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現在、ルツとアイゼアはワイエルシュトラス帝国騎士団の者に刃を向けられている。騎士団の妙な洗礼とは言い難いそれに、彼女はそっと嘆息した。
時は半刻ほど前に遡る。予定通りにグランスール王国を出発したアイゼア一行は、そう苦労せずに隣国、ワイエルシュトラス帝国の帝都へと辿り着いた。皇帝へのお目通りを済ませ、案内されるままに騎士団の宿舎にたどり着いた彼女たちは、荷物を侍女に任せて、会議室の戸を叩く。入室の許可が下りたので入ってみたら、あっという間に包囲されて、冒頭に戻る。もしかしてどこかで伝達が滞っているのだろうか、とアイゼアは考えた。団長自身はあんなにあっさりと許可を出したのに、部下に伝わってないというのもおかしい話だ。そこまで考えて、ふと、視界の右斜め上に何かがいることに気付いた。それがさかさまに生えた人間の上半身だと理解するより早く、それは声を発した。
「なにやっているんですか先輩方!!その方は隣国の侯爵令嬢ですよ!!」
アイゼアの目の前には、先程まで剣を突き付けていた騎士たちが揃って膝をつき、正座の形で座らせられている。その前で、アイゼアとルツの二人を庇うようにたったローブの少年騎士は、これでもかという剣幕で目上の人間に説教を続けていた。その口調が在りし日の王妃のようだと、アイゼアがいらぬ現実逃避をしていると、不意に説教が止まった。
「はい。じゃあ後は二人ににちゃんと謝罪をしてください。あとで団長にもぼくが文句を言います」
「ああ……すまなかった。アイゼア・ウィリデリクス嬢と従者のルツ殿。副団長として、全員を代表して謝罪させてもらう」
「いえ……気にしていないので大丈夫です。伝達ミスは稀にあることなので」
頭を下げる副団長をアイゼアは微笑んで許す。アイゼアが名を問うとキースと名乗った。他の騎士たちとも親交を深めていると、不意に後ろの扉が開いた。ひょっこりと顔を出したのは吊り目がちの美貌の女騎士と眼鏡をかけた柔和そうな顔をした騎士、それと、団長と思しき男性だった。女騎士は楽しそうに目を細めて何かあったんだね、という。ローブの少年がそれに答え、事情を説明すると、愉快気な顔は団長らしき男に向けられた。
「だってよ、バルドゥール団長?ステカがお怒りだから釈明するなら今のうちだろうな」
「え?いやいや、皆にはちゃんと伝えたはずだから知らないってことは朝会をさぼったってことで……」
そこでポン、と手のひらに拳を乗せた後にバルドゥールは副団長をはじめとした騎士たちに罰則を言い渡す。表情を見る限り、相当きついものなのだろう、とアイゼアは少し同情してしまった。意気消沈とした騎士たちを置いてバルドゥールはアイゼアたちの方に向き直り、礼をした。
「私はバルドゥール・アーデルベルト。ワイエルシュトラス帝国の帝国騎士団長です。ようこそ、我が騎士団へ。歓迎しますよ、アイゼア・ウィリデリクス嬢」
「私はアイゼア・ウィリデリクス。こちらは従者のルツです」
「ああ、彼が噂の……うちにも似たのがいるので紹介しましょう。ステカ、おいで」
「はい!騎士団の末席に座らせてもらっています。ステカと言います。ルツ……じゃない、ジュゼッペには、丹桂と名乗った方がわかりやすいですかね?」
少年が名乗った名に、ルツは驚く。丹桂という名を、よもや今さら聞くとは思っていなかったからだ。彼のそんな驚きにも動じず、にこにこと笑う彼は、積もる話もあるから、とルツの手を握って何処かへと行ってしまった。自由奔放な無邪気さは、先程まで説教をしていた姿と結びつかなくて、アイゼアは少し困惑したように首をかしげる。彼女の疑問に答えるように、バルドゥールが昔からああなのだと語った。
「出会ったときからずっと、気まぐれで、幼さの残る振る舞いが目立つ子なんですよ。今日は初めて昔馴染みに出会ったのではしゃいでいるのでしょう。迷惑をかけて申し訳ない」
「いえ……ステカ殿も、神霊とかなのですか?」
「いいえ、あれは現人神です。今はほぼその神力を失っているので、生身の人間ですよ。特殊な力などはほとんど残っていません」
現人神、と鸚鵡返しをしたアイゼアに、バルドゥールは頷く。
「人間でありながら、信仰を獲得し、信者の数が膨大だったために神格を手に入れてしまったのがステカです。無邪気でありながら、どのような人間もその懐に入れ、肯定し、受け入れるその姿は聖女を通り越して聖母とまで言われていました。その無償の愛を人々は享受し続け、堕落し、騎士団の調査が入るころには……本能すら、残っていませんでした。現在は当人が飽きたのかそんなことは一切なく、ただのステカとして騎士団に所属しているんです」
「……なるほど」
彼が人を堕落させる姿を想像するのは難しくない。ローブのお陰で体型や顔立ちはわからないが、どことなく纏う雰囲気が母親のように甘く暖かいのだと、アイゼアはこの短い間にも理解できた。そこでふと、ルツと二人きりにするのはよくないのでは、と思い、アイゼアはすぐさま会議室を飛び出した。