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侯爵家へと戻ってきたシンシアを出迎えたのは、第二王子であるウルリヒだった。一礼をした彼女は、ウルリヒにエスコートされて自室へと向かう。側仕えに紅茶の用意を頼んで、シンシアとウルリヒは向かい合って座った。
「殿下、シンシア・ウィリデリクスとの婚約が破棄されました。彼女は国外追放となるようです」
「そうか……そもそも、シンシア・ウィリデリクスという人物は存在しない上、俺の婚約者はアイゼア・ウィリデリクス侯爵令嬢なんだがな」
なあ、と彼はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。対するシンシア……否、アイゼアは呆れたようにため息をついた。彼の悪い癖が始まった、とでも言うように。
「全く兄上も愚かだな。いや、他人に興味がないのか?自分の弟の婚約者が学園にいる間だけ偽名を使っていることぐらい把握しているべきだろう」
「……まあ、アイゼアは男性名ですし、忘れてしまうのも無理はないのでは?」
「そうは言っても書類上はアイゼアと記入しているのだろう?生徒会長が何故気付けないんだ。仕事していない証拠じゃないか」
馬鹿にするような婚約者の物言いを、アイゼアは特に咎めはしない。その言葉が正論であり、彼が自分のために怒っていること、それを諫めるのはよろしくないことぐらいは理解しているからだ。端正な顔に笑みを浮かべてはいるものの、その碧眼には剣呑な光を帯び、放っておけば関係者を皆殺しにしかねないほど。やれやれと肩をすくめた彼女の目の前に、あたたかな紅茶が置かれる。
「どうせ第一王子は姫の隻腕が気に入らないだけだろ。昔からそんな顔をしていたからな。そんなことより、ウルリヒはこんなとこにいていいのか?冤罪の証拠集めて勧善懲悪!とかした方が楽しいだろ」
突然降ってきた軽薄な声に二人は顔をあげる。そこには如何にもこの状況が愉悦だと言わんばかりに口元を歪めたアルビノのような風貌の、執事然とした男が立っていた。ルツ、とアイゼアに呼ばれた彼は彼女の柔らかな銀の髪を撫でる。紅茶を片手に現れたこの男は、元の名をジュゼッペと言い、アイゼアの利き腕を奪った張本人である。忘れ去られたが故に暴走し、堕ちた神となった彼を、幼かったアイゼアは利き腕を対価に自分の配下とした。それ以来、彼は何かとアイゼアの面倒を見、以前と変わらずに使えるように魔石を埋め込んだ義手を用意した。そんな彼は、ウルリヒの人柄や能力を認めてはいるが、彼の生家であるグランスール王家のことはよく思っていない。それ故に、今回の騒動は、彼にとっても腹に据えかねるものがあるのだ。
「冤罪の証拠は集まっています。関係者が好き勝手している証拠も。けれど、それをすぐに出すわけではありません」
「極刑レベルのことをしでかすまで泳がせておくってことか」
そう告げたウルリヒに、ルツは酷薄な笑みを浮かべる。良からぬことを考えている二人を諫めもせず、アイゼアは紅茶を一口飲んだ。
「……殿下、約束は守ってもらえますか?」
「ああ、守るとも。ただ、俺が学園を卒業するまでの期間だけ。それでいいよな?」
「ええ。戻ってきた暁には貴方を戦場に出すことのないほど強い騎士となっていましょう」
「それは楽しみだ。……ルツ殿、いや、ジュゼッペ神、彼女をお願いします」
「言われなくても」
笑いあう彼らの間には束の間の平穏な空気が流れる。だが、それを壊すように一人の使用人が部屋に入り、告げた。オクタヴィア伯爵令嬢からの使いが来ていると。