十人一色を考え抜け
アジテーションエッセイ第6弾!!!!!!!!
目玉焼きにかけるものにも正解はあるんではないだろうか。
(ちなみに私は醤油派である。)
ちょくちょくこいつはうざいって思ってしまう人がいる。
私自身様々なタイプのうざさに触れることがあるが、そのなかでも、今回は「十人十色」タイプだ。
例えばこんな会話
A「ああいうやつは間違っているよね、本当はこうすべきだろ。」
B「そうはいうけど、それもあの人の感性なんだからさ。『十人十色』人それぞれ性格も異なるんだから。」
確かに昔の人が作った言葉だけであってなかなか含蓄に富むが、この言葉を簡単に使うのはただの思考停止だ。
この言葉は魔法の言葉である。
どんな議論だって、「十人十色」といってしまえば、話はそれまでだ。
しかしそれは単なる議論の棚上げに過ぎない。
みな性格や嗜好は異なるのだから、結論がそれぞれ違うのは当たり前だ。
むしろ最初から同じ結論になるほうがおかしい。
けれど、議論の結論を十人十色と置くのは思考停止に過ぎない。
果たして世の中に答えはないのだろうか。
目玉焼きに何をかければ最もおいしくなるのか。
正しい戦争と悪い平和はどいたら尊いのか。
死刑制度は存置すべきなのか。
人はみな愛想いい人間にならないといけないのか。
十人十色が議論の結論にあってはならない。
議論とは、十人十色を十人“一色”にするとして作業のはずなのだから。
十人一色を考え抜け