第1話 勇者は宿屋が苦手なようです
「――前方、子供連れの女性を発見! 人間がいるから迂回しよう! 猛毒の林があるがな!」
今日も今日とてアステルは独り(ソロ)旅を続けていた。
朝の爽気が心地良い。微風がよそぎ、辺りに甘く優しい香りが運ばれて最高だった。
「天候、健康、全て問題なし。これで人がいなければ快適だがな」
先日は散々だった。大勢の人に囲まれ、散々触られて針の筵だった。
その後も旅を続けたが、毒キノコをうっかり食べて五時間ぶっ倒れた。
腹痛でのたうち回った挙げ句に失神し、いつの間にか川に沈んでいた。
けれどこの程度は日常だ。勇者の回復力は伊達ではない。即死以外は大抵治る。
最強、最高、強靭な体――それが勇者の肉体。
「今朝は河原で魚取れたのがでかいな! しかも商人が落とした塩入りの袋を発見した! ふふ、魚と塩……これ以上に美味いご馳走はない!」
人見知りなため街で買い物するなんて出来ない。
行商人から買うなんて論外だ。
食料の調達は全て現地――草原、荒れ地、川、迷宮で自給自足だった。
なので、今日も取った魚を火炎魔術で炙り、休憩中に食べてみたが、
「さあ頂きます。……げほっ!? げっほ! マズ! なんだこれ不っ味!?」
見知らぬ魚を食って、死ぬほど不味いことなど日常茶飯事だった。
気を取り直して、アステルは旅を続ける。
「む?」
その途中、目眩いでふらりと視界が揺らいでしまった。
そういえば最近、ろくに休んでいない。八〇〇時間は寝ずに旅を続けている。どこかで休まなければならないだろう。
「周囲に宿はないか? 出来れば誰もいないといいんだが……ん、あれは?」
ちょうど前方六百メートル先に、『女神の宿』を発見する。
『女神の宿』とは、冒険者が旅の合間に休むための施設だ。
遥か昔、大地の女神が人間のために設置した休息場。
中には特別な像が鎮座しており、周囲に張られた《結界》で魔物を寄せ付けない。
基本的には無人で、保存食も完備されている。女神の加護が施された魔術の釜から料理も出て、寝具もあり風雨を気にせず休めるのが利点たった。
そして何より助かるのが――『店員』がいないこと。
「思い出すな……」
アステルには旅の最初期、忘れられないトラウマがあった。
『いらっしゃいませー! お一人様ですか? 何日の宿泊になりますか?』
『お一人ひゃまで……』
噛んだ。
あの時の店員の優しい目と、後ろの冒険者の優しい目は一生忘れられない。
以来、アステルは決して街の宿屋には行かないと決めている。
しかし、そんな時に限って不運は起こる。
「(ひ、人がいる、だと……!?)」
見つけた宿場には、すでに先客がいた。
それも五人。和気藹々で、じつに楽しそう。仲良しパーティと言った感じだ。
『ねえ皆、旅で汗かいちゃったよ~、風呂入らない?』
『あ、いいねー、泳ぎっこしようよ!』
『リーダー背中洗ってあげる、ついでに武器一緒に磨こうね☆』
「(駄目だっ、あんな和気あいあいな場所など無理! 俺、死んでしまう!)』
ハグやハイタッチが日常的な連中に混ざるなんて、拷問以上に厳しい。
以前、似たような集団と『相部屋』になった事もあったが、その時は『なにこの人、独りでうつむいて気味悪いわ~』と、思い切り引かれた。
あんな恥ずかしい思いはもう御免だ。
「くそ……しかし俺も疲れている。でも人にいる所に入りたくない……どうするか」
彼らには厄介なところがある。
それは他人を見つけると、『君も一緒にどう?』と誘ってくることだ。
そうなったら目も当てられない。軽くアステルは死ねる。
仕方なく、アステルは『魔術』を唱える事とした。
「――[魔なる災いから彼らを守れ。光輝く檻よ、我が前に現われよ]! 《ディバインウォール》!」
アステルが呪文を唱えると、宿屋の周囲が光の障壁で包まれる。
『魔術』――超常的な現象を起こす術だ。その中でもアステルは聖属性の魔術、相手を『光の壁』で覆う術を使った。
これにより宿屋周辺は頑強な壁に守られ、何者も出入り出来ないようになる。
本来は魔物避けに使うものだが、アステルは『冒険者たちが出てこられないよう』利用した。
「(よし! これで俺は気兼ねなく野宿出来る! さよなら眠気のとの戦い!)」
宿屋に混じらず野宿を決定、という思考がすでに悲しい。
けれどそんな事は気にせず、アステルはその場でマントに包まり、眠り始めた。
――2時間後。女神の宿の冒険者たちの間で。
「あ、見ろよ外を! 光の障壁で覆われているぞ!」
「本当だ、しかもこの光の密度――聖魔術!?」
「まさか……!? 《勇者》にしか使えないという魔術が……なぜ!?」
「おいみんな見て! あそこで寝ているの……勇者様じゃない?」
一人の冒険者が眠っているアステルを指差した。
「そうだ! あの右手に視える紋章――間違いなく《勇者》様の証だ!」
「でも……どうして勇者様は俺たちを光の壁で覆ったんだろう……?」
「わかった! 勇者様は危険な魔物が襲ってこないよう、俺たちを守ってくれたんだ!」
「「「それだ!」」」
全く逆の理由だが勘違いした冒険者たちは、勇者への感謝の気持ちを込める。
いくつもの食料を袋詰めにしてアステルの近くへと用意した。
そして夜中、アステルが寝ている間に、光の壁の端に食料と手紙を置くと、彼らは安心して眠りについたのだった。
そして翌朝。
「――どういう事だこれ? 朝起きたら光の壁の端に大量の食料と感謝の手紙が置いてあったんだが……。何これ怖い。俺……何かしたか?」
アステルは、たまに人知れず善行を行い感謝されることがある。
彼はその日、宿屋のそばに置いてあった美味しそうな保存食や感謝の満ちた手紙を見て、困惑した。
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