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「シンシア・ウィリデリクス嬢!オクタヴィア伯爵令嬢、並びにシルチス公爵令嬢を害した罪で、我が弟ウルリヒとの婚約を破棄し、国外追放とさせてもらう!」
男のその声で、会場は水を打ったように静かになった。
ここはグランスール王国の王都に存在するワイズメル王立学園。貴族の子息令嬢はここで基礎分野から専門分野まで幅広く学び、国のために尽くす立派な国民となる。今日は卒業パーティーであり、祝いの場であった。そのような場で、国の第一王子ともあろう方が、自分の婚約者ではなく、弟の婚約者に婚約破棄を申し出るなど誰が予想しただろうか。あまりの展開に、周囲の子息令嬢たちは怪訝そうな目で中央の二人を見ていた。
相対するウィリデリクス侯爵家の長女、シンシア・ウィリデリクスは、その切れ長で白銀の瞳をすっと細めると、ぱちりと扇を閉じて冷静に口を開く。
「殿下。なにも、このような祝いの場で言うことはないのではありませんか?」
「いや、この場で言うことに意味があるのだ!」
「さようでございますか。それで、私がどのような罪を?」
「はっ、己がしたことすら覚えられないとは重症だな。いいか?お前はオクタヴィア伯爵令嬢に対し誹謗中傷をし、階段から突き落とそうとした。シルチス公爵令嬢には暗殺未遂、器物損壊、窃盗などの容疑があがっている!よもや、やっていないとは言わせないぞ。両令嬢からの証言もあるんだからな!」
自信ありげにそう言い切る目の前の金髪碧眼の美麗な男を、シンシアはただ黙って見つめていた。その柳眉が、ほんの少し寄せられたことに王子は気付かない。少し視線を落とした彼女は、ただ心底迷惑そうにも、また、これからどう釈明しようかと悩むようにも見られる。シンシアは一呼吸置き、アイザック第一王子の瞳をまっすぐ見つめた。その、覚悟を決めた態度に気圧され、彼はたじろいで目線を逸らしてしまう。その仕草が、自身の首を絞めているとも知らずに。
「殿下、国外追放という言葉、違えることはありませんね?」
「あ、ああ」
「なら──」
「お待ちください!アイザック殿下!」
シンシアの言葉を遮るように二人の間に飛び出してきたのは、リコリ・オクタヴィア伯爵令嬢である。輝くブロンドの髪が揺れ、サファイアの瞳には今にもこぼれんばかりの涙が膜を張っている。思わず、といった風に飛び出したことを詫びるように両者に礼をし、アイザックに発言の許可を求めた。
「リコリ嬢、何も自分を害した女の前に出なくてもいいだろう」
「ですが、私にはどうしても言わねばならぬことがあるのです!」
「……いや、リコリ嬢。君がそんな恐ろしい思いをする必要はないんだ。それに、彼女は私の妹にも危害を加えている。下手に出て行って、その美しい顔に傷をつけられたらどうするんだい?」
群衆をかき分けるようにして現れたのは、アーデルハイト・シルチス公爵子息。宰相の息子であり、王子の又従姉妹であった。甘いマスクに冷徹さを帯びた笑みを乗せた彼は、リコリを隠すように自分の下へ抱き寄せ、じっとシンシアを見つめる。そのアメジストのような紫の瞳はうっそりと細められ、嗜虐的な色が滲んだ。
「あら、シルチス公爵子息様ではありませんか。……それと、いつまで隠れているつもりなのですか、ホーキンス伯爵子息様?」
シンシアのその声に応えるように、彼女の背後に一人の青年が歩み寄る。無骨そうな見た目の彼は、不機嫌さを隠さないままに彼女をじろりと睨んだ。傍から見れば、ひとりの令嬢に婚約者のいる身分の令息たちが敵対しているような構図だ。良識のある人物であればまずしないだろう。そもそも、良識があるのならば、このような場でこんな茶番を引き起こさないのだが。
「アレックスは私の指示で潜んでいただけだ。万が一にでもお前が暴れるようなことがあれば、すぐに取り押さえられるようにな」
「まあ、そうなのですか。ですが、その必要はないと思いますわ」
アイザックの言葉に、シンシアはふわりと微笑んで答える。訝しげに眉をひそめた彼に、だって、と彼女は続けた。
「婚約破棄を殿下が告げるということは我が父……ウィリデリクス侯爵まで使いが出ているでしょう?国外追放になるのですから、それ相応の会議をしなければなりません。ですので、私はこれで退場させてもらいますね?」
完璧な淑女の礼をした彼女は、踵を返して広間を出ようとして──何かを思い出したように立ち止まる。
「ああ、殿下」
「なんだ?」
「ご卒業おめでとうございます。殿下の歩む道が、幸多からんことをお祈りしております」
それだけ告げた彼女は、今度こそ振り返ることなく会場を後にした。