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 誰かに呼ばれた気がして、ウルリヒはふと目を開いた。眼前には、自分が目を通していない書類が積まれ、その奥では、青年が黙々と書類を片付けていた。傍らには幼子がちょこんと座っており、時折間違いを訂正している。最初は違和感があったそれも、だいぶ見慣れてきてしまった。カルロと名乗る彼は、ワイエルシュトラス帝国騎士団の参謀本部に所属している騎士で、アイゼアと交換という形で留学してきた。幼子は、曰く監視のようなものらしい。

 彼が今片付けている書類は、本来であれば学園の生徒会が片付けるべきものである。だが、兄であるアイザックが腑抜けており、彼の側近候補もあまり使い物にならなかったので、第二王子であり学園に所属しているウルリヒに回ってきたのだ。カルロは、学園に編入したその日のうちにウルリヒに出会い、妙に馬が合ってしまって、将来のためと仕事を手伝ってくれていた。


「む、でんか、ひとがくる」


 ぴくりと小さな肩を揺らした幼子は、瞬く間に貂の姿になると、カルロの服の中に隠れてしまう。幼子……ランジェがこうやって隠れるときは、決まってある女の来訪を意味していた。


「ウルリヒ様!ここにいらっしゃいましたのね!」

「……シルチス公爵令嬢、せめてノックはしてくれとあれほど申し上げたでしょう。はしたないですよ」


 思わず、と言った体で苦言を呈したウルリヒに、エリザベート・シルチスは不満げに唇を尖らせる。まるで、構ってくれないウルリヒが悪いとも言いたげなその態度にウルリヒは深々とため息をついた。

 ここのところ、エリザベートは毎日ウルリヒの元を訪れていた。兄の婚約者である彼女を無碍にすることも出来ず、かと言って親しくするにはあまりにも距離が近い。元々女嫌いであるウルリヒにとって、彼女の訪問は多大な精神的疲労をもたらした。常にやんわりと拒絶しているのに、気付いていないのか態度を改める様子もない。シルチス家にも苦情を入れたが、公爵家は子どものやることに関与しない、とすげなく返されてしまった。所詮第二王子の権力などたかがしれている。それを、ウルリヒはここ数日でまざまざと実感していた。


「ねえウルリヒ様、リーゼはウルリヒ様とお茶をしとうございます」

「シルチス公爵令嬢、お誘いは嬉しいのですが私は今仕事中ですので、また次の機会にしてくれますか?」

「まあ!昨日も、一昨日も同じことを仰っていたわ!根を詰めすぎてはお体に障ってしまいます。少しの間ですので、ね?いいでしょう?」

「……ですが、」


 ちらりとカルロに視線を向けるが、彼は此方を気にすることも助けることもしない。薄情なやつめ、と内心悪態をつくウルリヒの手に、何かが触れた。柔らかな毛並みのそれはするすると腕を登り、肩まで辿り着くと、エリザベートに向かって牙をむいた。


「きゃっ!なんですの、この獣。何処から入り込んできたのでしょう!ああ、わたくしを睨んでいるわ!恐ろしい!ウルリヒ様、早くどこかにやってください!」


 大げさなまでに怯えた表情を見せる彼女に見せつけるようにウルリヒはランジェを抱き上げる。柔らかな体を愛おしそうに撫でれば、ふわりと金木犀の甘い香りが鼻をくすぐった。


「あ、あの、ウルリヒ様?」

「すまない、シルチス公爵令嬢。こいつは最近飼い始めたペットでしてね。少々躾の足らないところもあるが、私の疲れを癒してくれる愛らしさがあるんです。婚約者が隣国へ行った寂しさもこいつがいれば気にならないし、なにより仕事が捗る。……だから、貴女がこいつを拒むのなら、申し訳ないが今後は訪問を控えてもらいます」

「えっ、な、なんで……」

「躾が足らないと、そう言ったでしょう?万が一、貴女に傷でもつけてしまったら公爵になんて言われるか……」

「それは、そう、ですわね。今日はこれで失礼します」


 そう言って部屋から去っていった彼女を見送って、ウルリヒは机に突っ伏す。いつの間にか幼子の姿に戻っていたランジェは、労わるように彼の頭をぽんぽんと撫でた。


「癒される……」

「殿下、お稚児趣味でもあるんですか?」

「変な誤解はやめてくれ……あの女に比べたらランジェの行動の一つひとつが癒しとなるだけだ」

「でんか、あのおんな、へやからでるときにわらってたよ。ぼくねらわれちゃう?いのちのきき?」


 きゃあ、と平坦な叫び声と共に頬に手をあてるランジェ。しかしその顔は真顔であり、とても怯えているとは思えなかった。そして、ランジェに同意するようにカルロが口を開く。


「ランジェを殺す、まではなくても、ランジェを利用して殿下を手に入れようとしてくることはあるかもしれませんね。それこそ、怪我をしたと見せかけたり、命の危険にさらされたと泣き付いたり」

「絶対にない、と言い切れないのが恐ろしいところだな。暫くは、あの姿にならないでくれるか?」


 ウルリヒの言葉に、ランジェはこくりと頷く。そして、対価として甘いお菓子を要求した。

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