第2話:パイ○〜ニア〜〜〜
自分が車に乗り始めた時、車載のオーディオは群雄割拠の時代であり、カロッツェリアは時代の寵児だったのです。後部座席の後ろに置いたスピーカーのイルミネーションは白く光り、ブレーキに連動して赤に変わったりするのがオシャレだったのです。
足が硬い地面を捉え、自分が何処かへたどり着いたとわかった。
自分の姿が曖昧になり始め、浮遊感とともに眩い光に包まれた俺は黄色味を帯びた光に包まれ、目が開けられないほどの眩しさに目を閉じ、数秒もしないうちに足元が不安定な状態からしっかりとした土を踏みしめる感覚に安堵を覚えながら目を開くのだった。
靴の裏に感じた土の感触に視線が下がる。
目に入るのは黄色い土でできた地面。
一緒に視界に入るのは濃い茶色の革靴。
深い緑色のズボン。
摘んでみればあまり肌触りの良くない綿でできた長袖のシャツ。
出立からすればあまりに普通と言える流行の小説にある村人らしい服装だった。
会社から出た際に着ていたスーツも高価なモノでは決して無かったが、さらにランクが落ちたような服装に少し気が沈む。
家族を養い、家のローンなんかもあったのだから当然切り詰めるところは締め、贅沢らしいこともしてはいなかったが、ここまで身をやつすほど暮らしぶりは酷くはなかったはずだ。
だが、今のこの服装は麻のズボンと作りの粗い綿のシャツ。
あの女性が神様だとするならば、次の人生の門出に贈る装束としては随分と扱いが酷いじゃないかと言わざるを得ない。
まぁ、考えてみれば自分の身柄などこれから生きていく上で適当なのかもわからないんだから、まずはこれでいいのかも知れないし。
高望みはするまいと思い直して身につけているモノが他にはないのかと確かめるが、あるのは腰に巻かれた皮袋のみ。
チャリチャリと軽い音がするからには硬貨が入っていると思われるのだが、贈られたこの衣装からするならば期待を持っていいような金額でもないと思える。
皮の袋の口を絞り、紐が器用にズボンに巻かれている。
袋を手で握り、引いてみればしっかりと結えつけられており、多少激しく動いたくらいでは解けて落ちたりはしない様子だ。
この縛り方が普通などだとすれば、同じように縛れるようにと解きながらやり方を再現できるように気を使った。
チリン
『皮袋の縛り方を覚えました』
頭の中に鈴の音が鳴り、目の前にメッセージが現れた。
「わぁ、なんだよこれ?」
音は一回だけ。
メッセージも数秒で消えた。
まるでゲームのように、何かスキルを得たときのアクションみたいだと驚きつつも納得した。
いつかプレイしたPCゲームにあったような冒険者の成長をお知らせするメッセージのようだと苦笑いする。
10代後半から20代の頃、パソコンに齧り付いてゲームに明け暮れていた。
RPGもSLGも黎明期であり、AIなどという思考回路も存在せず、特定のパターンをなぞるかランダムな条件分岐や乱数による戦闘結果に一喜一憂していた世代だから、昨今のスマホRPGなどの完成度の高さや自然な会話、アルゴリズムの秀逸さに驚いたモノだった。
「最初の街にも着いてないのに檜の棒を拾ったか?」
『檜の棒は所持していません』
皮肉を独り言のように呟いたつもりだったのだがメッセージが視界に現れる。
ついで視界を遮ったのは所持品のリストだった。
1.財布用の革袋
2.大銀貨1枚
3.銀貨5枚
4.賢者のロッド
今着ている服装については所持品と認められてはいないのか、リストには含まれていなかった。
だが、財布やその中身については開きもせずにお知らせされている。
この金額がこの世界でどの程度のモノなのかはわからないが。
『勤続33年、退社時年齢55歳で満額の支給額として1,500万円相当となります。大銀貨はこの世界で1,000万円相当の価値があり、銀貨は1枚当たり100万円相当の価値になります』
この長文が視界に表示されると前が見えない。
それに、退職金が全額この革袋に入っているらしく、町中で見せようモノなら物盗りに狙われること間違い無しだな。
おかげでハードモードでスタートしなくても済みそうではあるが。
それに賢者のロッド。
所持品のリストにある割には手にも身にも着けていないのにロッドといえば杖なのだろうと想像はできるものの、どこを確かめてもそのような枝切れさえ持ってはいなかった。
顎に左手を添えながら考え込む。
自分の言葉に対して返答を寄こすアナウンスも気持ちが悪い。
檜の棒などただの洒落のつもりだったのにわざわざ持っていないと念を押す声が響いたのだから。
視界にも同じメッセージが表示され、数秒で消える。
対応してくれている声とメッセージが誰なのかも不思議なのだが、まるでゲームのようだと現実感を薄れさせる仕様に困惑もさせられるというモノだ。
地に降り立った…降りてきたのかは判らないがあの神とも思われる女性のいた場所からどこかの地に移りやってきたからには天界から地上に降りるという表現が自分的には納得がいく。
状況を受け入れるために努力をし、辺りを見回せばゆるくうねる地形にまばらに木立が生える丘陵地帯といえば良いか。
日差しは眩しく、昼を過ぎてはいないと思われる。
彼方は見通すこと叶わず、植生は非常に貧相だった。
下草は当然見覚えもなく、まばらに育っている木立も見たことがない樹木だ。ツンツンとした雑草が生茂り、足元を覆い尽くしている。
芝生などと違い葉の長さが20センチ近くある雑草というよりない下草が一面に作為的に生え揃っているのだからそうとしか言いようが無い。
木立の幹もねじくれ曲がり、熱帯地方のマングローブを大きくしたような樹木だ。
幹から伸びる枝葉も独特で絡みつくように天へと伸びる枝にハート型の葉が散々に茂っているイメージだ。
それらが千鳥格子のように等間隔に生えているのがこれまた作為的だ。
そう、まるで誂えたように50メートル間隔で横に揃い、25メートルずつズレて延々と続くようにも見える。
全く自然に繁茂したようには見えないのだ。
古いRPGのプレーヤーが歩き回る平原の背景のようだと思わざるを得ない。
「ちょっと手抜きがすぎないか?」
『ここはアリシュラの町の入り口になります』
間髪を入れずに解説が入る。
さすがにこうも度々解説が添えられると自分自身も慣れるというものだ。
しかも自分の独り言に対する返答の割には的を射ていない。
自分でRPGを作るツールで、平原を適当にでっち上げたようなひねりもない風景だと皮肉を言ったつもりだったのに、帰ってきた答えは場所の解説だった。
「そもそもここはどんな世界なんだよ」
『アリシュラは人口二千人程度の小規模な辺境開拓村です』
これだよ。
口に出した言葉も、脳裏に浮かべた言葉も逐一解説されるわりに微妙に期待する回答とずれている。
このついてまわる解説者はワザと正解を避けているのかと思うほどに外してくるのだ。
『外すという意味がわかりません。ナビCARROZZ2000はご主人様の今後の生活に役立つように創造神に命令されております。
瞬時に正しく、適切な解答を与えるように努めておりますが、どの辺りがご希望に添えていないか修正案をご提示ください』
俺が求めているのはたった今やってきたこの世界はどのような環境であり、社会システムであり、種族特性がどのようなものでどんな国がこの世界にあって、情勢として安定しているのか、きな臭い状態にあるのか。
アリシュラの町はどこの国に所属していて近隣との付き合いはどうなのだろうか。
とにかく、自分がこれから生きていく世界を知りたかったのだが、「人口二千人の小規模な開拓村」だと言うのだ。
これからどのような情報が得られると言うのだろうか。
ブレーキを踏んだら色が変えわるイルミが付いたスピーカーのロゴがカッコイイ一昔前の乗用車用のカーナビ並みにインプットとアウトプットに齟齬がある。
田んぼの中や海の上に自車のカーソルが置かれて当たり前な20年前のカーナビ並みな答えしか返らないナビなど無い方がマシだと思ってしまうのだが。
『随分と失礼な評価をいただき、ありがとうございます。
ご主人様の問いが漠然としすぎていることが最適解にならない根本的な原因だと申し上げます』
「違うから。お前が全ての思考や発声に答えを返そうとするからそうなるんだ」
『余計なお世話だと?』
「そう言わざるを得ないな。聞いた時にのみ答えをくれるならお前だって適切な解答を選択できるんじゃ無いのか?」
なぜ俺は脳裏に語りかけてくる謎のナビと言い争うことになっているのか。
「呼称がいると思わないか。答えが必要な時にお前を呼ぶよ。その時に返してくれる言葉はきっと俺に必要なモノだと思うんだ」
『・・・』
たっぷりと将棋の長考モードに入ったようにダンマリを決め込んだナビは答えを返そうとはしなかった。
『ご主人様が呼んだ時にだけ返答を返せば良いのですね。そのために私を呼ぶユニークな呼称が必要だと?
それではCARROZZ2000とお呼びください』
「おい、それは呼称なのか?2000とか絶対にないだろう?」
何かの拍子に、と言うか慌てている時なんかにカロッツ2000よ答えておくれ!なんてやっている間に死ねる気がする。
獣に襲われた!、誰かに殺されそうだ!なんて時に2000?一考だにする必要もなく「却下」だな。
『なんという理不尽』
理不尽な存在に理不尽と言われても「お前が言うな」だな。
大体にして自分がどんな存在でなぜ俺のためにガイダンスをしてくれようとしているのかさえも判らない。
「カロだな。俺が答えを求める時にはカロと呼ぶよ」
『アクセプト』
ただの一言で了承されてしまった。
以降、周辺を見渡して抱いた感想にも足の裏から感じる草と土の感触にも脳裏で思考したことに一切答えは返らなくなった。
風にそよぐ草原の草からザワザワと鳴る環境音のみが耳に届き、その他には一切耳に届く情報がなくなった。
いや、それが当たり前なのであって、今までのやり取りが普通ではなかったはずだ。
「カロ」
『やはりすぐにも呼ばれるのではないですか』
「いや、そうだな。それについては謝罪するしかない」
『いえ、必要とされ、設定された呼称を呟かれるのであれば、お答えする機会と推察します』
「うん、ありがとう。所持品リストに賢者のロッドがあった。これを俺自身は所持していないように思うんだが、どれのことを言っているんだろう?」
『ご主人様のストレージに賢者のロッドが収納されております。必要と思われる際にはストレージから取り出して使用されるのが最適です』
ストレージ?倉庫?・・・アイテムボックスのようなモノだろうか?
『アイテムボックスとストレージの差異が判りません』
「ああ、すまないな。どちらも同じ物だと思うよ。収納を目的とした異次元倉庫とでも言ったらいいのかな?」
少しファンタジーな要素が俺の身に備わっているらしい。
ストレージなんて異世界転生の大道じゃないか。
そうだよな。55歳のオッサンがトラックに轢き潰されて神様と会話を交わしてから異世界に転生すれば凄いことの片鱗くらいあったとしてもバチは当たらないだろうとも。
これでストレージの容量が無限大で、中にしまったアイテムが経年劣化せずに時間が止まっていたように取り出せればもはや勝つる。
『ストレージは確かに容量の制限はありません。収納した物品についても収納時点で状態が固定されますので、取り出した時には収納時の状態を維持していると言えます。
ご主人様の想像の通りの挙動をしますので、容易に使いこなすことができると思われます』
ホウホウ、いいことを聞いた。
身体能力に翳りが見えていたとしても、勇者のような働きができないとしても、魔法と科学が見分けがつかないとしても荷運びのような仕事ができるとすれば、食いっぱぐれることにはならないのでは無いだろうか。
孫のために焼いた出来立てのパイが熱いままに届けられる。
標高の高い雪山で切り出した特大サイズの氷が溶けないままに南国へと届けられる。
輸送手段の乏しい山間の村々に新鮮な海の幸を採れたてのまま届けられる。
いいんじゃ無いだろうか。
『幻想を抱くのも、皮算用をしてほくそ笑むのも構いませんが、拠点構築が最優先の課題と申し上げておきます』
どこの世界に生きるにも世知辛いということには違いがないようである。