「煮える女2」の⑥
煮えているのは西太后だけではない。怒りは人間の自然な振舞いで、今も世界は「煮え」ている。
アメリカからは黒人差別の暴動騒ぎ、商店略奪と分断の内戦危機は眼前にあり、フランスからは風刺画をめぐってイスラム教圏の不買運動と抗議デモ、香港、タイランドでは民主化を求める若者達の連帯は政府への要求行動を拡大させている。一方、民衆蜂起は権利者の弾圧を呼び、やがて抑圧された民衆による破壊と混乱をもたらす。民主国家アメリカは黒人を刑務所に詰め込み、法と秩序の大義名分を掲げる。中国政府は国家安全維持法を成立させて、若者達を締め付ける。一国ニ制度の真実を香港で見せられた台湾は、防衛力増強で決死の抗議だ。ロシアは秘密裏に傭兵と武器弾薬を紛争地に送り、自国の為に影で周辺国を操る。イスラム原理主義は世界の混乱に乗じ、テロリストを世界中に送り込む。戦乱から逃れた難民は行き場を失い、安住の地を夢みて海を渡るが、波間に命尽きる。そして毎日が哀しみの声で世界に溢れる。
「煮え」ては「哀しみ」のくり返し、それが三千年生きた化け猫が見た人間の歴史である。故に私は生きることに「いい加減飽き飽き」しているのだ。それでも生きるのは、ただ一つの楽しみ「もしかして、今日は美味しい獲物」に出会えるかも、という細やかな希望があるからだ。
人は他人の痛みは想像するが、実際は感じない。イエス・キリストはゴルゴダの丘で磔刑となり人類の罪を一身に受けたが、人々は彼の傷みを塵ほども感じてはいない。実際、傷みを感じたなら生きては居られない。これは幸いな事で、傷みから隔てられることにより、他者は活きられるのである。しかし、私達は他者の痛み苦しみを想像しなければならない。何故なら人間が人間として生まれ、より良く生まれ変わる必須要件だからである。