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ヴィオレットの森の扉の魔女  作者: 神田柊子
第三章 初めてのはなればなれ

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エマとタクトの喧嘩

 辺境伯の屋敷からヴェール村のアリスの店まで馬車で送ってもらい、アリスと少し話をしてから、ヴィオレットの森に戻った。

 森の入り口にはポストがあり、魔女宛の手紙はここに届く。年に数回あるかないか。一番多いのはバンドーからの手紙だ。エマの実家から手紙が届いたことはなかった。

 もう日は暮れかけている。今日は下弦の月で、この時間は空にない。森の木々は暗く影になり、夕日を残す空は西から東へ向けて色を変えている。茜と藍で両端から染めたようだ。甘い春の風が消え、湿った夜の土の匂いが足元から立ち上る。下草はすでに夜の様相で、エマが先導しないと道を空けなかった。

 ピクルスの瓶を持ったエマは黙って歩いた。

「遅かったね。衣装合わせ、楽しかった?」

 料理長特製シチューが入った小鍋と買い物の袋を抱えたタクトが聞く。

「うん、衣装合わせは楽しかった。そのあとね」

「何かあったの?」

 立ち止まって振り返ると、タクトの背後は草で道が消えている。エマの前も草でふさがっている。

 タクトをヴィオレットの森が――『扉の魔女』エマが――閉じ込めていると見せつけられたようで、エマは言葉を失った。

「エマ、タクト。おかえり」

 そこで、カイが迎えに来てくれた。

 彼の持ってきた発光キノコのテラリウムが辺りを照らすと、下草は光を避けて道を作った。


 夕食を食べたあと、エマは長椅子でクッションを抱えていた。

 その隣にタクトが座る。目の前のテーブルに置かれたカップはエマのものだろう。

「それで、何があったの?」

 自分のカップを手に、タクトが改めて尋ねる。食事中もエマは上の空で、どうしたのか聞くタクトに「後で話す」と先延ばしにしたのだ。

「ブリジット様に王都に一緒に行かないかって言われた」

「無理でしょ」

「うん」

 タクトの即答に、エマはうなずく。一口飲んだ紅茶は何も言わなくてもエマの好みの甘さになっている。

「実家に寄ったらいいんじゃないかって」

「……ああ、うん」

 タクトは複雑な顔をした。

 エマが辺境伯オーブリーに連れられて森に来たときのことを、タクトにはずっと昔に話してあった。

「家族に会いたい?」

「うーん、わかんない」

 エマは首を振る。本当にわからない。

 エマは十八歳。五歳で森に来てから十三年だ。最近は思い出すこともなかった。

 タクトはどうなんだろう。異界の家族に会いたいだろうか。

 けれども、エマはその質問ができなかった。

「家族って言うなら、一番はタクトとカイだよ」

 オーブリーは王都の実家の皆も『魔女の家』の皆も、どちらもエマの家族だと言った。しかし、もう王都の皆が家族だという実感は薄れていた。

「僕もそうだよ」

 タクトもエマに笑顔を返した。

「どっちにしても、王都まで遠すぎてそんなに森から離れられないし、来週は新月があるし。無理だから断った」

「そうだね」

「うん……」

 エマは少し言い淀んでから、口を開いた。

「……そうしたら、ブリジット様は今度はタクトはどうかって」

「僕が? 王都に? なんで?」

 タクトは驚いた声を上げた。

「タクトは森から離れられるのに、今までどこにも行ったことがないからかわいそうって、ブリジット様が……」

「はあ? 何それ。勝手にかわいそうなんて言わないでほしい」

「本当に? バンドーさんみたいに旅に出たいって思ったことない? オーブリー様に勧められた王都の学校は?」

 エマが畳みかけると、タクトは眉間に皺を寄せた。

「ないよ。僕は好きでここにいるんだよ」

「私に気を使ってない? 師匠が亡くなってすぐは心配かけたかもしれないけれど、私もう大丈夫だよ」

「ねえ、姉さん」

 タクトはエマの両腕をつかんだ。彼の方に体を向けられて、エマはタクトの目を見る。わずかに茶色がかった深い色合いの黒い瞳が、エマを見据えている。怒っている顔だった。

「姉さんは僕にここから出て行ってほしいの?」

「違う。そんなことない! でも……私、タクトを閉じ込めたくない」

「僕は……僕は姉さんを閉じ込めたい……」

 うつむいてつぶやいたタクトの言葉はエマには聞き取れなかった。

「え?」

 聞き返すとタクトは顔を上げ、今度は聞こえるように言った。

「僕は、姉さんが一番大事だから一緒にいたい」

「私だって同じだよ」

「全然違う!」

 なだめるつもりのエマの言葉は反対にタクトの逆鱗に触れたようだった。

「僕は、エマが家族として大事だし、女の子としても大事なんだよ。エマを守るのは僕だし、エマの世話を焼くのも僕の役目だ。他の誰かにエマを渡すなんて絶対したくない。ずっと一緒にいたい。僕はヴィオレットの森で一生暮らしたい」

 言い切ったタクトに、エマは言葉を返せない。

 ぎゅっと強く抱きしめられて、動けなかった。

「エマ……」

 タクトは今までずっとエマのことを『姉さん』と呼んでいた。

 女の子としても大事?

 結婚したいってこと?

 エマも一度だけ考えたことがあった。ヴィオレットの森で暮らせるタクトとなら、普通の夫婦のような結婚生活が送れるだろう、と。

 でも、弟だから結婚しなくても一緒に暮らせると考えなおしたのだ。

 ――タクトとずっと一緒にいたい。

 それは昔から変わらないエマの願いだ。

「私もタクトとずっと一緒にいたい。でも……」

「弟としか思ってない?」

「うん」

「それならそれでいいよ。他に好きな人がいるの?」

「いない」

「僕に触られるのは嫌?」

「嫌じゃない」

 抱きしめられたまま、側頭部どうしをくっつけているため、とても近くでタクトの声が響いている。

 タクトは落ち着いたのか、今度は優しい口調で尋ねた。

「エマは何を気にしているの?」

「タクトはヴィオレットの森しか知らないから……本当はどこにでも行けるのに」

「エマが僕を閉じ込めているんじゃないかって話?」

「うん」

「僕が王都に行って来て、それでも森を選ぶなら納得する?」

「……うん。たぶん」

 タクトは大きくため息を吐いた。

「わかった。考える」

 タクトはもう一度腕に力を込めてエマを抱きしめてから、そっと離した。

 黒い瞳にまっすぐに見つめられる。

「エマ。僕はもう姉さんって呼ばないよ」

 おやすみ、と額に降ってきた唇は今までと何も変わらなかった。

 一人残されたエマは長椅子にぽてんと転がる。そのまま床の絨毯に落ちた。

「カイ」

 アルコーブで寝そべっていたカイはこちらの話を聞いていただろう。呼ぶと彼は、仕方ないというようにゆっくりとエマの元にやってきて、彼女に寄り添った。

 エマはカイのふかふかの背にぺたりと貼りつき、顔を押し付ける。

「どうしよう」

 すると、カイはふいに顔を上げてエマを振り返った。

「エマ、今日魔族に会ったか?」

「え? 下弦だから、迷子なんて来ないでしょ?」

「いや、森の外でだ」

「会っていないと思うけど」

 人間を装える魔族もいるから、その場合はわからないかもしれない。

 カイは起き上がってエマの匂いを嗅ぐ。

「間接的にかもしれん。魔族の通った場所に行ったか、魔族と会った者に会ったか」

「アリスの宿に泊まった魔族がいたのかな。特に気になる話はしなかったから人に悪さをする魔族じゃなかったと思うけど。明日もう一度行って聞いてみるね」

 タクトのことも相談したいし。

「あー、それ、本当にどうしよう」

 エマはもう一度カイに抱きついた。


 翌朝、エマが起きていくと、いつも通りに朝食が用意されていた。

「おはよう」

「おはよ……」

 タクトもいつも通りだ。

「髪、自分で結ったの?」

「う、うん。そう」

 いつもはタクトにやってもらうけれど、エマは久しぶりに自分で髪を束ねた。昨日の今日で彼にやってもらうのが恥ずかしかったのだ。

「まあいいけど。僕がやったほうが綺麗にできるのに。まあいいけどね」

 全然よくない様子で繰り返すタクトに、エマは「後でやり直して」と根負けした。

 昨日のシチューの残りとパンと、庭で採れた野菜サラダの簡単な朝食をとりながら、タクトが切り出した。

「王都に行くことにした」

「うん」

「いい? エマが気にするから仕方なくだからね」

 タクトはそこを強調した。

「それでブリジット様のお願いを聞く形にすると問題があると思うんだ。……エマは気づいてるかわからないけれど、ブリジット様はたぶん僕のこと好きだから」

「そうじゃないかと私も思ってた」

「あ、そうなんだ。それで嫉妬とか、焦ったりとかしなかった?」

 エマが首を傾げると、タクトは「まあいいけどね」とやっぱり全然よくない様子で肩を落とした。

 すぐに気を取り直して、

「ブリジット様のお願いを聞くと問題があるから、エマのお願いを聞くことにする」

「私のお願い?」

「ブリジット様から実家の話を聞いたエマが、実家のことを思い出して家族に手紙を書く。それを僕に届けてってお願いする。僕はオーブリー様に王都に一緒に連れて行ってほしいって頼む」

 これでどう? とタクトは聞いた。

「手紙、本当に書かないとだめなのよね?」

「もちろん」

 十三年音信不通なのに、何を書くことがあるんだろう。

「それが交換条件だからね」

 ため息をつくエマをタクトは見つめた。

「あのね、エマ。僕は森しか知らないってエマは言うけど、僕からしたらエマだってそうだよ。王都の家族ときちんと向き合ってから、僕たちが一番大事な家族だって選んでよ」

 真摯に言われて、エマはうなずくしかなかった。

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