人は見掛けによらない
Twitterのアンケートにて最多票を獲得した、ヤスミン×エドガーのバレンタインSSです。
バレンタインと言いつつ、単にチョコレートが出てくるだけですが……(汗)
時系列は、本編第六章『Sullen Girl』(4)~(6)辺りになります。
ヤスミンは、今し方我が身に起きた状況に顔を青褪めさせていた。
彼女が座る黒檀製の机の前に立つ、エドガーの眼鏡の奥の瞳が呆れ返っている。
確かに、昨夜は遅くまで試験勉強に励んでいたため、今日は寝不足気味ではあった。
元帥府の南側に位置するこの部屋は、日中暖かな(日によっては少々暑くなる時も)日差しが差し込むし、もうそろそろ正午を迎える――、昼休憩の時間に差し掛かることから空腹も感じ始めている。
睡魔に襲われ始めた当初、頬を抓ったり叩いたり、本日の護衛を務めるエドガーに話し掛けにいったりしては眠気を追い払っていたのだが。
数々の抵抗を嘲笑うかのように、睡魔はヤスミンの意識をどんどん蝕んでいき――、気がつけば、机の天板に突っ伏す形で居眠りしてしまっていた。
気まずさの余り、エドガーから視線を外して床に目を落とす。
床に敷かれた高級絨毯の上には、魔法書が数冊落ちている。
おそらく、机に伏せた弾みで魔法書を床に落としてしまい、その音で何事か起きたと思ったエドガーが室内に飛び込んできたに違いない。
(……で、駆け付けてみたはいいけど、実は居眠りしてましたー、なんて。さすがに准尉でも呆れるわよね……)
何か一言、謝罪なり弁明なり述べた方がいいのは分かっているけれど。
室内に漂う気まずい沈黙を破る勇気が、持てない。
それなりに気心しれているとはいえ、エドガーだって厳格な規律の下で働く軍人の端くれ。
いっそのこと怒るなり説教するなりしてくれればいいのに、などと思い始めた矢先。
「試験勉強頑張るのはいいけど、あんま無理すんなよ。どうせ、勉強で夜更かししちまったんだろ??」
「…………」
予想に反し、エドガーの口から飛び出したのは叱責でも説教でもなく、むしろ心配するような言葉だった。
「まぁ、気持ちはよく分かるけど。俺も特務准尉の試験受けた時とか、寝る間惜しんで猛勉強したしなぁ」
「えっ」
「あれ、俺、言ってなかったっけ??十五の時に一般募集で軍に入ったって」
「うん、今初めて知ったわよ」
士官学校卒業と共に、自動的に准尉の役に就く士官候補生達とは違い、一般募集で軍に入隊した者は一番下級の二等兵の役から始まる。
兵法等を詳しく学ぶ士官学校出身者が出世の道を邁進する一方、そうでない者は大抵下士官止まりで役を終えるのがほとんどである。
しかし時折、下士官の中でも優秀さが上官の目に留まり、上官の推薦によって特別に士官への昇級試験を受けることができる。
特務准尉とは、下士官から士官へ昇級した者のために設けられた役職であった。
「士官学校出てたら、年齢的に今頃は少尉くらいには昇進してるぜ??あ、それとも、この性格だから昇進遅れてるとか思ってたんだろ」
「……ま、まさかぁ、そんなこと……」
「……ヤスミンちゃん、嘘つくの下手すぎじゃね??別にいいけどさ」
エドガーは特に気を悪くするでもなく、床に落ちた魔法書を拾い上げてヤスミンに手渡した。
「まっ、もうすぐ昼休憩の時間だし、ちょっとくらいサボっててもいいんじゃねぇの」
「とか言っちゃって、准尉がサボりたいだけでしょ??」
「バレたか」
悪びれもせずにニヤッと笑うエドガーに、今度はヤスミンの方が呆れてみせる。
だが、こうして彼ととりとめのない会話をしたお蔭で、ヤスミンを襲っていた激しい睡魔はいつの間にか消え去っていった。
やがて、壁時計の長針・短針共に12に秒針の先を揃え、更に一〇分程経過した後。
二人分の食事を乗せたトレイを手に、フリーデリーケがヤスミンの元へと訪れた。
元帥府内での仕事の時は、護衛も兼ねてヤスミンと昼食を摂るようにしているのだ。
フリーデリーケが入室すると、入れ替わりでエドガーが退室していく。
「わぁ、今日はほうれん草のキッチュなんですねぇ。美味しそう!」
二人分の食事の皿を並べる為、魔法書を机の隅に片付けていたヤスミンは思わず声を弾ませる。
「私、ほうれん草のキッチュ大好きなんですよねぇー」
「あら、そうだったの。じゃあ、今度うちでも作ってあげるわね」
「やったぁ、楽しみです!」
何のてらいのない、ヤスミンの満面の笑みに釣られ、フリーデリーケもつい表情を緩め、薄く微笑んでみせる。
お喋りに花が咲く、とまではいかないものの、女二人、和やかな雰囲気で食事の時間が進んでいく。
「あの、そう言えば……」
互いの皿の上の料理が粗方なくなった頃、紅茶を淹れたマグカップを両手に抱え、ヤスミンはフリーデリーケに話を切り出した。
「ゲッペルス准尉って、特務准尉だったんですね。知らなかったです」
「えぇ、そうよ。彼は下士官で終わらせるには勿体ない人物だと思ったから、特務准尉の昇級試験を受験できるよう私が推薦したの」
「少佐がですか??」
「えぇ。彼は与えられた任務をただ忠実に遂行するだけでなく、必ず期待以上の結果を残してくれるから。それに機転もよく利くしね。とはいえ、座学は苦手みたいで随分と試験勉強には苦労したようだったけどね」
当時の彼の様子を思い出したのか、マグカップに口をつけながらフリーデリーケは、ふふっと口許を緩ませる。
ヤスミンもヤスミンで、『あぁー、こんな問題分かるか!クソッタレ!!』とうんざりしながら机に向かうエドガーを想像して、紅茶を噴き出しそうになった。
ただでさえ苦手なのに、日々の厳しい訓練の合間を縫っては必死に勉強したのだろうなぁ、と、思うと、今自分が置かれている環境は非常に恵まれている。
否、恵まれているというより、甘やかされていると言って過言でないだろう。
(それなのに、私ってば、居眠りなんかしちゃって……)
明らかに自分よりも厳しい条件、環境下で試験勉強をしていたエドガーに対し、やはり自分はまだまだ甘い、と痛感させられ、少しだけ、ほんの少しだけ反省したくなった。
午後からは気を引き締めて、今まで以上に勉強頑張らなきゃ!と、すっかり温くなった残りの紅茶を一気に飲み干した時だった。
ノックの音が聞こえ、部屋の扉が開く。
「まさに、呼ぶより謗れよね……」
「あのなぁ、戻って来て早々失礼すぎだろ」
フリーデリーケの前でも憎まれ口を叩き合う二人を特に咎めもせず、「まだ休憩が終わるまで時間があるのに、一体どうしたの」と、フリーデリーケはエドガーに尋ねた。
よく見ると、エドガーは右手にカップを持ったままだ。
「いえ、大したことではないのですが……、ヤスミンちゃんに渡したいものがありまして」
「渡したいもの??」
首を傾げるヤスミンに、エドガーは持っていたカップを押し付けるように手渡してきた。
「え、何。何なのよ??」
「見りゃ分かんだろ」
「は??」
手渡されたカップの中身――、琥珀色の液体からは湯気とほろ苦い香りが漂ってくる。
「コーヒー??」
「眠気覚ましに持ってきてやったんだよ。飯食った後だと眠気も増すかもしれんし」
「…………」
「あ、言っとくけど、元帥府のコーヒーはあんま旨くないぞ」
「はぁ?!」
声を荒げたものの、向かい合わせで座るフリーデリーケの存在を思い出し、慌てて口を噤む。
フリーデリーケは、ただただ苦笑交じりに黙って二人を眺めている。
「ま、不味いのなら、いらないわよ!」
「まぁ、そう言うなって。ついでにこれもやるからよ」
エドガーは軍服のズボンのポケットから何かを取り出し、ヤスミンの手に――、マグカップを持っていない方に強引に握らせた。
不審げにしつつ掌を開く。
銀紙で包装された、一口大サイズの四角いチョコレートが三つ、姿を現した。
「疲れた時は甘いモノ食うと脳の働きが良くなるらしいってさ。まぁ、苦いコーヒーで眠気覚まして、チョコレートで頭を活性化させりゃ、勉強が捗るんじゃないかと思ってな」
「……このチョコレート、どうしたのよ」
「後輩から分捕ってきた」
「あのねぇ……」
見も知らぬ後輩とやらに同情の念を覚えるも、エドガーなりの気遣いが嬉しくもあり、くすぐったくもあり……。
「し、しょうがないわね!折角持ってきてくれたし、ありがたく受け取ってあげるわよ!!」
「素直じゃねぇなぁ」
気恥ずかしさが勝ったヤスミンは、エドガーから徐に顔を背けた。
何となくだが顔が赤くなっている気がして、それをエドガーに悟られたくない一心で。
エドガーはそれ以上はヤスミンを揶揄うことなく、しょうがねぇ奴、と、肩を竦めて笑ってみせただけだった。
(終)
リントヴルム国軍の階級制度等については旧日本軍を参考にしていますが、実際とは異なる部分が多々あること、ご了承下さい。