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ヴィオレットの森の扉の魔女  作者: 神田柊子
第一章 見習い魔女と界の狭間から落ちてきた者
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エマの魔法

 タクトは数日でベッドから出られるようになった。

 ムニールを通じてダーツ辺境伯に連絡したところ、ゾエの部屋にエマ用のベッドを運び込んでくれた。

『魔女の家』は玄関を開けるとまず広い一部屋があり、右手が居間スペース、左手が食堂スペースとキッチンとだいたい分かれている。玄関から向かって奥に扉があって、その先は個室が並ぶ廊下だ。廊下の右側は魔女の部屋。左の手前は見習いや同居人が使う部屋で、奥が書庫だった。カイは居間など好きなところで寝ていた。

 部屋を増やすかどうかは後々考えるとして、見習いの部屋をタクトに譲り、魔女の部屋をゾエとエマで共用することになった。

 辺境伯オーブリー・ダーツはベッドを運ぶ使用人と、息子のセドリックも連れてきた。セドリックは十五歳だ。辺境伯家の子どもは、セドリックの下に六歳になる妹のブリジットがいた。

 彼らが持ってきたセドリックが昔着ていた服はタクトによく似合った。

「こうすると貴族の子息と言っても通りそうだな」

 オーブリーはタクトを眺めて感嘆した。

「タクトは庶民だと聞いたが……。生活水準が違うのだろうか?」

「僕の弟に見えるかい?」

 セドリックがおどけてタクトの肩を抱く。セドリックは父親と同じ金髪に青い瞳の貴公子だ。タクトは黒髪で、この国の人よりも目鼻立ちが地味だった。全く似ていない。

「セドリック様、ダメです。タクトは私の弟ですから」

 エマはタクトの腕を引いてセドリックから取り返す。

 当然だけれど、菫色の髪と瞳のエマもタクトとはきょうだいには見えなかった。

 タクトとはバンドーのノートを介して会話をした。

 彼の年齢が六歳だと聞いたセドリックが、

「ブリジットと同じだな」

≪ブリジット?≫

「僕の、妹、だ」

「ぼく、いもうと」

「ああ」

 ノートを見ながら単語を繰り返すタクトにセドリックも「理解が早いな」と感心していた。

 そんなタクトも元の世界にないものはわかりにくいようだった。例えば、貴族がよくわからず、ノートの『辺境伯』の説明を読んでも首を傾げていた。

「バンドーが言うには、貴族制度のない国らしいですね」

「ああ、王もいないとか。……極北の地の遊牧民が長を話し合いで選んでいるらしいが、そんな感じだろうか」

 子どもたちを見ながら、ゾエとオーブリーが話していた。


 タクトが『魔女の家』に住むようになってから一か月ほど経った。

 その日は新月だった。

 満月は魔力が強まり、新月は弱まる。その二つの夜は、人間界と魔界の境界がいつもより不安定になるため、迷子がやってくることがある。

 ヴィオレットの森や『扉の魔女』のことは、最初にタクトに説明した。バンドーの手記にも説明があったそうで、タクトは理解してくれたようだった。

 前の満月には何も起こらなかったのだけれど、その日の新月には迷子が発生した。

「誰か来たようですね」

 夜半ごろ、居間スペースのアルコーブ――外に出っ張った三面が窓になっているテラスのような部分――に置いた揺り椅子で裁縫をしていたゾエが、そう言って手を止めた。

 寝ていていいと言ったのに付き合って起きてくれていたタクトと一緒に言葉の勉強をしていたエマは、長椅子から降りる。ケープを取ってゾエに渡し、自分も着るけれど、リボンがどうしても縦結びになってしまった。

 まあいいか、とあきらめたところで、

「姉さん」

 タクトがうかがうように手を伸ばした。

 エマは、タクトは自分の弟だからと何度も主張して、彼から『姉さん』と呼ばれる栄誉を勝ち取った。名前の方がタクトもわかりやすいでしょうとゾエはエマを窘めたのだけれど、タクトがエマの希望をのんだことで、ゾエも認めたのだ。――あきらめたとも言う。

「何?」

 首を傾げるエマのケープのリボンを一度ほどいて、タクトはきれいな蝶々結びに直した。

「わー、すごい。ありがとう」

 なんでもできるのね、と感心したエマにタクトはかすかに微笑んだ。

「いもうと、いた」

「そうなんだ……」

 初めて聞く話に、どう反応していいかわからなかった。そんなエマにタクトは微笑む。

 溶けて消えてしまいそうな、悲しい微笑みを、タクトはよく浮かべていた。

 本当に大丈夫なんだろうかと、そのたびに心配になるエマだった。

 しかし、今は迷子の方が優先だ。

「エマ、行きますよ。タクト、留守番していてくださいね」

 先行したカイに続き、ゾエとエマも『魔女の家』を出た。タクトは戸口まで見送ってくれていた。

 新月の森は暗い。空を閉ざすように木々の枝が広がり、足元の植物はぎゅっと地面に縮こまる。昆虫も小動物も見かけずに静かだ。

 ヴィオレットの森にしか生息していない発光キノコのテラリウムをランプ代わりにして、行く手を照らすと、植物は避けて道を開けてくれた。

 迷子の場所はエマにもわかる。家から北に数分だろう。大きな魔力の気配ではなかった。

「今日はエマが一人でやってみますか?」

 ゆっくりと歩きながら、ゾエが提案した。エマは一も二もなくうなずく。

「はい!」

「待て」

 そんな二人に水を差したのはカイだった。立ち止まり、振り返る。

「もう一人、迷子がいるようだ」

 ゾエもエマも気配を探る。もう一人は全く逆の方角だ。しかも移動している。

 ゾエの年齢を考えたら、エマがそちらに行くのがいいのではないだろうか。

「師匠、私があっちに行きます」

 ゾエは少し迷ったようだったけれど、「わかりました」とフードの上からエマの頭を撫でた。

「カイはエマと一緒に。気を付けて」

「はい!」

 エマは駆け出した。カイが彼女の横に並ぶ。

 気配を辿りながら、森を南へ。

「湖の方ね」

 エマはつぶやいた。タクトが落ちてきた場所だ。

 近道で茂みを突っ切ると、湖を囲む草原に出た。月のない夜空は晴れていて、星がいくつも瞬いていた。草原の草はぺたりと地面に伏せている。今日の湖は暗く影に沈み、水の色がわからない。湖面は凪いでいた。

 がさりと音がして、少し先の茂みがら誰かが出てきた。

「タクト?」

 迷子かと思ったけれど、それはタクトだった。

「どうして?」

 エマは駆け寄る。

「エマ!」

 カイが彼女の前に出た。

 慌てて止まったエマが見たのは、タクトの背中にかぶさるようにしている魔族だった。

 炎を思わせる赤い短髪。ねじれた枝のような角が二本生えていた。翼はないけれど、魔族の足は地面から浮いていた。

 魔族は笑った。真っ赤な唇が甲高い声を響かせる。

「まあ、女の子! アタシ、女の子の方が好き!」

 エマはカイの背を撫で下がってもらうと、ゆっくり魔族に近づいた。

 人間に害をなす魔族はそれほど多くはない。迷子をすぐに送り帰さないとならないのは、魔族が危険だからではなくて、魔術的な手続きを踏まずに界の境界を越えたからだ。

 基本的に魔界は魔界で完結していて、人間界に出てくる魔族は観光気分の物好きか意図しない迷子だ。だから、この魔族もエマたちを遊び相手と考えているだけかもしれない。でもタクトが捕まっている以上、速やかに帰ってもらうのが望ましい。

「その男の子と私、交換してくれる?」

「もちろん」

 タクトはきっとエマたちの会話がわからないのだろう。不安そうな彼の視線を受けて、エマは笑みを返した。そのまま、魔族にも笑顔を向ける。

「名前を教えてくれる?」

「ええ、いいわよ」

 ここがヴィオレットの森だとわかっていないのか、『扉の魔女』のことを知らないのか、魔族はあっさり応じた。

「アタシはマチルダ」

 あと一歩のところで、マチルダはタクトを脇に投げやり、エマに手を伸ばした。

 エマは身を捻ったけれど一拍遅く、マチルダの長い爪がエマの頬をかすった。

 エマは体勢を整えながら、ブーツのかかとを打ち付けた。両手をぱんっと合わせる。彼女のかかとから弾けた星は一瞬辺りを強く照らした。

 菫色の瞳でマチルダを見据える。本当にわからないのだろう、彼女はぽかんとこちらを見ていた。

「ヴィオレットの森の魔女が扉に命じます。マチルダを元の場所に帰しなさい」

 両手に集まった光をマチルダに向け、呪文を唱える。光はマチルダを包み、扉が閉まるように中央に収束して、消えた。

 光が消えたあとに、マチルダはもういない。

 一気に緊張が解け、エマはその場に座り込んだ。

「びっくりしたぁ……」

「エマ。よくやった」

 マチルダの消えたあたりを検分したカイが、エマに体を擦り付けて労った。尻尾がぱたぱたと頭を叩いている。

「姉さん!」

 声とともに横から抱きつかれて、エマは倒れた。タクトだった。

「タクト、大丈夫? どうしてこんなところに? 魔族に連れ出されたの?」

≪ごめんなさい、エマ。ありがとう≫

 倒れた上に伸し掛かられて、エマはタクトの頭を撫でた。何を言っているのかわからないけれど、タクトはまた泣いている。

「ダイジョーブ。ダイジョーブ」

 唯一覚えてしまった異界の言葉をエマは繰り返した。

「エマ、タクト。詳しいことは戻ってからだ」

 カイに言われて、エマはタクトを押して体を起こす。

≪あ、怪我してる……≫

 タクトに頬に触れられて、そういえば魔族の爪がかすったことを思い出した。

「けが。くすり」

 心配そうなタクトに、エマは笑った。

「このくらい平気よ。なめておけば、薬なんていらないわ」

「なめる? くすり」

 エマの言葉をなぞるタクトにエマはうなずいた。

≪この世界ではなめるのが薬になるの? 異世界人の僕でも治るのかな≫

 わからない言葉にエマが首を傾げると、タクトは知っている単語だけで質問した。

「僕? 治る?」

「うん、すぐ治るわよ」

 すると、タクトはエマの頬に顔を寄せて、そっと傷をなめた。

「え? え!」

 驚いて仰け反るエマに、タクトも驚いたようだった。

「なめる、違う?」

「え、えっと。あのね」

 違わないけど、違う。

 口の中でごにょごにょ言うエマの背中を、カイの尻尾が叩いた。

「エマ、タクト、帰ってからにしなさい」

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