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幸福の時間(後編)

(1) 

 渦巻状の菓子パンを引き千切り、口に放り込む。

 ゆっくりと咀嚼する間でも眉間の皺の数は減らず、無表情は保たれたまま。

 わだかまりが解けて父娘の絆が築かれてきた今でさえ、喜怒哀楽の内、「怒」以外の感情は非常に判り辛い。


「パパ、美味しいかな??」


 薄過ぎるウォルフィの反応が気になり、ついついヤスミンはシュネッケの味の感想を求めた。


「心配しなくても大丈夫よ、ヤスミン。眉間の皺が増えてないから」

「え??」


 目を丸くするヤスミンに、シュネーヴィトヘンはクスクスと悪戯っぽく笑いかける。

 娘を挟んで隣に座るウォルフィは、『余計なことを言うな』と言いたげに横目で睨む。

 睨んだところでシュネーヴィトヘンは軽く受け流し、言葉を続ける。


「ウォルフは甘い物が苦手なのよ。我慢して食べているとしたら眉間の皺が増える。増えてなければ我慢していない。つまり、美味しいと思っている」

「ママ、すごい……。たったそれだけでパパの気持ちが汲み取れるなんて」

「勝手に人の気持ちを読むな」

「読まれたくなければ、ちゃんと口に出してヤスミンに伝えればいいじゃない」


 ふん、と勝ち誇るシュネーヴィトヘンに言い返す術もなく、ウォルフィは口元を引き結んで黙り込んだ。

 二人の間では、珍しくやり込められるウォルフィの姿が可笑しいのか、ヤスミンは噴き出しそうになるのを堪えている。


「ヤスミンが作ったものなら、旨いに決まっているだろう」


 素っ気ない一言、しかし、ヤスミンを破顔させるだけの充分な威力を持つ一言でもあった。

 娘の晴れやかな笑顔にシュネーヴィトヘンの心もまた満ち足りていく。


 家が近所だったことから、ウォルフィとシュネーヴィトヘンは家族ぐるみで付き合いがあり、ヤスミンよりも幼い時から手作りの菓子をよく彼の家へと届けていた。

 彼の両親や姉、妹は『リズちゃんが作るお菓子は絶品ね』と口々に褒める中、ウォルフィだけはいつも不機嫌そうな顔つきで黙って菓子に手を付けていた。


 もしかして、本当は食べたくないのに嫌々食べているのだろうか。

 不安に思いつつ、予想が的中するのが怖かった。


 その不安が顔に出ていたらしく、ある時、彼の姉がこっそりと耳打ちしてくれた言葉――、今し方、ヤスミンに言った言葉だった。


(全く……。あの頃と変わらず、不器用な人)


 それは自分も同じね――、と、胸中で自嘲する。

 ウォルフィの前に置かれた小皿の上のシュネッケはいつの間にか消えていた。

 空になった皿をちらちらと視界に入れるヤスミンは益々嬉しそうに微笑んでいる。


 夢見ていた幸福がやっと手に入った。


 ごく当たり前の、平凡な幸福。

 けれども、例えたった一夜であっても罪に塗れた身には有り余る程の幸福。


「ママ??」


 急に押し黙り、物思いに耽っていた母を気遣うようにヤスミンが見上げてきた。


「何でもないわ。さ、折角ヤスミンが作ってくれたのに残しちゃいけないから、食べてしまうわね」


 心に差し掛かる憂いを払うべく、シュネーヴィトヘンは笑顔を取り繕い、皿に残る菓子を口許へ運ぶ。

 粉砂糖の甘さとシナモンパウダーの苦みは、彼女の心中を表すかのようだった。




(2)


「もうそろそろ寝た方がいいんじゃないかしら」 


 小さな欠伸を繰り返すヤスミンを見兼ねて就寝の準備を促すと、ヤスミンはこくりと頷いた。


「ねぇ、今日はママと一緒に寝てもいいかな」

「えぇ、勿論いいわよ」

「あと、パパも一緒に」


 娘の言葉と懇願するような視線を受け、ウォルフィの右眼が困惑の色を浮かべた――、が、それも一瞬の事。


「……分かった。ヤスミンが望むなら」

「本当?!」

「あぁ」

「へへ、嬉しいなぁ……。私ね、御師様の元にいた時、魔女仲間が子供の頃に両親に挟まれて同じベッドで寝ていたとかいう話を聞く度、羨ましかったんだ。御師様は育てのママではあったけど、さすがに一緒に寝たりとかはなかったから」

「…………」

「とりあえず、お風呂に入ってくるわね!」


 すっかりご機嫌な様子で退室していくヤスミンを、シュネーヴィトヘンとウォルフィは複雑そうな眼差しで見送った。

 室内に流れる微妙に気まずい空気から逃れるように、ウォルフィも退室しようとシュネーヴィトヘンに背中を向ける。


「何だったら、ここのお風呂で一緒に入ってもいいのよ」


 ドアノブに掛けた手を離し、振り返ったウォルフィに、椅子から立ち上がり、シュネーヴィトヘンは蠱惑的な流し目を送りつけてきた。


「馬鹿言え」


 動揺を悟られまいと顔を背け、もう一度ドアノブに手を掛けるウォルフィに「冗談よ。ヤスミンがいつ戻ってくるかも分からないし」と、肩を竦めてみせる。

 艶めいた冗談に言い返そうとしたが、上手く言葉が見つからなかったのか。

 背中を向けたまま、口を半開きにしたウォルフィはわざと溜め息を吐き出し、廊下へと出ていく。


 それから、三十分程経過し――、ヤスミンとウォルフィは再びシュネーヴィトヘンの部屋へと戻ってきた。


「パパ、寝る時までそれ付けたままなの??」


 寝間着姿で枕を抱えたヤスミンが、ウォルフィの眼帯をじっと見つめる。

 娘の指摘に言葉を詰まらせるウォルフィに「寝る時くらい外しちゃえばいいのに。眼帯の下がどうなっていようと私は気にしないわ」とさらに畳みかける。

 昨夜のシュネーヴィトヘンの台詞と似たようなことを言われ、内心驚きつつ。

 若い娘に、決して気分良く見れるものではない、醜い素顔を晒していいものか迷っていると。


「気にし過ぎよ。どうせ灯りを消してしまうのだし、思い切って外してしまえば??」


 またお前か、と一言漏らし、ウォルフィはしばし逡巡するも――、覚悟を決めて眼帯をさっと取り外した。

 初めて見る父の素顔に息を飲み、呆然とするヤスミンにやはり怖がらせたかと後悔の念が押し寄せ始めた時――


「魔血石の輝きが綺麗だわ……」


 ウォルフィの双眸から視線を逸らさないヤスミンの呟きに、身体中の空気が抜けきるのではと思う程の安堵を覚える。

 

「私と貴方の娘だもの。貴方の素顔を怖がる筈ないでしょ??」

 しょうがない人ね、と鼻を鳴らし、睨むウォルフィを意に介さずシュネーヴィトヘンはベッドの寝具を整えた。

「さ、二人共ベッドに入って頂戴」


 ランプの灯りを全て消した薄闇の中、一つのベッドに三つの身体が横たわる。

 一人で寝るには広すぎるベッドは三人並ぶと丁度良くなる。

 これもまた、アストリッドがこうなることを予測して――、否、こうなることを望んで用意したのだろうか、と勘繰りつつ、一方で感謝の念も抱く。

 両親の間に挟まれるヤスミンの長い髪を、ウォルフィと共に交互に撫でている内に自然と眠気が降りてくる。


 もう少しだけ意識を保ち、幸福な一時に浸っていたいのに。

 心とは裏腹に訪れる睡魔には抗えず。


 束の間の幸福に浸りながら、シュネーヴィトヘンの瞼は完全に閉じていった。



(了)

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