第14話 勇者は邪悪な王に襲撃される
アステル達が戦士の弔いを行ってから四日後。
彼らは一つの迷宮を登っていた。巨大な『塔』だ。
世界には様々な試練に満ちている《迷宮》が数多く存在する。別名――これはその一つに当たるものだ。
薄灰色の延々と天へと続いている。その異様、雲に届きそうかと思うほどに気高き高層物だ。
地上千メートルにも及ぶその塔の中には、幾多の試練が待ち受けている。
五秒毎に景色が変わる回廊。仲間とそっくりに化けるモノマネの怪物。精神が砕けそうになる程の幻覚霧……全てが立ち向かう冒険者への試練の塔だ。
その中でも、この塔は第二十八代勇者、《ユースティ》が建てたとして有名だった。
その中には多くの宝や秘技の記された極意書などが安置されており、それらを所得するため、アステルは登っていった。
「……しかし、倒れている冒険者が目につくな」
アステルは誰にともなく呟く。
《迷宮》では、当然ながら冒険者が途中で力尽きてしまう事も多い。
強大な魔族やトラップ、不測の事態は常にはびこっているためだ。
そういったものに嵌まった戦士には剣や金を落とし、そのまま逃げ帰る者もいる。
もちろん、怪我装備を失うだけならまだいい――問題は命を落とす場合だ。
当然、死ねば装備品も金も無価値となる。その場合、立ち寄った冒険者が受け継ぐ事をギルドから許されている。だからアステルは、食料や装備などをたまに拾い、自分のものとして活用することもある。
この塔でも、すでに何人もの冒険者の備品を回収した。
「やはり最近は倒れる冒険者が多いな。もうこれで八人目だ」
悲しい話だが、それも冒険者の宿命なため割り切るしかない。
冒険者とは過酷な仕事だ。命をかけ、己をかけ、それでも生き残れるとは限らない。
一般的な社会地位は高いが、それで見合うかは別の話。空しいが、現実の一つだ。
「(ま、もっとも、俺もそれで助かっている面もあるがな)」
冒険者は敗北し迷宮に装備を落としていく。それを拾い、命拾いする者もいる。
生と死の狭間で、必死に未来を繋いでいく――それが冒険者の姿だ。
「(下の猫耳娘に言えば、俺の食料は融通してもらえるかもしれないが……)」
キティアナとは別行動で塔を攻略していた。その方が効率は良いからだ。
ゲーリッヒは『修行だ!』とまた言ってどこかへ消えていった。もう戻ってこない事をアステルは祈った。
途中、いくつかの武具を拾い、順調に塔を登っていくアステル。
猛々しい魔獣の意匠が描かれた、回廊を通っていた――その途中だった。
「やれやれ、また倒れた冒険者か。無理をし――」
――瞬間、アステルの背筋に怖気が走った。
「っ!?」
いきなり天井が砕け散り、おびただしい量の黒い槍がアステルへ襲いかかる。アステルは咄嗟に後方へ跳躍――天井の破片を拳で弾きながら後退する。
塔の上層が完全に崩壊する。黒々とした邪気が溢れ、辺り一面の破片が、腐り果てていく。
「(何だ、誰が――!?)」
直後、アステルは普段抑えている『力』を、可能な限り解放した。
眩く黄金の光が、目に視えるほど、高密度な『膜』となる。
《闘気》だ。勇者の能力の一つ。全身を輝く黄金の膜で覆い、無敵の防備とする技術。
全身を薄い輝く膜で覆ったアステルと――『邪気』の波が激突する。
光と闇――反する最上級の力がぶつかり合い、反発し合い、周囲一帯へ甚大な衝撃波を生み出す。
「く――」
あまりの力の衝突に、塔全体が強く揺れ動いた。
周囲の壁という壁が粉々に砕け、アステルのいる階層が、新たな最上階となる。
上方――遥か彼方に空が見えた。
ただし青空ではない。それどころか雲も、鳥も、太陽も、本来空にあるべき光景はそこになかった。あるのは暗黒色の空だけだ。
上空全てが、黒と灰色の雲に覆われている。黒い雷が飛び交い、禍々しい魔力が業風となり、吹き荒れ――。
その、中央部。
暗黒の雲の、遥か彼方――そこに、見える小さな点がある。
それが一瞬のうちに近づく。
音速を超え、雷速を越え、隕石の如く凄まじい勢いで迫り来る。
轟音と共に、塔に激突。アステルが咄嗟に下がった直後、猛烈な邪気と共に飛来。辺りの地面を砕き、降臨した『何か』が、禍々しい邪気を乱舞させ咆哮する。
「OOOOOOOAAAAAAA――ッッ!」
「(――こいつは)」
捻じくれた鋭い黒角。
黒く突起に覆われた巨体。
その肉体のいたる所にある、紅い紋様。
雄々しい尻尾に黒翼が四枚――眼は四つあり、その色は血よりも深い紅――圧倒的な殺気が、アステルを睥睨する。
「――まさか、《魔王》!?」
それは、光を殺す者。
それは――数十万の魔族を束ねる、闇の覇王。
地上へ破滅をもたらす混沌にして暗黒の支配者――勇者が倒すべき最強の敵。
「(何故こいつが……!?)」
咆哮と共に、《魔王》が両腕を広げ、掌から数十の黒球を放ってきた。
咄嗟にアステルは跳躍し、回避。
けれど彼が寸前までいた地面が溶解、欠片も残さず腐り果てる。
《魔王》とは、西の果ての魔大陸で、魔王軍を統括する覇者だ。
歴史上、魔王が単独で勇者に攻めた例はほとんどいない。ましてこんな辺境で奇襲する事は完全に想定外だ。
「(ちっ!)」
反射的にアステルが拾った木の棒を取り出し、《魔王》へ投擲する。
周りの破片すら吹き飛ばす程の暴力の塊。かつてゲーリッヒの配下を瞬殺した攻撃だ。暴風の如き勢いの、それは――。
魔王のまとう《瘴気》に当たった瞬間――あっさりと掻き消された。
「(っ!? ならこれでどうだ!?)」
宙返りで跳躍しつつ、アステルは懐から鋼のブーメランを放つ。
塔の中で拾った武器の一つ。勇者の《闘気》を込め、通常の数十倍にまで増幅したものだ。
それを、一度に四つ。
正面、右、左、背後――《魔王》を包囲するように一瞬のうちに放つ。
しかし――それも全てが無効された。
まず魔王の周囲に浮かぶ《薄布》がブーメランの勢いを減退させ、その後《瘴気》がブーメランそのものを腐らせた。
「(魔王の護りか!)」
《魔王》には、特筆できる二つの加護がある。
一つは《宵闇の羽衣》――あらゆる攻撃を『一万分の一』に抑える闇の衣。
一つは《常闇の瘴気》――一定以下の攻撃を『完全に消滅』させる暗黒の瘴気。
それらがアステルの攻撃を無効化したのだ。
歴代の《魔王》たちもそれらを身に着け、勇者に相対したと聞く。
強大な護りだ。対策無しに打ち破る事は不可能に近い。
歴代勇者は、それらに対抗するため《闇を払う宝玉》を用い、あるいは《光り輝く聖剣》を手にした。
けれどアステルにはどちらもない。だから力づくで突破を試みる。
「はあっ!」
腰に下げた拾った短槍を取り上げ、《魔王》の近くへ投擲するアステル。
同時に、骨で作ったブーメラン五つを投げ放つ。雷速を超えて飛んだ槍が、《魔王》の眼前に突き刺さり、地面を砕く。同時にブーメランが砕いた地面を更に細かく砕き、即席の目くらましにする。
《魔王》が一瞬、動きを止める。その隙を狙う。アステルは早口で呪文を――高位の魔術を詠唱。
「――[聖なる光よ、我が空域に集まり、魔を滅せよ]! 《シャインヴォルト》っ!」
天空より飛来した白い一条の雷が、《魔王》へ炸裂する。
雷撃は辺りの地面を粉々に砕き、視界が白く染まる。さらには階層ごと爆破。ぼろぼろだった最上階が崩れ、下の階層へ二人は落下していく。
勇者のみが扱える聖魔術の一つ、《シャインヴォルト》。
一撃で巨竜数体を倒せる、超威力の魔術だ。
かつてこれで傷つかない魔物はいなかった。幹部の一体も、それだけで倒せた程だ。
白光した紫電が飛び交い、辺りを埋め尽くし――。
それでも――《魔王》は無傷だった。
それどころか、おびただしい量の魔力を練り、魔術を行使する。
「OOOOOOOAA、AAAAAA――ッッ!」
「ちっ――」
空中に現れた夥しい数の《黒い花》から、無数の熱線が撃ち放たれアステルは跳ぶ。
《煉皇の御手》で防御しようとしたが容易く溶かされた。
熱線は高密度の邪気の塊だった。耐性無視、当たればおそらく死ぬ。
瞬時にアステルはそう判断し、砕けた床の破片を足場に回避すると、それを追うように熱線が宙を横断。
壁や地面が焼き払われ、その度に塔の最上階が縮まる。塔が低く低く、変わり果てていく。
塔の上層は、もはや壊滅的だった。千メートルを誇る高層物が、七百メートルとなり、三百メートルとなり、破片が地上へ雨のように降り注いでいく。
破片と熱気が飛び交う中、アステルは連続で《シャインヴォルト》を放った。
聖なる雷が何度も《魔王》の体を打ち震わせる。
――それでも、凄まじい雷撃でも《魔王》は倒れなかった。
直撃のたび邪気が僅かに弱まり、《魔王》の巨体が揺らぐ。けれどそれだけだ。《魔王》自身には傷一つなく、殺意も薄まらない。
一方アステルの方も無傷だが、油断は出来なかった。
《闘気》で《魔王》の熱線を防いだが、所々がひび割れている。
身体への直撃はまだないが、いずれ守りは破られるだろう。その前に、決着をつける必要がある。
「――[光よ! 光よ! 我が前に収束せよ! 光の女神に集え神雷]! ――《グラン・シャインヴォルト》ッ!」
上空に集まった幾筋もの雷が、《魔王》へ突き刺さる。
真っ白な光が辺りに溢れ、盛大な紫電が周囲を薙ぎ払う。太陽よりも強く眩い光、猛烈な閃光と振動が、塔を激震させる。
全てを吹き飛ばすような雷撃――それが消え、粉塵が晴れた時。
「駄目か……」
《魔王》は無傷だった。アステルと同じく熱線を収束させ、勇者の雷を相殺したのだ。
――このままでは埒が明かない。場所も悪い。これでは下の冒険者も巻き込むだろう。それは得策ではない。退くか、攻めるか――。
アステルが、一瞬の間に迷った瞬間。
《魔王》が、わずかに眼を細めた。
四つの瞳を愉快そうに細め、アステルを眺めたのだ。
どうやら、笑っているらしい。
塔の半分以上を破壊しておいて笑うとか、どんな神経だ――とアステルは思う。
直後、塔のあちこちから重い音が鳴り響いた。
塔が傾いている。おそらく勇者と《魔王》の力が大き過ぎて、崩壊し始めたのだ。
このままでは完全に倒壊し、瓦礫の山になる。
「(……マズイな、下の階層には猫耳娘がいる……)」
やかましい娘だが、放って置く事もできない。
アステルは徐々に崩れていく塔の中で、下層へと跳躍した。
壁や地面の残骸を蹴り、キティアナの姿を見つける。
降り注ぐ瓦礫に頭を打ったのが、気絶している彼女を、抱き上げた。
振り向けば、瓦礫と登る粉塵の中、《魔王》が空高く登っていくのが見える。
何事か判らないが、目的は達成したのだろう。
黒い雲の中に入り、姿を消す《魔王》。
直後、暗雲や、周りの黒い雷までもがゆっくりと薄れ、消失していった。
まるで、悪夢か何かのようだ。後には、元の青い空と、流れる雲の光景だけが残った。
アステルは勇者の闘気を解除する。そしていつも通りの域にまで『力』を抑えながら、ぐったりしたキティアナを胸に抱いたまま呟く。
「あれが……《魔王》……俺の倒すべき、敵か」




