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独自の神・信仰の解釈があります。この世界の政治の認識は現在とそう変わらない設定です。文化とかは中世寄りです。悪しからず。
白い手の主であるルツはその深紅の瞳を爛々と輝かせながら、邪魔するぞ、と二人の間に割って入った。
「なあアイザック、シンシアって誰だ?」
「貴様、主の名前も忘れたのか?なりそこないに加えて愚か者にもなったようだな」
「そうか。お前はうちの姫の名前をそれだと認識しているのか」
如何にも楽しそうに口角を吊り上げた彼はヴァレンティーネを顎でしゃくった。
「教えてもらえよ。なあヴァレンティーネ、ウィリデリクス侯爵家の令嬢は何人で、なんて名前だ?」
「令嬢は一人。アイゼア・ウィリデリクス嬢以外はどこの書類を探しても存在しない。……のうアイザック、誰のことを言っていたのだ?」
父親のその言葉に、アイザックは目を見開く。今初めて聞きましたと言わんばかりの顔にウルリヒは呆れて何も言えなかった。
「で、でも、彼女は確かにシンシアと名乗っているじゃないか!」
「ああそれは先代侯爵夫人の意向だ。男性名を名乗って、変な噂が立つといけないからってな。あいつと何度か話したことがあれば事情くらい知ってておかしくないんだが……お前、あんだけ熱くなっておきながらそんなことも知らなかったんだなあ」
「それは……これから教えてもらえばよかったはずだ!それに、本当はあの場でプロポーズもする予定だったのにさっさと帰るから……!!」
「なんで引き留めなかったんだよ。馬鹿か?ああ馬鹿だったな。疑って悪かったな頭空っぽくん?」
「貴様無礼な!」
「無礼はどっちだ?」
急に、部屋の温度が下がった。ぞくりと皮膚が粟立つのと同時に多少の息苦しさを感じた二人は、一斉にルツを、その視線の先にいるアイザックを見た。そして、瞬時に理解する。もしかしたら、部屋ごと破壊されるかもしれない、と。
「お前、王家が一番偉いと思ってるのか?違うよな?国の中で一番偉いのはそれを支える民だ。そもそも、国を構成する要素は民と領土、それに主権だ。主権ってのは別に王族じゃないといけないわけじゃない。人民のなかから選ばれたリーダーを主権とする国だって世界にはある。それぐらい、学園にいる間に学んだはずだ。学んでない俺だって知っているんだから。……だが、これは人間に、政治的視点に絞った話だ。信仰と政治は一括りに考えるには少し無理がある。まして俺は一度神と呼ばれた存在だ。神は、信仰心がなければ存在できない。もっと言うと、認識されないと存在できない、頼りないものだ。その代わりに、人知を超えた能力を有している。お前らみたいに、認識されなくても存在できる奴等とはわけが違う。自動的に人の上に立たざるを得ないもの。それが神だ。だから──」
ここで一度言葉を切った彼は、ジョーカーめいた歪んだ笑みをアイザックに向ける。彼の喉の奥で小さく音が鳴ったのを、愉快そうに聞いていた。
「お前なんかより、よっぽど俺の方が偉いし無礼なのはお前。おわかり?」
「…………は、ぃ……」
「返事が小さい」
「は、はい!」
びしっと背筋を伸ばしたアイザックの姿に満足げに頷き、ルツは空気を和らげる。この程度で終わってよかった、とヴァレンティーネは息を吐きだす。この数刻程度の出来事で、10年分は老いてしまった気分だった。
「ヴァレンティーネ、今回の騒動の関係者は取得単位没収してもう一度学園で学ばせた方がいい。こいつがこの調子なら他はもっと酷いだろ」
「おっしゃる通りだ。学園長には私から伝えておく。それに合わせて成人も見送りとしよう」
「それがいい。あと、俺と姫は三日後にはこの国を出立し隣国へ行く。詳しいことはウルリヒが知っているが急ぎの物であいつの手がいるものは今俺に渡してくれ」
「なっ……隣国へ行くのか!?何故!?」
ルツの言葉にアイザックが掴みかかって喚く。それを指一本で押しのけて何でもないことのように彼は言った。
「そりゃ、スカウトされたからだ。既に向こうには魔術で連絡を飛ばしてあるし、いつでも来てくれという返事を貰ってある。恐らく、明日には正式な書状が届くだろう」
そういうわけだ、とルツは言い、ヴァレンティーネが分けたアイゼアが目を通す必要のある書類を受け取って来た時と変わらぬ気軽さで部屋を出る。後には、呆然とその場に座り込み何かをぶつぶつと呟くアイザックと、疲れた顔をしたウルリヒとヴァレンティーネだけが残された。
部屋を出たルツは一人の侍女に呼び止められる。案内されるままに進んだ先は、王妃の自室だった。部屋に入ると、青白い顔で気丈に振舞う王妃、セレスティアがいた。ルツが形だけでも臣下の礼をすると、慌ててソファに座るように勧められる。
「……この度は、貴方の主であるアイゼアにこのようなことをしてしまって、母としてとても申し訳なく思っております。あの子にとって、母親のような存在になれれば、と思っておりましたが、まさか血の繋がった愚か者にこのような裏切りをされるとは…………」
「いや、姫も気にしてはいない。むしろ、これを機に隣国の騎士団に入れて喜んでいるくらいだ。だから、アイザック以外の王族に関して悪感情はないと言っておこう」
淡々と、余計な感情は挟まずに伝えるルツに、セレスティアはいくらか救われた顔をする。同性同士、ウルリヒに対するアイゼアの気持ちは多少知っているのだろう。それを第三者の手で無理やり引き裂くことになるかもしれない、と危惧してたのかもしれない。そう、ルツは推測する。セレスティアも王妃である前に一人の母であり、女だ。息子と将来の娘の恋路は応援したいのだろう。たまに王宮での茶会の後に王妃にからかわれたのか、顔を赤くしているアイゼアを見たことがあるルツはそう結論付けた。
「隣国に行かれるということですが、そうなると暫くは会えなくなってしまいますね……。アイゼアが寂しがることはないでしょうし、向こうでも問題なく過ごせるでしょうが、あの子にお守りを渡してくれますか?」
「承った。セレスティアにはまめに手紙を送るように伝えようか?」
「まあ!そんなことをするくらいならむしろウルリヒに手紙を送ってほしいわ!」
あの子は、ああ見えて寂しがりですから。そう言ってセレスティアは笑う。もういつもの王妃だ。対するルツは、寂しがるウルリヒの姿を想像したのか、少しひきつった顔をした。その目がらしくないと雄弁に語る。その様子に、セレスティアはころころと笑っていた。