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騒動のあった次の日、アイゼアは自身の父親であるジルヴィス・ウィリデリクス侯爵の執務室にいた。彼は、娘によく似たその顔に不快感を滲ませながら報告を聞く。その頭の中ではは如何に王家に恩を売るか、第一王子への損害賠償請求をどの程度行うか、そして何より──これから告げられるであろう、娘の我が儘を了承するか否かの会議が行われていた。
「……以上が現時点でこちらが把握している情報となります。オクタヴィア伯爵令嬢には、私が管理を任されている領地へ避難をしていただき、第二王子殿下は引き続き学園で生活しつつ水面下で彼らへの攻撃準備を行います。私とルツは、約束通り殿下が卒業するまでの期間、隣国ワイエルシュトラス帝国騎士団で学び、己の技を磨こうと思います」
「ああ……」
ウルリヒとジルヴィスとの約束、それは彼女が騎士団にスカウトされたときに交わしたものであった。曰く、”もしも殿下との婚約の最中に問題が起こり、婚約を続けることに無理が生じたら、一定期間の間殿下と物理的距離を置く。方法は問わない”というものだ。それを、所在だけはわかっていた方がいいだろう、とウルリヒが行き先を帝国騎士団に限定した。ワイエルシュトラス帝国とグランスール王国は現在不可侵条約を結んでおり、何事もなければ5年に一度更新されるものだ。友好国である帝国に行くこと自体を咎める気はジルヴィスにはない。だが、あちらの学園に編入などではなく、よりによって騎士団に仮入団させてもらうことが、ジルヴィスには納得できないものであった。
嫁入り前の娘が騎士として戦い、消えぬ傷を負ったら正気でいられる気がしない。もう既に片腕を失っているというのに、これ以上傷つく必要なんて、と思ってしまうのだ。過ぎた心配は過保護と大差ないとわかっているのに、ジルヴィスはどうしても、胸を巣食う不安を拭い去ることが出来ないでいた。
「……お父様、やはり、反対ですか?」
「ああ、すまない。反対ではないと言ったら嘘になる。お前のことが心配なんだ。アイゼア、愛しい娘よ」
「そうですか、ならば、私はお父様に一つ誓いましょう」
何でもないように告げられた言葉にジルヴィスは目を瞠る。上げた視線の先、アイゼアは亡き母親に似た美しい笑みを浮かべていた。
「たった一人で無茶をしない、深入りする前に誰かに頼る、と……そうすれば、お父様も少しは安心できるでしょう?」
「そうだな。それがきちんと守られるなら安心しよう。だが、口だけならなんとでも言えるから、ルツ殿に監視をお願いするか」
「まあ、そんなに信用がありませんか?」
「ないに決まっているだろう。昔からお前の行動に私は肝を冷やされてばかりだ」
「それは……申し訳ありません」
しょんぼりと頭を下げたアイゼアの姿にジルヴィスはくすりと笑った。そして、席を立ち、目の前の愛娘の頭を撫でる。その位置の高さに、彼は少し驚き、また、幸せそうに笑う。
「行っておいで、美しいアイゼア。そして、お前のその目で見た世界を、お前の糧とするんだ」
「……!はい!ウィリデリクス家に恥じぬように精進してまいります!」
不安は尽きぬが、考えたって仕方がない。嬉しそうに部屋から出ていく娘の背を見て、きっと大丈夫だろうとも思えるのだ。彼女は一人で突っ走らないと誓ってくれた。それを信じないのは親として許されることではないだろう。いつまでも小さいままではないのだ。もう、親の庇護下から脱するときなのだろう。そうだろう、と、彼は亡き妻に語りかけるように写真立ての縁をそっと撫でた。