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ヴィオレットの森の扉の魔女  作者: 神田柊子
エピローグ

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エピローグ

 ホネストを帰した翌日の新月は大変だった。

 なんと迷子が一晩で四件も発生したのだ。

「前の晩にエマが森にいなかったのと、エマの精神が一時魔界に飛んでいたため、ヴィオレットの森の境界がいつもより不安定になったのだろう」

 カイの見解だ。

 真夜中をだいぶ過ぎたころ、四件目の迷子を帰したエマはぐったりと長椅子に倒れこんだ。

「大丈夫? 何か飲む?」

「ううん、いらない」

 カイが足元の絨毯に寝そべったのを見て、エマは転がるように長椅子から降りるとカイの背に抱きついた。ふかふかの毛皮に顔をうずめる。

「魔力がちょっと戻ってくる……」

「そうなの?」

 驚くタクトに「カイは使い魔だから」と説明したつもりだけれど、エマの口はあまり回っていなかった。


 次に目を覚ますと、明け方だった。三面を窓に囲まれたアルコーブの辺りが薄明るい。

 エマは絨毯に寝ていた。背中にカイがいるのか温かい。首を巡らせると、エマの頭の方、長椅子の足にもたれてタクトが本を読んでいた。

 黒い髪が横顔にかかる。真剣な表情に灯りが陰影を作っている。わずかに茶色がかった深い色合いの黒い瞳は、ここからは見えない。

 静かに見つめていると、タクトはエマに気づいた。

「起きたの?」

「うん。タクトはずっと起きてたの?」

 彼は「まあね」と笑って、本を閉じた。

 エマはそっと体を起こす。カイと一緒に毛布に包まれていたので、エマはそれをかけ直す。カイは起きていると思うけれど、特に反応しなかった。

「朝霧を見に行こう」

 そう誘うと、タクトはうなずいて、さっそくエマにケープを着せた。エマは笑うしかない。

 玄関から出ると、外は紫の霧に包まれていた。

 庭の範囲くらいは見えるけれど、木々が生えているあたりはもう見えない。魔界の紫煙の崖とは違い、ヴィオレットの森の霧はしっとりと濡れて冷たかった。

「ブリジット、うまくいくといいわね」

 夢の中で呼び捨てにしてから、エマはそれを続けていた。なんとなくその方がいいと思ったのだ。

 結局、ブリジットとピエールは婚約することになった。

 彼女から聞いたところによると、ホネストは『振り向いてくれない相手を好きになる』のが趣味だったらしい。――エマにはよくわからなかった。

「エマ、あのさ」

「ん?」

 タクトに呼ばれて振り向こうとすると、彼はそれを止めた。エマの後ろに回って、首に何かをつけた。

「ペンダント?」

 胸元に揺れる飾りを持ち上げる。金細工のリースがアメジストを囲むデザインのペンダントだった。

「結婚じゃないけど、僕とエマがずっと一緒にいるって約束の証」

 エマはタクトを振り返った。小柄なエマよりも背が高いタクトを見上げる。

「エマにこれを持っていてほしい。……もし、気に入らないなら他のにするから」

 珍しく自信がなさそうにタクトは言った。

「似合う?」

「うん。かわいい」

「じゃあ、気に入った」

 エマが笑顔を向けると、タクトも笑った。

「良かった」

 少し照れたように頬を赤くする彼にエマは目を細める。

「なんだか、タクト、かわいい」

「え? なんで」

 エマの方がかわいい、とタクトが言うから、エマはさらに相好を崩した。うれしくなってペンダントのアメジストを撫でて、えへへと笑う。

「エマ、あのさ」

「ん?」

 先ほどと同じやりとりのあと、タクトはエマの頬に手をあてた。

 つられるようにしてエマは顔を上げる。

 タクトの瞳は茶色から黒へ深い色を宿して、エマを熱く見つめていた。

 エマの菫色の瞳は宝石のように輝いた。

 ゆっくりと本質から色を変えていく「染め」のことを思い出した。エマの心は長い時間をかけて徐々に恋に染まってきたのではないだろうか。そしてもう取返しがつかないくらい、タクトの色に染まっているのではないだろうか。

「嫌だったら突き飛ばして」

 タクトの顔が近づいてくるのを認めて、エマは少し背伸びをした。

 エマの唇の方が先にタクトの唇に触れた。

 驚いたタクトが瞬きをする。

 たんっとかかとを地面に戻すと、足元で星が散った。

 エマは声に出して笑った。

「アリスが言うのよ。こういうことできるのは、私がタクトを男性として好きだからだって」

 エマがタクトに抱きつくと、彼はぎゅっと抱きしめ返した。

「それでね、ブリジットも言ってたの。私は本当の弟なんて知らないから、恋人を弟って呼んでるだけだって」

 エマは体を離して、タクトを見上げる。

「タクトはどう思う?」

 エマが聞くと、タクトは少し涙目になって、彼女の唇にもう一度触れた。

 風が吹いて、霧がさあっと晴れると、葉っぱと小花が舞い散った。

 それは、ヴィオレットの森が二人を祝福してくれたようだった。



終わり

最後までご覧いただきありがとうございました。

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