きみに、さよなら……
友達が死んだ。
9月15日。台風が雲を持ち去ったせいか、澄んだ青空が印象的な日だった。放課後のHRの時間に、担任の口から昨日友達が亡くなったと告げられた。
最初は何を言われたのか理解ができなかった。まるで耳が、体が、彼女の死を理解することを拒絶しているかのようだった。
ようやく先生の言ったことが理解できた瞬間、僕の世界から急速に光が消えていった。足下から地面に吸い込まれるような絶望感。気がつけば教室を飛び出していた。どうやって家に帰ったのかは覚えていないが、何回か車に轢かれそうになったことだけ覚えている。
家に帰ってからなんとなくスマホを触ると、SNSのクラスのグループでは彼女のことが話題になっていた。どうやら、死因は自殺だという話だった。
僕のスマホでは、昨日まで当たり前のようにやりとりをしていた彼女の名前が、まだトーク履歴の上のほうに表示されていた。彼女がいたという形跡を感じたくなって、思わず彼女とのやり取りを見返す。
『そんな日もあるよね』
彼女からのこんな一言で、僕たちのやりとりは終わっていた。なんでもない日常のやりとり。しばらくやりとりを読み返していると、画面の上に数滴の雫が落ちた。どうやら僕は泣いているようだった。
生真面目で優秀な女の子だった。勉強でも部活でも結果を残していて、僕なんかよりよっぽど将来を期待されていた。まだ高校生なのに、あんなに一生懸命な子がどうして。できれば変わってあげたいとさえ思った。僕が彼女の代わりに死んであげられたらよかったのに。
彼女を探してスマホの写真フォルダを見返す。しかし、普段から写真を撮る習慣のなかった僕のフォルダには、彼女の形跡はひとつも残っていなかった。亡くなることがわかっていれば、もっと写真も撮ったのに。
僕の家に少しずつ増えていっていた彼女の私物も、一昨日に全て彼女が回収していった。もしかしたらその時点で、彼女は自分が死ぬことを決めていたのかもしれない。どうしてあの時に気づけなかったのか。どうしてもっと彼女に気を配ってあげられなかったのか。気がつけば僕は、血が滲むほどに唇を噛み締めていた。
悔しくてどうにかなってしまいそうだった。
家を飛び出して、僕は暗い夜道を走りだした。あてもなく、信号も横断歩道も何もかも無視してとにかく走る。車に轢かれて死んだとしても別に良いやと思った。
だけど、結局すぐに脚が回らなくなってしまい、僕はその場に崩れるように倒れこんだ。
奇しくも僕が倒れこんだ場所は、彼女と良く話をしていた橋の下にある川辺だった。あてもなく走っていたはずなのに。
「ううぅぅ……。うあぁあああああ!」
空を見上げて、叫ぶ。まるで空っぽになったかのような胸の虚無感をどうにかしたくて、ひたすら胸を掻きむしったりもした。しかし結局何をしても苦しみは無くならなくて、僕はうなり声をあげながら何度も頭を地面に叩きつけた。
「由宇……。由宇……!」
何度も何度も、僕は彼女の名前を叫んだ。喉が枯れ、自分の声に血が絡むのがわかった。
この川辺に座って、何回も長話をした。
――君はすごいね。私にはそんなこと思い浮かばないよ。
捻くれ者の僕が、彼女を妬んで言った言葉にも真剣に頷いていた彼女。
――勉強だけは頑張ってるから。いつか1位を取れたら、お父さん褒めてくれるかなぁ。
僕がテストの点数を誉めると、はにかんでいた彼女。
――お父さんは、私のことなんて要らないんだって。私は間違いで出来た子だから、さっさと死んで欲しいって言われた……
父親に心ないことを言われて泣いていた彼女。
川辺を見回せば、至る所に彼女の顔が浮かんでは消えていった。
彼女の両親は、出来ちゃった婚だったらしい。理由は聞いていないが、母親が病院に行った時にはすでに堕ろせないほど週数が進んでいたらしく、彼女の父親は責任を取らされる形で半ば無理やり結婚させられたという話だった。彼女が物心ついて間もない頃に母親は家を出ていったらしく、彼女は父親と2人で暮らしていた。彼女はいつも父親から心無い言葉を浴びせられていたが、それでも、父親に認められたくて色々なことを頑張っていた。
がんばってがんばってがんばってがんばって、昨日突然命を絶った。
親に恵まれなくて生活も苦しかったのに、どんなときも他人に優しくて努力家だった彼女。何不自由ない環境にいるのに、周囲と関わることを避け、いつも斜に構えていた僕。彼女は僕なんかよりよほど立派だったのに。本当に、心の底から僕が代わりに死ねればよかったのにと思った。
もし彼女とここで話をしていなかったとしたら、僕は今も生きたまま死んでいただろう。
彼女に怒られるからまともでいられた。
彼女を励ましたくて優しくいられた。
彼女の笑顔に救われていた。
僕は、彼女がいたからここまで生きてこられた。
「死のう」
気がつけばそう呟いていた。自分が今口走った言葉を反芻すればするほど、それはとても良い考えのように思えた。彼女を死に追いやるような世界に未練はない。
僕は、川辺から橋の上に登った。
迷わず橋の高欄に手をかける。彼女と同じ世界に飛び立つのだ。
ふと、高欄にかけた手に何かが当たっている感覚に気づいて、僕は今にも柵を飛び越えようとしていた体を止めた。目を向けてそれがなんなのかを確認すると、どうやら文字が書かれた紙のようだった。
僕は一旦柵から体を下ろして、高欄にセロハンテープで貼り付けてあった紙を剥がす。確認すると、それは手紙のようだった。
――私は、限界が来てしまったので一足先にいきます。本当に本当にごめんなさい。これをもし、私にとって一番の友達であるあなたが読んでくれているのなら、お願いがあります。
……彼女の字だった。僕は震える手で手紙の続きを読んだ。
――私が死ぬのは、誰のせいでもありません。だから、誰も恨まないでください。あなた自身を責めないでください。辛い思いをさせてしまって、本当にごめんね。
手紙に、涙がいくつも落ちた。
「……本当だよ。ずるいよ……勝手に1人で死んで、ごめんなさいだなんて……!」
しわくちゃになってしまう手紙。僕は泣きながら、彼女からの最後のメッセージを目で追った。
――あなたは私にとって、最も優しくて思慮深い人でした。でも、その優しさから人を傷つけることを恐れて、あなたはいつも1人で過ごしていましたね。斜に構えないで素の状態のままで人に接することができれば、あなたはきっと大丈夫。私が言えることではないのかもしれないけれど、これからどんなに辛いことがあっても、負けずに、ひねくれずに、名前のとおりに真っ直ぐ生きて。もっと自分を信じてあげてください。
さよなら。今までありがとう。本当に、大好きだったよ、直生。
僕は、震える手で丁寧に手紙を折り畳んで、胸ポケットにしまった。高欄に手をかけ、橋の上からしばらく僕たちの思い出の川辺を眺める。やがて橋に背を向けて、僕は家に向かって歩き出した。
「僕も大好きだったよ、由宇。……さよなら」
僕が最後に言い残した言葉は、橋の上から涙と一緒に川辺へ吸い込まれていった。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
あなたは友人を亡くしたことがありますか?私は大学生の時に亡くした親友を思い出して、いまだに眠れない夜があります。彼の分も一生懸命生きることができているのか、死んで彼に再会したときに胸を張れる生き方をしているのか、自問自答する日々です。身の回りの人を大切にして生きていきたいですね。
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