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アイゼアがワイエルシュトラス帝国騎士団に仮入団して早くも二月が経とうとしていた。特にこれと言った大きな仕事もなく、訓練や作戦指揮の勉強に励むアイゼアの元に、団長であるバルドゥールから呼び出しがかかった。正しく言えば、彼女の所属する第一部隊、及び司令本部に、である。指定された会議室に向かい、円卓の席のひとつ──バルドゥールから一番遠くなる席に座った。背後にはルツがそっと控えている。全員が座り、席が埋まったところで、副団長であるキースが口を開いた。
「境の森で魔物が異常に増加しているという報告が出た。近日中にスタンピードが発生する可能性があるため、ワイエルシュトラス帝国とグランスール王国の騎士団で掃討作戦に出ることにした。出発は3日後。出撃部隊は第一部隊、指揮はリシャルトが行う。……質問があるものはいるか?」
「はい、副団長。グランスール王国からはどの程度の戦力が期待できますか?」
「……ああ、それなんだが」
不意に、キースは言葉を切る。そして、アイゼアの方をちらりと見て、何とも言えない顔をした。全く身に覚えがない反応にアイゼアはきょとんとする。その後ろに控えていたルツは、表情の意味を察したのか苦笑いを浮かべた。
「あの、私がなにか……?」
「いや、違うんだ。アイゼア嬢は何も悪くない。だがな、これを見てくれるか」
全員に手渡された資料には、出撃部隊員の行にはっきりと、グランスール王国第一王子の名前が載っていた。わざわざ王子が、隣国との合同作戦に参加する。裏を探ろうにもアイゼアが目当てであろうことは一目瞭然だった。何が目的で、と思わずにはいられないアイゼアに、横に座っていたステカが目深に被ったフードの奥でにんまりとした笑顔を向けた。
「第一王子って冤罪で騒ぎを起こした人でしょ?アイゼアのこと捕まえに来たのかな」
「それは……」
「ないとは言えない。だから、アイゼア嬢は作戦中極力テオドールから離れないでくれるかな?」
団長の指示に、それまで我関せずとククリ刀を磨いていたテオドールはアイゼアに視線を向けた。獣人である彼のふさふさとした尻尾がゆるりと振られ、反対の意思はないことを示す。他に異論はないことを確認した副団長は会議を終了させた。他の騎士に混ざって会議室を出ようとしたアイゼアをテオドールとステカが呼び止める。
「どうしました?」
「単刀直入に聞くけど第一王子ってなんでアイゼアを断罪しようとしたの?」
「それは、あの方が私のことを……」
「好きだからだよ」
正反対の言葉を続けようとしたアイゼアに被せるようにルツが言った言葉の意味を理解しかねて、アイゼアは眉をひそめる。あの第一王子が自分のことを意識しているのは知っていたが、好意だとは露ほどにも思わなかったのである。そもそも、アイゼアは自身の婚約者の兄であり未来の王太子候補の彼のことを、然程気にすることもなく、どうでもいいとすら思っていたのだから。ルツが淡々と話すものも、どうしてそれが好意に繋がるのか甚だ理解できないでいた。
「……というわけだ。あの王子の皮を被った変態は、大方今回の作戦でアイゼアを惚れさせてどうこうするつもりなんだろう。ついでに自分の名誉を挽回するチャンスだと思ってるんじゃないか?」
「……話を聞く限り、第一王子って人と違うものが好きなんでしょ?ぼくとかテオとかその標的になったりしそうなんだけど」
ステカの言葉に、はっと主従の視線がテオドールたちに向けられる。アイゼアより余程曖昧でどっちつかずな個体がこの騎士団には多く存在する。無論、第一部隊にもステカとテオドールがおり、アイザックが目を向ける可能性も少なくない。特に、ステカは女性である以上、警戒するに越したことはないだろう。だが、当の本人は暢気に大丈夫だと笑っていた。