転生と三話天下ー2
長い夢を見た。
そんな気分だった。
「僕はアルフレート・エルマン。今日で10歳になる。これは間違ってない、よね?」
確認するように口に出してみる。
なにせ昨日まで無かった27年分の記憶が一気に頭の中に生まれたのだ。混乱もする。
そう、記憶だ。
今朝の僕は小瀬俊介という異界の青年の生涯の記憶を、その時の感情や匂いまで、まさに自分の事のように覚えている。
小学生の頃、近所の友達と喧嘩してぼろ負けした事。その後仲直りして高校を出るまでずっと親友だった事。その悔しさや友情、温かさや安心感。
高校生の時、タオルを貸してくれたクラス1可愛い(クラスの男子投票結果)女子に初めての恋をした事。意識しだして1か月も立たず彼女がバスケ部のイケメンと付き合いだした事。その虚しさや悔しさ、彼女が貸してくれたタオルの匂い。
親の勧めに従い受験をし、運よく国公立の大学に入れた事、入れてしまった事。その後周囲の頭の良さに置いて行かれたような気分になり、次第に講義に行かなくなった事。その劣等感、恐怖、自嘲。
学業から逃げるように長く続けたバイト先では長老みたいな立場にあり、そこでは自分の発言力が十分にあるという安心感、同時にたかがバイトで威張っている自分への失笑。
幼い頃の親友の結婚式に出ると、周りには働いている奴ばかり。自分で事業を立ち上げたり会社で重要なポストにもう就いた奴も居た。その中でフリーターとは言えず飲食で働いていると嘯いている時の恥辱、絶望、焦り。
そんな自分の現実から逃げるようにゲームを買い、ゴミの散らかった自分の部屋でその空想の世界に浸っている時の生ぬるい幸福感、退廃的ともいえる愉悦、そしてどこかに残る、失望。
「ちょっと嫌だなぁ。これが僕の前世って事なんだろうけど……」
何より悲しいのがこの流れ込んでくる、あまり心地良いとは言えない記憶や感情が紛れもなく自分自身のものであり、前世のものであるという自覚だった。
それが何より僕の頭を混乱させる。
10年しかアルフレートとしては生きてないところに、27年分の別のジブンの記憶だ。ざっと3倍もの異質な記憶に、ともすれば意識が持っていかれそうになる。
「まぁ、うん 前世は前世。今の僕はアルフレートだ、って割り切るしかないよね」
「坊ちゃま、どうかなさいましたか?」
「ううん、何でも無い。顔を洗いたいから水桶を持って来てもらってもいい?」
「かしこまりました」
ハルノアにそう告げていつも通り服を着る。
上等な麻の肌着だが、決して裕福とは言えなかった前世の俊介も同じくらい上等な肌着を当たり前のように着ていた覚えがある。
自分にとっても最早当たり前となった衣服ではあるが、それでも領民や父上のおかげで着られている「贅沢」であるという認識はちゃんと持っているのだ。
それ以外にも整えられたインフラがあり、指を少し動かすだけで世界中の情報にアクセスし、遠くの友と連絡を取り、あまつさえゲームという遊戯すら楽しめた。
飢えた記憶といっても精々お湯を入れて3分で出来上がる味も量もそれなりにあるカップ麺を食べた記憶だ。
部分部分だけ見れば下手な王族より裕福な生活ができる世界だったのだろう。
それらが全て当たり前と思って暮らしていたなんて、我ながら少し呆れたものだ。
「お持ちしました」
「うん、ありがとう」
ハルノアから水桶を受け取る。
彼女は我が家に仕えているメイドの一人だ。
長い黒髪とスラっとした長身。切れ長の目から少し冷たい印象は受けるが、それなりに美人と言えるだろう。
唯一欠点を挙げるとすれば良く言えばスレンダー、悪く言えば身体のメリハリが
「どうかされましたか?」
「い、いや別に!?」
受け取ったままボーっとハルノア見つめていたを不思議に思っただけなのだろうけど、心なしかその怜悧な目が更に細められられた気がする。
だめだ、前世の記憶が蘇ったせいで変な知識まで思い出しちゃったよ……
「父上たちは?」
「先ほど起床されてもうすぐ食卓へ向かわれると思います。坊ちゃまも早くお支度を」
そう残すとハルノアは部屋を去っていく。料理の配膳に向かうのだろう。
顔を洗い終えてタオルで顔を拭く。ようやく少しすっきりした。
再度自分を確認するように、声に出して整理する。
「僕はアルフレート・エルマン。今日で10歳になる。エルネスティア王国のエルマン子爵家の一人息子だ」
しかし前世の記憶が蘇ったところで、どうすればいいのだろうか。
そんな話は聞いたことがないし、聞いたとしても狂人の世迷言だと受け取られるだろう。
下手に誰かに話さない方がいいか。
……というよりむしろあまり気にしない方がいいだろう。
改めて使える知識があるかとか、彼の記憶で言う内政チートとかできるかとかも想像したけど、残念なことに前世の僕は勤勉な人物ではなかった。
簡単に言うと、知識はあってもそれはこの世界で実用化出来る程深い知識ではなったのだ。
今後もしかしたらその知識が役に立つ事はあるかもしれないけど、今のところ常識や生活が違いすぎて参考になるところは少ない。
僕にとって大事な事は変わらない。領地経営や社交における作法などを身に着けこの領地を次は僕が守るという事。
その為に学び、体を鍛える。それだけなのだ。
あぁ一つだけ気を付けるべき事があった。
どうやら俊介としての記憶の最後に来世、つまり僕の人生は激動の人生になると神様に言われていたのだった。
今の平和なエルネスティア王国と周辺国の関係を思うと、正直想像がつかないが気を付けるには越したことはない。
その時になって慌てないよう日々の鍛錬には力を入れないと。
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食堂に降りると既に母上が席に着いており、暫くすると父上も来た。
「おはよう、アル。今日でお前も10歳だな。誕生日おめでとう」
「おめでとう、アル」
「ありがとうございます。父上、母上」
「ささやかだが今晩は少し上等な料理を用意させる。だが誕生日だからと言って勉学を疎かにしないようにな。お前のことだから心配は無いが」
「勿論です。今日はオルコス先生がいらっしゃるんでしたか?」
「あぁ。おそらく今日あたりから固有能力の授業に入るだろう。お前が実際に戦うような事など無いとは思うが、戦闘技術の鍛錬も怠らぬように」
「はい」
父上は僕と同じ、くすんだ泥のような茶色の髪を持つ小太りな男性だ。ピョンと跳ねるような髭の手入れが日々の日課らしい。
なんかこう聞くと前世の物語の中の悪徳領主を連想してしまうがそんな事は無い。
特別良政を布いているわけでは無いが、キチンと上からの指示に従いやるべき事はやっている。
王城でも内務官として真っ当に働いている、どちらかと言うと厳格な人物だ。
母上は物静かな人で、園芸が趣味のようだ。屋敷に咲いている花や生垣なども母上が全て手入れしているらしい。
僕にとっては優しい母上で、良く僕のことを褒めてくれる。というより怒られた記憶が無い。
最初に言葉を交わした後はいつもと同じ静かな食卓が続き、いつも通り5分と経たぬうちに食事を終えて父上が席を立つ。
「行ってくる」
「いってらっしゃいませ」
「いってらっしゃい」
登城する父上を見送った後は僕も勉強だ。部屋に戻ると既にオルコス先生が待っていた。
「やぁ、相変わらず君のところのシェフは良い物作るねぇ……」
僕たちの朝食にも出たスープにパンを浸して食べていた。遠慮ないなぁ。
先生が最後のパンを飲み込むと今度こそ、授業の始まりだ。
「さてと、まずはお誕生日おめでとう。今晩のパーティーのディナーも楽しみにしてるよ」
「来てくださるんですね。食べ物目当てかもしれないですが」
「勿論、君の家庭教師だからね。決して食べ物目当てじゃない」
どうだか。口の端にパンカスつけたままじゃ説得力ないですよ。
目線に気付いてか慌てて服で口元をぬぐって続ける先生。
「さて、いよいよ今日から固有能力についての授業に入るけど軽くおさらいしようか。まず武術と魔術の違いは?」
「両方とも魔力を用いて戦うという点では同じです。魔力によって身体の強化して戦うのが武術、身体を通さずそのまま現象を現出するのが魔術です」
「結構。では戦技と魔法は?」
「戦技は身体の動きと連動して魔力の収束もコントロールする技の事で、魔法はそれの魔術版ですね」
「その通り。戦技についても魔法についても共通しているのは、どちらも扱えるだけの魔力量と十分な鍛錬があれば基本的には誰でも使えるという事だ。固有能力はその逆で使用者が限られている戦技や魔法の事さ」
「限られているっていう事は、必ずしも固有能力はそれぞれ一人だけしか使えないってわけじゃないんです?」
「そういう事だね。固有能力っていうのは場合によっては極め抜いた戦技や魔法の延長線上だったりするし、厳しい修行の末師匠から受け継ぐことが出来る固有能力もある。ただまぁそもそも所持者が少ない固有能力の中でも複数人使用者がいる固有能力は更に少ないからあまり気にしなくていいよ」
先生の話を聞きながら軽くメモも取る。先生は食い意地張っているが、これでもこれでも昔は王様の近衛隊にも所属したことのある凄腕らしいのだ。
近衛隊に居た時には毒味だなんだと理由をつけて、王様の食事とかもたまにつまみ食いしていたらしいので恐れ入る。
「確か先生の固有能力は……」
「うん、『アイスエングレイバー』。本当は氷魔法の精密操作なんだけど、殆ど実践で使う事は無かったからちょっと格好悪い二つ名になっちゃったんだけどね」
そう言って掌の上にミニサイズのトラの氷で出来た彫刻を載せる。
基本的には魔法というのは、その『等しく多くの人が習得できるように』という設計理念上、基本的に誰が使ってもその性能は変わらない。
使用者の技量次第で威力等を調整することは出来るが、あくまで事前に術式自体を変えて準備しておくものであり少なくとも即興で調整出来るような代物ではない。
威力を少し上げるだけでその消費魔力、発射速度、その方向、副作用等諸々変わってしまうデリケートなものなのだ。
そんなデリケートな魔法において、オルコス先生は氷魔法限定ではあるが完璧にコントロールしてみせる。
射出速度を途中で変化させたり、威力を即興で調整したりである。
だがここ20年程大きな戦争もなく、時々現れる魔獣や野党以外とは戦闘が起きない平和なエルネスティア王国、その中でも王の傍に仕える近衛隊には戦闘と呼べるものは精々演習がある事くらいだった。
結果こうやって氷の彫刻を作って遊んでいるうちに付いた名前が「アイスエングレイバー」氷の彫刻家であった。
「アルフレート君は魔術においても武術においても優秀だからね。もしかしたら何か固有能力を持ってるかもしれない。何か心辺りはあるかい?」
オルコス先生が聞いてきたので、あの神様との願いの事を思い出す。きっと幻術が使えるはずだ。
幸い、やり方は直観的に分かった。見せたい幻影を頭に浮かべ、対象の脳内に投影する。
椅子に座ったまま「そうですねぇ……」と考え込んだまま俯く僕の姿を先生に送り込んで、そっと先生の後ろに回る。
「こういうのとか、ですかね?」
「えぇ!?」
後ろから先生の肩に手を置きつつ声をかけて幻影を解くと、先生が驚いたように振り返る。
目を見開いて口をポカンと開けている先生。ここまで驚いた先生を見るのは初めてかもしれない。
「やっぱりさっき気配が動いた気がしたのは間違いじゃなかったのか。直前まで間違いなく目の前に座って唸っていたのは見てたし、君の技量からして純粋な速さで後ろを取れるわけじゃない。察するに幻術の類かな?」
「え、あの、はい…… 幻術使いってのはあんまり珍しく無いんですか?」
「いや、それなりに珍しいはずだよ。僕も昔幻術使いについては話に聞いたことがある程度だし、少なくともその幻術はそれなりに準備の必要なもののはずだった。それを今の時点でノーモーションで使えるなんて、末恐ろしいねぇ…… 確かに早い人なら10歳頃から固有能力が現れるって通説だから、こうして今日から教え始めるんだけども」
驚いていたのは本当らしいが、どちらかと言うと後ろを取れらた事ではなく固有能力を使える事自体に驚いていたようだ。
一瞬先生に一本取れたかと思ったのだが、この様子だと後ろに回った事自体には感づいていたようで、実戦なら即座に回避されていただろう。
「はは、そうしょぼくれるなって。固有能力を使えるってだけでも凄いのに、それを練習もしていないのにちゃんと失敗させなかったんだから。誇っていいよ」
「そうは仰いますが…… その、なんで後ろをとったのに気付いたんです?」
「まぁ経験って奴かな。具体的に言うと気配、空気の揺れや微かな音、そう言った物が前から後ろへ動いたのが分かった」
「むぅ……」
「しかしそうか、君も固有能力持ちか…… それの使用限度や制限、そういった条件は詳しく分かるのかな?」
「いえ、なんとなく使える気がして試してみただけですので」
「よし、じゃあそこを確定させるところから始めようか」
その後は庭に出てこの幻術でどこまで出来るか色々試し、魔力切れで僕がぶっ倒れるまで続いたのだった。
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「そうか、アルは固有技能を持っておったか」
「はい、幻術行使能力みたいです。ただ色々試した結果、使える相手も時間もかなり限られているので、まだまだ使い物にはならないみたいで……」
「一朝一夕で身に付くような代物ではないさ。これからの鍛錬で使いこなしていけばいい。先生、よろしく頼む」
「はい、お任せあれ! お、この鶏肉美味い」
その夜は朝父上が仰っていたようにちょっとしたパーティーが開かれた。
屋敷の使用人や領内の有力者、隣同士ということで付き合いのあるサバル男爵一家などが主な出席者だった。
鳥の丸焼きにかぶりついているオルコス先生は勿論、座学を担当してくれているマクセラル先生も来てくださっていた。
父上に固有能力の事を報告した後は、有力者の方々やサバル男爵と挨拶を済ます。
領内一の商人からお祝いとして馬を一頭贈られ、そのお礼を終えたところで一組見かけない親子を見つけた。
「こんばんは。楽しんでいただけていますでしょうか?」
「あぁ、料理にお酒、どちらも楽しませてもらっているよ。君とは会うのは初めてだったかな? 私はアロイス・クライン。君の御父上の同僚とでも思ってくれたまえ」
クライン様といえば確か王国北方の子爵家だったか。確かに何度か父上から名前は聞いたことがあった。
「クライン子爵様でしたか。テオ・エルマンの長男、アルフレートと申します。いつも父がお世話になっております」
「ふふ、そうかしこまらずとも良い。ほら、カリーナ。挨拶をなさい」
「か、カリーナ・クラインです。よろしくお願いします……」
大柄な子爵様の足元に隠れるように、フリフリの空色のドレスを着た女の子が居た。
名前を名乗ったはいいけど最後の方は聞き取れない程の小声になっていたところをみると人見知りなのだろうか。
「うん、よろしくね。ほら、チェリー食べるかい?」
「……はい、ありがとうございます」
なんとか緊張を解そうとテーブルの上のチェリーを一つ差し出すと、子爵様の方をチラッと見て、頷いたのを見てトテトテと寄ってきて受け取った。
受け取った後また子爵様の足の後ろに隠れてしまったが、もぐもぐと食べてくれてはいるようだ。
なんか小動物みたいだな、と思っていると父上が僕たちを見つけたようで歩いてくる。
「む、もう顔をあわせておったか」
「先ほど彼から声をかけてきてくれてな。なかなかに聡明そうな子じゃないか」
「誰に似たのか文武ともに才気の片鱗が見受けられる。将来が楽しみな子だ」
「はっはっは、お前でもやはり子供は可愛いか」
「君は私をなんだと思っているんだ、まったく。アルフレート、聞いての通りクライン子爵は私の同僚だ。そこで彼と少し話しておってな、まだ確定ではないがお前と、このカリーナちゃんの婚約についてだ」
「婚約、ですか」
「あぁ、カリーナちゃんは来月9つになる。歳も近いし、一度顔を合わせさせて問題がなければということで、今日はこうやって来ていただいたのだ」
「親の私が言うのもなんだが、カリーナは将来美人になるぞ。私の妻とそっくりだからな! まぁ、人見知りなところまで似る必要は無かったのだが」
「ふん、やはり君程私は子煩悩ではないよ」
「そうだな、もっと君は子煩悩になるべきだ」
「何を言っているのだね……」
おそらく父上とクライン子爵はそれなり以上に仲が良いのだろう。
家では厳格な父上が顔はムッツリとしながらも、どこか楽しそうに軽口を叩いているのは少し新鮮だった。
そのまま二人はワインを取りにいったため、ボーっと見つめていた僕と置いて行かれてアワアワしているカリーナちゃんが残された。
「え、えっとカリーナちゃんは今のお話は知ってたのかな?」
無言で頷くカリーナちゃん。
「カリーナちゃんはいいの? その、僕なんかで」
「お父様が決めることだから……」
「そう、かもしれないけどさ。さっきの話からして別に嫌なら嫌で取り合えず保留とかには出来ると思うよ。まだ確定じゃないみたいだし」
「……なんで?」
本当に不思議そうにコテンと首をかしげるカリーナちゃん。
いやまぁ普通はそうか。親が言うなら従うのが子供の役目だ。
「なんていうか、そう、不本意な婚約で窮屈な思いとかさせたくないから。カリーナちゃんみたいな可愛い子にはもっといい未来があるかもしれないし」
前世ではこんなサラッと『可愛い』なんて言えなかったな、と思いつつも同時に前世の思いを引き摺って自分に自信がないからこんな事を言っているんだろうなと思う。
こんな僕が婚約なんてしていいのか、自分が彼女を幸せに出来るのか、なんて。要するにビビってしまっているのだ。
「んー、良く分からない。でも、アルフレート様が悪い人じゃないって事は分かりました」
そう言ってニッコリと微笑んだ彼女に、どんな時代でも男って単純なものだな、と改めて思うのだった。