず3つ叶えなければならない故、そんなことは不可能だがな。さあ、早く最後の願いを述べて、その魂を差し出せ!」
ようやく悪魔らしい威厳を取り戻し、イザベラに詰め寄るサタン。
「私の最後の願いは……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それでそれで~? ママは、パパになんてお願いしたの?」
「それはね……」
「おい! 出会った頃の話は、ルシアにしない約束だろ?」
ムッとした表情でキッチンから声を掛けたサタンは、エプロンをつけて朝食の支度をしている。
「え~!! やだぁ~!! パパとママの恋バナ聞きたい~!!!」
「いいじゃないですか、あなた。ルシアももうすぐ5歳になるんですし」
娘と妻に二対一で責められるも、今回ばかりは譲ろうとしないサタン。
「お前を殺そうとした人間の魂を根こそぎ抜き取ったり戻したりしただなんて、ルシアの情操教育に良くないだろう!」
「もうその件は終わりましたよ?」
「はあ……その後のことだって、本来は悪魔のしきたりに違反することだから秘密にしないといけないと何度も説明したじゃないか。もしルシアが学校で魔族の教員にそのことを喋りでもしたら、俺の立場が危うくなるだろうが。ほら、ルシア! 食事の前は、どうするんだ?」
「いただきま~す!! ……ねえ、パパお願い! ルシア、良い子だからいただきますもできるし、残さずご飯食べるし、ちゃんとお口にチャックできるよ!!」
娘に上目遣いの潤んだ瞳で見つめられ、なす術のないサタンはイザベラに不貞腐れたように告げます。
「地獄から追放されても知らないからな?」
「心配ありませんよ。あなたとルシアが一緒なら、人間界でも天界でも、どこへ行ってもきっと幸せですもの!」
そういって微笑むイザベラに思わず見蕩れそうになり、サタンは自分に呆れて溜息をついたのでした。