職業に貴賤あり
アジテーションエッセイ第8章!!!
最近更新ペースが落ちてますが、社会にアジテートしたい内容は山ほどあります。
異論反論はどんどんいただければ幸いです。
私は父からよく「職業に貴賤なし」と言われてきた。
これに対して私は「じゃあ暴力団はどうだ」とかいって父を困らせていたものだ。
しかし、この言葉は一体何のためにあるのだろうか。
職業というなら、それは当然合法、違法を問わないものであるし、運転手から風俗、トレーダーや大家まで、お金を稼ぐものはすべて職業というべきだ。
その中に本当に貴賤、もしくは序列というものはないのだろうか。
多くの親は娘がAV女優になっても構わないのだろうか。年頃になって進路相談をされたときに、
「弁護士とAV女優で迷っているんだ」
と言われて、AV女優を推す親がいるのか。
極端な例であるが、こういった話は極端な例を出さないと話が進まないものである。
勿論、仕事は生活の原資を稼ぐための方法であるから、より高給な仕事を選ぶというのはわかる。それは決して貴賤ではない。労働の対価の序列だ。
しかし、上の例で考えるとこれだけでは説明できないものがあるように感じる。
本当に職業に貴賤はないのだろうか。
賃金水準が同じ場合に、風俗嬢と弁護士は同じ貴賤的地位なのだろうか。
暴力団も職業だ。詐欺集団も職業だ。
本当に貴賤はないのか。
ではこの言葉を一番利用したいのは誰だろうか。
それは国である。
職業に貴賤ありが公言されると、職業間に憎悪が生まれてしまい、社会的秩序が崩れてしまう。無駄なフリクションが起こってしまう。
それを防ぐために、職業に貴賤ありという倫理観を国民に与えているのである。
しかし、話はこれで終わらない。私見としては職業に貴賤はあるのだが、それ以上に大事なことは職業には報酬をもとに考えた序列があることを子供に教えていないことである。
職業に貴賤ありという教育は大事であるが、報酬的序列があるというのはしっかりと教えないといけない。
将来、高給取りになる多くの者は子供のころから競争をして、努力をしているし、どうしたら高給取りになれるのかの情報収集も行っている。
これは親が意識的または無意識的のうちに伝えていることなのだろう。
職業はその人の人生に大きな影響を及ぼすものである。なら職業に序列があることを子供のころから植え付けないといけない。
職業に貴賤あれども、貴賤なし
序列あれども、序列あり。