夏休みと少年と古本屋
8月1日
蝉の音が響く村の小道にポツンと一軒の古本屋が建っていた。看板には『西光堂』と書かれていた。
夏の日差しの中、薄暗い店内はひんやりしていた。その店内の更に奥 日陰の最も濃いところに店主の巳鳴紺伊が和服姿で座っていた。
「やはり蝉の音を聴き、中この店内のインクを嗅ぎ、日陰を感じ、本を読む。味覚以外のすべてがここで満たされる。すばらしいね」
誰もいない店内にしみじみとした声が広がる。
「うるさい奴も来ない。平日の昼とは良いものだ・・・」
そうフラグを建てた矢先に自転車のチェーンの音が聞こえた。フラグを回収しに来た音だ。
自転車は店の横に停まり、ガラス戸が開かれた。
「せんせー!いるかー!」
店内をつんざく少年の声が響いた。
「ここは未成年立ち入り禁止だ。帰りたまえ」
「そうか、この古本屋は未成年には見せられない卑猥なものが売ってるんだな。みんなに教えてやらないと」
「分かった。入っていいからもう少し静かにしてくれ(こんな田舎で噂を流されればすぐに広まってしまう)」
紺伊は少年を引き留めた。
「ところで、平日の昼間から何の用だ。中学校が閉鎖でもしたか」
「今日から夏休みなんだよ。ってか用が無いと来ちゃダメなのかよ」
「用も無いのに古本屋に来る奴に用はない」
「そこまでいくと面倒くせーな」
「さ、僕が面倒くさいと分かったなら帰りたまえ」
「せんせーは面倒くせぇけど面白れーから良いの」
少年はカウンターに腰を掛けて言った。
「せんせーさこんなに人来ないのに生活できんの?」
「現に出来ているだろう?」
「こんなに流行ってないのに変な話だな」
「流行ることが目的じゃァ無いんだ。『古本屋で過ごす』事が重要なんだ」
「じゃあ生活費は何処から来てんだ?」
「そんなこと少年には関係ないだろう」
「少年じゃなくて『劉』って呼んで」
「そんな義理は無い」
「つめてーの」
「つめたくて結構」
「あ、そういえば今日はせんせーを誘いに来たんだ。夏休みに親戚の家に泊まりに行くんだけどせんせーも行こうぜ」
「唐突だな、それに行くわけないだろう?一体僕と何の関係があるんだ」
「そっか残念だなァ。庵君の家、書庫もあって大量の本が貯蔵されてるのになァ~しかもひいおじいさんの代からの本だから大正時代の本もあるって聞いたから提案したのになァ~庵君にも話を通してあるのになァ~他に古本屋に頼るかなァ~」
劉は大きな独り言をあげた。
「分かった、僕も同行しよう。日程は?」
紺伊は音速で手の平を返した
「俺が言うのもなんだけどゲンキンだよなァ」
「いいから言いたまえ」
「三日後の昼に迎えに来るよ。ちなみに一泊二日の予定だから」
「三日後だな分かった」
それだけ言い終わると劉はそそくさと店を出て行った。
8月4日
例によって紺伊が本を読んでいると劉がスポーツバッグを持って店頭に現れた。
「せんせーお待たせ」
「別に待っちゃあ居ないさ。ところで親戚ってのはどこに住んでいるんだ?」
「この先の通りを山沿いに歩いたところ」
「山しかないが・・・思ったより近いのか」
「こんな村に住んでたらほぼ親戚ばっかだしね」
そう言いながら田んぼしかない田舎道をのんびり歩き始めた。
「せんせーいつもの着物なのは置いといて、その髪暑くねぇの?」
紺伊の後ろで結った髪を指さし、劉は言った。
「慣れれば気にはならんよ」
通りを渡りながら劉は左右に揺れる紺伊の髪を見た。名の通り髪は深い青色で夏の日を反射していた。
「で、次はどっちに進むんだ?」
いつの間にか通りを渡り、タバコ屋の前で紺伊は尋ねた。
「このままあっちの山に向かって通りを登っていくだけ」
劉の指さす道は緩やかにカーブを描いた山道だった。恐らく見かけ以上に急こう配なのだろう。
山に近づけば近づくほど蝉の声は大きく聞こえてきた。一歩一歩を踏み出す度に汗がアスファルトにシミを作った。
やがて歩き続けるとイタドリやススキの影に小さな門が見えてきた。門は通りにつながる坂の上に塀と塀を繋ぐようにあった。
「あの建物か」
建物とは言ったものの塀に遮られ中は見えなかった。塀は広く続き山に切り込んでいるようだった。
紺伊は肩で息をしながら坂を登った。いつの間にか前には劉が歩いていた。
「せんせーもうへばってんのか?」
「・・・日陰者を舐めるな」
「かっこよくねぇ・・・」
紺伊が門の前にたどり着いたころには汗が滝のように顔を落ちていた。門には『新月』という表札がかかっていた。
劉と紺伊は門の中へと歩き、玄関へと向かった。広い土地には高級車が数台停まっていた。
玄関に入るとひんやりとした空気に畳の香りが混じっていた。
廊下の端から割烹着姿の女性が現れた。お手伝いさんの様だ。
「あら、劉ちゃんいらっしゃい。そちらの方は巳鳴さん?」
「星舘さん、久しぶり」
「はい、巳鳴です。今日はお招きいただきありがとうございます」
そう言いながら手に持った鞄からラッピングされた箱を取り出し、星舘に差し出した。
「つまらないものですが・・・」
「そんな、悪いです」
「こちらこそ申し訳ないので」
「そういう事なら・・・」
星舘は箱を受け取ると二人を客間に案内した。
「ただいま主人を呼んでまいります」
星舘はお茶をだすと二人を客間に残し出て行った。客間は和洋折衷の応接間だった。
「少年の家系はみんなこんな感じかい?」
「「こんな感じ』って?」
「地主のような家系なのかってことだよ」
「地主じゃないよ。百姓の家系。それにここまでお金持ちじゃない」
「そうなのか。村の連中は君を特別扱いするから権力者か何かかと」
「・・・この『新月家』は昔、林業で成功した一族なんだよ。特に先代の当主は林業から建設業にも手を出してより新月家を大きくした」
「だから書庫があるのか」
「そういう事です」
引き戸の方から声が聞こえた。そこには20代後半と思わしき青年が立っていた。
「庵君、久しぶり」
「久しぶり劉。どうも、新月家当主、新月庵と申します」
「西光堂店主、巳鳴紺伊です」
「本日はお越しくださりありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
「先代の残した本が多くて処分に困っていたのですが、劉の知り合いに古書店をされている方が居ると伺いまして」
「しがない古本屋ですが・・・ところで書庫というのはどちらに?」
「お早いですね。やはり気になりますか」
「一応仕事で来てますので」
「なるほど、では向かいますか」
そう言うと庵は腰をあげた。
庵に案内され二人は土倉の書庫に向かった。
奇妙な形をした書庫は本館に渡り廊下で繋がっていた。
「こちらになります」
「これまた立派な」
「先代が凝り性でして、以前からあるものを増築・改築して今に至るんです。ささ中にどうぞ」
庵がカギを開けるとなかには本棚の森があった。壁も本棚になっており中にはぎっしりと本が詰まっていた。書庫の隅には簡単な机と椅子が置かれており、その脇には二階へと続く梯子がかかっていた。
「これまた凄い量ですね」
「はい、先代は特に本と金の亡者でしたので・・・家族を顧みないほどの・・・」
庵は悲しげに言った。
「何か?」
「いえ、何も。私は仕事に戻りますが、全てお売りするつもりなのでここのカギはお渡しします。好きに見ていてください。何かあれば星舘にでも申し付けてください」
庵は書庫を去っていった。
「叔父さん、まだ書庫を見るのが辛いのかな」
「『まだ』とは?」
「庵君のお父さん、僕の叔父さんにあたる人なんだけどとにかく本とお金に目が無かったんだ。元々無口だった叔父さんは叔母さんを早くに亡くした後、家では本、外では仕事で庵君と話すことはほとんどなかったんだって。そんなこともあって昔から庵君はこの書庫に近づきたがろうとしなかったんだ。それを解消できないまま叔父さんも死んじゃったから庵君にはわだかまりが残ってるんじゃないかなって。遺言も無かったみたいだし」
「そういう家庭の事情か」
「うわ、急にドライじゃん」
「僕には関係無いからな」
「せんせーホントそういうところあるよな」
「それより査定だ」
紺伊は本を片っ端から検品し、一冊一冊に大判の油取り紙をブックカバーにのように包んでいった。
「何か俺にも手伝えることある?」
「邪魔だからどこか行きたまえ・・・と言いたい所だがこの量だ。二階にある古本をその机に陳列してくれ」
「ほいきた!」
二人が蔵書量の約3分の一を査定し終える頃には日が山の向こうに堕ちていた。
手元が暗くなってきたことに気が付いた紺伊は二階に向かって叫んだ。
「少年!この書庫の電灯とスイッチはどこにあるんだい?」
「入り口のすぐ横にある!」
「分かった」
紺伊は蝶番の横にあるレバーを下した。すると書庫の天井に吊るされた電灯が数度点滅した後暖色に光った。
途端に劉が叫んだ。
「せんせー!本棚の下に木箱があるんだけど!どうする!?中身は本だけど!」
「新月さんは『全て売る』と言った!検品だけでもするから降ろしてきてくれ!」
木箱を抱え、劉は器用に降りてきた。
「これなんだけど」
「カギとかは無いな。蓋が着いているだけだが・・・これは・・・」
「?!」
庵は書庫の灯りがまだ点いているのを見つけ、確認に向かった。
「巳鳴さーん、まだおられますか?」
「はい、今しがたまで査定を・・・」
紺伊は木箱に呼んでいた本を置き、椅子から立ち上がり応えた。
「お仕事も結構ですが今日はもうお休みになられてはどうでしょう?お風呂も夕食も用意させておりますし」
「しかし、確認を取らくてはならないことがありまして・・・」
「確認?ここにある本は全て巳鳴賛にお売りしますから確認の必要はないでしょう。
「どんなに価値のある本でもですか?」
「どれだけ高価な本でもです」
「ではこれらは買い取らせていただくことにしましょうか」
紺伊は木箱を掲げた。
「それは・・・?」
「この中には十数冊の本がまとめて入っていました。例えばこの児童向けの図鑑。『乗り物』が主に載っているんですが、他にも『乗り物』や『車』の雑誌、カタログ、専門書があります。お庭にも高級車がありましたがお父様にこのような趣味はありましたか?」
「いえ、車は私の趣味です」
「そんなお父様がこの書物を残す必要があったと思いますか?」
「本が好きで意味も無く集めていたんじゃないですか」
「本好きというのは集めることも楽しみとしますが無駄な浪費が目的ではありません。それに収集が目的なら他ジャンルの図鑑が無いのは不自然でしょう」
「何が言いたいんですか」
「お父様はあなたにも書庫に来て欲しかったんですよ」
「は?」
「例えばさっきの図鑑はあなたが小さい時。この赤本や参考書はあなたが高校の時」
紺伊が出した赤本はこの辺では有名な工業大学だった。
「この使い古されたビジネス書はあなたが就職された時」
今度は色褪せた本を取り出した。
「この本ははお父様が亡くなった時」
次に紺伊が取り出したのは表紙に遺書と書かれた薄い本だった。背表紙には庵の父『新月 綴』の文字が印刷されていた。
「それは・・・」
紺伊は庵をまっすぐ見つめながら言った。
「見ての通り恐らく遺書でしょう。しかし庵さんはどんなに価値のある本でも売ってくださるとおっしゃいましたし、遠慮なく買い取らせていただきましょう!」
「しかし・・」
「二言がおありで?」
庵はなにも言えなかった。
「料金はあとでお支払いしますが、そんなに欲しければ私がこれを買い取った上であなたにお売りしましょう。」
「法外な値段で売りつける気か」
「失礼な。買うも買わないもあくまで自由ですよ」
紺伊は口角をあげた。
「買いますか」
「いいさ、いくらでも出してやるよ。守銭奴が」
庵は懐から小切手を取り出した。
「さぁそこに欲しいだけ書け」
「では遠慮なく」
紺伊はボールペンを小切手の上で滑らせた。
「こちらでお願いします」
紺伊の笑顔を睨みつけながら庵は小切手を受け取り額を見た。どんな額でも覚悟していた庵だったが小切手を見た瞬間に固まった。
そこに書かれていた文字は『親父さんを見つめ直す』だった。
「僕の要求はそれだけだ。故人と目をそらさず向き合った上でならここの本も買い取ろう。それまでは保留だな。もちろん他の業者に頼みたければ好きにすればいい。選択権は君にある」
そう言い残し紺伊は本館に向かっていき、劉と合流した。
8月8日
ジリリリリリリ
西光堂の黒電話が鳴り響いた。
「もしもし、西光堂です」
『もしもし、新月です』
「ご用件は?」
『改めて買い取りの出張を依頼したいのですが』
紺伊は口元を緩ませて応えた。
「喜んで」
紺伊は受話器を置き、劉に言った。
「新月家まで案内してくれ」
「またかよォ」