第15話 勇者は猫耳娘に慕われまくるようです
「勇者様、ありがとうございました! このご恩、決して忘れません!」
魔王との対決の後、アステルは安全地帯にまでキティアナを運んでいた。
気絶していた彼女を解放し、事情を説明――する事は恥ずかしくて出来なかったが、騒ぎで大体の事情は察したらしい。笑顔で礼を言うキティアナ。
「あの時、崩れ落ちる塔から颯爽と、現れて介抱! 気付けに回復薬を口移して、さらには添い寝だなんて! 何と光栄! これはもう私を弟子にするしかありませんね!」
「いや、ないから! いい加減その手を離せ! あと口移ししてないからな!?」
アステルは嘆息をして脱力する。
確かに塔から助けたのは事実だが、口移しなんてしていない。
「それもこれも全て勇者さまの照れですよね? 可愛い弟子がついてくるのは嬉しい、けれど照れてしまって素直に接せられない……はああ~、素敵です感激です勇者様!」
「ええい寄るな、何を言っている! 貴様は弟子ではない、ただのストーカーだ!」
一通りそんなやり取りを経た後、おもむろにキティアナが問いかける。
「時に勇者様、『常魔の腕輪』、というものをご存知ですか?」
「唐突だなおい」
アステルは首を振って『いいや?』と返す。
「この辺りに『霊王の洞窟』というものがあってですね、そこにお宝があるらしいです」
「ほう?」
アステルは歪めていた眉を下ろす。
《霊王》――三十八代目勇者、《エーレシア》の事だ。
数百年前、魔王との戦いで、大きな功績を残した英雄。王でありながら勇者でもあり、様々な魔術を操ったらしい。
中でも浮遊術、降霊術、精霊術へと精通していて、高位の魔術を得ていたと言われる。
そのため、ゴーストや精霊など、霊的な物を操っていたため『霊王』と称されていた。
「その《霊王》に縁のある洞窟が、近場にあるらしいんです。《霊王》は生前、多くの宝を世界各地へ隠したのはご存知ですよね? ――霊剣フォルチア、霊槍アスライト、そして、この前王都で発見された霊鎧プロキアなどは有名ですね」
「まあ、その話は俺も知っているが」
キティアナはウインクをした。
「情報は確かですよ? なにせ街で念入りに収集しましたから。勇者様の『隠し撮り』魔術写真を餌に、ファンから大量に得たので間違いないです」
「貴様そんな事してたのか! 勝手に撮るな、肖像権で訴えるぞ!」
ストーカーも甚だしい変態娘はうっとりと語る。
「でも、欲しいですよね? そこに私と一緒に行きませんか?」
「(ううむ……)」
確かに、《常魔の腕輪》は欲しい。
噂によれば、《常魔の腕輪》は永遠の魔力炉、つまり無限に魔力を精製出来るらしい。
持っているだけで強力な魔術を連発可能。魔王退治にこれほど便利な物もそうない。
「(ただ、『コレ』と一緒に行くのはな……)」
爛々と瞳を輝かせるキティアナを見やる。
言葉にはしないが、眼が言っている。『勇者様と行きたい! ぜひ行きたい!』と。
「ことわ」
「大丈夫ですから! 変な事はしませんから! 援護魔術もしますし、斥候を命じられれば何時間でも働きます! ですから、どうか!」
「……まあ、それなら仕方ないか」
このまま断り続けても引き下がらないだろう。なら受けた方が早い。
しかし、どうしても聞きたい事だけがあったため、尋ねてみる。
「しかし、お前どうしてそこまでする? 言ってはなんだが、俺、師匠には向かないぞ?」
人と話すのはもちろん、目を合わすだけでも大変なアステルだ。
そんな彼に師事するのは時間の浪費だろう。これまでキティアナは懸命にアステルに尽くしてくれた。料理、洗濯、会話相手など……けれどキティアナに指導はしていない。
アステルは最強ではあるだろうが、世の中には強い者などごまんといる。
そちらについた方が上達も早いだろう。
だからこんな勇者より、そちらに行った方が良いと、そんな視線を向けたのだが。
「……私は、勇者様が一番いいんです。あの日、勇者様は私の命を救ってくれました。あの光景は、一生忘れられません。私にとって、勇者様は『英雄』なんです。だから、私は恩を返したい。そして勇者様のように強くなりたいんです! そのためにはどんな協力も惜しみません!」
「(純粋だな……)」
正直過ぎて、馬鹿で、突飛な言動で。
けれど眩しいくらいに、キティアナは真剣だった。
いつだって彼女は、危険な森へ、山へ、アステルを追ってここまで来た。
危険なのに。そうではない方が楽なのに。ひたむきに――懸命に追って来た。
それは懐かしい光景だった。かつてアステルが失ったもの。
別に、彼女を羨んだわけではないが、アステルは苦笑するしかない。
「洞窟内には多くの魔物がいるかもしれんぞ?」
「望むところです!」
「スライム系の魔物に襲われ、ひゃああああ、な展開になるかもな」
「むしろ勇者様に救って頂き、距離を縮めるチャンスです!」
「お前そこまで俺を想ってるのか! ……わかった。そこまで言うならもう止めん」
「やった! 勇者様と冒険! えへ、えへへ~」
そうして、アステルはキティアナと洞窟に入る事になった。
「きゃー、きゃーっ、見てください勇者様っ、でかいトカゲ! それにナメクジです!」
「ぐああ無理だっ、やっぱり出来んっ、他人と冒険なんて難しいわ!」
洞窟に入り早々、アステルは早くも後悔する。
出るわ出るわ魔物の群れ、霊王の洞窟に入るなり、魔物たちが襲いかかって来る。それをキティアナが撃退しては近寄ってくる。
「見てください勇者様っ、あちらは貴重なマナルタイト鉱石ですよ!? あ、あららにはソルデス鉱石が! あっちにはレトナール輝石!? 凄いです勇者様! これだけでも相当な値打ちです!」
「わかった、判ったから勝手に戻るな! 貴様、俺の前衛になると宣言しただろう! 俺の半径三十メートルに寄るんじゃない! こ、こら、鉱石持ってこっち来るな!」
興奮したキティアナに抱きつかれアステルは身悶えする。
頬を紅潮させて希少な鉱石を取ってくる彼女に気が抜けない。
おまけに、勝手に魔物へ突っ込むものだから、援護も一苦労。
三十メートルくらい離れ、そこから加減した木の棒や石などを投げつける珍妙編成。
「大丈夫です勇者様! 私は油断も迂闊な事もしません! そう、勇者様のストーカーとして、簡単には負けません!」
「いや、もう倒れてくれ! そっちのが安堵出来るんだが! 先走りすぎ! それに素晴らしい事のように語るがな、ただの変態セリフだからな!?」
洞窟内で、魔物がいる状況なので、通報などは出来ないアステル。
霊王の洞窟はさすがに魔物の数が多かった。質も段違いだ。
なかなかの厳しさだが、それを二人は容易く蹴散らしていく。
「猫娘、前、前だ! 俺の顔を見てないで前見ろ! ゴーレム三体来ているぞ!」
「きゃー! 勇者様の見ている前で襲われるー! ちょっと興奮です!」
「右っ! 背後、《エルダースライム》だ! 跳べ、跳べ! 早く!」
「やああ、秘剣、《狼餓律真翔》ーっ! やった、やった! 倒しました勇者様!」
「油断しないで次だ! 次!」
溶解息を吐く《キングリザード》、毒液を出す《ロードスパイダー》、さらには凶悪で力の強い《グランゴーレム》など、いくつもの強敵を屠る。
キティアナは《剣聖の里》の出身だけあって、なかなかの腕前だ。
麻痺、毒、誘惑、混乱……各種状態異常を起こす《特殊剣》六本を使い、軽快に攻めていく。
一発の威力はそれほどでもないが、敵を弱体化させ屠る戦術はじつに有効だった。
「これで二十七体目です! どうです、なかなかのものでしょう!?」
「まあな。これでストーカーでなければ褒めるんだが……」
まあ恥ずかしいので褒めるのも多分出来ないが。
それに魔物の数も決して少なくはない。
個々の力も侮れず、複数で現れる事も多い。何度か危うい事もあった。
「……うーん。何か、数が多くないですか? さすがにこのペースだと厄介ですね」
キティアナがやや息を切らしそう言う。
「《霊王》の宝があるからか? これ自体が試練なのかもしれないな」
かつて生前、《霊王》は他人を試す人物だったらしい。
《常魔の腕輪》もその一つ。曰く――『多数の困難を乗り越えてこそ、俺の《宝具》に相応しい』。そんな考えで、宝を隠したと記録がある。
――やがて、アステル達は、魔物の数が少ない地帯へ辿り着く。
「少し休憩しよう、その辺の窪みに体を隠して、やり過ごそう」
さすがにキティアナの消耗が激しすぎる。それに、地理の把握も必要だ。
アステルはハンドサインでそう示し、キティアナが持ってきた、洞窟の地図を確認していく。
そして洞窟の窪みの中に入り、休憩しようとしたのだが――。
「お前! なぜこっちへ来るんだ!? あっちにも窪みあるだろうが!」
「無理です、勇者様から離れるなどあり得ません! あっちは狭すぎます、こちらじゃないと入れませんよ?」
「嘘つけよ! 明らかに空きがある! 貴様、ここぞとばかりに俺を誘惑する気だな!」
「さて、何のことでしょう? 私は今まで、邪な気持ちなど抱いた事ありません。いつも清廉潔白、まるで聖女のような乙女を自負しております」
「こんの嘘つきめが!」
真顔でそんな事をのたまうストーカー娘に辟易し、アステルは嘆息する。
頬を染め上げ、ハアハア言う少女はこれでもかと密着する。
距離が距離なので、少し動けば鼻がくっつくような状態だ。
加えて戦闘を繰り返したせいか、キティアナの服は汗で張り付いている。もちろん軽鎧は着ているが、邪魔なので今は脱いでいる。薄衣装一枚だった。
当然、出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいる彼女は凄い事になっていた。
「大体、薄布一つで冒険とかどうなんだ? もっと分厚い服着て対策を……ってちょっと待て。お前それ、下着つけてないんじゃ――」
「そうですよ? 私、冒険中は下着つけない派なのです。だから、ブラはつけてません」
ブラをつけてない。
ブラを、つけてない。
大事な事だから二度、アステルは口の中で繰り返した。
――と言うことはつまり、この少女の服の下は!
そう言えば汗で張り付いた服、双丘の頂点がやけに立っているような気が。
思わずアステルは鼻を押さえた。
「あはは、冗談ですよ。いくら私でもそれじゃ痴女じゃないですか。ちゃんと極薄のブラはつけていますよ」
「紛らわしい! それでも破廉恥だわ!」
「きゃあ痛いっ、勇者様に叩かれました!」
「さあ休憩は終わりだ、これからガンガン突き進んで行くぞ!」
「えへへ、勇者様に叩かれました。なんて至福……っ」
「ストーカーの上にドMとか救いようがないな!?」
そんな彼女と魔物を斬って斬って倒しまくった。
ちょっと連携が上手くなったのが嫌なアステルだった。
それからしばらく、二人は順調に洞窟を進んだ。
キティアナが前衛で特殊剣で斬り込み、アステルが石などを投げつける。
単純だが完璧な連携は、数多の魔物を倒した。途中、手強い魔物も多少いたが、大した怪我もなく進んでいく。
しかし、二時間も洞窟の奥へ近づいた頃――。
「なんだあいつらは?」
「何をしてるんでしょう……同業者でしょうか?」
見れば彼らは祭壇の上に、豪奢な宝箱の前で詠唱を行う『黒いローブ』四人がいる。
フードを深く被っており、表情は伺えない。しかし明らかに普通ではない。
「……あの連中、どこかで見た気がするな。少なくとも、冒険者ではない」
「あっ、見てください勇者様! 舌に入れ墨……あれは、《エルズ教団》の連中です!」
《エルズ教団》。それは通称、『裏切りの黒装束』と言われる一派だ。
彼らは人間でありながら《魔王》を崇拝し、魔王のために活動している。
世界の各地で暗躍しており、国王の暗殺や街でのテロ、重要物資の強奪……果ては要人の誘拐など枚挙に暇がない。
一説には過去、勇者の一人を殺したとの噂もある――異端の邪教徒だった。
「ど、どうします!? 《教団》の連中が腕輪を……このままでは取られてしまいます!」
『待て、慌てるな』とアステルは手を振る。
確かに、《常魔の腕輪》を奪われるのは看過できない。
しかしその中には護衛の者もいるだろうし、どんな罠が仕掛けられているか判らない。
四人のローブ達は高い魔力を放っている。迂闊に飛び込むべきではない。
「しかし何とかしないと!」
「それはそうだが……ん? ちょっと待て」
アステルは、キティアナの目が良すぎることに気づいた。
「お前、よくここから見えるな? 奴らの舌に入れ墨? 結構距離あるんだが……?」
「ふふ、何を隠そう、このキティアナ! 勇者様をストーカーする過程で、その視力はもはや望遠鏡並み! 『数キロ先』から勇者様の『ホクロ』や『毛穴』の数まで! 私に数えられないものはありません!」
「待て! もうお前帰れ! 今すぐ俺の前から!」
そんな手と声のやり取りをしている間にも、ローブ達の詠唱は続いている。
このままでは封印は解かれ、《常魔の腕輪》が奪われてしまう。
「くそ! どうにかして奪取するしかないか? 猫娘、いけるか?」
「はいっ!」
言うやキティアナは剣を振りかざし、ローブ達に飛び込んだ。
教団のローブ達は寸前で気がついたが遅い。
キティアナは一撃で一人を斬り伏せるや跳躍。二人目も横薙ぎにすると、反撃に転じようとした三人目も一蹴する。
これで二対一。条件は悪くない。しかし――。
「何です……?」
教団のローブ二人は、短く頷き合い、小さく文言を唱えた。
直後、ローブが二人から四人、四人から八人へと『分裂』する。
《分裂》の魔術だ。自身や相手を分裂させ、撹乱させる魔術。
加えて、ローブ達は更なる魔術を自分達にかけた。
「これは――」
《模倣》と《流転》の魔術――まずキティアナとアステルの姿を模倣し、さらに《流転》の魔術により、全員が『シャッフル』される。
結果、五人のアステルと、四人のキティアナに分裂――それぞれバラバラに入れ替わり、分散される形になった。
「(厄介な技を……)」
これでアステル達は迂闊に攻撃出来なくなった。仮にこのまま戦ったとしても、同士討ちの可能性がある。
四分の一の確率だが、本物のキティアナを傷つけてしまう。
キティアナの方も同じ。勇者への攻撃を危惧し、彼女も手を出せない。
「こいつら、かなりの手足れか」
教団側には識別する手段があるのだろう、でなければこんな手段は取らない。
――全員を気絶させるか? アステルは迷う。キティアナを軽傷させるかもしれないが、後で許してもらうしかない。
そう結論し、アステルは単身で突撃しようとした瞬間――。
四人いるキティアナの一人が、にやりと笑った。
彼女はアステルと、偽のアステル、計五人の勇者を観察すると、声高に叫んだ。
「そこです!」
キティアナが持っていた剣を投げた。虚を突かれた『偽』のアステルの一人が直撃をもらう。
直後、少女はいくつも剣を投げ放ち、麻痺剣、睡魔剣、、毒素剣、混乱剣……背中の六本の特殊剣を次々投げていった。
胴体へ剣をくらい、崩れ落ちる『偽』アステル達。
「な……!?」
驚いたのは本物のアステルと、残った偽のキティアナ達だ。
偽者は、慌ててその場から逃げようとしたが、突っ込んだキティアナに体当たりをもらい、壁に激突した。
そのまま気絶。最後の偽キティアナが崩れ落ちる。
「……どうやって見破った?」
戦闘の直後。アステルは残ったキティアナ――本物の彼女へ向け、視線を向けた。
「あれですか? 『本物』の勇者様を見極め、奇襲したんです」
「いや待てよ!? どうやってだ!? あいつらそっくりだったが……」
本人が見ても精巧な偽者を、あんな短時間で見極めるなど普通は不可能だ。
けれどキティアナはきょとんとした顔をして、
「え? 何言ってるんです勇者様? 全然違うじゃないですか」
「は?」
「だって『眉毛』の数も違いますし、『まつ毛』だって数足りていません。それに『唇のシワ』の数も、『手の血管』の浮き具合も、『耳たぶ』の色合いも! 微妙に違うじゃないですか。フフフ……あの程度でこの私を騙すなど、舐められたものですね!」
「(うわあ、うわあ……)」
本物の変態、ここに極まれりだった。
アステルはドン引きして後ずさった。
「ふふ! どうやら咄嗟の事で、あれしか魔術で再現出来なかったようですね。ですが甘いです! 勇者様を見つめて数ヶ月――他の人の目はごまかせても、私の目はごまかせません! 食事の時も、就寝の時も、トイレも四六時中眺め回した私は、」
「いやもう俺に近づくな! 変態め、絶対にだ!」
アステルは冷や汗を掻きながら逃げた。
キティアナは「褒めて褒めて」のオーラと共に、最後まで彼の後をついていった。
数十分後。洞窟から出た地上にて。
「――結局、《常魔の腕輪》は偽物で残念でしたね」
「まあ、仕方ない。あれがなくても魔王は倒せるはずだ」
あの後、宝箱を開けたが、常魔の腕輪は『偽物』だった。
おそらくだが、霊王は試練として置いたのだろう。魔力が全く感じられなかった。
噂では、各地に似たような物を置いたらしく、この世には数多くの偽の常魔の腕輪があるらしい。ここもその一つだったのだ。
数ある偽物にめげず、本物を探し当てろ――そんな、霊王流の挑戦なのだろう。
「でも、楽しかったですね! 勇者様とご一緒できて」
「もう俺はやりたくない……視線が、視線が……」
あの後、散々キティアナに付け回され、視姦され続けた。
爛々と目を輝かせて迫る少女は勘弁してほしい。
しばらく、武具や常魔の腕輪について、キティアナが談義していく。
「――あの」
その会話が一通り終わった後、ふとキティアナが声をかけた。
その声音にいつもより真剣なものを感じ取り、アステルは思わず振り向く。
「なんだ?」
「あの……勇者様。私の剣を、受け取ってくれませんか?」
「は?」
唐突な問いかけに、アステルは疑念の視線を向ける。
「最近、段々と魔大陸に近づいて来てますよね? 強靭かつ凶悪な魔物たち。空気で、魔物の強さで、それを感じます。そう遠くなく、《魔大陸》へ到達する……そうでしょう?」
アステルは無言で頷く。
確かに魔大陸はもうすぐだ。あと三つの渓谷や山を超えればもう間もない。
「今日の戦いで判りました。……私には、《魔王》へ通じる実力はありません。その下、《幹部》にも、《貴族》にも」
そんな事はないと思うが……とアステルは首を傾げた。
キティアナはよく戦っていた、これまで見た大抵の戦士より、断然上だった。
今日の洞窟で、連携があったとは言え、彼女はよく戦っていた。
それでも――キティアナは言う。寂しげな、表情を見せて。
「今日は無理して戦ってたんです。勇者様の前でしたし、奮戦しました。けれど……」
薄く、儚げに笑った。
「これ以上は厳しいです。私、勇者様の足手まといにはなりたくないですから。だから……私はここまでです」
少女は、そう言って、多数ある剣から一本を差し出した。
それは、装飾がされた、美しい剣だった。
刀身はまるで水流のように清く、鋭い。魔力のせいか竜のような力強さも抱かせる――間違いなく、名剣と言える剣だ。
「お前……」
「ですからその代わりに、私の剣を預けたいんです。これで魔王を打ち倒してください」
名残惜しそうに、静かに語るキティアナ。
これまで彼女は一ヶ月にも満たない期間とは言え、ほぼ毎日アステルと一緒だった。
料理に洗濯、会話の相手にもなってくれた。長いアステルの旅の中では僅かな時間だったが、懸命に尽くしてくれた。
その好意と熱意より『退く』ことを優先させるのは、並大抵の事ではないだろう。
アステルは、迷いつつも、『いいのか?』と視線で問いかけた。
「……私は、足手まといになるより、勇者様の力になりたいです。弟子入りは後でもなれますし、だから……平和になった世界で、改めてこの剣を受け取りに来ます」
これ以上は、自分の実力では進めない。
けれど、何か勇者のために力を貸したい。
それは、彼女なりの決意と葛藤の証だった。
だから無理して笑顔を浮かべ、剣を差し出す。その笑顔の裏に、勇者には決して届かない彼女の苦悩を――決意を、感じさせる顔だった。
「判った」
アステルは頷き、キティアナの剣を受け取った。
そしてその剣を軽く振ってみる。
非常に軽い剣だった。素晴らしい使い勝手だ。羽のように軽く、非常に握りやすい。
かつて握った剣の中で、これに匹敵するのは師匠に貰った宝剣くらいだろう。
もうあれは海に落としたが――アステルは視線だけで、キティアナに感謝を伝える。
『ありがとう』、と。
「――それは《霊剣へレスティア》と言います。特殊な金属で出来ていて、振るえば『二度、相手に同じ斬撃』を与えます」
そして深く感謝の礼をする。一人の、戦いを生業とする戦士として。
「その剣で、必ず魔王を打ち倒してください。それまで、私も修行します。――いつの日か、勇者様の弟子になれるまで。だから――どうか」
――頑張ってください、と。
そう言って、キティアナはその場から、去っていった。
何度も立ち止まっては振り返り、名残惜しそうにして。
「……キティアナ」
一瞬、彼女との記憶がいくつも呼び起こされた。
――えへへ、おはようございます、勇者様!
――じゃあ私が勇者様を背負って泳ぐのはどうです?
――きゃー、きゃーっ、見てください勇者様っ、でかいトカゲ!
彼女のためにも、魔王を打ち倒そう。今後弟子に出来るかは判らない。
けれど、再びこの剣を彼女に返すまで。アステルは絶対に死ねないな、と強く思った。
「――これまでご苦労だった」
静かに思っていた感謝を口にする。最後に、一度だけキティアナが振り返った。
長い耳を揺らし、最後に見せた彼女の表情は――。
少しだけ淋しげで、それでも眩しい笑顔を浮かべていた。




