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ヴィオレットの森の扉の魔女  作者: 神田柊子
第三章 初めてのはなればなれ

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王都のタクト

 王都まではゆっくり馬車で三日かかった。

 エマが気にしていた通り、タクトはこちらの世界に落ちて来てから、ヴィオレットの森とヴェール村と辺境伯邸にしか行ったことがなかった。しかし、ヴェール村で生まれ育った人たちだって大半がそんな感じだ。交通手段が限られていて移動には時間も金もかかるため、皆、旅行なんてめったにしない。エマはバンドーの例があるから、同じ『界の狭間から落ちてきた者』としてタクトも外に出たいのではないかと考えているのかもしれない。タクトは外への興味はほとんどなかった。

 そうは言っても、実際に王都までの旅は目新しくおもしろかった。ヴィオレットの森しか知らないタクトは、木や草が勝手に動いて道をふさがない普通の森ですら物珍しい。見渡す限りの小麦畑や、桃色のレンガで統一された家々が並ぶ街など、初めて見る景色ばかりだった。エマが一緒だったらもっと楽しいのに、と何度思ったことだろう。

 余裕を持った行程だったこともあり、タクトは護衛騎士に混ざって馬で旅をした。乗馬は剣と一緒に習っていた。剣術も見習い騎士程度には使えると認められた結果だった。

 王都行きをエマに宣言した翌日、タクトはオーブリーとセドリックに相談した。彼らはジュリエンヌから、ブリジットがエマやタクトを王都に誘った経緯を聞いていたそうだ。オーブリーからは謝られてしまった。

 こちらに来た当初は理解できなかった貴族制度も今はわかるようになった。ブリジットがその気になったらエマやタクトに命令できてしまう。そしてその場合でも処分されるのは下の者だ。だからこそ、上の者は自身の立場を自覚して、自制すべきだ。今回のブリジットは軽率だったということだろう。

 オーブリーとセドリックには、エマの本当の希望からタクトが考えた建前まで、全て説明した。その上で、王都に同行する許可をもらった。

 ブリジットは建前の理由しか知らない。

 今回タクトは騎士と行動を共にするため、ブリジットと顔を合わせることはほとんどない。そうでなくても、社交界デビューという一大イベントを控えている彼女はタクトに構っている場合ではないだろう。

 今年はブリジットのデビューがあるため、辺境伯の一家は夏の終わりまで王都の屋敷にとどまるらしい。主人に従ってきた騎士の一部は三日間の休暇をもらい、そのあと領地に戻る。タクトも彼らと一緒に戻る予定だった。

 王都の屋敷の使用人部屋を借りたタクトは、初めてヴィオレットの森以外の場所で夜を迎えた。

 同室の騎士や、隣の部屋から人の気配がする。それなのに静かだと感じた。夜のヴィオレットの森のざわざわした騒がしさがないからだ。こうして離れてみるとわかるが、危険でいっぱいの森は、同時に『魔女の家』を守ってもいてくれる。落ちてきたばかりのころはあんなに気味が悪く感じていた森に、今は安心感を抱くなんて、とタクトは一人で苦笑した。


 翌日、エマの実家に付き合ってくれたのはセドリックだった。オーブリーが住所を教えてくれたから、あとは王都屋敷の使用人に聞こうと思っていたタクトは驚いた。

「私は暇だからね」

 と、セドリックは笑った。

 お忍びということで簡素な服装のセドリックは、豪華すぎない、裕福な商家が使う程度の外観の馬車を出してくれた。

「辻馬車にしようかって言ったんだけれど、クレマンが許してくれなかった」

「護衛のことも考えてくださいね」

 セドリックに眉をひそめたのは、彼の護衛騎士のクレマンだ。三十代半ばの彼は、親も辺境伯家の騎士で、セドリックとは子どものころからの付き合いだそうだ。タクトが訓練に参加するときには指導もしてくれる。

「辻馬車……本で読みました」

 ヴェール村は、向こうの世界の路線バスのような定期馬車か、荷馬車を持っている農家の人に頼むかのどちらかで、辻馬車はない。異世界出身を考慮しなくても、タクトが都会に不慣れな田舎者なのは変わりなかった。

「ほら。本で知識を得たなら実践しないとだめだろう? 帰りに乗ってみるかい?」

 タクトのつぶやきを取り上げて楽しそうに提案するセドリックに、クレマンの視線を感じたタクトは「いいえ、結構です」と丁重に断った。

「私もエマの実家に行くのは初めてだ。タクトはエマから話を聞いたんだったかな?」

「はい。セドリック様はオーブリー様から?」

「ああ、聞いている」

 オーブリーの視点と、当時まだ五歳だったエマの視点では、印象が違うかもしれない。

「エマは自分は捨てられたようなものだって言っていたんですが」

「父上の話もだいたいそんな感じだね。エマを手放すのはすぐに了承したそうだ。そして、一家でヴェール村に引っ越す提案には乗って来なかった」

「実家からの手紙は一度も届いていないそうなんですが、辺境伯家にも連絡はないんですよね?」

「ないね」

 セドリックは難しい顔をした。

「最初の数年はエマの近況を伝えていたんだ。ゾエが手紙を書いていたのをエマは知っているかい?」

「いいえ、知らないと思います。何も言っていなかったので」

「ゾエの手紙に返事はなかったし、辺境伯家からの使者も歓迎されていないようだったから、ゾエとも相談してやめたんだよ」

「そうなんですね……」

 タクトの表情も陰った。

 今回の訪問は事前の連絡はしていない。

 エマの手紙の内容はタクトも知らないけれど、もしあんまりな態度を取られるようなら手紙は渡さずに帰ってこようとタクトは思った。

 そうこうするうちに、馬車が止まる。

 エマの実家は、王都の下町の治安の良い地域にあった。馬車がすれ違って通行できるわりと大きな通りに面した雑貨屋だ。

 赤いドアの横に店内が見えるガラス窓がある。道に張り出した屋根には色とりどりの瓦が使われていて、外壁の下方に貼られたレンガもカラフルだった。ヴェール村の雑貨屋と違ってあか抜けて見える。

「いいかい?」

 セドリックにうなずくと、クレマンが扉を押し開けた。

「いらっしゃいませ」

 二十代前半の女性がカウンターの向こうから声をかけてきた。年齢からして、エマの姉だろうか。

 棚にはいろいろな日用品が並んでいる。桶や箒などの木製品、手巾や小袋など布製品、食器や花瓶などの陶製品。店の外装と同様に、商品も色であふれていた。

 店内を見回すタクトに、セドリックが「エマに土産でも買っていく?」と聞いた。

 それに「エマ?」とカウンターの女性が反応した。

「あの、もしかして、ダーツ辺境伯様でしょうか?」

 彼女は恐る恐るセドリックに尋ねた。

「ダーツ辺境伯は父だ」

「エマは? エマは元気でしょうか?」

 彼女はカウンターを回り込んでセドリックの前に駆け寄る。クレマンが前に出ようとするのをセドリックが目線で止めた。

「君はエマの姉上かな?」

「はい。あ……失礼いたしました。ソフィと申します」

 ソフィは丁寧に頭を下げた。

「エマは元気にしている。私よりも彼の方が詳しい」

 セドリックはタクトの背を押した。

「ヴィオレットの森で一緒に住んでいます」

「え……? 一緒に?」

 タクトがセドリックくらいの年齢だったらエマの夫に見えたかもしれないけれど、タクトはエマより年下だ。

 困惑の表情を浮かべるソフィに、

「僕はエマの師匠に拾われたので、弟みたいなものです」

「弟……」

「去年師匠が亡くなって、エマは『扉の魔女』を継ぎました。今は、立派に仕事をしています」

「そう、魔女に……そうなのね。ああ……ありがとう。元気ならいいの」

 ソフィは涙目になって、タクトの手を握った。

 その様子にタクトは不思議に思った。

「どうして一度もこちらに連絡してこなかったんですか?」

「それは……」

「エマは実家からは手紙も来ないって話していました」

 ソフィはカウンターの向こうをちらりと見てから、少し声を落とす。

「両親が、エマは大事な役目があるから、私たちから連絡して里心を起こして帰りたいなんてわがままを言ったら困る、と……。実家のことは忘れてくれたほうがいいだろうって」

 奥に両親がいるのかもしれない。

「私はエマの近況くらい知りたかったんだけれど、辺境伯様の使者様も、お師匠様からのお手紙も、いつのまにか途絶えてしまって……あの、父が何か失礼なことを申し上げたのでしょうか?」

 最後の質問はセドリックに向けてだった。

「いや、歓迎されていないと思って、我々が勝手に連絡をやめてしまったんだ。申し訳ない。また再開させよう」

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

「いいえ、セドリック様。辺境伯家からの連絡はもう要らないと思います」

 タクトがそう言うと、セドリックはタクトの意を察して笑った。

「そんな……なぜ?」

 と、顔色を悪くするソフィに、タクトはエマからの手紙を渡す。

「エマからの手紙です。これからはエマに手紙を送って、直接近況を尋ねてください。エマは王都には来れないですが、ソフィさんがヴィオレットの森の『魔女の家』を訪れることはできます。近くの村に泊まれますし、エマも一晩くらいなら森から出られます」

「ああ、本当。ありがとう……」

 ソフィはエマの手紙を撫で、胸に抱きしめた。

 良い香りのする洒落た箱に入ったせっけんをエマへの土産に買って、明後日までは王都にいるから何かあれば――手紙の返事でも――ダーツ辺境伯の王都屋敷でタクトを呼び出してほしいと言い残し、タクトたちは店を出た。

 ソフィは店の外まで見送ってくれた。両親には後でソフィから伝えてくれるそうだ。

 馬車に乗ってから、やっとタクトは大きく息を吐いた。そうするとどっと疲れが出た気がした。

「なんだ? 好きな女の子の家族に会うから緊張していたのか?」

 タクトを見てセドリックがからかった。

「違います」

 そう答えたものの、実際は違っていないのかもしれなかった。


 王都での三日目の夕方、タクトの前にカイが現れた。

 魔族や使い魔は空間を越えて飛べる。しかしカイはよほどのことがなければ、ヴィオレットの森の外には出ない。

 屋敷の裏手の使用人通用口の前だ。周りにはちょうど誰もおらず、タクトだけだった。きっと驚かさないようにという配慮だろう。姿も珍しく人型を取っている。

 虎の姿のカイは、人間界の野生動物と同じ――異世界の虎とも同じ――朽葉色に黒い縞模様の毛皮だ。しかし人型になると黒髪になる。使い魔の人型は黒髪黒目が一般的らしい。髪も目もタクトの黒とは少し違う色味だった。

「カイ! どうしたの? エマに何かあった?」

 慌てて駆け寄るタクトをカイは片手で制した。目立たない木陰に連れて行く。

「大丈夫だ。何もない」

「それなら良かった……」

「エマがタクトを心配して、私に様子を見て来てくれと頼んできただけだ」

「そうなんだ」

 タクトは知らずに口元を緩ませる。

「タクトも無事なようで良かった」

 カイは虎のままでも大きいけれど、人型になると上背がある。上からぐるぐると頭を撫でられて、タクトは抗議する。

「カイ、重いよ」

「ああ、すまん。人型はあまり取らないから」

「エマは元気? ちゃんと食べてるの? 部屋を散らかしたりしてないよね? 新月のときは大丈夫だった?」

 タクトが聞くと、カイは「一度に聞きすぎだ」と呆れた。

「先日の新月は何もなかった。きちんと食べているし、散らかしてもいないと思う。元気はあるにはあるが……空元気だな。お前がいないからだろう。エマは私と二人きりだったことはないから」

 不在の間にタクトのありがたみを実感してほしいとは思ったけれど、エマの元気がないのは困る。

「僕、エマのお姉さんに会ったんだ。エマの手紙を渡して、エマ宛ての手紙を預かったよ。これ、渡してあげて」

 エマの姉は先ほどここに来たばかりだ。彼女と別れた直後にカイが現れたのだ。

 土産もあるから、とタクトが屋敷に入ろうとすると、カイはそれを止めた。

「いい。タクトが持って帰ってやったほうがエマも喜ぶ」

「そう?」

「ああ。手紙と土産があることだけ伝えておこう」

「うん」

 カイはかすかに口角を上げ笑顔らしきものを浮かべた。カイは虎のときの方が表情豊かだ。慣れだろうか。

「他に伝えることはあるか?」

「明日、王都を出るから待っていてって」

「わかった」

 そこでカイはもう一度タクトの頭を撫でた。虎の姿だったら尻尾ではたかれたところだ。

 タクトが手を振ると、カイはすうっと姿を消した。

 昨日は屋敷の使用人に聞いて、布や糸を売っている店に行った。王都なら珍しいものが売っているかもしれないとエマに頼まれたのだ。

 ゾエが存命のころから、染色の売り上げから少しずつエマとタクトは小遣いをもらっていた。それは今でも変わっていない。染色の売り上げは『魔女の家』の家族のために、それぞれの小遣いは個人の買い物に、と分けている。今まであまり使う機会がなくて二人ともそこそこの金額が貯まっていた。布や糸を買うための資金はエマから預かったものだった。

 そして今日は宝飾品を売っている店に行った。もううろ覚えの異世界の記憶によると、結婚にしろ婚約にしろ指輪というイメージがあった。しかし、こちらでは指輪である必要はないらしい。エマは染色の仕事があるから、指輪じゃないほうがいい。何軒か回った末、ちょうどいい値段で紫色の宝石が使われたペンダントを見つけた。エマの瞳の菫色よりは少し濃い紫だけれど、色合いはかなり近い。小指の爪ほどの大きさの宝石が、金の枠にはまっている。枠は草花のリースを模した文様が細かく刻まれていた。弟のままだとしても、一緒に暮らすことをエマが認めてくれたらこれを贈ろうと思っていた。

 他にもいろいろな店に行ったけれど、王都でのタクトは終始エマのことを考えていたのだった。

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