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下手の考え止まるに似たり

アジテーションエッセイ第4弾!

1日4連投です。


レビューをいただければこれ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

 数か月間色々なことを投げやりにした。




 入浴や歯磨きもほとんどしない。生活リズムも気が向くままで、深夜逆転状態だった。




 低等遊民という言葉はこの様を言うのだろう。




 休んでいる間、金銭管理、ビジネスキャリアの将来展望といったことを考えるのを放棄していた。ただ欲の赴くがままに惰眠を貪り、ゲームをし、酒を飲む。




 何とか脱却しようと舵を切っているところだが、なかなか元気があったころの状態に戻すのは難しい。こうした生活を一度すると、世間でごく普通(いや求められている)ライフスタイルに戻すのは一苦労であるのであるが、それ以上に苦労するところがある。





 それは、思考力と気力を取り戻すことである。





 思考というのは少しの緊張感と大きな精神力を伴う行為である。


 一度社会から断絶した生活を送ると、この「思考」という行為が非常にしんどくなる。呆けると頭が鈍くなるというのはよく言われることだが、これは頭が退化するというより「思考」に伴う緊張感と精神的疲労を過度に恐れてしまうことに起因しているようなのだ。




 幼いころから「時は金なり」というベンジャミンフランクリンの言葉を意識していたが、20を超えるとこの言葉に重みをより感じるようになった。どんな過ごし方でも時間は過ぎる。




 「思考」というのは一度止めると、元の速度に戻すのに長い時間を要する。思考の休暇をやめ、アクセルを踏まなければいけない。そうしないと時代に取り残されてしまう。



 勿論、単に考えるだけではだめだ。思考することを思考しなければならない。どう思考すればより早く、思考できるのか。どうすればより人生を謳歌できるのか。



 考えなければならないことなどこの世にはいくらでもあるのだ。




 物理的には物体の速度は光を超えることはできないが、思考の速度は時間を超えることができると私は信じている。




 時間の向こう側に行こうではないか。







 下手の考え 止まるに然り  上手の考え、時を超える

 





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