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時を同じくして、王宮の執務室ではウルリヒとその父親であり現国王であるヴァレンティーネが対面していた。昨日の一件から一気に老け込んだように見える父親の姿を見て、ウルリヒは嘆息した。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまでとは。そんな空気が、二人の間を漂う。
「……其方は、アイゼア嬢との婚約が嫌だと口にしたことはなかったな」
「ええ、まあ」
「だが、嫌だと口にしない割には二人の仲は淡白なものに見えたが。婚約者同士というより、友人のようだと、そのような印象を抱く」
最初はそれでもよかったのだ、とヴァレンティーネは思う。だが、婚約してから何年も経つというのに、二人の仲はそれ以上変化することがない。同性の友人と接しているように見えるその気軽さを、王妃が心配していたことを思い出す。あまりにも潔癖だから、そして、ウルリヒ自身が異常なほどに異性を疎んじるために、彼が同性愛者であり、婚約者はカモフラージュに過ぎないのではという噂もあった。無理もない。元々婚約自体が償いに近いものなのだ。償いの形をこうしてしまったばかりに、二人の自由を奪ってしまったことを、ヴァレンティーネは悪かったと思っている。
「好ましく思っていますし、信頼していますよ。彼女となら一生を添い遂げ、子を為してもいいと思うくらいには」
「そうか……」
「……それに、彼女は私の女嫌いに合わせて、無理のないように接してくれています。一介の護衛よりも強くあろうとし、私を守るのだと言ってくれました。そんな相手に誠実であらねば、王家の恥でしょう」
「そう、だな。全くもってその通りだ」
淀みない息子の言葉に、ヴァレンティーネはふっと目元を和らげる。一人だけでもまっすぐ育ってくれたことに対して、安堵を隠すことが出来ないでいた。
だからと言って、もう一人の息子の所業を許すわけにもいかず、彼は、再度報告書に目を滑らせる。冤罪や脅迫の証拠の中で、一つ、気になる一文を見つけて目が止まる。にわかに信じがたい情報について、ウルリヒに問おうと顔を上げたヴァレンティーネの目に入ったのは、勢いよく部屋に飛び込んでくるもう一人の息子──アイザックの姿だった。
「失礼します!父上!シンシアを私の婚約者にしてください!」
「…………は?」
鼻息荒く部屋に乗り込んできたアイザックは、ウルリヒを押しのけて父親に詰め寄る。その要求の意図がわからずあっけにとられたヴァレンティーネは、すぐに我に返りその真意を問うた。
「父上、私は、シンシアにずっと恋をしていたのです!」
「……だが、お前には」
「エリザベート・シルチスはウルリヒに夢中で私など視界にも入れてはくれません!でも、シンシアは私を見てくれていた。それにあの娘は泣かない。腕が欠けようと、大衆の面前で貶されようと涙をこぼすことはない。そんな彼女が涙を見せるところが見てみたい。それに──」
シンシアは不完全なのだ、と熱に浮かされた声が告げる。二人は、語り続ける息子、あるいは兄を呆然と見ていた。
「片腕がない。泣かない。女なのに、男のようにも見えるどっちつかずな振る舞いをする。挙句に、神になりきれなかったものに魂まで捧げるような奴は世界中探したってあいつくらいなものだ。完全なまでに不完全なものに魅せられて何が悪い!もしあの場で彼女にかばわれたのが私であったなら、今頃彼女の隣にいたのは俺なのに!何故ウルリヒが婚約者なんだ!僕の方が彼女を愛せる!」
瞳をぎらつかせたアイザックはウルリヒに詰め寄りながらも、その偏執的とも言える愛を語り続ける。この狂った男は、たかだか女一人を手に入れるために正々堂々と戦おうとせず、彼女の心と経歴に傷をつける形で手に入れようとしたのだ。狂っている、とウルリヒは思った。以前までの彼はそんなことはなく、むしろ婚約者であるエリザベートと、見ている此方が恥ずかしくなるほどの熱愛っぷりだったというのに。一体、どうして、と思考を続けるウルリヒと、それを意に介さず語り続けるアイザックの前に、ひらりと白い手のひらが現れた。