序章 勇者は式典に出ないようです
「いよいよ来たな、この時が」
大国アルム王国の国王アルダルムは、緊張した面持ちで呟いた。
何しろ眼下、王城の広間では十数万人の大観衆が並んでいるのだ。
街の職人、宿泊場、酒場、各商人らの人々。さらに戦士や魔術師、治療師、武闘家など、『冒険者』の姿までいる。
国王の傍らに並ぶのは、各種大臣や騎士団の姿。
他の国からは王侯貴族、さらに各大陸から集まったエルフやドワーフ達だ。
亜人達も含めると、その数は五万人に及ぶだろう。
これほどの人々を前に、思わずアルダルムは唾を飲み込まずにはいられない。
その理由は当然だ。《勇者》の就任式があるためだ。
《勇者》とは、世界最強の戦士のこと。
人類の希望、光の守護者、神の使徒……様々な異名で讃えられ、尊敬の対象となっている。
その力は一騎当千。《聖剣》と呼ばれる伝説の剣を携え、果敢に戦場へ赴く英傑。
一代につき一人しか就任されないため、その式典は豪華絢爛、人々を呼び込むのが通例だった。
「陛下」
威厳に満ちた眼差しで群衆を眺める国王に、騎士団長の男が告げる。
「勇者就任の式典準備が整いました。間もなく式を開始します」
「うむ、久々の式典だ。全て抜かりなく遂行せよ」
「はっ。すでに主だったパレードの準備は完了しております。出演する軽業師や踊り子、道化師など……皆、今代の《勇者》殿の就任を待っております」
「そうだな……この日のために皆、頑張ってくれた。貴族は資材を提供し、商人は資金を惜しまず提供してくれたな」
勇者と言えば人類の希望、そのために与えられる期待も並々ならなかった。
「御意に。我々も今日という日を心待ちにしておりました。栄えある勇者殿の武技、ぜひ近くで見たく思います」
「ふふ、ならば刮目して見るがいい。勇者殿の冴え渡る武技は、必ずやお前たちに感銘を与えよう」
「はっ、楽しみにしております」
その時、大臣の一人が国王の傍らへ寄り添った。
国務を司る古株の中年だ。
「陛下、そろそろ時間にございます」
「うむ、いよいよだな。――さあ勇者殿をここに! これより第百三代勇者、《アステル》殿の勇者就任を祝う!」
「はい陛下! 仰せのままに!」
そして迎えに赴く騎士。
しかし――しばらくして彼が、青ざめた顔つきで戻って来た。
「陛下! 大変です! 勇者殿が――おりませんっ!」
「なんだと……!?」
部下の言葉に耳を疑った国王は、凍りついた顔で尋ねる。
「い、今なんと? 勇者殿がいないと申したのか?」
「はい! 勇者アステル殿が、城のどこにもおりません! 待機場の応接室、食堂、廊下……その他くまなく探しましたが、勇者殿の影も形もなく……っ」
「そんなわけないだろう! よく探すのだ!」
「し、しかし! お世話係のメイドに聞いたところ、勇者殿は部屋から出てないと……」
「馬鹿な……!?」
国王は慌てふためいた。
式典に勇者が見当たらないなど一大事だ。前例がない。
王は慌てて騎士団に命じ、勇者捜索のため数十人の騎士たちが総出で捜索に当たった。
しかし勇者は見つからない。三十分経っても、一時間経っても、二時間経っても、勇者はまったく見当たらなかった。
この頃になると群衆も異変に気づき、場繋ぎのピエロ達も『もう限界だよ!』と悲鳴を上げて国王の方を向いていた。
「馬鹿な……勇者殿はいったいどこに……っ」
その時、若い騎士が城内から息せき切って走って来る。
「陛下! 陛下! 判りました! 勇者殿は、『ちょっとトイレ行ってくる』と言い、手洗いに向かったそうです。そこで一枚の羊皮紙が……」
「なんだと! 早く見せるのだ!」
国王は脂汗垂れ流す騎士から、羊皮紙を受け取り広げる。
そして震えるその内容を確認すると、勇者のメッセージを読み上げた――。
『人が多すぎて、緊張するので欠席します 勇者アステル』
「なん、だと……!?」
国王は驚愕した。自分が何を目にしているのか判らなかった。
「き、緊張だと、悪戯ではないのか!? それか某国の陰謀の可能性は!?」
「あ、ありません! 宮廷魔術師に鑑定させた結果、この筆跡は間違いなく勇者殿のものだと! そして、ファンの女子数名に匂いを嗅がせたのですが……『これは本物の勇者さまの匂いだわ! きゃ~!』と大歓喜に、」
「いまそんな変態どもの台詞はどうでも良いわ! それより、勇者が緊張で就任式欠席など聞いたことがない! も、もう一度探せ! 城内をよく探すのだ!」
「しかし! 上級魔道士十名に探させても一向に見つからず……他に《シーフ》、《アサシン》、《占い師》など、追跡に秀でた者すら、手がかり一つ見つけられないと――」
「ええい何を悠長な! 式典はもう始まっているのだぞ!? 今さら中止に出来るか!」
「そそ、そうですよね!?」
「何としても発見しろ! 草の根分けても探し出せ! 大至急! 大至急だっ!」
「「「ははーっ! 御意に!」」」
城の騎士たちは大慌ててで城内を探しまくった。
「おお……勇者殿、どこに行ったのです!? 戻ってきてください、勇者殿――ッ!」
国王の悲鳴が、空しく王都に響き渡っていった。
――その頃、勇者アステルは、街の大通りの『樽』の中、一人震えていた。
「(ムリ、ムリ、ムリ! あんな人の多い所へ行けるか! 俺、死んでしまう!)」
勇者アステルは人目を気にしながら移動していた。
その様、『樽』に入りながら進んでいるため異様な姿だった。ズリリ、タン、ズリリ、タン……という怪しげなリズム。出口まで動いていく様はじつに怪しく、人が通り掛かるとその度に止まって樽のフリ、その繰り返し。
「(すまん国王……俺は人前で話せん。身代わりに、人形を置いていくから許せ)」
アステルは土魔術で作ったゴーレム人形を城内に置いておき、出口に向かう。
幾多の人々を背にして、そのまま勇者アステルは、樽に入ったまま王都を出て、何処かに消えた。
王都に――伝説だけを残して。
† †
――世界は『魔族』によって脅かされていた。
魔族とは、人を殺し尽くし、害するために動く魔の軍勢だ。
世界の果て、『暗黒大陸』と呼ばれる場所より数百年前に現れた、災禍の軍勢。
遥か天空の『黒き孔』より現れ、彼らは無数の都市や国を滅ぼし、その被害を拡大し、世界に災厄を撒き散らしている。
一体でも人間を圧倒する恐るべき敵――その魔物たちを束ねる王こそが、《魔王》。
邪悪な魔術を使いこなし、大地や山々を粉砕する暴虐者だ。
その闇の魔王を相手に、唯一対抗出来るのが、《勇者》という存在だ。
勇者こそが最強の戦士。《魔を祓う者》、《人類に光をもたらす希望》、《光の守護者》、……様々な異名で人類の希望として活躍してきた。
遥か昔、初代の《魔王》と死闘を経てから数千年――時代が変わる毎に、新たな《魔王》と《勇者》は決戦を行い、勇者は世界に平和をもたらした。
人々は言う。《勇者》こそが人類の希望であると。彼こそが数千年もの間、《魔王》の手から人々を守り、心の拠り所として存在する最強の英雄だと。
けれど、当代の勇者アステルは――人が苦手な性質、すなわち『コミュ障』だった。
「(ぐああ! こちらも人が多すぎる! 通る事が出来ん! ――くっ、東街道も人だらけだと!? そんな所進めるか! 迂回して進路を変えるしか!)」
旅立ちをしてから二年。未だにアステルのコミュ障は治っていなかった。
誰かの前で話すのも難しいし、人と会話するのも恥ずかしい。一緒に食事したり、買い物、同室などもっての他。
魔物を倒したお礼に、多くの人々が近寄ってきた事もあるが拷問にも等しい。
会話なんて出来ない。全て無言でやり過ごし、独りで旅を続けていた。
「(予定ではバース街道を通るはずだったが、今日は人がいて無理だな! よし、今日はオルナ渓谷を越えて、そのあと溶岩地帯でも抜けよう!)」
普通、馬鹿でも溶岩地帯を通り抜けようとは思わない。
けれど普通の人間が通るような道をアステルは通らない。
なぜなら、そこには『人』がいて、沢山の『視線』や『言葉』を寄こしてくるからだ。
獣道など獣より良く知っていた。
夜闇に紛れてアサシンの如く森を突っ切った事は何度あっただろう。
徒党を組んで冒険をしたりもしない。
歴代の《勇者》たちは、『パーティ』を組み仲間と共に旅をしたらしいが、アステルとしてはナンセンス。
仲間? そんなものがいたら、集中出来なくて魔物に負けてしまうだろ!
もちろん、不慮の事故にも遭った事もある。
独りなので毒草や麻痺キノコ、混乱草、栄養失調などを患った時は死にかけた。
けれど、全て気合と根性と独学の薬で乗り切った。
『世界のどこかに隠遁する七人の賢者から《宝珠》を貰い――海底神殿の封印を解け』
『古代の呪文が記された八つの石碑の謎を解き、地下墳墓へ降りろ』
そんな伝説は、人から情報を集められないので、力づくで封印を破った。
考えうる限り他人との関わりを極力避ける勇者――それが勇者アステルだった。
けれど、時々人に見つかり、慕われる事がある。
「勇者様、ぜひとも握手してください!」
「一度でいいので屋敷でお礼を!」「きゃー! きゃー! 勇者さまこっち向いてー!」
「(ぐあああ! 人と接するのだけは無理だ! 慣れん! ――くそっ、誰かと会話するだと? そんなの、竜を百匹倒す方が簡単だ!)」
人が苦手のため、何より人を避ける勇者。
今日もアステルは独りで溶岩地帯、猛毒の森、瘴気の谷を突破し、独り旅をする。
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